5.'sでは広すぎる:前編

文字数 3,079文字

 翌日部室を訪れると、レン子先輩はなぜか裁縫をしていた。


 僕はまた、ここが何のサークルであるのかを忘れそうになる。

……な、なにを縫っているんですか?

 そこはかとなく訊かなければならない雰囲気を醸し出されていたから、思いきって訊いてみた。


 するとレン子先輩は一度顔をあげ、その視線を傍に座っていたギャル子に移す。

あ、これ、あたしのハンカチっス!

 さすが、ファンと言うだけあって敏感に察したギャル子が、代わりに答えてくれた。

ハンカチ?

(ハンカチって、自分で縫うものだっけ? 雑巾くらいしか見たことないぞ……)


 しかし、レン子先輩の手もとを見やると確かに花柄で、とても雑巾には見えない。


 しかも、縫っている位置が絶妙に変だった。わざわざハンカチの中心を真四角にくり抜いて、そこに別の布を当てているようなのだ。

……ハンカチに穴でも開けちゃったんですか?
そうっス。
『そうっス』じゃないわよ。全然違うわ。

 当のギャル子は頷いたのに、レン子先輩は手をとめて否定した。

違う?
開けちゃったんじゃない。開けたのよ。
開けた……

 それは、ほとんど違わないように思える言葉だ。


 だが、レン子先輩はその違いにとことんこだわる人なのだということを、この数日ですでに学んでいた。


 僕は考える。

(開けちゃった――感覚で言うと、開ける気がないのにやってしまったように思える)

(開けた――言い切っているこっちは、明らかに自分の意思で開けている!)

つまりレン子先輩は、ギャル子のハンカチに故意に穴を開けたうえ、自分で直している……ということですか?

 実におかしな状況だが、そうとしか思えなかった。


 案の定レン子先輩は、頷きながら針と糸を置く。

そうね。直しているわけではないけれど、そんな感じよ。
えっ? 直してるわけじゃない? って――

 そして僕の目の前で、そのハンカチを広げて見せた。


 いかにも女の子らしい花柄のハンカチのまんなかで、こともあろうに怪しい宇宙人のキャラクターが手を振っている。

――もっとマシな布はなかったんですか……
あら、これくらいわかりやすいほうがいいのよ。
はぁ……

 なにがどうわかりやすいのかは、特に訊かないことにした。

さて、幹太。ここで問題よ。
へ?
このハンカチは、誰のものでしょう?
いやそれ、さっきギャル子のだって言ってましたよねっ?
そう、まだ大丈夫ね。

 僕の回答にどうやら満足したらしいレン子先輩は、また裁縫に戻ってしまう。


 今度はハンカチの右上をハサミで真四角に切り、さっきと同じ布を縫いつけはじめた。


 黙々と、作業に没頭している。

(な、なんなんだこの状況……。石橋先輩はなにも言わないのか?)

 ふとその存在を思い出して、キョロリとあたりを見まわしてみるが、姿が見えない。


 いや、本当は最初からいないことはわかっていたのだ。


 長机二本でいっぱいになるような狭い部室なのだから、入室した瞬間にわかる。


 ――どこかに隠れていない限りは。

と、ところで、今日は石橋先輩は来てないんですか?

 控えめに訊ねると、レン子先輩は「飼い主?」と顔をあげ――

そこに入っているわよ。

 なぜか、部屋の片隅に置かれたロッカーに目をやった

え……?

 ちょっと意味がわからない。

な、なに……も、もしかして本気で言ってますか……?
私が本気でないことなんてあった?
ありません!

 僕は慌てて立ちあがると、手前のロッカーを勢いよく開けた。


 すると本当に、ゴロンと人が転がり出てくる。

(マジで!? なんでこんなとこに石橋先――)

――え?

 僕の思考がそこでとまってしまったのは、仕方のないことだった。


 手脚をロープで縛られ、口にガムテープを貼られたその人物は、

だ、誰ですか、これ……っ

 そう、石橋先輩ではなかったのだ。


 涙目でこちらに助けを求めている、まったく知らない男性だった。

飼い主――
いや違いますって!
――の服を着た知らない人。
他人じゃないですかっ

 僕は急いでその人を助け起こすと、何度も謝りながらガムテープとロープを外してやる。

ちなみに、飼い主の服を着ていない人物なら、隣のロッカーにいるわよ。
早く言ってください!

 言われたとおり隣のロッカーを開けると、こちらも申しわけなさいっぱいな顔をした石橋先輩が、トランクス一丁で佇んでいた。

……よぉ。
あっ、こ、こんにちは!

 そんな場違いなあいさつを交わしているうちに、石橋先輩の服を脱ぎ捨てた男性が、悲鳴をあげながら部室から飛び出していく。

通報されないことを祈ってるっス……

 しみじみと呟いたギャル子の横で、レン子先輩は相変わらずマイペースだ。

できたわよ。ほら、幹太。
はいっ?

 僕に再びハンカチを見せてくる。


 さっきは中央だけが宇宙人だったが、今度は右上も侵蝕されていた。

(もしかして、宇宙侵略の様子でも表現してる……?)

 ただ戸惑うだけの僕に、やはりもう一度、投げかけられる質問。

このハンカチは、誰のものでしょう?
いや、だから……っ
ギャル子のもの?
何回訊いても同じですよ!

 僕が叫ぶように答えると、レン子先輩とギャル子は目を見あわせた。

そう……じゃあ、一気に行こうか。
ラジャーっス!

(一体なにを企んでいるのか、怖すぎる……)

 僕が恐怖に震えていると、すでに恐怖を通りこしてきたのだろう石橋先輩が、声をかけてくる。

おい幹太、俺の服取ってくれ。
あ、はいっ

 さっき見知らぬ男性が脱ぎ散らかしていった服を集めて、まだロッカーのなかにいる石橋先輩に持っていった。

あ、あの、どうしてこんなことに……?

 渡しながら小声で訊いてみると、石橋先輩は沈痛な面持ちで答える。

なにも訊かないでくれ……

 よっぽど嫌なことがあったらしい。

(なんという恐ろしいサークルだ……)

 その後、着替えおわった石橋先輩がいつもの席に着くと、ようやく昨日までと同じ部室に戻った。


 もっとも、レン子先輩とギャル子はまだ裁縫に夢中だったが。

(――って、いつの間にギャル子まで裁縫をっ? さっきまで見てるだけだったのに……)


よしと、これでいい。

 やがて、作業を終えたレン子先輩は、またも僕の名を呼ぶ。

さあ幹太、最後の質問よ。
は、はい。
このハンカチは、誰のものでしょう?
……っ

 目の前に広げられた、さっきまでギャル子のものだった花柄のハンカチ。


 だが今そこにいるのは、宇宙人だけだった。

(え? あれっ? もしかしてすり替えた? ……いや、違う。ちゃんと縫い目がある!)

 どうやら、真四角に切り抜いたそれぞれのパーツを、ひとつずつ入れ替えていった結果、全部入れ替わってしまった――そういうことらしい。

そ、そのハンカチ、もとはギャル子のなんですよね?
そうよ。今まであなたに見せてきたハンカチと、同じものよ。
じゃあ、ギャル子のもの……?
なんで『?』がついてるのよ。あなたさっき、言い切ったじゃない。『何回訊いても同じだ』って。
それはそうなんですが……っ

 すべて入れ替わってしまう可能性を、まったく考えていなかったのだ。


 そして追い打ちをかけるように、ギャル子が横でもう一枚のハンカチを広げた。

じゃあこれは? 誰のハンカチっスか?
あっ!?

 縫い目はあるが、花柄のハンカチだ。


 もとのハンカチから取り出した布を、ギャル子が改めて縫いなおしたのだろう。

(……パーツだけで見れば、ギャル子のハンカチは間違いなく花柄のほうだ。でも、そうするとついさっきまで『ギャル子のハンカチ』の称号を持っていた宇宙人はどうなる?)

さあ、どちらがギャル子のハンカチだと思う?

(続く)




Q.どちらがギャル子のハンカチか?

  ぜひ考えてみてください。

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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