18.存在しない言葉:後編

文字数 2,257文字

あれ? じゃあ、最初にレン子先輩が言った、『抜き打ちテストは自称した時点で抜き打ちテストではなくなる』っていうのは、どういう意味だったんですか?

 僕の質問に、レン子先輩は少し目を細めた。

それは……そのまんまの意味だけど、私は『抜き打ちテスト』という言葉は、自称すべきでないと思っているの。
自分から言うなってことですか?
そう。『これからテストをやるぞー(先生)』『抜き打ちかー(生徒)』なら自然な流れでしょ。でも、『これから抜き打ちテストをやるぞー(先生)』って言われたら、本来答えるべき言葉は『先生、言ったら抜き打ちになりません!(生徒)』だと思うのよね。
レンちゃん……謎の声真似が面白くて、内容が頭に入ってこないっス!
なんだこのどうでもいい才能。
は、ははは……

 でも、レン子先輩が言いたいことは、なんとなくわかった。


 レン子先輩の抜き打ちテストの定義は、おそらく『抜き打ちテストがあることを事前に知らされないこと』なのだろう。


 たとえそれが、直前であってもだ。


 じゃあ終わってからなら自称してもいいのかと言えば、それもちょっとおかしい。


 なぜなら、自称するまでもなく、抜き打ちテストであったことは誰の目から見ても明白なのだから。


 だが、そう考えていくと、不思議なことに気づく。

――レン子先輩の考える『抜き打ちテスト』って、未来には存在しないんですね。
あら、いいところに気づくじゃない、幹太。
さ、さっき、過去とか未来の話が出たから……

 少し照れた僕を華麗に無視して、レン子先輩は解説を始める。

そう、私にとってのそれは、すでに終わったことを改めて確認するための言葉。だから、まだ起こっていない事象には適用されない。存在しない言葉なの。
存在しない、言葉……

 口にするだけなら簡単なことなのに、実体が伴わない。


 世のなかにはそんなものもあるのだ。


 さらにレン子先輩は続ける。

存在しない言葉といえば、もうひとつ、面白いパラドックスがあるわよ。

 機嫌がいいのだろうか、いつも以上に饒舌な気がした。

あなたたち、自然数はわかるわよね?
自然な数か?
えっとぉー、確か、いち、に、さん、し……って普通の数字っスよね。
正の整数とも言いますね。

 僕らの答えに頷くと、ひとつの問題を出してくる。

じゃあ、『四』という数字を、文章で説明してみて。
へ? えーと……

 簡単に言ってくれるが、咄嗟には思い浮かばなかった。


 ――おそらく僕は深く考えすぎだったのだろう。


 その証拠に、

三の後ろか?
五の前っス!

 ふたりの回答は、それほどに単純なものだった。


 遅れて僕も、一言つけ足す。

二の二倍、です。
他にも、死を連想させる数とか、逆に幸せを連想させる数とか、そういう説明の仕方もあるわよね。

 間髪を入れずにレン子先輩が続けた。

た、確かに……
じゃあ次。『十九文字以内で記述できない最小の自然数』を考えてみて。

 その内容を、噛み砕いてみる。

十九文字以内で、記述できない……?

 逆に言うと、記述――説明するには十九文字より多くなってしまう、ということだ。


 かなり捻った考えかたをしなければ、それほどの長さにはならないだろう。


 しかも『最小の』という条件がついているのだから、よけいに難しい。

それぞれの数字を無理やり説明文に変えて、さらにそれで計算式をつくるくらいしか、思いつきません。最終的にはやっぱり『一』になるんでしょうけど……

 なにしろ、自然数で最小なのは一なのだ。


 自然数に〇を含む考えかたもあるが、今それを持ち出すと話がややこしくなるだけなので、割愛する。


 石橋先輩とギャル子は、ウンウンと唸るだけで答えを出せなかった。


 そんな状況のなか、レン子先輩は――やれやれと首を振った。


 もちろん横にだ。

まだ気づかない? 私が『面白いパラドックスがある』と言ったこと、もう忘れたの?
あっ!?

 そう、これは最初からパラドックスの問題なのだ。

(つまり、答えようとしても、どこかに矛盾が生じてしまうということになる……はず!)

 僕は改めて考えてみる。


『十九文字以内で記述できない最小の自然数』


 やけに長い説明文だ。


 これだけでも十九文字ありそうな――と、そこまで考えて、やっと気づいた。

ああああ……この文章がすでに十九文字だから、どんなに頑張っても存在しないことになる!?
正解。

 今度こそ、はっきりとレン子先輩が頷いた。

面白いでしょ。これは『ベリーのパラドックス』と呼ばれるものよ。文章としては確かに存在しているのに、答えは存在しない言葉
た、確かに……
んー? 待って、あたしにはよくわかんないっス。

 そこで首を傾げたのは、ギャル子だ。

『十九文字以内で記述できない最小の自然数』っていうのが十九文字だと、なにが問題なんスか?
いや、それくらいはわかれよ。十九文字で説明しながら『十九文字以内で説明できちゃダメだ』って言ってるんだぞ。自分で矛盾してるじゃん。
あ、そういうことっスか!

 なんだかんだ言って、一年先輩の石橋先輩のほうが、理解力は上らしい。


 レン子先輩はそんなふたりの様子を微笑ましく見ながら(実際に微笑んでいるわけではないが)、まとめに入る。

でもね、本当は驚くようなことじゃないの。存在しない言葉なんて、いくらでもあるんだから。
え……?
荒唐無稽な話を並べ立てれば、ね。もっとも、どんな言葉と比べても、私やあなたの笑顔には敵わないでしょうけど。

 レン子先輩は、まっすぐに僕を見ていた。


 存在しない言葉。


 存在しない、笑顔。


 ――違いない、と僕も思った。


(続く)

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登場人物紹介

乾 幹太(いぬい・かんた) 大学1年生


とにかく根暗。

犬飼 レン子(いぬかい・れんこ) 大学?年生


パラ研の魔女。

石橋 仁(いしばし・じん) 大学3年生


明るい好青年。レン子の飼い主。

ギャル子(本名不詳) 大学2年生


見たまんま。

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