第171話 115 哀れをさそうもの

文字数 876文字

 親が死んだ後に供養し喪に服する人の子。身分の高い男性が奈良の吉野にある金峰山に御嶽詣でをする前に五十日の間、供養している。部屋を隔てたところで真剣にお勤めを行っている暁ころのぬかずいている様子など、ひどく哀れをさそう。睦ましき女が、目を覚まして聞いているのだろうと思うと哀れを感じる。
 寺へ詣でるときの有様、どうなることだろうかと謹慎し恐れおののいていたところ、何ごともなく詣でることができ落着したことは、大変おめでたいことである。烏帽子の格好などが、少し崩れている。なお高貴な人といわれるけれど、このうえもなく粗末なもので参篭されると聞いていた。
 衛門の佐宣孝という人は、(宣孝)「つまらないことである。ただ清潔な衣装を着て詣でることに、なんで不都合なことがあろうか。よもや、かならずお粗末な格好で詣でなさいと、吉野の金剛山の修験道場で決まりでもあるというのか」と言って、三月の末に、紫の極めて濃い指貫、白地の狩衣、山吹のおどろおどろしいものを下に着て、宣孝の長男の隆光は主殿の次官だったが、青色の狩衣。紅の内衣、摺りもどした水干という袴をはかせ、連れ立ちて詣でて行った。
 帰る人も今から詣でる人も、珍しく異様な服装に、以前にこのような姿の人を見たこともないと、ただ驚きあきれるほどだった。四月一日に帰ってきて、六月十日のころに筑前の守が辞任した後に、そこへ任官したということであるが、まことに言っていたことが間違いなかった、と話題になっていた。これは、哀れなることに当てはまらないが、御嶽の話のついで書いた。
 男も女も、若くて清らかな人が、ほんとうに黒い喪服を着ているのは、哀れな感を受ける。
 九月の末、十月一日のころに、ほんとうにあるかなきか聞こえるコオロギの声。鶏の卵を抱いて伏せている姿。秋深く庭の浅茅に、露が色々、玉のように置いてある様子。夕暮、暁に、河竹が風に吹かれているのを、目をさまして聞いている心地。また、夜などもすべてが哀れをさそう。山里の雪。思いを交わした若い人の仲が、さえぎる者がいて、心にまかせず会えないのも哀れをさそう。
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