文字数 2,680文字

 *


 まぶしい昼の光。
 黒い影がいくつも覆いかぶさっている。
 とつぜんのことに、ワレスは一瞬、警戒した。が——

「隊長が目をさました!」
「もう、バカ! 心配させないでよぉ」
「だから、言いましたでしょ? このかたは、このくらいで死ぬわけがないと」
「しいっ。隊長はまだ病みあがりなんだから、静かに」

 光になれてきて、視界がふつうになった。のぞきこんでいたのは、ハシェドやエミール、アブセスなど、部下たちだ。

「……そうか。おれは、破傷風で倒れて……」

 起きあがろうとするが、頭がクラクラする。

「ダメです。隊長。よこになっててください。やっと熱がひいたところなんですよ」

 ふたたび、ハシェドに寝かしつけられた。

「二日も眠り続けだったんです。気分はどうですか。水でも持ってきましょうか?」
「ああ……いや、腹がへった」

 言うと、笑いが起こった。
 室内には、ホルズやドータスなど、第一分隊の多くが集まっている。そのことに、やっとワレスは気づいた。

「さっきまで死にかけてたんだぜ。まったくよぉ」

 笑いたてるので、ハシェドが追いだしにかかる。
「さあ、もう安心したろ。病後は安静が一番だ。みんな、帰った。帰った」

 ぞろぞろと彼らが出ていくと、とたんに室内は静かになる。

「すみません。あれでも、やつら、心配してたんですよ。隊長が熱でうなされてるときは、みんな、自分のほうが死人みたいな顔してましたから」

 嬉しいらしく、ハシェドもいつもより多弁になっている。

「心配をかけたな。これまで、病気らしい病気などしたことなかったが」

 ワレスは室内に残っている見知らぬ男を指さした。

「誰だ? こいつ」

 肌のはりから見て、まだ若いのだろう。が、髪は老人のように真っ白だ。線の細い女顔で、ユイラではきわめてめずしい一重まぶたが印象的だ。
 容貌は悪くないのに、なんとなく気味が悪いのは、なぜだろう。

「ロンドですよぉ。いやですぅ。司書の制服を着てないとわかりませんか?」

 密生したまつげをバサバサさせて、ロンドが言った。
 なるほど。声はロンドだ。
 顔を見るのは初めてだから、わかるはずもない。

「あの灰色の衣、制服なのか」
「あなたのために仕事もほっぽって、ついておりました。司書長にずいぶんイヤミを言われておりますが、わたくし、めげません。だって、あなたの一大事でしたから。この気持ち、汲んでくださいましね」

 くねっと、両手をにぎりしめられて、ワレスは鳥肌立った。なんだかわからないが寒気がする。

「……ロンド。隊長は目がさめたし、とりあえず、帰ったらどうかな?」と、ハシェド。

 エミールまで加勢する。
「そうだよ。あんた、帰りなよ。ジャマ。用無し。隊長は治った」

 妙に冷たい。
 すると、ロンドが罵る。

「うるさいわね。小娘はひっこんでらっしゃい」
「誰が小娘さ!」
「ふん。小娘で悪けりゃ、ションベン小僧よ——あら、イヤだ。わたくしとしたことが、お下品でした。ほらほら、食事を運んできなさいな。ちゃんと、スープとやわらかいものにするのよ」
「わかってますよーだ。いい年して、女言葉なんか使っちゃって、おかしいんじゃないの」
「たいがいにしとかないと、呪うからね。赤毛のチビ」

 めまいがしたのは、たぶん、病後のせいではないだろう。
 ワレスはハシェドにすがった。

「ハシェド……」
「はい……」
「まさかと思うが、ロンドは、その……」

 ハシェドは申しわけなさそうに、うなずいた。

「はい。いわゆる、オカマってやつでした」
「やつでした——じゃない。おれは手をにぎられてしまったぞ」

 おーほっほっと、ロンドが高笑いする。

「手どころか、ここも、あそこも、にぎらせてもらいました。ご病気のあいだに」

 ゾワッと背筋に冷気が走る。
「……それで、うなされたのか」
「うなされたのは、お熱のせいですぅ。照れ屋さん。わたくしは仕事にもどりますけど、ご用のときは、いつでも呼んでくださいね。文書室へのお越しも待っておりますから」

 クネクネしながら、ロンドは去っていった。

「なんだか、また気分が悪くなってきた」
「大丈夫ですか? ひどく、うなされておいででしたからね」

 そう。ひどい夢を見た。

「……寝言を言ったかな?」
「言った。言った。悪魔とか、死ぬとか、つれてくなとか、神さまとか。あんた、よっぽど死にたくなかったんだね」と言ったのは、エミールだ。

 ハシェドが答えないのは、なぜだろうか。
 よくおぼえてないが、言ってはいけないことを口走らなかっただろうか?

 ワレスは不安になった。

 エミールは気づいてないようで、まだ続ける。

「大変だったんだよ。体をあっためなきゃいけないってんで、あんたのこと、ずっと抱いてさ。おぼえてる?」
「おぼえてるわけないだろ。それより、食事だ。エミール」
「はいはい」

 エミールが出ていくと、部屋には、ハシェドと二人きりだ。いつのまにか、アブセスとクルウもいなくなっていた。

 二人きりなのをいいことに、ワレスはカマをかける。

「おれが夢で見たときは、おまえだったような気がしたんだが」
「何がです?」
「おれを抱いて、となりにいたのが」
「ああ……すいません」

「なんで、あやまるんだ?」
「それは……隊長は、おれにさわられるのがお嫌いのような気がして」

「おれがいつ、そんなことを言ったんだ?」
「いや、言われたわけじゃないですが……たいていのユイラ人はそうですから」

 ワレスは手招きした。
 ためらうように、ハシェドは枕元の椅子にすわる。

「おれは、おまえの太陽の香りのする肌が好きだ。前にも言ったはずだ」

 ワレスはよこたわったまま、寝具のなかから手をのばす。ハシェドの手をにぎりしめた。

「夢のなかで、こうして手をにぎってくれたな? 嬉しかったよ……そう。とても、心細い夢を見てたから」

 ワレスはハシェドの手を、寝具のなかへ引きこんだ。
 悲しい夢を立て続けに見たから、つい、甘えてしまった。

 ハシェドは顔をしかめた。
 不愉快(ふゆかい)なのを我慢しているように見える。

「ハシェド?」

 ハシェドの手が、するすると逃げていく。
 思わず、追いかけて手を伸ばす。にぎりしめようとすると、サッとかわされた。

「……ハシェド」
「あ、いえ……すいません」

 ハシェドは動揺している。

(やっぱり、そうなのか。何か口走ってしまったのか? ハシェドに軽蔑(けいべつ)されるようなことを?)

 たとえば、あの寒い冬の日のことを……?

 気まずい数分。
 ハシェドが思いきったように口をひらく。

「ワレス隊長——」

 言いかけたときだ。
 ドアをたたく音がした。
 メイヒルをつれた、ギデオン中隊長が入ってくる——
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