文字数 2,506文字


 アーノルドは渇いた笑い声をあげる。
 ワレスの心も渇いていた。

(なぜ気になったのか、わかった。こいつは、おれの同類だからだ)

 幼くして世間の敵意にさらされ、自分に足らないものを力で奪いとるすべを身につけた。
 そうしなければ、生きていけなかったから。

(こんなところ、まともな親がいたら来るものか。おれだって、とっくに

だ)

 この手で父を殺した。
 この手に死んだ妹を抱いた。
 もう古い昔のことだ。

 ワレスが沈黙していると、アーノルドは笑いやんだ。
 立ち去りかけて、止まる。

「教えてやるよ。これで貸し借りなしだ。あんたをハメたのは、メイヒル小隊長だ。ドジって、やつに盗みを見つかってね。その場で処罰されるかと思ったが、あいつのほうから話を持ちかけてきた。
『黙っていてやるかわりに、言うとおりにしろ。うまくいけば、次の小隊長におまえを推薦する』
 そう言われて、おれも、かたぎになろうと思ってたとこだったから……あんたに格別、恨みはなかったが」

「メイヒル、か」

 ちょうど、そのとき、背後で足音がした。
 ふりかえると、メイヒルが立っていた。走ってきたらしい。呼吸が乱れている。

 アーノルドは荷物をつかむと、森のなかへ走っていった。次の砦までなら、徒歩でも行けるだろう。

「あの男をつれだしたと聞いて追ってきたが……まにあわなかったようだな」

 息をととのえ、メイヒルは、いつものすまし顔になる。
 ワレスはメイヒルをにらんだ。
 メイヒルもまっすぐ、ワレスを見返してくる。

 あの目だ。
 試合で、ワレスを傷つけようとしたときの目。
 深い憎悪を押し殺した、ぶきみに静かな目。

「アーノルドに言われなくても気づいていた。おれの部屋から換金券が見つかったとき、立ち聞きしていた者はいなかった。だから、あのとき、あの場にいた誰かがウワサを流したんだ。おれでなく、ハシェドでなく、中隊長でなければ、残るは、おまえ一人しかいない」
「論理的だな」
「論理だけじゃない。なによりも、あんたがおれを憎んでるからだ」
「私はおまえを憎んではいない。気に入らないだけだ」

 ワレスは嘲笑(あざわら)った。
「だろうな。あんたは中隊長の女だから」

 すると、ふいにメイヒルが激昂(げっこう)した。
 ワレスがビックリするぐらい、とつぜんの怒りだ。
 メイヒルは全身をふるわせ、両手をにぎりしめた。

「違う! 私は女なんかじゃない! 私は——一人前の男だ! 自分を女々しいと思ったことなど一度もない。なのに、なぜ、あの人に逆らえない? 砦に来てまもないころに、むりやり……いやだった。吐き気がした。あいつを殺してやると思った! でも、私はあの人の『今夜、また来い』という言葉にしたがっていた。あれ以来、あの人に逆らえない。言われれば、何度でも足をひらいて……」

 つかのま、メイヒルは自分を抑えようとしていた。が、抑えようがなかったようだ。
 ふたたび、ワレスを見たとき、その目にはドス黒い憎悪がギラついていた。

「そうとも。私はおまえが憎い。あの人に逆らえる、おまえが憎い! おまえもあの人の言いなりになればいい。ならなければならない。私がそうしたように、おまえも」

 そんなことで悩んできたのか。
 ワレスは急激に、メイヒルを恨むのがバカらしくなった。哀れみさえおぼえる。

「おれに逆らえて、なぜ、おまえに逆らえないのか。そんなこともわからないのか?」

 あれほどハッキリした証を、やつを見る目に宿しているくせに。それを自分で気づいていないとは。

「おまえはな。愛してるんだよ。ギデオン中隊長を、愛してる」

 愕然(がくぜん)として、メイヒルは目をみはる。

「私が……愛して、いる? あの人を、私が……」

 よほどショックだったのか、メイヒルはフラフラしながら砦へ帰っていった。

 その姿を見ながら、ハシェドがつぶやく。
「なんだか、かわいそうですね。自分の気持ちに気づいてなかったなんて」
「ああ……」

 おれは、それほど愚かではない。自分の気持ちには気づいているさ。

(気づいてはいる。が、明かさないだけだ)

 どっちが幸せなんだろう?
 メイヒルと。自分と。
 どっちも報われないという点で、引き分けか。

「ハシェド」

 思いきって、問いかける。
 あたりには誰もいない。
 ワレスとハシェドの二人きり。
 これからずっと、あのことに言及しないではいられないだろうから。

「おれを軽蔑しているか?」
「軽蔑……?」
「おれが、自分の父を殺したことだ」

 ワレスは足元の枯れ葉をながめた。ハシェドの目を見ていられない。

(おまえにだけは知られたくなかった。せめて、おまえのなかでは輝いていたかった。恵まれて育った幸福な子どものように)

 長い、沈黙。
 やがて、ハシェドがささやく。

「おれは、軽蔑なんてしませんよ」
「でも、ゆるせないだろう? だから、あんなに泣いたんだ」

 ハシェドは首をふる。
「それは、隊長の孤独が、あまりにも深かったからです。あのとき、波のように押しよせてきた感情。あんな小さな子どもが、あれほど深い孤独を……」

 ハシェドは歯をくいしばる。泣くまいと、つとめているようだ。

(おまえは、おれを許す。おれのすべてを知って、涙をながす)

 ハシェドのおもてを見つめるうち、ワレスは耐えられなくなった。そっと抱きしめ、唇をあわせる。ほんの一瞬の、あわいキス。

「隊長——」

「おれは孤独だった。長い旅のはてに、この砦へ来た。おまえにはわからないだろうな。おれにとって、おまえがどれほど大切なのか。おれは誰とでも寝れるが、ほんとに心をゆるせる友人は、ほかに一人もいない。だから……くだらない愛欲なんかで、おまえを失いたくない。むりを承知でワガママを言うが、これまでどおり、おまえとは友人でいたい」

 ハシェドは笑った。
 とても、つらそうではあったが。

「……あなたが、そう望むなら」
「おまえの気持ちは嬉しいぞ」
「なるたけ自制します」

 それは、おあいこ。おれだって。ほんとは、この大地の上で、おまえと抱きあいたい。

 すべての木々が、黄金色に燃える紅葉の森。
 枯れ葉をふみしめて、砦へ向かった。
 こうして、いつまでも、二人で歩き続けたいと願いながら。



『過去を見る瞳』完
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