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「中隊長でしょうか?」と、ハシェド。

「それはないだろう。中隊長にとっては、内密にしておくことに価値があった。恩を売って、おれの体を自由にできるからな。今ごろ、地団駄ふんでるぞ」

 ハシェドは顔を赤くしたようだ。肌の色が褐色なので、あまりわからないが。

「とすると、誰かが立ち聞きしてたんでしょうか?」
「それはわからない。おれは中隊長の仕組んだことだと思っていた」
「中隊長なら、そのくらいのことはするかもしれませんね。あのクセさえなければ、悪くない上官なんですが。むしろ、有能ですよ」
「……まあな」

 それは、ワレスも認めないわけではない。
 剣術の腕だけではない。それ以上に、五百人の兵士をたばねていく統率力がある。わかってはいるが、嫌いなものは嫌いなのだ。

 すると、エミールがつぶやいた。
「あの人って、そんなにイヤかな。気前いいし、変な注文もつけないし。おれ、けっこう好きだよ」

 ワレスはギョッとした。
「エミール! まさか、おまえ、アイツを客にしてるのか?」

 エミールは首をすくめる。
「だ……だって、しょうがないだろ。食堂見習いの給料なんて、笑っちゃうような小銭なんだよ。自分で稼がなくちゃ。一晩に金貨二枚だすって言われたら、ついてくじゃない」

 それはそうだが、気分の問題だ。
 ワレスが抱いたエミールの体を、ギデオンも抱いたと思うと、気持ちはよくない。エミールの体を通して、ギデオンとつながったような気がする。
 とはいえ、ワレスはエミールを占有するつもりは、サラサラない。

「わかった。わかった。そこは妥協する。おまえはおれの私物じゃないからな。自由な売買を制限する権利はない。ただし、おまえ、アイツに妙なこと言ってないだろうな? おれの戸棚の鍵は知恵の輪になってる、とか」

 エミールはふくれっつらになった。

「バカにして。いくらなんでも、そんなこと言わないよ。あんたが、あのとき、どんなふうにしたがるか、とか聞かれるだけ」
「エミール……」
「それとも、あんたの専用にしてくれる? 月に金貨五枚でいいよ。そしたら、おれ、ほかのやつとは寝ないよ」

 恐れていた方向に話がそれる。
 ワレスはきっぱり宣言した。

「前述のとおり、おまえの商売に口出しはしない。話を本題にもどすが、おれは中隊長を疑っていた。ウワサがどこからもれたのかは、ひとまず置いておこう。
 中隊がしたと仮定して考えた場合だ。まず、本人が他人の荷物をあさったとは考えにくい。誰かにやらせたんだろうな。それが誰なのかをつきとめることだ。もし調べてもその形跡がなければ、ムダ手間にはなるが、少なくとも、中隊長がしたんじゃないという証明にはなる」

「でも、どうやって調べるんですか?」
「それなんだがな……」

 ワレスは嘆息した。

「大見得を切ったものの、手のつけようがない。なにしろ、手がかりが少なすぎる。
 わかってるのは、相手が皇都、または州都へ行ったことのある人間だということ。知恵の輪の外しかたを知っていた。あれは、皇都の手妻師が、最近、考案したものだ。外しかたを知らなければ、だいぶ苦戦するだろう。
 泥棒がこの部屋に侵入したのは、森焼きに行く前か後。部屋の人間がいないスキを見計らってだ。そう長い時間じゃない。つまり、知恵の輪の攻略法を知っていたってことになる」

「大隊長に名簿を見せてもらいましょうか」
「名簿に書かれてるのは出身地だけだ。旅行で行ったことはわからない。第一、盗みのために砦に来たのなら、最初から、ほんとのことを記入してるはずがない」
「それじゃ八方ふさがりですよ」

「まあ、それはなんとかするとして。もうひとつ、とっかかりがある。今日のウワサの出どころだ。おれを(おとしい)れるのが目的として。誰がそのウワサを流したのか。これは、エミールにさぐってほしい。食堂でこのウワサをしてるやつらに、誰から聞いたか、たずねてほしい。たどっていけば、ウワサの火元に近づけるかもしれない」

「わかった。調べとく——もう食べないの?」
「ああ」
「じゃあ、また昼に持ってくるね」

 ワレスの頰にキスして、エミールは出ていった。
 エミールのうしろ姿をだいぶ見送ってから、ハシェドが言った。

「ちょっと、かわいそうですね」
「何が?」
「エミールがですよ。商売は自由だとか言ってしまうと、少しかわいそうかなぁと」

 そういえば、ハシェドはエミールにキスされても怒らない。
 おれには手をにぎっただけで怒るくせに。
 おまえのほうが、酷だよ。

「おまえは、エミールが好きなのか?」
「えっと……どういう意味でですか? あんなに隊長を慕ってるのを見れば、誰でも可愛いとは思いますよ」
「ふうん」

 ワレスが不機嫌な顔をしていたのだろうか。

「でも、それ以上じゃありません。不良になりかけた弟みたいで、気になるだけですから」

 気になるのは好きだからだ。
 堕落(だらく)させたくないのは、もっと好きだからだ。

 言いだしたのは、嫉妬(しっと)のせい。
 つい、売り言葉というか。

「……なんなら、とりもってやろうか? あいつなら、女代わりだ。おまえにも抱けるだろう。おれが言えば、エミールはイヤがらない」

 とつぜん、ハシェドは立ちあがった。あまりの勢いに、すわっていた椅子が倒れる。朝方のアブセスより、ひきつった顔をして。

 一瞬、なぐられるような気がして、目をとじた。しかし、いつまでも、なぐられる気配はない。
 目をあけると、ハシェドは泣いていた。

「なぜ、ですか……」
「なぜ?」
「なんで、そんなことが言えるんですか? いくらなんでも……ひどすぎる」

 その涙はエミールのためか?
 おれがエミールの意思を、はなはだしく

にしたからか?
 だとしたら、ヒドイのは、おまえのほうだ。
 おれだって、こんなこと言いたかったわけじゃない。おまえが妬かせるからだ。

「おまえが……悪いんだ」

 ハシェドの顔が沈鬱(ちんうつ)になった。

「わかりました。そんなに迷惑なら、おれを別の隊にやってください。ご命令があるまで、となりの部屋に移ってます」
「ハシェド——」

 呼びとめたときには、もう、ハシェドは出ていってしまっていた。

 なぜだ?
 なぜ、そうなるんだ。
 おれは、おまえに、そばにいてほしいんだぞ?
 迷惑なのは、おまえのほうなんだろ?

 出ていくハシェドを、ワレスは言葉もなく見送った。
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