文字数 2,997文字

 *


 ワレスが自室まで帰ったときだ。
 ドアの前に人が立っていた。
 一瞬、ハシェドかと胸がおどる。
 が、そんなはずがない。
 なかをうかがう姿は、よく見れば、似ても似つかないユイラ人だ。

 アーノルドだった。
 魔の森のなかで助けてくれた、あのアーノルド。

 見ていると、アーノルドは入ろうか、やめようか、逡巡(しゅんじゅん)するようにドアの前をうろうろしていた。

「何か用か?」

 ワレスが声をかけると、アーノルドはふりかえった。みるみる、頰が赤くなる。

「すみません。用……というわけではないのですが」

 てれくさげな顔を見て、なぜ、ハシェドと間違えたのかわかった。

(そう言えば、こいつも似てたんだったな。ハシェドに)

 ベッドに招いてもいいと思った相手だ。まちがえるはずだ。

「なかへ入るか?」

 ワレスはアーノルドを室内に誘った。

「いえ、ほんとにたいしたことでは……ウワサが——いえ、なんでもありません! 失礼しました!」

 アブセスみたいに、ワレスのウワサの真偽が気になったのだろう。
 立ち去ろうとするアーノルドの肩をつかんでひきとめる。

「まあ、そう言うな。そのウワサのおかげで、同室者がいなくなってな。退屈してるんだ」
「はあ……」

 しぶるアーノルドをムリヤリつれて入る。

 おりよく、室内は無人。
 それもそのはず。クルウには用事を言いつけてある。昨夜、死んだウォードのことを調べさせているのだ。
 ワレスが出かけようとすると、一人にはできないと言ってついてこようとするので、口実をつけて追いはらったわけだ。

(どうも、クルウは何を考えているのか、わからない)

 底が知れないというか。
 無口なわけではないが、多弁でもなく、ときおり、ひどく鋭いことを言う。そつなく優秀で、自分の感情をいつも内に秘めている。

 今まで、ワレスのまわりにはいなかったタイプだ。
 剣の腕前といい、頭の回転といい、本来のクルウの能力は、ワレスと同等か、それ以上だろう。
 いつまでも一介の平兵士でいるような男じゃないはず。なのに、わざと目立たないよう自分を抑えているように見えるのが怪しい。

 昨夜、ワレスが見た不思議な夢のなかでも、おかしなことを言っていた。
 他人のものをとることに罪悪を感じないとか、なんとか。

 もちろん、あれは夢だ。
 現実にクルウがそう言ったわけではない。
 だが、いやに生々しい夢だった。クルウは本当に、そう言っても変じゃない男だし……。

 だからというわけではないが、クルウと行動することをさけていた。

「すわるといい」
「はあ、しかし……」
「ウワサが気になるんだろう?」

 あきらめたようすで、アーノルドは丸テーブルのセットに腰かけた。

 ワレスは壁ぎわの戸棚から、酒びんとグラスを出し、アーノルドの目の前でそそいでやる。

「中隊長のところほど、豊富にはないが」
「はあ」
「甘党なら、菓子もある」

 ワレスのジゴロ時代の後見人の貴婦人が、皇都から送ってくる菓子の数々を卓上にならべる。
 アーノルドがあきれて、ものすごい数の菓子をながめている。

「小隊長は甘党ですか?」
「いや。まったく」
「それにしては、すごい数ですね」
「別れた恋人が、自分の好きなものを送ってくる。おれが甘いものを苦手なことを知っていて」
「可愛らしいかたですね。早く小隊長殿に帰ってきてほしいのでしょう」

 帰ってきてほしいのは、ほんとだろう。
 気の多い女王さまは、一人でも

が減ることには不服だろうから。

 でも、もう皇都に帰る気はない。ワレスは砦に骨をうずめるつもりだ。皇都には悲しい思い出しかない。

「よければ、やるぞ」
「いえ。私も菓子はそんなに……でも、せっかくだから、一ついただきます。きれいな『踊り子の服』ですね」

 踊り子の服という名の、ユイラに古くからある砂糖菓子を、アーノルドは一つ、つまむ。

 薄く焼いた透明なアメを何枚もかさねたこの菓子は、その昔、大当たりした踊り子と青年貴族の悲恋のお芝居のヒロインをイメージして作られた。薄絹をかさねたヒロインの衣装を模したのだそうだ。

 ワレスはアーノルドが砂糖菓子を食べるのを、妙な気分でながめた。

 一瞬、子どものころのことが頭に浮かんだ。
 ミスティルがこの菓子を買ってくれたときのこと。

 なんだったろう?


 ——ほら、ワレサ。きれいなお菓子だろ?

 ——バカみたい。こんな高いお菓子、買うくらいなら、もっと安くて食べがいのあるものがいいよ。こんなの砂糖のかたまりだろ。

 ——君はまったく、子どもらしくないことばっかり言うんだなあ。いいから、口をあけてごらんよ。おいしいんだから。

 ——おれは、あんたの財布のなかみを心配してあげてるんだよ。


 でも、初めて食べた砂糖菓子は、とろけるように甘い。
 子どものワレスを黙らせるには充分だった。
 ほらね、という顔をしているミスティルの顔を見るのが悔しくて、そっぽをむいた。

 ミスティは大笑いして、ワレスの髪がグチャグチャになるまでかきまわした。
 今となっては、なつかしい思い出だ。

(変だな。なんで急に、こんなこと思いだしたんだ?)

 考えていると——

「小隊長。どうかされましたか?」

 アーノルドが困ったような顔で見ている。

「いや。なんでもない」

 アダムには拒まれたが、アーノルドならどうだろう?

「ウワサを聞いて、軽蔑したか?」

 つかのま、アーノルドは考えこんだ。

「いえ。驚きましたが、あれはデマだと信じています」
「どうして?」
「あなた自身がつらそうになさっているからです。平気なふりをしていらっしゃいますが」
「そんなふうに見えるか?」
「はい」

 やはり、似ている。
 この男なら……。

「……たのみがある」
「なんでしょう」

 ワレスは立ちあがり、アーノルドのとなりに席を移した。戸惑うアーノルドのあごの下に指さきをあてる。
 くちづけようとしたときだ。ノックもなしに、いきなりドアがひらいた。クルウが入ってくる。

「小隊長」
「…………」

 たしかに、ここはクルウの部屋でもある。怒る筋合いではない。
 だが、しかし、見計らったような、このタイミング。わざとだ。

 ワレスがにらんでも、クルウは平然と言った。

「とりいそぎ、話があります。よろしいですか?」

 わからないのか? この状況を見て。
 なんでもない相手に、ここまで、もてなすと思うか?
 下心があるからに決まってる。

 イライラしながら無言でいると、アーノルドのほうが、いづらくなったようだ。あわてて立ちあがる。

「そういうことなら、私は退出します。失礼しました!」

 そう言って出ていってしまった。

「クルウ……」

 なぜジャマをする——と、なじろうとした。
 すると、クルウのほうが先手をとって口をひらく。

「私は相手が分隊長だから、遠慮したのですよ? ヤケはいけません」
「きさま——」

 そんなこと、おれの勝手だろうと言いかけたやさき、今度も、クルウに先をこされる。

「おや。きれいな冬薔薇(ふゆばら)ですね」

 恋路のジャマはされる。
 発言はことごとく、さまたげられる。
 いいかげん、ワレスは頭に血がのぼりかけていた。が、その言葉を聞いた瞬間、すとんと怒りが冷める。

「なんだって?」
「何がですか?」
「今、冬薔薇と言ったか?」
「ええ。言いました」

 そうだ。冬薔薇だ。
 だから、おかしいと思ったんだ。


 ——ほら。ワレサ。きれいだろ? 冬薔薇っていうんだよ。


 遠い日の思い出が、また頭をよぎった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み