文字数 2,563文字

 *


 翌朝。ワレスの部屋。

「あーん、もう! おれ、悔しいよ。なんだってこんなことになったのさ? おれ、泣いちゃう」

 食事を運んでくるなり、エミールがわめく。
 まだベッドでよこになっていたワレスに、しがみついてくる。

「頭にひびく。大声を出すな」

 ワレスはそのウワサを、すでにアブセスから聞いていた。ムッとしてさえぎる。

「そんな泣きごとは聞きたくない」
「だって、みんな、ウワサしてるよ。泥棒の正体はあんただって!」

 この部屋ではそのことで、朝一番にひと悶着あった。

 今の第一分隊になってから、任務時間が夕方から真夜中までに変わっている。それによって、朝起きて夜眠るという、ふつうの時間帯に生活が変化した。

 その、朝の早いうち——

「小隊長  私は隊長を見損ないました!」

 顔を洗いに出ていったアブセスが、帰ってくるなり叫んだ。
 室内では、ワレス、ハシェド、クルウがまだ眠っていた。この声で、いっせいにとびおきる。

「朝から、なんだ?」

「しらばっくれないでください! 私は隊長を尊敬していました。その若さで、みるみる小隊長にまで昇進され、判断は的確、怪物相手にも

されない。いばりちらさないし、冷たいように見えて、ちゃんと人情も持っていらっしゃる。これほどそばに置いていただき、ひそかに光栄に思っていました。それが……なんですか。盗人ですって? 恥知らずにもほどがあります!」

 言うだけ言って、アブセスは肩で息をする。よほど急いで戻ってきたのだろう。

「誰がそんなことを言っていた?」

「誰だっていい! ちゃんと説明してください。あなたの引き出しから、盗まれていたものが見つかったというのはほんとですか? 事としだいによっては、あなたの下にはいられません! 私は……私は、こんな人を尊敬していたなんて……」

 わあッと、アブセスは号泣しはじめる。
 ワレスは青年の純情に、怒るのも忘れてあきれはてた。
 事情を知っているハシェドが、困りきった顔をしている。

「ワレス隊長……」
「ああ。あのことだろうな」

 涙で顔をグショグショにしながら、アブセスが食いついてくる。

「なんですかッ? あのこととは」
「ハシェド。説明してやれ」
「はあ。ですが……」
「しかたあるまい。ここまで知られてしまっては」

 不承不承、ハシェドが昨日の一件を語る。

「では、ウワサは本当なんですね? あなたはそれを認めるんですね? 小隊長」

 すると、いきなり、ハシェドがアブセスを平手打ちした。ワレスはおどろいて見つめる。

 アブセス自身も、温厚なハシェドが、まさか、なぐるとは思ってなかったのだろう。ぽかんと口をあけて、何度もまばたきする。

 ハシェドは怒鳴った。

「隊長のことが信じられないのかッ? それでもおまえは、ワレス隊長の部下か?」
「ハシェド。よさないか」
「ですが、隊長」
「信じられないというのを、ムリに説得してもしかたない」

 ハシェドは自分のことのように悔しがっている。うっすらと涙さえ浮かべていた。

 ワレスはハシェドのようすを、かすかにうしろめたいような気持ちで見つめる。

(おまえはそれほどまでに、おれを信用してるのか?)

 おまえの目に映るおれは、どんな人間なんだろう?

 ジゴロの華やかな過去と、学校出の経歴。
 家族はなく、一人きままに生きる男。
 貴婦人のあいだを遍歴(へんれき)したことだって、家族のいない、さみしさからしたことだと思っているのかもしれない。
 裕福な両親の遺した財産で、学校を出たとでも思っているのだろうか?

 おれは生きるために、あらゆることをした。
 盗みもした。体も売った。学校に行くために、貴族の愛人にもなった。
 変な神官につかまって、何年も奴隷(どれい)同然になっていたこともある。
 飢えて死にそうなことを何度も体験した。
 ジゴロのころには、薬で気分をまぎらわせて……。

 清廉潔白(せいれんけっぱく)なんて、ワレスにはもっとも縁遠い言葉だ。

(それでも、おれをゆるしてくれるのか? あれがおれのしたことでないと、涙を流して、おまえは言えるか?)

 おれのすべての罪を知ったとしても……?

「おまえは、おれを信じられるのか? ハシェド」
「あたりまえです」

 ハシェドは力強く、うなずく。でも、それは何も知らないからだ。

「……では、アブセス。しばらく、おまえは隣室へ移れ。他の隊へ移動するかは、後日、ゆっくり話しあおう。クルウ、おまえはどうだ?」

 思考を現実の問題に戻す。
 クルウは意外と冷静だ。

「私はこのままでかまいません。そもそも時間的にムリがあると思うのです。隊長は近ごろ、兵士たちに剣術をたたきこむことに忙しかった。夜は見まわり。一度や二度ならともかく、盗みを常習することは不可能でした。しかも、同室の我々にも気づかれずに。
 先日、我々の部屋が荒らされたときも、あなたは部屋に入るまで、私といっしょだった。出るときは私やアブセスより早く出ていった。あなたには、あの盗みを行う時間の余地がない」

「なるほど。論理的だな」

 そして、アブセスが出ていき、現在にいたるというわけだ。
 エミールは不服げに頰をふくらませて言う。

「だいたいさ。このすましやが、そんなことすると思う? 大金とは言ってもさ。金貨五十枚ぽっち。一生遊んでられる金額じゃないよ? この人のやりそうな悪事って言ったら、こういうのだよね。奥方を誘惑して旦那を殺させておいてさ。結婚したら、その女も殺して、お城をのっとるとか。おまけに間の悪いことに、殺してから女を好きだって気づくんだ。一生、自分を責めて——そういうやつだよね?」

 ひどい言われようだが、当たってる。それはたしかに、ワレスのおちいりそうな罪だ。案外、エミールはワレスの本質を理解している。

 クルウは食事に出ているため、室内には、ワレスとハシェド、エミールの三人だ。

 ハシェドが苦笑いした。
「あんまりじゃないか。エミール。そりゃ、隊長の二枚目役者みたいなお顔を見れば、お芝居みたいなことも考えたくなるけど」

 エミールは猿の子みたいにキャッキャッと笑う。
「——だってさ。隊長。ほら、あーん」

 エミールの手からシチューを食べさせられる。屈辱だが、体力が落ちているので、いたしかたない。

「しかし、昨日の今日で、もうウワサが食堂まで届いてるのか。いったい、どこから、もれたんだろう?」
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