4(挿絵)

文字数 1,868文字


「どうぞ」

 目の前にグラスが置かれた。

「病後なので弱いものにしておきました」と、メイヒルが言う。

 香りのいい果実酒だ。
 人を使って、特別に国内からとりよせているのだろう。

 同じグラスが、ギデオンの前にも置かれる。ギデオンが無造作にそれを手にとり、なかみを口にふくむ。

 じっと見るワレスに、ギデオンが気づく。

「なんだ。まだ信用ならんのか。いいだろう。おれのと交換するか?」

 ギデオンが手の内のグラスを、くるりとまわす。
 ワレスは迷ったが、うなずいた。

「では、そうさせてください」

 少なくとも、あっちのグラスは毒入りではない。

 ギデオンは大笑いした。
 ワレスの前に飲みかけのグラスを置き、手つかずのほうをとる。

「正直なヤツだ。いくら、おれでも、病みあがりのヤツを襲うものか」

 そう言って、新しいグラスのなかみも、ぐいっと(あお)る。

 ワレスは安心した。
 遠慮なく、ごちそうになることにする。

「ありがたく、いただきます」
「ああ」

 ギデオンの目が笑っている。

 なめらかな口あたり。
 いい酒だ。

「何かわかったか? 小隊長」
「ええ。まあ、少し」

 誰か、ワレスの代わりに小隊長になりたい者の仕業かもしれない。
 傭兵(ようへい)で小隊長ともなれば、月に金貨百枚の報酬(ほうしゅう)だ。正規兵の中隊長と同じ値である。
 しかも、仕事じたいの危険は減る。チャンスがあるなら、誰だって小隊長になりたい。

(だが、肝心の誰かってことがわからない)

 ワレスは思いついたことを聞いてみた。

「私のところから出てきたものは、盗まれた換金券のすべてでしたか?」
「それ以上だ」

「それ以上とは?」
「ほかの隊のものもあった。第二や第三大隊のものだ。おれの隊のは本人に返したが、こっちの処理に困っている。まだ、おれの手元にあるがな。他の大隊となると、むこうの隊長に事情を話さないわけにはいかない。おまえの疑いが晴れてからが望ましい」

「ほかの大隊……数は?」
「十枚ほどだ」

「私のところで見つかったものの半数ですか。おかしいではありませんか? いくらなんでも、塔の違う他の隊にもぐりこむのは、私には難しい。他の隊では、人の少ない時間帯や部屋の間取りがわからない。
 第一、私の容姿は目立つほうだ。顔も広く知られている。ほかの塔を歩いているだけで不審がられる。盗みなんてできるわけがない」

「そんなことはわかってる」
「では、なぜ——」

 ギデオンに文句を言ったってムダだということは、理解していた。なのに、自分でも理由はわからないが、だんだん高揚してきた。

 なんだか、急激に酔いがまわってきたようだ。
 そんなはずがない。ワレスは父親ゆずりの、イヤになるほど酔いにくい体質だ。ワレスの父も、飲んでも飲んでも酔わないことじたいに、苛立ってるように見えた。

 ただの酒では、どんなにアルコール純度の高いものだろうと、たった一杯でこれほど酔うはずがない。
 それとも、何か特殊な薬でも……。

「薬を……」
「おれが飲んだからって、安心するからだ。悪く思うな。こんなチャンスは二度とないかもしれない」

 するりと、ギデオンの腕が伸びてくる。
 ワレスの肩を抱き、唇が口をふさぐ。おぞましいことに、それがイヤではなかった。



「——だから一人かと聞いたんだ。来い」

 ワレスはギデオンの腕に抱かれて、ベッドに運ばれた。
 逃げださなくてはと思うのに、いちいち、自分の体の反応が遅い。

「……さわるな」
「いやなのは、初めだけだ」

 そうなのかもしれない。
 今だって、首すじを這うギデオンの舌が、官能を高めていく。
 帯をはずされ、剣がナイトテーブルの上になげだされるのを、ワレスはぼんやり、ながめた。

「いい子だ。そのまま、目をとじていればいい。楽しませてやるから」

 さすがに、ギデオンは手なれていた。
 その手に身をゆだねていると、もう、どうなってもいい気になってくる。
 病みあがりのけだるい体に、酒と薬が効いて、頭が朦朧(もうろう)としている。


 ——あいのこか?


 ふいに思いだした。
 あれは、ワレスが初めて、ハシェドに会った日。

 誘いをことわった仕返しに、たった三日で、ギデオンの直属部隊からはずされた。
 死んだ男の代わりとは言え、いきなり班長にされたのは、反抗的な傭兵の反発を買いやすいと、ギデオンが見込んだためだろう。

 じっさい、その後とうぶんのあいだ、言うことを聞かない部下たちに、ワレスは悩まされた。
 その兆候は、最初に彼らの前につれていかれたときから、すでにあった。

「今日から、おまえたちの班長をつとめるワレスだ。よろしく」

 ワレスのあいさつにも、ひとことも応えない。
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