第23話

文字数 2,041文字

 思わずポーカーフェイスの得意な錦野から驚きがこぼれ落ちる。無論、その情報が間違っていることはわかりきっている。しかし写真に写った女子生徒が『バツ新聞』の発行者である可能性は十分にあった。
「昨日の放課後、帰宅時間の後も隠れて夜まで掲示板前で粘っていたのさ。最近は毎日のように張り込んでいたんだが……そうしたら一人の女子生徒がやって来て、何かを貼って行った。最初から両面テープを紙に貼っておいたんだろうな。あまりにも手際が良くて、オレたちもびっくりしたよ」
 帰宅時間を過ぎても学校に居座るという校則違反をさらりと白状した大藪だったが、錦野からすればそんな愚行はさらさらどうでも良い。
「もしかしてその紙が……」
「ああ。今朝話題の種になっていたエックス新聞の宮路先生に関する続報さ。先生方に提出しようかとも悩んだんだが、オレたちの校則違反がバレても問題なんでね。宮路先生には悪いけれど」
 錦野はもう一度息を飲んだ。何せ錦野の犯人予想は芦間恋奈という女子生徒なのだ。彼女の特徴は知らずとも、バツが女子生徒であったという確証を得ただけで可能性はぐっと上がる。
「外が暗かったせいで顔は目視できなかったが、何とか起動したスマホのカメラでこれだけが撮れた。今は写真を拡大して犯人の正体を探っているのさ」
「そうだ、大藪。知り合いの多い幟くんにも見てもらおうぜ。もしかしたら彼と同学年の女子生徒かもしれない」
 錦野は促されて気になるホワイトボードの前に立つ。夜の校舎。掲示物の色の配置から鯉ヶ谷高校の下駄箱前に相違ない。その中心にはピントの外れきったセーラー服を着た、髪の短い生徒の後ろ姿。
 よくよく見てもショートカットの女子生徒ということくらいしかわからない写真だ。しかし里巳が大伴から聞いた話だと、最も疑わしい芦間恋奈はいつもショートカットであるとのことだ。
 もしかすると芦間恋奈その人かもしれない。錦野は口走りかけた名前を喉奥に押し込んだ。
「いや、すみません。さすがにこれだけの情報では」
 予想していたように「だよなあ」と新聞部員たちが天井を見上げる。
「とりあえず月曜に号外を出して、写真をばら撒いて情報提供を募ってみるか?」
「いや、それだと髪が短い女子生徒たちに迷惑がかかる。犯人が確定するまでは使い物にはならないんじゃないか」
 部員たちは次々アイデアを出していくが、部長である大藪によって棄却されてしまう。新聞部はせっかくのスクープ写真の取り扱いに困っていた。
 寧ろそれは、犯人さえ確定してしまえば――例えば芦間恋奈の名前が出たら、彼らは彼女を追い詰める行動を取り始める。
 エックス新聞が、ひいては錦野が彼らの矜恃を守る理由はない。利用できるものは利用する。錦野の行動原理は常にリターン効率重視だ。
「そう言えば、ボクがここに来たのは用があったからなんです」
「ん? 何だい」
「新聞部に一つ、耳寄りな噂を知らせたくて」
 大藪が「ほう」と呟く。錦野はここには居ない者へ期待を込めるようにして言った。
「実は――」
※――――――――――――――――――――――
 錦野と口論を起こし、最悪の気分で週末を過ごした里巳は翌週も陰鬱さを前髪に隠して登校していた。そして学校への往来の度に逐一目に入る掲示板を煩わしいと思いながらもチェックする。
 しかし月曜日がやって来て、火曜日を通り過ぎても、掲示板のどこにも『エックス新聞』はなかった。
「……書いてない」
 さらに新聞部が水曜日に定期更新した『鯉ヶ谷新聞』には芦間の名前はない。錦野のリークは思い通りに運ばなかったのか。それともそもそも話をしていないのか。先週の金曜日を最後に情報の途絶えた里巳には確かめる術がない。
 三者面談の待ち時間中に下駄箱前の掲示板を見ていた里巳は、近くに居た祖母の枝都子に声を掛けられた。
「さとちゃん、そろそろ行こうかしら」
「うん。わかった」
 二人は特別教室棟への吹き抜け廊下を歩く。冬の空気が露出した鼻や脛だけでなく服のずっと下まで染み渡る。冷え切ってしまうのは体だけではなかった。
「さとちゃん、ずっと浮かない顔をしているね」
「え……そう?」
「もしかして今日のことが心配なのかい」
 唐突に祖母に聞かれ、表情を取り繕えなくなる。
 学校のことで祖母に嘘をつく覚悟は何か月も前からできている。そうなると、彼女を憂鬱にさせるのはエックス新聞に纏わることだ。
 どうして再開予定だった定期更新をやめたのか。それどころか新聞部は宮路の不倫記事が別人によるものだというところまで勘づいている。里巳の目には事態があまりにも不自然に見えた。
「うん……まあ、そんなところ」
「そう。じゃあ先生には色々なことを聞かなくちゃね」
 枝都子は気づかないまま言う。それで良い、と里巳は心の底から思った。文理選択で悩んでいるように見せておけば学校全体を通しての悩みはかき消されてしまう。
 祖母を心配させないための嘘を吐く度に、やはり口の中には酸っぱい悪臭が漂う気がした。
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