第13話

文字数 2,017文字

 夜の食卓に並んだのは、粟の入ったご飯に手作りの餃子、さらにベーコンの入った野菜スープというラインナップだった。見た目は簡素だが栄養価は気にかける。そして和洋中様々に入り混ぜるのが枝都子流だ。
 二人はよく似た声で「いただきます」を重ねてから箸を動かし始めた。食欲をそそるニンニクの香りを里巳が遠慮なく頬張っていると、枝都子が思い出して尋ねた。
「さとちゃん。来週は面談だよね?」
「……あ、うん。そうだね」
「前はただの面談だったけど、今回は来年の文理選択に向けてってプリントに書いてたよ。さとちゃんはどっちにするつもりなの?」
「まだ決めかねてるの。国語も生物も好きだし」
 どちらも里巳の得意科目だが、文理のどちらを選択しても、両方とも授業自体は受けることができる。しかし専門性に偏りが出るため悩みどころであったのだ。
「そうかい。まあ、前の先生も『里巳さんは優秀』って褒めてくれてたからねえ。どっちの道を選んでも、さとちゃんなら大丈夫だよ」
「うん、頑張る」
「そう言えば今回は、担任の先生と話すのかい? それとも前みたいに進路相談の先生?」
「今回も乙部先生にお願いするつもりなんだ。私のことよく知ってくれているから」
「じゃあ前の先生と一緒なのね。おばあちゃんも緊張しなくて助かるわ」
 枝都子はわざわざ胸を撫で下ろす仕草まで含めるが、孫娘には軽いジョークにしか聞こえない。枝都子は「誰とでも」とまでは言わずとも、柔らかな物腰で大概の人間と打ち解けることができる。一度は喋ることもままならない程の人間不信になった里巳の心を開いたのは、ひとえに祖母の根気ある優しさだったのだ。

 話を元に戻すと、少しだけ人を信じられるようになった里巳の中では、進路相談の乙部はかなり信用の置ける教師だ。彼女は担任こそ持たないが、教育熱心で生徒の進路を第一に考えており、禁煙の駐車場でタバコを吸っていた教師とは大違いだと思っている。だから一緒に暮らしている祖母を悲しませないために、こんな嘘にも協力してくれた。
 ――もしこれが嘘だとバレて、おばあちゃんを傷つけてしまったら、私はお母さんを殺した記者と何が違うの?
 この嘘をついてからずっと付き纏う疑問が里巳の心で反芻される。
 嘘を吐くとは、痛みを与えること。フェイクニュースによって家庭を壊された彼女が人一倍気にかけるようになった現実だ。祖母もそうして気に病んでいる里巳を見てきたから、彼女が自分に嘘をついていると知ればきっと傷つくだろう。物事全てに善悪の区別があるのなら、里巳は自分の居場所をよく理解していた。
 決して祖母に知られる訳にはいかない秘密。考える度に喉につっかえそうになる気持ち悪さを粟入りのご飯で飲み込んだ。

 翌日の放課後、里巳は『開かずの間』の外扉を畳んだ人差し指で叩いた。合図はノック五回。できるだけ素早く行うと、重い鉄製扉はすぐに開いた。
 手招きで誘われた中には錦野の他にもう一人生徒が居た。里巳と同様にセーラー服を着ていることから鯉ヶ谷高校の女子生徒だということはすぐにわかる。加えて髪をかなり長めに伸ばしており、耳より高い位置でツインテールに結いていた。
 首や体型が全体的に細身で、唇には自然ではない赤みがある。校則に引っ掛かりそうな水色のシュシュとルーズソックスで全体的に派手である。アニメのキャラクターみたいだな、と里巳は感じた。
 少女は睨むように里巳を見ている。番犬みたく今にも唸り出しそうなほどで、不躾な威嚇をしているようだった。
「……誰」
「昨日言っていたお客様さ」
 錦野は足りない説明だけを残して機嫌の悪い少女の近くへ寄った。
「│(かけい)先輩。彼女が天立嬢……優秀な探偵です」
「探偵になった覚えはないわよ」
 不十分の次は不本意な評価に文句を言う。錦野がどう思おうが勝手だが「天立里巳は探偵」などという嘘八百が広まるのはよろしくない。もう二言三言は苦言を呈そうとしたところ、ガタン、と机が鳴った。
 筧と呼ばれた少女は椅子から立ち上がると、勝ち気そうな吊り目をぐいぐいと里巳に近づける。
「なるほど、あんたがあたしの疫病神ってわけ。見た目通り地味臭いオーラが出てるわね」
「何ですか、突然」
 失礼な物言いを失礼とも思わず、女子生徒は胸を反らして二つの髪の束を揺らした。
「あたしは二年の筧│華波(かなみ)。敬意を持ちなさい、後輩」
 無論、名前を聞いたところで里巳が知る由もない。ハテナマークを浮かべる彼女の性格をよく知る錦野が補足した。
「彼女はね、以前美術部の作品に『タバコ』を描いていた唯一の生徒なんだ」
 そんな短い説明だけで、里巳はなるほどと得心する。美術部でアテのある生徒とは、つまり『タバコの件で脅迫することができる生徒』ということだったのだ。
 犯人を公にしないという里巳との約束を守りつつ、自らの利益になるように情報を一〇〇パーセント利用する。記者の狡猾さには、さしもの里巳でさえ脱帽ものである。
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