第7話

文字数 2,363文字

 翌日、里巳は今週になってから都合二度目の『開かずの間』を訪れた。生徒の帰り時間が変わるテスト期間以外はほぼ毎日教室を開けている錦野が待ち侘びた様子で話し出す。
「美術部は女子部員しか居ないみたいだよ。朝の活動はほぼ毎日あり。こっちがお手製の部員名簿。それでこっちが……」
 里巳は錦野が先に提示した努力の結晶には目もくれず、彼が出しかけていた小さなメモ用紙をぶんどった。そちらには全員分の作品のタイトルが書いてあるが、それすらも里巳にとってはさほど重要ではない。彼女が知りたかったのは、メモ用紙の最後に走り書きで記された『大人』という共通テーマだった。
「やっぱり」
 里巳が一人で納得するので、錦野は呆れそうな気持ちを隠しながらわざとらしく腰を折った。
「カンの鈍いボクにもわかるように説明をくださいませ、天立お嬢様」
「錦野は、大人と言われたら何が思い浮かぶ?」
「大人? うーん……汚職、贈賄……あ、情報偽造とか」
 ゴシップ脳が、と里巳は心の中だけで罵った。話を打ち切ってやろうかとも思ったが、情報を集めたのは殆ど錦野なので、それに免じて話してやることにした。
「普通に考えたら仕事や家庭、あとは自分の夢なんかを思い浮かべる人が多いと思う。それはそうとして、絵を描くのに『大人』というテーマを与えられたら、わかりやすくするためにそれを象徴するような要素を含めるのが妥当だと思わない?」
「ああ、それで『タバコ』と繋がるわけか」
 そう、と里巳が頷いた。そして『開かずの間』の窓際まで歩き、指先で慎重にカーテンを覗いた。
「美術室からは駐車場が見える。このテーマを決めた生徒は、そこから滝田先生を見ていたのよ」
 里巳の説明を聞いて、錦野は「なるほど」と言いながら手を打った。
「タバコの詳しい形は小さ過ぎてわからない。だからタバコだけはどうにか本物を持って来た。そういうことだね」
 錦野の補足に、里巳は再び頷いた。そしてそこから想像できる事態について言及する。
「多分、宮路先生に見つかりかけたんでしょうね。だからつい、美術室から放り投げて捨ててしまった」
「確かに、あの先生に見つかったら大変なことになりそうだもんね」
 里巳の頭には四角くエラのある輪郭に角が生えた般若の顔が浮かんでいた。美術室を少し覗いただけの彼女に対して、あたかも警備員のような態度を取った宮路のことである。もしあの先生の前で問題行動を起こしたら……と思うと、里巳は以前のように毅然とした態度をしていられる自信はなかった。
「他の生徒は指摘しなかったのかな。それとも居なかった?」
「あの場所で、それも一人だけで絵を描く時間を取るのは難しい気がするわ。だから多分だけど、共犯……というか犯人隠匿ってところでしょうね」
「単独犯の可能性はないと?」
「犯人が完全に単独である可能性があるとすれば、美術室が空いている、かつ宮路先生の監視外でなければならないわ。そんなタイミングが平日の金曜日にあるはずない」
「金曜日より前なら、自力で回収できちゃうしね」
 里巳は頷いた。木曜日の放課後に捨てたのならば回収するタイミングが作れるはずなので、タバコはその朝に捨てられたばかりの物だったということになる。だからこそ美術部が朝に部活動を行っていることが一つの確証になった。
「だから犯人は部活のメンバーに頼んで、教室にタバコを持ち運んだって推理になるわけか……ちなみに宮路先生が共犯って可能性は?」
「教育者がやって良いかどうかは置いておくとして……それなら自分が吸っていることにして回収すれば済む話よ」
 里巳の答えに、錦野は「それもそうか」と納得した。
「滝田先生が駐車場でタバコを吸っていることを知っていれば、犯人に疑いがかかるよりも早く先生が疑われると判断できる。そのまま雲隠れしてしまえば、噂は一人歩きしていずれ消えていくわ」
 犯人としては問題にしないために吸い殻を回収したかったことだろう。しかし『回収できない理由があった』と仮定することで里巳は今回の推理にたどり着いた。錦野が思い浮かべたゴシップ思想への抵抗としては十分過ぎる成果と言える。もちろん、滝田に容疑がかかるとわかっていながら名乗り出なかったのが悪意と言ってしまえばそれまでなのだが。
 少なくとも自称ゴシップ好きの鼻を明かすことくらいはできただろう。里巳はそれで一旦の満足とすることにした。
「じゃあタバコを描いた生徒が、喫煙の犯人ってことか」
「タバコを吸っているとは限らないわよ。だって吸いかけのタバコの形を知りたいだけなら、火をつけるだけで良いもの」
「どうかな。煙の立つ感じまで見たければその場で吸ってもおかしくないよ」
「火がついたままのタバコを机の上に置けないでしょ。教室に臭いも残るし。多分、一度火をつけて、途中で消火した物を持って来たのよ。その時に吸っていたかどうかまではわからないけどね」
 二人はどちらともなく、これ以上は根拠も無い推論だと断じた。
「何にせよ犯人は美術部でタバコを描いている生徒ってわけだ。これで滝田先生を助けられるね」
「でもそれじゃあ、この作品を描いている生徒だけが確実に責められるよ。もし真剣に作品に取り組んでいただけなら、さすがに可哀想」
 滝田に対して明確な悪意があったのかまではわからない。ただし犯人として吊り上げようものなら、その生徒は他の美術部からも切り捨てられてしまう可能性も考えられる。
 里巳としては、悪意があったなら粛清されるべきだとも思う。しかし確証が無いのに責め立てるべきではない。報道は事実に基づいていなければ許されなのだ。
 そんな心配を察した錦野は、妙案を思いついたとばかりに言った。
「何も真犯人を挙げることだけが解決法じゃないさ。ボクらの目的は滝田先生に恩を売ることなんだから」
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