第20話

文字数 2,476文字

 そんな話をしている途中で、コンコンコンコンコン、と五回のノック音。部屋中が警戒心に溢れ返るが、合図を知っているのならば問題はないはずで、錦野はゆっくりと外扉を「どうぞどうぞ」と手招きした。
 里巳の目に入って来たのはだらしない猫背でスーツを着た、勝手知ったる国語教師だった。そしてよく見れば見るほど絵の中でタバコを吸う男性に似ている。訂正、絵の方が目を大きく開いていた。
「滝田先生!?
 筧がその姿に大声で驚くと、突然あわあわとし始めた。前髪や制服の襟を整えるも、既に着崩した校則は取り繕いようがない。しかし滝田はそんなことを気にするタチではなかった。
「何だ。筧も仲間入りしたのか」
「そうなんですよお! 後輩ちゃんたちが快く入れてくれて!」
 筧の声のトーンがさっきとは打って変わって高くなる。里巳と錦野は「調子良いなあ」と目を見合わせあった。
 この二人と言えばタバコの件で因縁がある訳だが、滝田は真犯人を知らない。彼自身も終わった話を蒸し返そうとはしていないけれど、迷惑を被ったお詫びの一つくらいあっても良いのではないかとは思っている。ただしその礼節も錦野の勝手な脅迫によって達成されることはない。
「ねえ錦野。もしかして筧先輩が居座ってる理由って……」
「あ、あー。滝田先生、どうしたの?」
 わざとらしく誤魔化す女に里巳が呆れる。今回の件は『生徒と教師の男女関係』という嘘のニュースが発端だったにもかかわらず逞しい人だ。里巳は、自分には一生無縁かもしれない感情の面倒くささを悟った。
 滝田は筧に答えるつもりで、この場の全員に伝わるように言った。
「この教室に来てるってことは、筧もエックス新聞のことは知ってるんだな」
「いたしかたなく、ですけどね。それで今日は何用ですか? サボり?」
 錦野が言うと「お前は俺を何だと思ってるんだ」と滝田が嫌そうな顔をした。すると筧も犬のように唸って錦野を威嚇する。まるで舎弟だ。錦野はそれ以上の軽口を飲み込んだ。
「ここに来たのは報告……というか親切な密告のためだよ」
「密告に親切とかあるんですか?」
「今朝、先生たちの朝礼でエックス新聞の話題が出てな。今後の学内掲示板の利用には先生の許可が必要になるかもしれないんだ」
「えっ」
 一斉に息を飲む声が響いた。確かに滝田の教師という立場を鑑みれば親切なのだが、いかんせん話題に親切さの欠片もない。言葉を失う生徒たちに│経緯(いきさつ)が話された。
「元は新聞部とか委員会含めて、生徒の自主性を重んじた掲示板だったが……今回のことはイタズラの域を超えてるからな。『匿名性を利用して同じようなことが起きたら、真偽問わず学校の信頼を損ねてしまう』とさ。無理もないだろ」
「そんな。滝田先生、反論してくれなかったんですか」
「日頃まともに発言しない人間が、この状況で言い出したら色々疑われるだろうが」
 内心では「使えねー」と思いながら錦野が薄い瞼を歪ませる。
「じゃあ尚のこと犯人を捕まえて自供させないとね」
 里巳の言葉に錦野がうんうん頷くも、滝田はボサボサ頭を掻きながらバツの悪い顔で言う。
「とは言え生徒の行動だったって時点で、掲示板の許可制は認可されちまいそうだけどな。多分、来週には連絡があるはずだ。何かしら対策を取るか、エックス新聞の発行を止めるか……ちゃんと考えておけよ、錦野」
 最後だけはやけに真面目な声で告げられ、記者は「……はい」と不本意そうな返事をするしかなかった。
 すると気の毒そうにやり取りを見守っていた里巳が口を開いた。
「滝田先生。芦間恋奈って三年生を知っていますか?」
「ああ。知ってるぞ」
 アジア産西洋風イケメンがあっさりと答える。生徒たちは三者同一に驚いた。
「本当ですか?」
「ああ。この辺じゃまず聞かない関西弁だからな。一度授業を持ったら覚えている先生は多いはずだ」
「芦間さんを呼び出せませんか? 彼女は……」
 「最も怪しい容疑者なんです」と口走りかけて、里巳は自らの口を制止した。まだ芦間が犯人と決まった訳ではない。確定していない情報を滝田に与えて、教師である彼が芦間に抱く心象を歪ませてしまったら、もし彼女がシロだった時に取り返しがつかなくなる。
「芦間か……確かあいつ、もう私大に受かってて学校にはなかなかこないんだよ。呼び出しは厳しいだろうな」
「そう、ですか」
 もう十二月も近い。生徒によっては進学先も決まり、自由登校が始まっている者も居る。そんな人物を都合もなく学校へ呼ぶことは、一生徒の権限では間違いなく不可能だ。
「それと来週からは一、二年の三者面談だ。保護者もくるから、この教室を使うなら静かにな。じゃあな」
 滝田はするだけの注意喚起をして、静かに『開かずの間』を後にした。筧が去って行くヨレたスーツの背中を名残惜しそうに見送る。里巳は黙り込む教室で口を開く。
「犯人の特定を急がなきゃ。取り返しがつかなくなっちゃう」
「ああ。滝田先生の言う通り、来週からは面談も始まる。あんまり目立った行動はできない」
「ひとまず怪しいのは芦間恋奈だけど……どうするの? 学校に来てないんじゃあ話の聞きようがないよ」
「もしも芦間が犯人だとすれば、この状況を放置することはないと思うんだ。なにせ告発をするってことは、まだこの学校内で何かしら目的があるってことだからね」
 仮に犯人の目的が宮路の社会的信用を奪うことならば、目的は既に達されてしまっている。しかし塩顔に浮かんだ似合わない眉間の皺たちが必死に焦燥感を隠しているのを見て、里巳はそれ以上の不安材料を渡すことはできなかった。
「ひとまずチャンスを窺うよ。どこかで学校に現れると考えて、必ず捕まえてやる」
 決意の熱気が『開かずの間』中に溢れて、記者のメガネを曇らせた気がした。

 その翌朝、鯉ヶ谷高校には掲示板に関するお触れはまだ出ていなかったが、さらにエックス新聞を揺るがす掲示物が貼られていた。
 続報と称された新たな『エックス新聞』。その記事には「宮路の相手は他校の生徒である」と書かれていた。
 当然、錦野たちが認知していない新聞である。
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