第3話

文字数 2,784文字

 同じ週の水曜日の放課後。里巳は今週初めて『開かずの間』を訪れた。家の用事でこの教室へ入り浸る時間がなかった里巳に対し、錦野は待ち望んでいたようにタバコの話題を持ってきた。
「予言しちゃったね、天立嬢」
「そうね。記事に書いていたら、もっと大騒ぎになっていたかも」
 里巳は数学の課題を解く手を止めずに言った。特別教室棟の方とは言え、駐車場も校舎裏に該当する。そうなるとエックス新聞は「いつも嘘を書いているチャチな娯楽」から、途端に予言書扱いされてしまう。
 フェイクニュースは必ず嘘でなくてはならない。その上で、誰かが都市伝説的に楽しめるものが錦野の求める記事の完成形と言えた。今回に関しては、軽率な発言が採用されなくて良かったと里巳は思う。同時に、不注意な行動を取った人間にはほとほと呆れるばかりだった。
「馬鹿だよね。駐車場なんてわかりやすい場所に置いて行くなんて。見つけてくださいって言ってるようなもんじゃん」
 里巳はそんな感想を呟いた。校舎裏はどちらも生徒の掃除が毎日行われる場所だ。監視の目が少なく手を抜く生徒が多いとは言え、タバコのように年齢的に珍しい物が落ちていれば視線が集まるのは当然である。
 とんだ間抜けが居たものだ。そう締め括ろうとした里巳に対して、錦野が言った。
「ところで、こんな噂を聞いちゃったんだよね」
 噂話が嫌いな里巳はシャープペンシルの踊りを止め、おもむろに鞄からイヤホンを取り出した。それを見た錦野が「待った待った!」と大袈裟な仕草で防ぐ。
「何でも滝田先生がタバコの犯人じゃないかって疑われているそうだよ」
 他の先生よりは関わりがある人物の名前が出てきたせいで聞き逃せないものになる。それも錦野同様「悪事でもバレなければ良い」精神を持つ滝田だ。彼に限ってそんなミスをするものか。そう思った里巳はイヤホンを嵌めるのを止めて、嫌々ながら噂話の話題を続けることにした。
「どうして? って言うか、あの人タバコ吸ってたっけ」
「滝田先生は喫煙者だよ。それも結構なヘビースモーカー」
 香水の匂いが強いのはそういう訳か、と里巳はシトラスの香りを思い出しながら一人で納得した。そして新しい疑問として、どうして錦野がそんな情報を持っているのかも浮かぶ。彼女が有名な話なのか聞いたら、すぐに「いいや」と否定した。
「喫煙者ってことは言っても無ければ、敢えて隠してもないかな。だけど彼に白羽の矢が立っちゃったのは、見つかった場所のせいなんだよね」
「駐車場だっけ。この教室からも見える位置?」
「棟の反対側だから無理だろうね。ましてや吸い殻なんて小さな物は、千里眼かマサイ族くらいの視力がないと無理だと思うよ」
「誰も一〇〇メートル以上の距離を肉眼で見たいなんて思っちゃないわよ」
 里巳が前髪の下を不機嫌に染めて吐き捨てる。ただでさえ噂話というだけで嫌気が差していたのに、笑えないジョークまで飛ばされてはやる気も失せるというものだ。錦野は「失敬失敬」と自らの悪い癖を反省するポーズを取ると、話の路線を戻す。
「駐車場を使っていて、尚且つ喫煙者。まずこれが滝田先生に容疑がかかってしまった大きな要因だね」
「そんな人たくさん居るんじゃないの。タバコの銘柄でも知ってた訳?」
 錦野が「そこが今回のミソなのさ」と得意げに語り出す。
「ボクらはいつも、この教室を使っていることがバレないように鉄扉から出て行くだろ。だけど偶に様子を見にくる滝田先生は、教師だから堂々と特別教室棟の廊下を通れる。それを目撃したことのある生徒が、用事の無いはずのこの『開かずの間』にタバコを吸いに来ているんじゃないかと推理した訳さ」
「はあ。馬鹿みたい」
 短絡的な推測だ、と里巳は一蹴した。不確実な話を大衆に広めるから傷つく人間が生まれてしまう。根拠のない情報やネットニュースの思わせ振りな見出し。里巳は人を傷つけるニュースが大嫌いだった。
「どこのどいつなのよ。そんな頭の回ってない噂を流したのは」
「我が学校におわす自称“探偵”クンさ。何でも、人気絶頂のエックス新聞の発行者を探し出そうと躍起になっているらしいよ」
「ただのミーハーじゃない」
 二度目の毒を吐いた里巳は、段々と滝田が哀れに思えてきた。ポンコツ探偵が居なければ霧散していくだけだったかもしれない話題の火種にされたのだ。彼女はせいぜい滝田の悪評が広まらないことを願った。
「そこで天立嬢にご相談があるんだけど」
 里巳が心の中で静かに合掌していると、噂話に興味を持ったと勘違いした錦野が人差し指を立てて提案する。
「ボクらで犯人を探さないかい」
 楽しそうな顔をしていたのはそういう訳か、と里巳は納得した。
 錦野の行動原理はとりわけ自らの情報欲求と目的意識だ。それが同時に満たせるものがエックス新聞――彼が言うところのフェイク・エンターテインメントというやつだ――らしいのだが、今回に関しては目的意識の方を欠いている気がした。
「どういう打算?」
「滝田先生は一応、この教室を黙認してくれているんだ。ここで恩を売っておけば、いざって時に匿ってくれるかもしれないだろ」
「現金なヤツ」
「おいおい。これは天立嬢にだって利のある話だろう?」
 確かに里巳としても『開かずの間』の安全確保は最優先事項だ。そういう点では、性格的な問題でこの教室の利用を認めてくれている滝田は以前から不安要素でもあった。だから人間不信気味な里巳でもできる限り仲良くなっておこうと思ったのだ。
 そんな彼女に錦野が接触を許されているのは、錦野が損得勘定で動く人間だからこそ、里巳は行動を共にするのが辛くないからだった。必要か不必要か。信頼関係が最初から無ければ裏切りも有り得ない。彼らはお互いを利用し合うことで成り立っている関係だった。
 錦野の考えは、その中に滝田を巻き込んでしまおうという話である。里巳はたっぷり二十秒は悩んで、それから言った。
「わかったよ。この場所にもまだ用があるし」
「よし」
 錦野は勝ち馬を選んだ気分になった。彼にとっては、里巳を引き込むことが最も労力の必要な道程だった。
「さっそくだけど、情報は少し仕入れてある。タバコが落ちていたのは特別教室棟の裏。つまり駐車場の裏門近くだね。保健室が一番近い所で、朝のボランティア活動として生徒会の生徒たちが掃除していたら見つかったんだって。それを先生が回収したんだってさ」
「普通ね。その生徒が吸ったでもない限り」
「そして保健室の先生は非喫煙者らしいよ」
 抜かりのない錦野に里巳は精一杯嫌な顔を作った。わざわざ騒ぎ立てた生徒たちが犯人だとは考えにくい。もしそうならとんだ道化だが、今のように無駄な注目を集めるくらいなら隠した方が楽だっただろう。
 ひとまず机上で空論を固めるよりも現場に行ってみよう。里巳はそう思って、鉛よりも重たい腰を上げた。
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