第22話

文字数 2,461文字

 唯一認める“探偵”が去った部屋で、錦野は言葉数の多い口を閉ざしていた。
 里巳との舌戦を繰り広げても、感情の中には怒りをの「い」の字も浮かばない。ただエックス新聞を守るという主目的のために手放さなけばならなかったというだけだ。
 仕方ない、と割り切る錦野だったが、レンズ越しの目を責め立てるのは里巳ではない別の少女だった。
「あんた、必死になるのはわかるけど、熱くなり過ぎよ」
 先に熱くなったのは彼女の方だろう。すぐに反論が浮かんだが、筧に噛み付いたところで無意味である。錦野は自分の非を認めるように言った。
「そうですね。確かに感情で逃して良い人材じゃなかったですね」
「違うわよ。そんな損得勘定の話じゃないわ。友だちに対してって意味よ」
「ボクらは友だちではありませんよ。ただの協力関係です。今しがた解消になりましたが」
「放課後に集まって、わざわざボランティアもどきの新聞作りをしているんでしょう。それを友だちと言わずに何て呼ぶのよ」
 いつもの減らず口が言葉に詰まる。それを好機と見るや、筧は捲し立てた。
「良い? 人との繋がりは貴重なのよ。だからあたしもタバコの件で、美術部の同級生たちが匿って内緒にしてくれてた。いつだって助けてくれるなんて綺麗事は言えないけどさ。仲良しな分だけ助けてあげたいと思うことはあるじゃない?」
 何て的外れな説法だろう、と錦野は思った。彼の人間関係はいつだって打算と損得勘定で成り立っている。有益な人物には媚びへつらうし、無益な人間は損切りだってする。
 ――じゃあボクはどうして感情的になってしまったのだろうか。
 立ち上がった筧は錦野の頬を掴むように自分の方へ向け、睨みを外せないようにして言った。
「友だちの定義なんて人それぞれ……そんな顔してるけど、そうやって感情的になって喧嘩できる人のことを世間は友だちって呼ぶのよ。仮にも新聞記者を名乗るなら、世間の声くらい覚えておきなさいよね」
「……」
「もし芦間を炙り出すための作戦をしたら、あの子との関係は本当に終わりだと思いなさい」
 錦野は真正面から、一方的に叱られる経験なんてなかった。兄や同級生が怒られているのを見ては「やっちゃ駄目なこと」の隠し方を学び、飄々と生きてきた。
 しかし筧は違うだろう。校則を堂々と破っているところを見ても、彼女は錦野が観察していた側の人間だ。だからこそ正面からのぶつかり方を知っている。
 こういう人の方が繋がりの質と量を意識する人間よりもずっと良好な関係を作るのだろう。錦野は自らの軽薄さを恥じると同時に、この損得勘定とは一生付き合っていかなければならないのだろうなと予感した。
「先輩」
「何よ」
「意外と先生、向いてそうですね」
 筧はきょとん、とチワワみたいな表情になった。そして頬をぐにぐにと揉みながらそっぽを向く。
「あんたに褒められたって別に嬉しかないわよ」
 もしも彼女に尻尾が付いていたら、背中でぶんぶん振り回されていたことだろう。わかりやすく先輩の手玉に取られる気のない錦野は心の中だけで頭を下げた。そんな見えないお辞儀を察したように筧が言う。
「……フォローするつもりじゃないけれど、あたしだって自分の作品を大事にしたい気持ちくらいはわかるから」
 彼女の描いた理想の教師が煙を吐きながらじっと錦野を見つめていた。部屋の中には苦みを含んだシトラスの香りが広がるようだった。

 錦野は悶々とした気持ちを抱えながら日々の巡回をしていた。
 これからどうするべきか。錦野幟として、エックス新聞の発行者としての最適解はなんだろうか。
「……よし」
 僅かな決意を秘めて、錦野は普段と違う道順を歩いた。
 普段の練り歩きとは違い、定めた先は特別教室棟三階。図書室や家庭科室のあるこのフロアには一方的な因縁をぶつけられている新聞部の部室があった。
 教室の扉には『鯉ヶ谷高校に纏わる情報モトム!』というかなり古い紙が貼ってある。その下には最近書かれたような字で『不在時の連絡先は以下の通り……』とあった。
 鯉ヶ谷高校新聞部および鯉ヶ谷新聞の歴史は長い。開校七十年を迎える中で、初年度から設立されていた部活だ。人気の浮き沈みを繰り返しながらも絶えず発行されているため、まだ部活数が少ない時代に部室としてもらった場所の権利が未だに生きている。
 錦野が三回ノックをすると「どうぞ」と聞き覚えのある低い男の声がしたので扉を開ける。
「失礼します」
 新聞部の部室には、様々な紙資料がダンボールからはみ出て溢れ返っていた。教室の真ん中には四つ合わせた机が陣取り、それを見下ろすようなホワイトボードがある。秘密基地みたいな空間の中には五人の男子部員が詰め込まれていた。
 むさ苦しくて殺風景。閑散とした雰囲気が好きな錦野にとっては新聞部の雰囲気はどうにも合わない。中三の時にオープンスクールで訪れ、紹介された時には既に入部を拒否することを心に決めていた。
「やあ、幟くん。どうしたんだ。きみが新聞部を訪れるなんて珍しいじゃないか」
 ニンジンみたいな輪郭の大藪が尋ねる。錦野は「こんにちは」と見知った顔たちに挨拶をする。にこやかに、をいつもよりずっと意識した。そして普段より細くなった錦野の目に、ホワイトボードに貼られている拡大写真が飛び込んできた。
 夜の、おそらくは学校だ。その中心にはブレた被写体――鯉ヶ谷高校の女子生徒が着ているセーラー服が霞むように写っていた。
「その写真は何です?」
「おいおい幟くん。勝手に新聞部の情報を見られちゃ困るなあ」
 錦野の視界を遮るように男子生徒が一人立ち上がった。この人も三年生で、大藪と同じく錦野の兄である朝陽を尊敬している。だから無下にされることはないと高を括る錦野は、愛嬌を振り撒くように言う。
「そんなにデカデカと拡大していれば、少しでも教室に入った人はみんな目がいきますよ」
 そりゃそうだ、と陽気な部員たちは一様に笑う。そして思惑通り、男子生徒は錦野に教えてくれた。
「この写真はな、噂のエックス新聞の発行者さ」
「えっ」
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