第6話

文字数 2,359文字

 滝田との問答を終え、里巳が今度こそ『開かずの間』に戻ると、そこにはスマートフォンに向かって文章を打ち込む錦野が居た。彼は来週発行のエックス新聞に向けて記事を書いていた。ちなみに鯉ヶ谷高校では生徒が学内で携帯機器を利用することは全面的に禁止されている。無論、それ以上の校則違反を行っている彼にとっては些細な問題でしかなかった。
「現地調査は満足かな。天立嬢」
「そこそこ。滝田先生にも話は聞けたし」
 「それは何より」とスマートフォンを仕舞うと、席に着いた里巳の前に一枚のA4用紙を広げる。怪訝な顔を作った彼女に対して錦野が言った。
「タバコを吸う先生の一覧表さ。口頭で説明すると多過ぎるから、ぜひこの力作に目を通してくれ給え」
 錦野が広げたのはエクセル表で作った全教員の名簿だった。力作と呼ぶには、名前の隣に〇‪✕‬があるだけの簡素な資料だが、里巳が呆れ半分で感心するのはその情報収集能力である。‬‬‬
「一体どんなルートを使えば知り得る情報なの」
「自分の足が七割、喜んで協力してくれた滝田先生の活躍が三割ってところかな」
「自分の保身が懸かっているだけあってとても協力的ね。殊勝な心掛けだわ」
 里巳は一覧表をまじまじと見た。四十五人の教員の内、〇印がついているのは三分の一程度。基本的に人の顔や名前を覚えていない里巳は、気になっていた教室に関わりのある人物について聞いた。
「美術部と調理部、それぞれの顧問って誰?」
「やっぱり、気になるのはそこだよね」
 錦野も里巳と同じ推測を抱いていた。彼も既に校舎の構造に目をつけており、タバコが見つかった場所の真上にある教室を疑っていた。
「美術部の宮路先生も調理部の北仲先生も非喫煙者さ。特に、北仲先生は舌が狂うから嫌だって理由付きでね」
「宮路先生っていうのは、四角い強面の人?」
「そうだよ。選択していないのによく知ってるね」
 里巳の性格を知る錦野は物珍しい目で彼女を見た。里巳は「美術室にあった作品を見てたら絡まれたのよ」と主観的な感想を述べる。それを聞いた錦野が納得と同時に笑い出した。
「あの先生は芸術に厳しいからね、良くも悪くも。美術部なんて朝も放課後も休憩無く、みっちり部活をしているよ。通知表の評定を気にするなら美術は選択するべきじゃない、と提言しておく」
「錦野も被害者?」
「うん、抜かったよ。一学期は三だった」
 五段階評定では、提出物と出席に不足が無ければ取れる評価だ。二人して狭い社会における情報の価値を噛み締めたら、錦野が次に用意していた情報を出す。
「それと滝田先生は日常的に車の中で喫煙していたみたいだね」
「本人から聞いたよ。くだらないね。ニコチンに体を蝕まれる前に、首を絞められるなんて」
「それが、蝕んでいるのはニコチンじゃないかもしれないよ」
「え。じゃあタールって言いたいの? それとも一酸化炭素?」
 有害成分を並べる里巳に、錦野は「違う違う」と大袈裟な身振りを交えて否定する。
「ゴシップ好きなボクとしては、滝田先生を嵌めた人間が居るんじゃないかと考えてしまう訳さ」
 錦野が少なからず使う自称を聞き、里巳は辟易とした。
 ゴシップ好き。それが里巳が彼と友達になれない理由だ。里巳は嘘か誠かわからない程度の与太話は好きだが、そこに『誰か』が加わるゴシップは反吐が出るほど嫌いだった。
 しかし面の皮が厚い錦野は、彼女の蔑むような目を無視して言った。
「例えば滝田先生が誰かに恨まれていたとしよう。そしてもしも彼の自家用車内喫煙を見てしまったら、簡単に陥れることができるよね」
 錦野が言いたいのは、つまり件のタバコが意図的に置かれたということだ。正直なところ、里巳も考えなかった訳ではない。計画性のある犯行ならば理由もすぐに納得できる。滝田は別段善人というわけでもないので、誰かから恨まれるくらい人間なら当然だろう。
「だとしたらみみっちい犯人だね。堂々と告発してやれば良いのに」
「勧善懲悪なんてのは、今どき創作の中でしか流行らないさ。天立嬢は偶然買い物に行ったスーパーで万引き犯を見つけたとして、堂々と本人に注意するかい?」
 里巳は言葉に詰まる。度胸なんてものは持ち合わせていない里巳は、万引きの現場を目撃したところでせいぜい店員に告げ口をするくらいまでしか行動に移せない。
 ただし、机上に空論の言葉を並べるだけならば少しは抵抗できる自信があった。
「そうだとしても、錦野の仮説よりも筋の通る道があるかもしれない」
 事実とわかるまでは、ゴシップ思想に負けたくない。だからこそ里巳は『悪意のない可能性』を考える。
 仮に「タバコを落としてしまう」という事故が起きた時、その場に居たらどうするか。まずは回収手段を考えるはずだがそうはならなかった。
 単に本人が気づかなかっただけなのか。しかし校内でタバコを吸うことは「悪いこと」だ。人智の及ばないほど間抜けでない限り、揉み消せる悪事は放って置かない。滝田の言い分が良い例だ。
 つまりタバコを落としたのは故意であり、回収できなかった事情を持つ人間が犯人である。里巳は熟考の末にそんな結論に至り、錦野に尋ねた。
「錦野。美術部に知り合いって居る?」
「うん、居るよ」
 顔の広い錦野は即答する。里巳は彼の人脈を信用して言った。
「じゃあ、その人たちが現在進行形で取り組んでいる『テーマ』を調査して来て。あとついでに、美術部に朝の部活動があるのかも」
「何か思いついたね?」
「間違ってたら恥ずかしいから、確信があるまでは言わない」
 里巳は「頼み事をしているのに良いご身分だ」と心の中だけで自嘲すると、ぷいと顔を背けた。対して錦野は嫌な顔一つ作らずに二つ返事で引き受ける。
「はいはい、オッケーですよ。明日の放課後には情報を持ってくるからね。期待しているよ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み