第21話

文字数 3,143文字

 二枚目のバツ新聞の発行。『開かずの間』の誰もが予想だにしなかった状況が訪れた。内容は宮路勝臣の援助交際についてさらなる仔細がわかったということ。明確に宮路の立場が陥れられている内容だった。
「単なる告発だから二枚目は無いと思っていたけど、まさか追加情報で二回目の号外とはね」
「より一層、宮路先生の立場が悪くなったわね。本当……吐き気がする」
 里巳が不機嫌に切り捨てると、向かいに座る錦野も塩顔に彫りを深めて同調した。今ばかりは人当たりの良い笑みも消えて芽を取った後のジャガイモみたいになっている。
「今回ばかりはボクとしても楽しめないな。こう言っちゃなんだけど、宮路の評判は既に地に落ちてる。本人が居ない間にさらに密告しようだなんて、本気で彼を社会的に抹殺しようとしているようにしか思えない」
「ついでにあんたの身も危うさを増したんじゃないの? 『黒幕』さん」
 今日も『開かずの間』へと足を運んでいた筧がキャンバスに向けていた真剣な表情を錦野へと向ける。絵はもうすぐ完成を迎えそうだった。錦野は絵の男性によく似た教師を思い出して、かつてなく嫌な顔を作った。
「エックス新聞の立場も評判も最悪よ。一部の生徒は楽しんでいるけど、それは多分、あんたが欲しがってるタイプのリスナーじゃないでしょ」
「よくお分かりで」
 溜息よりも重苦しい声が肯定する。人気商売にアンチが居るのは当然だと割り切っている錦野だが、今回は好き嫌いではなく、良いように利用されているに過ぎない。誰かを掌の上で転がすことは好きでも、踊らされるのは御免だった。
「もうそろそろダンマリを決め込むのは終わりだね。エックス新聞はバツ新聞の存在を明らかにする」
 錦野が決意を固める最中、里巳は「とは言え」と割り込んだ。
「犯人はわからないままだからね。バツ新聞の存在を言ったところで犯人に雲隠れされたら自作自演にしか見えないよ」
 宮路の報道がエックス新聞の仕業ではないと知っているのは、今のところここに居る里巳と錦野と筧、そして滝田と大伴の五人だけだ。他の生徒や教師はエックス新聞の行き過ぎた報道だと思っているので、里巳の言う通り明確な証拠がなければ、信用のない冤罪の訴えに過ぎなくなる。
「あんたら的には、芦間恋奈でほぼ確なんでしょ? じゃあもう告発しちゃえば?」
 筧の一言に、里巳は大きく眉を顰めた。
「まだ証拠がありません。このまま芦間の名前を出して、もしも間違っていたらどう責任を取るんですか」
 う、と筧の細い喉が詰まる。しかし里巳の制止に意を唱えた者が居た。錦野だ。
「天立嬢。悪いけどボク的にはボクとエックス新聞の保護が最優先事項だ。最悪の場合は芦間恋奈を盾にするつもりだよ」
「だから、それは芦間が犯人だって確定してからでしょう。実名報道の告発をエックス新聞で行ったら、それこそ新聞の評判は地に落ちるわよ」
「無論、エックス新聞を守るように動くさ」
 はっきりと言い切られた物言いに、里巳は不穏な空気を感じ取った。
「……錦野。あんた今、ろくでもないこと考えてるでしょ」
 錦野は推測こそ里巳の専売特許だと思っているが、計略を立てられない訳ではない。なぜならエックス新聞は元々彼のみの事業であり、里巳が居なくても成立する企画だからだ。
 だからこそ里巳は警戒していた。錦野幟の頭には良識があるが、タガを外せば周囲を傷つけてでも目的を達成する作戦が浮かんでいるのだ。
「芦間の存在を新聞部にリークする。エックス新聞でバツ新聞に宣戦布告した後でね。そうすれば芦間が犯人かどうか確かめることもできるし、エックス新聞の無実は第三者が晴らしてくれる」
「ふざけないで! 私はまだ確実な答えを出してない! 私のせいで無実の人が傷つくなんて絶対に許さない!」
 無責任な記者の態度に里巳が激昂する。彼の作戦はつまり、芦間という容疑者を槍玉に挙げて、エックス新聞の敵を明確にしようと言うことだ。しかしそんなことをすれば、芦間は犯人であろうとなかろうと「悪人」のレッテルから逃れられなくなる。
 尋常ではない怒りを感じ取って、筧が冷静に「ちょっと、後輩。落ち着きなって」と宥める態度を取る。しかしそれは里巳のひと睨みによって無意味と化した。
「じゃあきみは、他にエックス新聞を守る方法があるって言うのかい」
「メディアよりも優先して守るべきものがあるでしょ、って言ってるの!」
「だけどそれじゃあ間に合わない。一〇〇パーセントの宿題だって、期限を過ぎたら評価してもらえないんだよ。それと一緒さ」
「自分の評価のためなら人を陥れて良いってこと? それなら錦野。あんたは本当にバツ新聞の記者ね」
「……何が言いたいの」
「言葉通りの意味よ。ここであんたが芦間を売るなら、やっていることはあの悪趣味な噂だけの告発記事と変わらないわ。人を幸せにしないフェイクニュースなんて報道の風上にも置けないゴミクズよ」
 里巳がエックス新聞に加担していた理由は『開かずの間』という都合の良い場所の確保と、フェイクニュースという忌むべきものを天秤に掛けた結果である。
 これまでの錦野のやり方ならば傷つく人間は居ない。だからこそ協力もしていたが、その台座が揺らぐのならば天秤の傾きも変わってくる。
「ボクに必要なのはあくまでエックス新聞の継続。そして今回はきみが“探偵”であることをボクは望んでいる。謎を解く以外のことを頼ったつもりはないよ」
「私は“探偵”やら何やらって、不相応な称号は求めてない。それを承知で頼ったのは錦野の方でしょう!? だったら私にまで罪悪感を押し付けるやり方なんてしないでよ!」
「ああ、もう! 止めなさい、バカ後輩ども! この場所がバレたらまずいんでしょうが!」
 筧が痺れを切らして二人の間に割って入った。力づくで引き剥がすほどではないが、確実に心の距離は離れていた。
「あんたたち二人とも冷静じゃないわ。今日はもう帰って頭冷やしなさい」
 冷静な判断を押し付ける筧に対し、錦野はそんなことはわかっていると言わんばかりに自らの焦燥を吐き出す。
「筧先輩。今日はもう金曜日なんです。どういった形でも月曜日には定期更新のエックス新聞を出さないと、バツ新聞は完全に本物のエックス新聞に成り代わってしまうかもしれない。ボクにはどういう形でも犯人が必要なんです」
 日頃おちゃらけた錦野の真面目な態度に一つ年上の女学生は思わずたじろいだ。代わりに反発したのは同級生の方だ。里巳は前髪が目の形を隠さないことも厭わず、綺麗な顔を迫力に任せて錦野に詰め寄らせる。
「錦野。あんたがそのつもりなら、好きにすれば良いわ。ただし私は金輪際あんたには協力しない」
「そうなると、きみは『開かずの間』を貸す条件を失うよ。それでもかい」
 それは彼らの関係の生命線とも言える契約だった。エックス新聞への協力の代わりに、部活動の参加を偽装するための『開かずの間』の立ち入りを許可する。多くの関わりを持ちたくない里巳が祖母への嘘を成立させる上で最も有効な取り決めだ。
 しかしどれだけ祖母を慮っても、許せない状況は存在した。
「ええ。同じ空気を吸うより百倍マシよ」
 里巳は自らのバッグを引っ掴んだ。引き留めようとする筧のことも眼中に入れず、駐車場へと続く『開かずの間』の外扉に手をかける。開けようとした瞬間、錦野は怒りに震える背中へ悲しげに言った。
「残念だよ。ボクには解けない問題でも、きっときみには解けるのに」
「だから、勝手に私を“探偵”になんてしないで。私は何者にもなりたくない。普通の学生で居たいだけよ」
 強い語気は緩まず、それでも里巳はゆっくりと重い扉を開けた。それは、もう二度と立ち入るつもりのない『開かずの間』への餞別だった。
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