第29話

文字数 3,449文字

「滝田先生」
 里巳は外でぼうっと座っていた滝田に声をかけた。教室の扉の淵に腰掛けて今にも寝てしまいそうだった滝田はこぼれそうだったヨダレを吸って立ち上がった。
「終わったのか?」
「はい」
 後ろから出て来た芦間が里巳に声をかける。
「じゃあね、オオエヤマさん。もし何かあったらウチにも言って。手伝えることは手伝うから」
「ありがとうございました」
 芦間を見送ると、里巳はポケットからスマートフォンを取り出した。画面は『通話中』で明るい。
「錦野。聞こえてた? 今から『開かずの間』に戻るよ」
『了解。合図して』
 返事を聞くや、すぐに赤い終了ボタンをタップする。それを見た滝田は若者に対する呆れと僅かな恐怖から言った。
「わざわざ通話繋いでたのかよ。用意周到なことで」
 今日のために渋々連絡先を教えた。学校の同級生でしかない錦野にはメッセージを送らないように、とお触れを出してある。
「話は又聞きするよりも直接聞くに限ります……あと先生。さっきから目線がちょっとキモいです」
「も、物珍しいだけだ」
 はあ、と少女から溜め息が溢れた。そして暗く日の落ちた窓ガラスを鏡にする。持ち上げた前髪の下は子どもの頃に見ていた最も身近な人にそっくりだった。
「やっぱり似ていますよね。母に」
「天立。お前はお前だ。オオナントカでも、ましてや親の子どもでもないぞ」
 滝田の言葉に驚く。偶然にも直近で最も嬉しかった言葉をもらい、里巳は久し振りに笑いそうになった。しかし素直に認めるのも癪だったので天邪鬼で応じる。
「それ、もう少し前に言ってくれていれば一番乗りだったんですけどね。間の悪さも先生らしいと言えば先生らしいですが」
「悪かったな」
 生徒の減らず口には誰よりも慣れている滝田だ。怒るばかりの教師よりは、幾分か今の里巳の気持ちが理解できていた。
「それはそうと、犯人はわかったのか?」
「問題は今から解きます。普通の学生らしく、教室の中で」
「そうか。それじゃ精々、宮路先生に吉報を届けろよ」
「もちろんです」
 髪を解き、颯爽と立ち入り禁止の教室に戻る少女の後ろ姿に、教師は僅かばかりの羨ましさを覚えた。
「良いなあ、子どもってのは。大人は型と見栄ばっかりだよ。ほんと」
 教室で同級生としていた馬鹿話が懐かしい。大人になれば秘密基地なんて無いし、もはや自分だけの居場所すらまともに見つからないのだ。
「……さて、と。タバコでも吸って帰るか」
 滝田は自らの車が置いてある駐輪場へと向かう。久し振りに車の中で吸ったタバコの味は、思春期の頃の無邪気な抵抗を思い出して、いたくおいしいと感じられるのだった。



 芦間との話を終えた里巳は一目散に『開かずの間』へ向かった。外扉を五回弾き、入室を許可される。
「お帰り、オオエヤマ嬢……じゃ、なくなってるか。天立嬢」
 既に解いた髪を見て錦野が言い直す。都合二度目の変貌を目の当たりにしている彼は驚きを抑えられているが、初見のツインテール少女にはすり替えマジックの如き衝撃が襲っている。
「はあ。本当に別人だわ。絶対モテるんだからもっとそうしておけば良いのに」
「興味ありませんから。と言うか筧先輩は何でまた居るんですか」
「そりゃあ頼まれたからよ。そこの男に」
 筧は椅子に座りながら顎を上げて錦野を見下ろす。頭に二つ付いた水色のシュシュを揺らしながらとても楽しそうな女王様に、男は従者じみた顔で負けを認めた。
「いつ喧嘩しても良いように、ね」
 里巳は「そう」とあしらうように流して本題に入る。
「話は全部聞き取れた?」
「バッチリだよ。何なら録音もしてる。リスニングでもカンニングできちゃうよ」
「上手くない」
 わざわざ英語発音っぽさを加えるが、その意味のカンニングは和製英語である。里巳はすっかりいつもの調子を取り戻したメガネ記者を睨みつけた。
 錦野とともに芦間の話を聞いていた筧が言う。
「まさか宮路にあんな目的があったなんてね。大伴先輩は凄いけど、教師や社会的地位を捨ててまで守りたいものだったのかしら」
「それで一件落着でも、宮路先生的には良いんでしょうね。しかし問題は一枚目のバツ新聞……犯人バツの方だ」
「だけど聞いた話はどれもこれも宮路賛美よ。犯人を突き止めることに繋がるの?」
 錦野と筧が一緒になって唸る。芦間の話でわかったのは宮路がこの件を承知しており、自ら手を打ったということだ。
「芦間先輩の話で気になったところがあるんだけど、宮路先生は『美術部が狙われている』と予感したから今回の行動を取ったのよね」
「彼女はそう言っていたね」
「だけどその根幹の部分がとても不自然に思わない?」
 筧が「どういうこと?」と長い首を曲げる。
「そんな不明瞭な情報で自分の身を危険に晒すか、という単純な話です」
「宮路の早とちり、とか?」
「非論理的な理屈で動くにはあまりにもリスクが高いです。捨て身の作戦を実行するならば何かしらのリターンがはっきりしていないと」
 錦野ほどではないにせよ損得で動きやすい里巳からすれば、今の宮路の行動には見返りが薄過ぎるように映る。
 だとすると宮路の行動の理由は二つだ。一つは彼が後先考えない性格だったか。もう一つはさらなる見返りが存在するか。そして芦間恋奈まで呼び出して行動を起こした宮路が前者である可能性はあまり考えられなかった。
「もしかすると宮路先生は、バツやその目的を知っていたんじゃないかしら」
「天立嬢。もしその仮説を通すなら、宮路先生は犯人を庇っていることになるよ。それこそあり得ないシチュエーションじゃないか?」
「聞いていたでしょう。宮路先生は自己犠牲を厭わないで生徒を助けるタイプだって。だったら彼が追い込まれることでしか助けられない誰かが居るのよ。宮路先生が用意した二枚目のバツ新聞は、その自作自演のためと、何かしらのメッセージがあるのかも」
 里巳の言葉を聞いた記者が顎に手を当てて俯く。
「二枚目のバツ新聞は、犯人へのメッセージ……」
「後輩。何かおかしな点は無かったの?」
「いや、ちゃんとエックス新聞を精巧に真似たもので、暗号やらの類は無かったと……思う。思います」
 錦野は半日も貼り出されていなかった新聞の記憶を思い出す。そこにあったのはエックス新聞の書き方を模しつつ、たった一つの見出しで構成されたショッキングなゴシップだった。
「二枚目のバツ新聞が早急に回収されてしまうのは宮路先生もわかっていたはず。だったら発行自体が宮路先生の意思表示だったのかもしれないわね。そしてバツはそれを受け取った。実は当事者の間では、もう問題が解決しているのかも」
「話がややこしくなってきたわね……要するに宮路は犯人を庇ってて、そのクセ美術部まで守りたいから自分を差し出したってこと? まあ随分と欲張りなことね」
「欲張り……そうだ。欲張りなんだ」
 あまりにもしっくりくる言葉を見つけて、里巳は繰り返し呟いた。錦野は彼女の変化に気付き「天立嬢?」と声を掛けるも、彼が唯一認める“探偵”は構わずに自らの考えを吐き出していく。
「宮路先生は美術部を守りたかった。だから芦間先輩に協力させた。どうして、わざわざ芦間先輩を選んだのか。そこには大伴美羽という共通の存在が居て、彼女なら納得して手伝ってくれると思ったから」
 それはあたかも溢れる湧き水をどうにか正しい場所へ運ぼうとバケツに移しているみたいだった。
「だけど宮路先生は犯人を芦間先輩に伝えることはしなかった。確かに知る必要はないのかもしれない。けどもし、芦間先輩に犯人が露呈することで何らかの不都合があるとしたら?」
 里巳は仮説を元にしてバツに当て嵌る条件を頭の中で並べ立てていく。
 一つ、この学校の人間であること。
 一つ、美術部ひいては大伴美羽に関係していること。
 一つ、芦間恋奈が犯人だと知って困る人物。
 該当者が見つかってしまって「ああ」と声が漏れた。そして里巳は自らの推理を話すと、筧は「あり得ないわ」と驚愕し、錦野は「今までの中では一番しっくりくるね」と納得した。
「もしそうだとしたら、宮路先生と犯人の間で、問題はまだ解決していないよね」
「うん。宮路先生のメッセージを受けて次の手を打つはず。バツ新聞の発行は、まだ終わってない」
「後手後手の戦いで、ようやく先手が打てそうだ」
「でもその前に真実である確証が欲しい。だから……」
 まだ推理を飲み込めず、キョトンとした子犬のような先輩に向かって強く語りかけるのである。
「筧先輩、お願いがあります。今すぐに」
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