第18話

文字数 2,647文字

 エックス新聞は現在、里巳たちが『バツ』と呼ぶ第三者に利用されている状況であること。犯人を突き止めて、発行の停止と自供をさせるつもりであること。その調査をするために、今回の件と関わりの深い美術部員に話を聞こうと偶然見つけた大伴に話をしに来たことを伝えた。
 もちろん大伴が宮路と不倫関係にあるのではないか、という点は伏せて。冷静に話を聞いた大伴は、頭の中をまとめるように確認する。
「ええと、つまり……宮路先生の噂を流したのは別に居て、エックス新聞はその偽物に利用されただけっていうこと?」
「その理解で正しいです。第一、あんな記事を流した張本人だとしたら、美術部員の前には顔を出せませんよ」
「それじゃあオオエヤマさんは、本物のエックス新聞の発行者なの?」
「私が今そのことを否定しても、おそらく信じてもらえないとは思いますが……発行者は私の知り合い、とだけ。これ以上のことは話せません」
 大伴は当然のように怪訝な顔を作る。一方の里巳は毅然とした態度で言い放った。
「あなたがた美術部員がお困りのように、私の知人も困っています。ご存知の通りこのままだとエックス新聞は存亡の危機ですし、何より宮路先生を陥れた黒幕によって私の知人まであらぬ罪を被せられてしまう。私はそれを阻止したい」
「それは……あなた自身に何かメリットがあるんですか?」
「……」
 間髪入れずに尋ねられた質問に対して里巳は押し黙った。
 今回の件を損得勘定で考えるならば、里巳が協力する理由は殆ど存在しない。強いて言えば「錦野に恩を売ること」にでもなるのだろうが、彼とは「『開かずの間』の利用の代わりにエックス新聞へ協力する」という契約、もとい口約束を交わしている。だから普段通り記事を考えるくらいの労力までは認めているが、それ以上は錦野だって求めない。
 ならば里巳を動かすのは、勘定ではなく感情だ。フェイクニュースで傷つく人を見たくない。それが錦野という、いくら友人とは呼べなくても里巳にとって数少ない近しい人物であるならば尚更である。
 考えれば実にらしくない行動をしている。ただしそれは天立里巳という少女の物語だ。そう割り切ってしまえば『オオエヤマ・リミ』の演技に身を投じるのは難しくなかった。
「いいえ。私には、特に」
 今の問答で里巳は、大伴に「オオエヤマ=エックス新聞の発行者」という認識ができてしまったことを悟った。しかし調査の上では問題ない。むしろ錦野を発行者から遠ざけたと思えば、この判断は間違いないと思った。
「わかりました。それで、私は何をしたら良いんですか」
「協力してくれるんですか?」
「ええ。だって宮路先生を陥れた犯人を探すのでしょう」
 思っていたよりもずっと協力的な態度を取ってくれたことに驚いてしまう。もし里巳自身が大伴の立場ならば、こんな胡散臭い人間は確実に信じない。それほどまでに宮路を慕っていて、藁にも縋る思いで彼を助けたいと願っているように見えた。
 果たして、大伴は正直者か否か。それを探る意味でも里巳は質問した。
「偽エックス新聞の噂、その真相を知りませんか。宮路先生は本当に美術部員との関係があったのかどうか」
「先生に限って、そんなことっ」
 座り直した椅子から飛び出す勢いで大伴が反論しようとする。しかしすぐに美術室の使用が内密であることに気がついたのか、腰と声のトーンを落とした。
「……ある訳ないわ。確かに先生は厳しくて嫌われがちだけど、生徒のことを誰よりも見てくれている人よ。教師として、あの人以上の先生は居ないわ」
「何か、訳アリみたいですね」
 大伴がそこまで言うからには、宮路という教師との関係は単なる師弟ではないようである。彼女は頷いてこう話した。
「先生は私の恩人です。私のせいで同級生の子が部を辞めた時も『きみの才能はそれだけ人の心を揺さぶるんだ』って……私、その言葉があったから、これまで続けてこれたんです」
 錦野が拾って来た噂通りだ、と里巳はすぐに思い当たった。正直なところ眉唾なのではないかと疑問はあったが、芸術に疎い里巳の目すら惹き付ける魅力が大伴の作品にはあった。同じ美術部ともなれば、受けた衝撃は凡人には計り知れないだろう。
「その辞めてしまった生徒はどなたですか」
「三年の……芦間恋奈さんっていう、いつもショートカットの女の子。私も部活が一緒だった一年生の頃しかまともに話していないけど」
 芦間恋奈、と里巳は頭の隅にメモをした。現時点ではこの事件で最も怪しい人物だと仮定している。過去の動向から考えると宮路や大伴、ひいては美術部を逆恨みしていてもおかしくない。
「過去にそういったことは、他にもありましたか? あなたの作品に嫉妬したり、あなた自身が嫉妬されたり」
「もしかして、私が宮路先生の件に関係しているんですか? 私のせいで先生に何か……」
「今のところは何とも言えません。状況的には宮路先生への怨恨、という風に見えるので。私が探っているのはあくまで可能性です」
 里巳としては、大伴が愛人でも驚かない自信があった。それほどまでに大伴は宮路を慕っているように見える。愛情にも見える思慕を証明するかのごとく、目の前の大伴が厚みのある体を曲げた。
「オオエヤマさん、お願いします。宮路先生を助けてあげてください。今、先生は入院しているせいで生徒に弁明もできない状況です。本人は『嫌われている教師に変な噂が立つのは仕方ない』なんて割り切っていましたが、このままでは学校に居ることもままならないかもしれません。宮路先生はお世辞にも生徒に好かれているとは言えないけれど、誰にでも真摯に向き合ってくれる人だってことは間違いないんです。だから……お願いします」
 お願いなんて言われても、とすぐに口走りそうになった。里巳は一度噂が流れてしまえば取り返しがつかないと知っている。事実でなくとも、宮路には今後も「不倫教師」のレッテルが纏わり続けるのは確定してしまっているのだ。
 しかし見過ごすのは寝覚めが悪い。自らの行動の発端を思い出した里巳はたどたどしくも応えた。
「助けることはできないかもしれません。ただ……犯人を突き止めるのが私の目的です。結果として宮路先生の汚名を少しでも雪ぐことができたら、先輩の『お願い』に微力でも応えることができるでしょう」
 それを聞いた大伴の顔はランプの火を灯したように明るくなった。里巳は彼らの関係を疑うことは止めなかったが、少なくとも大伴の純粋さだけは信じられるような気がした。
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