第39話 崩落

文字数 3,748文字

 はじめは城塞都市(カム・アー)の哀れな末路に思いを馳せて高揚していた始祖だったが、今は経営権を奪われた企業家のようにイラつきはじめていた。始祖は自分に向けられる人間からの拒絶と攻撃には昔から慣れてはいたが、それが自分の子孫から度重なるとあっては話は別だ。始祖はナナクサに拒まれた気分転換に、自身の残滓(ざんし)を体内に宿すチョウヨウという名の小娘の身体に戻ってみた。しかし面白かったのは最初だけで、時間が経つにつれ、意に反する行動をとろうとする愚かさに辟易しはじめた。小娘を介して吸血鬼(バイター)どもを増やし、その力で都市内を蹂躙してやった爽快感はあるにはあったが、この小娘と恋仲の若造の横槍で、その快感も風の前の塵のように早々に雲散霧消してしまった。何度も何度も心を押してやったにも関わらず、心の迷いから中途半端なことしかできない子孫など、面白味どころか何の利用価値もない。最初に暗黒へ(いざな)ってやったミソカという小娘の方が何倍も楽しませてくれたというのに。まぁ、その娘も頭の固い若造、確かタナバタという名の愚か者の策略で結局は駄目になってしまったのだが……。
 さて、我慢もこれまでだ。小娘が造った吸血鬼軍団(バイターズ)も、いま動かし終わった。そろそろナナクサを手に入れて長年の屈辱を晴らさねば。そのためには、あの時の失敗は二度と繰り返すまい。遥か大昔、下劣な人間どもが地に満ちていた時のあの過ちだけは。今度こそナナクサの心をへし折るのだ。心が弱まれば、そこにつけ入ることもできる。それは得意中の得意分野だ。それに(いにしえ)より女というものは男に運命を狂わされるものと相場が決まっていたではないか。始祖は今までの子孫たちや人間どもとの長い係わり合いの歴史を俯瞰(ふかん)して、そう独りごちた。そして闘技場から流れてくる心地よい殺戮の調べに暫し耳を傾けた。
               *
 闘技場内で現在なにが起こっているかを正確に知る者はレン補佐長とエイブの二人だけだった。レン補佐長は都市内に進入したヴァンパイアが増やした吸血鬼(バイター)どもが闘技場に達するのを物見(スカウト)からの連絡で知るや否や、闘技場通路の門衛たちに外の戦士をフィールド内に入れるからと騙し、三重になった門を全て開放するように命令した。命令を実行した門衛たちは、ほどなく吸血鬼軍団(バイターズ)の波に飲まれると命令にはなかった死を褒美として受け取った。
               *
 フィールドに通じる通路から吸血鬼軍団(バイターズ)が奔流となって闘技場内部に雪崩れ込んできたとき、ナナクサ、ファニュ、クインの三人は、大小、長短様々な強化セラミックの柱の上を縦横無尽に動き回る人造強兵(ホムンクルス)たちの攻撃に晒されていた。ただ彼らは互いに連携して攻撃を仕掛けてくることがなく、三人は極力、丈の高い強化セラミックが密集した所を選んで素早く移動していたので、なんとかその巨腕の餌食になることは免れていた。しかし、防戦すらままならず、逃げるのが精一杯の三人に勝機などはなく、彼らの行動は、ただ確定的な死を引き伸ばす時間稼ぎをしているに過ぎなかった。だが、観衆は大喜びだった。なぜなら罪人たちがフィールドをほぼ半周して無様な姿を晒しつづけていたからだ。巨腕の一撃ごと。またそれを紙一重で免れるごとにフィールド内は歓声に沸きかえった。
 頭上から何度となく繰り出される巨腕の一撃が、遂にナナクサの持つ短刀を捉え、それを弾き飛ばした。刀は弧を描いて宙を舞い、強化セラミックの柱に接触して鈍い音をたてた。大歓声が渦巻く中、第二撃を覚悟したナナクサは残った片手で頭部を庇って林の中に伏せた。
 だが、ナナクサの耳は自分の身体の骨が砕ける音ではなく、歓声が罵声に。そしてそこに怒声と悲鳴が混じりはじめるのを捉えた。ナナクサの頭上で人造強兵(ホムンクルス)が一声吼えた。頭を上げたナナクサの目は巨獣が自分を見下ろしているのではなく、フィールドの彼方を凝視して何か別のものに対して唸っているのを認めた。
「ナナクサ、あれ!」
 倒れたナナクサに駆け寄ったファニュが指差した円周上の一角に混乱が生じていた。しかも、それは火の着いた導火線のように左右に燃え広がり、広がれば広がるほど、その勢いを増していった。
 クインもナナクサの傍らに片膝をついた。「なにが起こってんだ?」
「わからない」と、ファニュ。「でも今のうちよ」
 拡がりを見せる混乱は、今やフィールド円周上の七分の二にまで波及しようとしていた。異常な速度での広がり方だった。ファニュがナナクサに肩を貸して立たせる頃には、導火線の拡がりは円周上を伝うだけでなく強化セラミックの林から勢いよく噴出すると、フィールドを横断してあちこちに飛び火して混乱にますます拍車をかけた。第一指導者(ヘル・シング)は混乱の両先頭にそれぞれ一体ずつのホムンクルスを全速力で向かわせたが、それは予期せぬ事態を収拾するというより、全戦士からの賞賛と自身の残忍な楽しみを邪魔されたことに対する激しい怒りの発露であった。
「だけど、どこへ逃げるってんだ?」自分たちから注意がそれたことを確信したクインが呻いた。「周りは、まだ敵だらけじゃないか。近くの門だって内側からは開かねぇんだぞ、くそ」
「とにかく手薄なところへ」
「わかった」
 ファニュはナナクサの指示に即答した。
「あそこに張り出しがあるわ」左肘から先を失ったナナクサは痛みに堪えて顎をしゃくった。「私がなんとかあそこに飛びついて、下に回って内側から門を開けるから、二人ともそこから逃げて」
「そんなこと言って、自分だけ逃げんじゃねぇのか?」
「クイン!」ファニュは語気鋭く傍らの準戦士をたしなめると、ナナクサの耳元に口を寄せた。「あそこまで飛び上がれるの。もしそれができても門が開かなければ……」
「なんとか、やってみるわ」そう言うと、ナナクサはクインに質問した。「あなたは、あの張り出しから、その下の門への道順がわかる?」
「あぁ」と、クインは頷いたが、すぐに首を横に振った。「でも何重にも扉がある。無理だ」
「やっぱり、私が行くしかないわね」
「待て、待て、待て」クインが慌てて押し留めた。「でも他に方法がないわけじゃない」
「方法があるの?」ファニュが疑わしそうに眉を顰めた。
「張り出しは銅鑼を鳴らすだけじゃねぇ。訓練時に投げ与えるためのいろんな武具や装備がある」言葉を切ったクインは、飲み込みの悪い二人に業を煮やして言葉を継いだ「ロープだってあるぜ、下まで十分な長さの」
 ナナクサとファニュは顔を見合わせると、それぞれ肯定の頷きをクインに返した。
 闘技場内にいる者は処刑ショーを忘れ去ったかのように、まだ事態の推移を見守っていた。ナナクサ、ファニュ、クインの三人は戦士たちに気づかれないようにそっと移動を開始した。移動は強化セラミックの林にそって行われた。だが彼らの動きは一番近い場所にいた戦士たちにたちどころに察知された。目の前の強化セラミックの林にいる囚人たちは混乱に乗じて闘いを放棄して逃げようとしている。時間貸し処刑(タイム・トライアル)のルールが囚人たちによって破られた以上、誰に(はばか)ることなく罪人を追撃して殺すができる。しかも一体は死にかけのヴァンパイアだ。戦士たちは迫りくる大混乱をよそに我れ先に囚人たちを追って強化セラミックの林に踏み込んでいった。
               *
「やっぱり気づかれちまった!」
「こっちへ!」
 追撃を悟ったファニュは二人を促し、円周上の点から点へ最短距離をとろうと林から抜け出した。しかし三人が強化セラミックの林から広々としたフィールドに出たときには目標の張り出し近くの林からも戦士が抜け出しはじめ、アメフト選手がボールを持ったラインバッカーに殺到するように包囲の輪を縮めていった。三人が嬲り殺されるまで、もうほとんど猶予はなかった。
「冗談じゃねぇぞ、くそ!」
 クインのふた言めの悪態は、石畳の床を激しく揺るがす振動と、もうもうと湧き起った埃と渦巻く雪に遮られた。彼に続いて、その洗礼を受けたナナクサとファニュは、驚いて急停止したクインの背中に勢い余ってぶつかった。三人の目の前にはホムンクルスより巨塊が小山となって聳えていた。闘技場の屋根の一部が三人の前に崩落したのだ。
「助かった!」
 小山を前にした呪縛から、いち早く解き放たれたクインの言葉に頷いたファニュは動こうとしたが動けなかった。彼女が肩を貸しているナナクサが微動だにしなかったためだ。重傷を負ったナナクサでも目の前の小山に登れば張り出しに十分に飛びつけるだろう。ロープさえ投げてもらえれば、自分もクインも脱出することだってできるかもしれない。ファニュは薄れつつある埃がキラキラ輝くのを見て、ナナクサが動かなかった理由、いや動けなかった理由にやっと思い当たった。
 目の前の小山には遥か上方の屋根の大穴から陽光が燦々と降り注いでいたのだ。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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