第27話 絶景

文字数 6,386文字

 ナナクサの安否が知れない以上、下手に騒ぎ立てるのは得策ではない。ここは隠密裏に行動すべきだ、とのジョウシの言葉は、タンゴにとっては、もはや意見や提案ではなく、単なる事実の確認であった。あとは、ただ囚われた仲間を、目の前の城砦都市(カム・アー)からどうやって探し出して救助するかという方法のみが問題だった。
「もっと早く着いてれば、きっと……」
「きっと、事が荒立っておったろうな」と、すぐにジョウシがタンゴの言葉を引き取った。
「でも」
「もう、それは言うまいぞ。謎解きも後回しじゃ」
 タンゴの幾度目かの自責のつぶやきを、人気(ひとけ)が消えた岩の上に胡坐をかいたジョウシがたしなめた。
「わかっちゃいるけど、どうすればいい。こう予想外のことばかりじゃ、上手い考えなんて思い浮かばないよ」
「そうじゃな。さて、どうしたものか」
 両腕を組んで自問するジョウシの目が先ほどから太陽を隠す分厚い雲に。次に何か言いたげに佇むファニュの視線を捉えた。彼女の傍らには若い人間の戦士が油断なく二人のヴァンパイアを監視していた。
「小娘には何か妙案でもあるのか?」
「あるわ」
 空かさず応えたファニュの肘を若い人間の戦士が掴んだ。
「やめてよ、エイブ」
「駄目だ」
 小声ながらも、一瞬たりとも二人のヴァンパイアから眼を離さないエイブの一言がファニュの耳朶(じだ)を打った。
「考えがあるの」
「だから、駄目だ」
「なぜよ」
「危険だからに決まってるだろ」
「あたしがやろうとしてることが、あんたにわかるの?」
「わからない。でも無謀なことをしようとしてるのだけはわかるぞ」
「人生に危険はつきものよ。でも、もしあんたが案内してくれるんなら、そんなに危険じゃないわ」
「やっぱりか!」エイブは思わず声を荒げた。「お前は昔からそうだ。いつも初めから人を当てにする。自分の面倒も見れないくせに」
「エイブ!」そう叫ぶとファニュは大きく息を吸い、自身を落ち着かせようとするかのように言葉のトーンを落とした。「確かに当てにしてるわよ。だって小さい時の記憶しかない、あたしよりあなたの方がここの内情には詳しいだろうから。でもね。あたしは、もう立派な大人よ。あたしの身を案じてくれてるなら、それはだけ心配いらない。自分のことは自分で守れるわ」
「いいや、守れないね」
「いいえ、出来るわ。馬鹿にしないで」
「してない」
「してるじゃない!」
「馬鹿にしてるとすれば、行き当たりばったりだと想像できるお前の考えをだ。そうなんだろ!」
「そうなのかい、ファニュ?」
 図星を指されたファニュは口をつぐみ、口を挟んだタンゴから目をそらせた。
「そんなんで、よく自分を守れるなんて言えたもんだな。しかもだ」
 エイブは油断なく二人のヴァンパイアの若者をちらりと目で示した。
「なに。彼らがどうかしたの。もしかして、あんたは彼らが危険だって思ってる?」
「あぁ、そうだ」
「さっきも紹介したじゃない。彼らは、あたしの仲間。友達なんだって。タンゴなんかは行き倒れてた、あたしを救ってくれたのよ」
「タンゴだけが、お前を助けたのではないがな」間違いを正したジョウシをエイブは指差した。
「特に今しゃべった女だ、危険なのは」
「ジョウシが?」
「お前はヴァンプ……いや、奴らは『争いを好まないし、他人に親切でやさしい』と言ったな。じゃぁ、あの女は何だ。これでもかってほど、あの女から溢れ出てるじゃないか。どう割り引いたって普通じゃない、戦士階級の臭いが」
「戦士階級の臭いがジョウシから?」
「あぁ、そうだ。それも指導的立場の戦士階級独特のやつだ」その言葉に目を剥いたタンゴには目もくれずに、エイブは続けた。「俺だって今じゃ戦士の端くれだ。あの落ち着き。油断ならない目付き。それに自然と人を従わせちまう物ごし。どれをとっても、隠そうったって隠しきれるもんじゃない。そいつは戦士階級のもんだ。なのに『争いは好まないし、やさしい』なんて。お前、よく言えたもんだな」
「さっきから褒められておるのかな、我れは?」
 うんざりした気持ちを声に乗せたジョウシはエイブに視線を向けた。エイブの身体に緊張が走った。
「お前らは危険だ。城塞都市(カム・アー)内に入れるわけにはいかない」
「ならば、一人でここに()ればよかろう。我れらは行く。止めだてするな」
「止めはしないさ。だが残念なことにファニュは隊商に下げ渡された時点で城塞の人間じゃないんだ。上手く騙して手先にしたようだが、彼女はお前らを、城塞都市(カム・アー)内に“招き入れる”資格はない」
「そうか」ジョウシが歯牙にもかけない様子で応じた。
「だからって、俺に『招き入れろ』と脅そうったって無駄だ」エイブは剣の柄を握った。「外の詰所にもある認証板に嘘は通じない。あれは生きた人間の全てを見通すからな。拷問して従わせようとしても感知。操られてたって即座に感知だ。過去にもお前らのように城門の守りを破ろうとしたヴァンパイアがいたらしいが、すべて失敗したんだ。何度やっても同じだ。諦めろ。諦めて、さっさと帰れ……」
 ジョウシはエイブの言うことを最後まで聞くことなく、その頭上を軽く飛び越えると四肢で城門に取り付いた。そして呆気に取られるエイブが見守るうちに、蜘蛛のように手足を動かすと瞬く間に城門の上にたどり着いた。
「絶景かな」
 見たこともない巨大な都市を眺め渡したジョウシは思わず皮肉を洩らした。そして、その姿が城塞内に消えたと同時に、今度はタンゴが口を開いた。彼は既に城門の表面に片手を掛けていた。
「すまないが、君。僕らが帰るまで橇を見ててくれないか、大切な人が乗ってるんだ。さぁ、ファニュ。背中にしっかりつかまって」
「な……なんで入れた?」
 エイブが、やっとのことで、そう言葉を発した頃には、タンゴもその背に負ぶさったファニュも遥か城門の上方に達しようとしていた。
「案内を頼めないんなら、あとはお願いね、エイブ!」
 ファニュの声が大きく谺したかと思う間もなく、二人の姿は城門内に消え去った。エイブに残されたのは音も動きもない銀世界と橇が一台だけ。しかも、その荷台には丁度、人間の大きさに包まれたキャンバスが一つきり横たえられていた。エイブはヴァンパイアの大男が言っていたことを思い出すと、ぶるっと身震いした。そして彼は自分が城門前に取り残された、たった一人の人間であることを思い知らされた。城門前に残った追放者たちは二人のヴァンパイアが乗ってきた部隊長の橇が近づいてきたのを見て、とうの昔に逃げ去っていたからだ。
「確か『大切な人が乗ってる』って言ってたよな、あいつ。でも、どう見たって、あれって死体だよな……間違いないよな。じゃぁ、どっちの死体なんだよ。人間か、それとも……」
 今朝、開門したばかりなので来週まで当番が城門を開けることはない。それまで食いつなごうにも手持ちの食糧すらない。それに、こんな寒々しい場所に得体の知れない死体といるくらいなら、知り合いのファニュと一緒にいた方ずっといいに決まっている。たとえ、その娘がヴァンパイアと一緒だとしても。
 エイブは橇から視線を引き剥がすと城門横に設置された小さな詰所に駆け込んだ。分厚い壁を挟んだ反対側にも、先ほど自分が使ったのと同じ詰所がある。彼はその中に唯一造り付けられている三十センチ四方の黒い認証版に顔を近づけると、吐く息で表面が曇るのも無視して急いで眼紋と顔の毛細血管チェックを行った。そして認証版の真ん中に認証が問題なかった時に現れる微かな緑の光が浮かび上がるのを見ることなく、城門まで急いで取って返した。そして城門に一つだけ造りつけられている小さな覗き窓から力一杯、娘の名前を叫んだ。
「気が変わったの、エイブ?」
 まるで彼を待ち構えていたかのように、すぐさま覗き窓の向こう側にファニュの二つの瞳が現れた。
「待っててくれたのか?」
「そうじゃないけど、あたしが知ってんのは、せいぜい工場区画だけだし、もし案内してくれたら助かるなって、声をかけようとしてたとこだったから」
「そうか」
「さっきは、ごめんね」
「こっちこそ」
「じゃぁ、案内してくれるの、仲間が捕まっていそうなところに?」
「それは……」エイブは躊躇(ちゅうちょ)した。「俺は、ただこんな所で凍えるよりも、早く内へ入りたかっただけだ」
「わかったわ。もう無理に頼まないから安心して。じゃぁ、城門の開け方を教えて」
「待て!」
 射抜くようなエイブの視線がファニュのそれを捉えた。
「一つだけ質問だ」
「なに?」
「あのヴァンパイアどもは本当に安全なのか?」
「もちろんよ!」
「騙されてないか?」
「それはない」ファニュはきっぱりと応えた。「もし騙されてたんなら、今ごろ彼らは大暴れしてるでしょ。あたしも、きっと死んでる」
 エイブの逡巡は、そう長くは続かなかった。
「わかった。お前を信じる。あいつらじゃなく、お前を。いいか、横の詰所に行って認証板……黒い板に顔を近づけろ。緑色の光が見えたら、横にあるレバーを手前に倒せ。一本しかないから、すぐにわかる」
 ファニュが言うとおりにすると、雪と氷の大地を振動させながら城門が再び開き始めた。巨大な城門が開ききると、そこにエイブの姿がぽつんと現れた。さながら白砂糖の大瓶の中で迷った蟻のように。
「さすがエイブだ」
 そう言って笑顔を見せたファニュに続いて「よろしく」と片手を挙げたタンゴに、エイブは小さく頷くと、慎重に彼ら三人に近づいた。その警戒を緩めない視線は彼らの中でも特にジョウシに注がれていた。そんなジョウシから毒舌がジャブのように繰り出された。
「さて、反対に“招き入れられた”気持ちはどうじゃ?」
「ここは俺が住んでる所だ。招かれなくても入る」
「ほう、そうか。じゃが、住んではおっても我らに入れてもろうた事実は揺るぎあるまい。お前は礼の一つも言えぬのか?」
「なんだと?!」
「無礼な上に喧嘩まで売りおるのか?」
「売ってんのは、そっちだろ!」
「争わないで。あたしたち仲間なんだから」
「仲間じゃない!」とヴァンパイアの娘と人間の青年から異口同音に否定の声が飛び出した。
「まぁまぁ」割って入ったタンゴが二人をたしなめた。「いがみ合ってても、お腹が空くだけだよ。二人とも、もっとリラックスしてさ。お互いに礼儀正しくしないかい?」口を開きかけた二人を制してタンゴは粘り強く話し続けた。
「先ず共通点を見つけようよ。共通点があればお互い理解もしやすいし、礼儀正しくもできるだろ?」
 タンゴはファニュに目配せした。ナナクサとの会話を思い出したファニュが、まず口を開いた。
「みんな若い」
「そう」と、タンゴの声。「若いから、いがみ合うことだって時にはある、今の僕らみたいにね。でも、ここにいるのは、みな善人ばかりだ。これも共通だろ?」眉を寄せる二人を見て、タンゴはなおも話の着地点を探る努力を惜しまなかった。「しかもだ。僕ら一人一人は小さくて弱い。だから、お互いに協力し合って問題を乗り越えてく。それしか方法がないからだ。そのために大切なのは悪いと思ったことは素直に謝るってこと。間違いや、行き違いなんて誰にだってあることなんだから。これも間違ってないよね?」
「では」ジョウシがタンゴを見上げた。「お前の説得に応ずるとして、我れは如何(いかが)すれば良いのじゃ、妥協をすれば良いということか?」
「妥協じゃないよ。相互理解さ」
「言葉は使いようじゃな」
 タンゴは、ここまで来る間に培われたジョウシとの新たな絆が(ほころ)びたのではないかと少し心配になった。
「お前らに謝るのは性に合わない」エイブはしぶしぶ口を開いた。「でも、城門を開けてもらったのは事実だ。それについては礼を言う」
 エイブの謝意にタンゴは右手を左胸に軽く当てて頭を垂れると、少しほっとした表情を見せた。彼は隣にいるジョウシの肩に手を置いて次に彼女を促した。その手にはジョウシの毒舌を前もって制するように少し力が入れられていた。ジョウシは子供扱いするなと言わんばかりにタンゴを上目遣いで睨みつけた。しかし彼女の言葉はタンゴの心配とは無縁のものだった。
「無断で、お前の住処(すみか)に入ったは大人気(おとなげ)なき所業であった。我も謝罪しよう」
「あたしも」慌ててファニュが続き、タンゴも「僕もだ」と続いた。
「まぁ、お互い様だな」
 エイブが少し砕けた物言いをしたので、釣られるように他の三人の口も滑らかになった。
「これで少しは距離が縮まったみたいだ」
「さっき、タンゴが言ってた相互理解の第一歩ってとこだね」
 タンゴの言葉をファニュが嬉しそうに引き取った。
「しかし、礼儀を重んずる我れらとしては無断で他人の在所に入りこむなど、あまり気分が良いものではなかったがな」
「確かにそうだ」と、タンゴ。
「だったら、入ればいい……って言っても、もう入ってるか」
 きょとんとした表情を見せた三人にエイブは言葉を継いだ。
「だから、入ればいいんだよ。歓迎するとまでは言わないけど、招待するよ、あんたらヴァンパイアを」
               *
 二組の若い男女は何が起こったのか、わからなかった。突然の疾風が彼ら全員をその場に薙ぎ倒し、あまつさえ一人の人間の背中を断ち割ったのだ。雪上が鮮血に染まっていくのを見てファニュが。次にタンゴとジョウシが血溜まりの中のエイブに駆け寄った。
「エイブ……」
 ファニュは横たわるエイブに恐る恐る声をかけた。エイブの甲冑には大きな裂け目が開いており、今もそこから血が流れ続けていた。
「くそ痛ぇな……」
 エイブは痛みに顔を歪めた。分厚い甲冑がなければ即死していたところだが手当てが必要な重傷であることに違いはなかった。
「あまり喋っちゃいけない」
 タンゴはそう言うと、血の微粒子を吸い込まないように気をつけながら、慎重に甲冑を外しにかかった。ジョウシも息を止め、自らの遮光マントの裾を数本も裂いたものを一本に結び直すと、タンゴと二人で怪我人の背中と胴をぐるぐる巻きにし、固く結んで応急処置を行った。
「やっぱ、お前らと関わるのを止めときゃよかった」エイブは息を(あえ)がせた。「何が『ヴァンパイアは争いを好まないし、他人に親切でやさしい』だ」
「我らは何もしてはおらぬぞよ」
「じゃぁ、何がエイブを?……」
「考えるのは後でいいよ。とにかく、このままじゃ駄目だ。傷を何とかしなきゃ!」
 タンゴの一言が当惑した二人の娘を正気づかせた。
「よし」ジョウシの決断は早かった。「建物の中へ運び込むぞ」
「建物の中?……」
「ここでは何もできまい」
「わかったわ。でも、いったいどの建物?!」
何処(どこ)でも良い。ここは、お前たちの方が詳しかろう」
「そうだ。あたしが住んでた工場区画の休息棟がいいわ。あそこなら縫う道具だってあるし」
道行(みちゆき)は案内できるか?」
「できるけど、ここから遠いわ」
「そうだ。橇がある」
 ジョウシに頷いたタンゴは橇が置かれた城門の外に走っていった。しかし橇に辿り着いたタンゴは、それを見て凍りついた。橇を催促するジョウシとファニュの怒号を何度となく背中に受けても何も聞こえないかのように。
「いったい、どうなってるんだ?……」
 橇の荷台に安置されていたはずのチョウヨウの遺体が、彼女が包まれていたキャンバスだけを残して跡形もなく消え去っていた。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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