第35話 処刑

文字数 11,063文字

 フィールド直径百二十メートル強。床面積は一・六ヘクタールにもなる巨大な円形闘技場は、緊急解凍された三千二百人を越える男女戦士の喧騒と熱気を包み込んで、はち切れんばかりの興奮に支配されていた。彼らは氷河期後の世界を担う先兵として、成人してすぐに保存液槽(プール)内で冷凍保存(プール)されていたのだが、ヴァンパイア危機(クライシス)の名の下に、第一指導者(ヘル・シング)によって目覚めさせられた者たちだった。その彼らが詰め込まれた円形闘技場は過去に存在したそれとは根本的に違った造りをしていた。観衆はフィールドの壁に沿って立ち、闘う者の目線で血なまぐさいショーを楽しむために観客席というもの自体が存在しなかった。その特殊な造りは、時にお調子者たちの飛び入り参加を容易にする。ただ飛び入りの殆どは、その命をもって観衆の破壊と流血の渇望を、より一層満足させることになる。また闘技場の壁面の高い位置には鏡面処理を施された一辺五メートル四方のモニターが円周上に埋め込まれ、遠い辺塞にもショーの様子が届けられてもいた。だが今は電源が落とされており、画面はそこに映りこんだフィールドと観衆の姿を迷宮のように幾重にも写し込んでいた。
 突如、壁面の合い間に設置されている張り出しから銅鑼(どら)が一斉に打ち鳴らされた。訪れた束の間の静寂。東西南北に設けられた四つの大扉のうち、西側のそれが軋んだ音を立てて左右にゆっくりと開かれた。そして奥の暗がりから三人の罪人が引き出されると、闘技場内は再び興奮の坩堝(るつぼ)と化した。喧騒の中、天窓の明かり取りから差し込む太陽光では足らないとばかりに闘技場の発光パネルが光度を上げ、フィールド全体を徐々に明るく照らしだしはじめた。続いて巨大なモニター群が様々な戦士たちの顔を大映しにしてみせた。モニターには所どころ鏡面のままのものもあったが、全モニターの四分の三にもわたって映し出された多くの顔は、どれも遠く点在する小規模な辺塞指導者のもので、闘技場に集った戦士たちに劣らず、試合とは名ばかりの公開処刑を残忍な笑みを浮かべて心待ちにしていた。
 闘技場が明かりに満たされると、また銅鑼(どら)が打ち鳴らされた。それを合図に手鎖を施されたナナクサ、ファニュ、クインの三人は、十二人からなる門衛の一団に引き立てられ、爆発寸前にまで高まった闘技場内の敵意と期待と興奮を刺激しながら、見世物として外周を引き回された。戦士たちの目前を歩かされる間、ファニュは内面の怒りをその両目にたぎらせながらも無表情を貫き、自分に何が起こるか予測のついているクインは諦めの表情を隠そうともしなかった。そしてナナクサは苦しそうに咳き込み、四肢の所々にできた火膨れを庇いながら歩を進めていた。なぜナナクサがそんな状態になったのか、ファニュには皆目わからなかった。闘技場に引き出される少し前、突如、ナナクサは悲鳴を上げてフィールドに続く暗い廊下を転げまわり、門衛に引き立てられた時には、透き通るように艶やかだった肌は熱傷を負った状態になっていたのだ。ファニュにとって、これはまったく理解しがたい出来事だったが、当のナナクサ自身の当惑した表情も、ファニュに向かって同じ思いであると告げていた。
 罪人のお披露目が一通り終わると、三人はフィールドの中心に引き据えられて、門衛たちによって慎重に手鎖が外された。場内の興奮は臨界に達しようとしていた。それを察したかのように、銅鑼(どら)がうち鳴らされ、いよいよ第一指導者(ヘル・シング)がその威容を三人の前に現した。他の戦士よりひときわ大きく、自信に溢れた顔に大きな刃物傷を負った男。罪人が引き出されたのとは反対側の東の大扉からフィールドに入場した彼は自分の役割を十分に心得ており、またその役割を大いに楽しんでもいた。彼はゆったりと罪人たちに近づいていった。その一歩ごとに観衆は息を呑み、次の一挙手一投足を静かに見守った。やがて罪人たちの五メートルほど手前で立ち止まった彼は、両手を広げて大袈裟にぐるりと観衆を見渡すと、自分に向けられた畏怖と期待の大きさに最高の満足を覚えた。第一指導者(ヘル・シング)の顔に凄味のある笑みが広がった。
「今からヴァンパイアの処刑を執り行う!」第一指導者(ヘル・シング)の響き渡る声に割れんばかりの歓声が降り注いだ。彼は聴衆が静まるのを辛抱強く待ってから言葉を継いだ。「しかし、我らは誇り高き戦士だ。よって、この砦に闘いを挑んできた勇気に免じて“時貸し(タイム・トライアル)”を行う。時間いっぱい生き残れたら、我ら人間の寛大さを示してやろうではないか!」
 不平の大合唱が渦巻く中、彼は人の大きさはあろうかという砂時計を二人の戦士に運ばせると、手にしていた三本角の奇妙な兜を深々と頭に被り、「人造強兵(ホムンクルス)!」と、広大な空間に響き渡るほど大声を張りあげた。その宣言とも命令とも取れる声に、大きな歓声が被さった。すると北の大扉が内側から勢いよく弾き開けられ、その左右にいた数名の戦士があっという間に巻き添えになって薙ぎ倒された。悲鳴と怒号が加わった歓声の三重奏を背景に、開かれた大扉から巨大な異形が姿を現した。
 かつては瓶の中の小人を意味したホムンクルスという名を持ったこの異形は、まさに人間離れした怪物。見ようによっては戯画化された神話上のケンタウロス。いや、究極の力を求めた末に辿り着いた人間の醜い内面そのものだった。人造強兵(ホムンクルス)の体長は、その皮肉な名とは裏腹に六メートルはあり、体高も三メートルを優に超えていた。そしてマウンテンゴリラのように引き締まった巨体には体毛が一切なく、肌色をした分厚い皮膚の下には太い筋肉繊維の束が所狭しと詰め込まれていた。特に、その巨体を支える二本の太い脚は力強く、鋭い爪のついた四本腕のうち、下の二本を補助脚として、四本の四肢を使ってどんな場所でも猛スピードで走り回ることができた。また筋肉で盛り上がった両肩に埋まるように乗った頭は犬歯だけで構成された凶暴な口蓋を持ち、頭を巡らさなくても三百六十度すべてが見渡せるように頭蓋に沿って四つの目玉が鉢巻状に配置されていた。
 巨獣に挑む三人の若者。ショーという名の悪趣味な出来レースは今にも始まろうとしていた。
「ファニュ、大丈夫?」
「えぇ、たぶん」
 ファニュは応えながら、ナナクサのしわがれた声から、ヴァンパイアの治癒力をもってしても、完全回復には、まだ時間がかかるに違いないと思った。
「なにが『たぶん』だ、この小娘が」
 内心の恐怖を少しでも拭おうと、クインがファニュに毒づいた。
「喋れるのなら、あなたも大丈夫ね」ナナクサが割って入った。「少し聞きたいことがあります」
「なんだ?」とクイン。
「あそこにいる」ナナクサは人造強兵(ホムンクルス)に視線を転じた。「大きくて恐ろしそうなのは、いったい何ですか?」
 ナナクサは太った巨大なカマキリと(いびつ)なケンタウロスの中間のような生物から、ひと時も目を離さずに答えを求めた。
「特別な人工子宮(ホーリー・カプセル)で造られた人造強兵(ホムンクルス)っていう究極の戦士だ。檻に入れられてるとこを見ただけだが、半端なく凶暴だった」
「それだけ?」
「『それだけ』ってどういうこった? 三十人や四十人の戦士が束になっても(かな)いっこねえほどヤバいのは見ればわかんだろ」
「他に情報は?」
「ねぇよ」
「本当に?」
「はぁ?」クインは顔を歪めた。
「わかりました」
「なんだぁ。この期に及んで喧嘩売ってんのか、このアマぁ」
「ありがとう、充分です」素っ気なく礼を言うと、次にナナクサは少女を見た。「私を信じれる、ファニュ?」
「もちろんよ」ファニュは即答した。
「じゃぁ、私の言うとおりに動くのよ。わたしがアレと闘うわ」
「馬鹿なこと言わないで。その身体じゃ」
「わかってる。時間がないのよ」ナナクサは人造強兵(ホムンクルス)を見た。
「おい。ほんとにアレと闘おうってのか? 時貸し(タイムトライアル)だって聞いたろ。もし分かんなきゃ、教えてやる。人造強兵(ホムンクルス)から逃げ回れば放免されるんだ。たったの三十分間だ……って言っでも、そんなこたぁ無理に決まってるがな」
「えぇ、三人とも逃げ切れるとは思わない」クインの言葉に応じたナナクサの声は冷ややかだった。「それに、もし時間いっぱい逃げ切れたとしても、あの指導者が約束を守るとは思えない」
「そんな馬鹿なことがあるかよ!」
「いいえ。運よく誰か生き残れても、ここにいる戦士たちが黙ってないんじゃない?」
 クインは不安そうにフィールドをびっしり取り巻く戦士たちに視線を巡らせた。
「だから、アレと闘うしかないのね?」ファニュは納得したように頷いた。
「それしかないわ。アレを(たお)せば戦士の中に間隙もできるはず。それに賭ける」
「無理だ。相手は人造強兵(ホムンクルス)だぞ。無理だ、きっと死んじまう」
「なら死になさい」
 事もなげに死ねと相手を突き放した言動に最も驚いたのは、クインやファニュではなく、それを言った当のナナクサ本人だった。始祖との出会いがそうさせたのか、人間からの度重なる抑圧によってそうなったのかは定かではなかった。しかし、ここにきて彼女の内面は確実に変化していた。もちろん楽しむために殺すのではない。自らを守るために仕方なく(たお)すのだ。仲間のために闘うのだ。それは充分すぎるほどわかっていた。でも敵に対峙する理由は本当にそれだけなのか……湧き上がる理不尽な運命への怒り……強大な他者を征服してみたいという好奇心……それとも力への単純な憧れ……いえ、どれも絶対に違う。今は考えてる場合じゃない。それに一度、力を認めさせれば、今後はヴァンパイアが無暗に襲われることもなくなるかもしれない。望みはそれだ。ナナクサは雑念を振り払うとファニュとクインに二言三言、小声で指示を与え、敵が動く前に素早く行動を起こした。癒えきっていないとはいえ、ヴァンパイアの血はナナクサが決意を固めた瞬間に狩人の本能を目覚めさせ、その身体全体を臨戦モードに切り替えていた。
 ナナクサはファニュとクインに西の大扉へ向けて全力疾走させ、自身は北の大扉前の人造強兵(ホムンクルス)に向けて駆けだした。
 大歓声が闘技場を震わせた。
 自分の合図で三人が(なぶ)り殺されるものと高を括っていた第一指導者(ヘル・シング)は、不意を突いた罪人たちの動きに腹を立てて、人造強兵(ホムンクルス)に即座に戦闘開始の指令を与えた。異形への指令は彼の銅鑼声で発せられたように見えるが、実際は三本角の兜の中の回路を通じて、増幅された彼の脳波が人造強兵(ホムンクルス)の脳に伝わり、その強大な破壊本能を解き放つようにできていたのだ。闘う自由を与えられた巨獣はフィールドの空気をビリビリ振るわす雄叫びを上げると、自分に走り寄ってきたナナクサを仕留めようと巨腕を横殴りに繰り出した。しかしナナクサは頭を下げて紙一重でその一撃をすり抜けると敵の懐深くに滑り込み、敵の強靭で短い両脚の間から素早く背後に躍りでた。そして脇目も振らずにフィールドの外周を時計回りに駆け抜けた。彼女は巨獣の両脚の間に滑り込んだとき、鋭く伸ばした右手の爪で無防備な腹と内太腿を力一杯に切り裂いてやったので、腹を立てた相手が追ってくるのを微塵も疑わなかった。ナナクサが考えた通り、人造強兵(ホムンクルス)はその巨体からは想像もできないほど機敏に方向を変えると、怒り狂って彼女を追いはじめた。ナナクサは湧き上がる焦りを感じていた。彼女の第一撃は相手に致命傷を与えられないにせよ、少しでも傷つけ、(ひる)ませることができればと考えてのことだったが、その攻撃は分厚い皮膚の下の筋肉をほんの少し引っ掻いたにすぎなかったからだ。彼女は自分の右手の爪が全て折れた感触でそれを悟ったのだ。
 ナナクサは走りながら頸をすくめたり、細かなステップを踏んだりして真後ろまで迫った巨腕の攻撃を避け続けた。巨腕がかすめて一度ならずも身体が横に流れることもあったが、彼女はすばしこいサッカー選手のように敵を翻弄した。そして南の大扉前の戦士たちが危険を察知する前に、その目前で走るスピードを上げると、ヴァンパイアの跳躍力を見せた。大扉前にいた戦士たちは、ナナクサのすぐ後ろからダンプカー並みの質量が自分たちめがけて突進してくるのに気づいたときは既に手遅れだった。数名の戦士が闘技場の壁と人造強兵(ホムンクルス)の巨体に挟まれ、大きな風船が弾けるような鈍い音を立てて即死した。身体を石造りの壁から引き剥がした巨獣は、一声吼えると見失った標的を捜し求めた。標的は巨大な顔を映しだす鏡面モニターの遙か上方に据えつけられた碁盤状の発光パネルの間に左手だけを引っ掛けてフィールドを見下ろしていた。巨獣はその巨体を何度も跳躍させて上方にぶら下がるナナクサを捕らえようともがいたが、重すぎる身体ではどうすることもできないので、お預けを喰らった犬のように唸り声を上げながらイライラとその場を回り続けた。
「戻れ、この馬鹿者!」
 その醜態を見た第一指導者(ヘル・シング)の叫びは怒りとなって人造強兵(ホムンクルス)の脳を打った。脳波で繋がった巨獣は犬笛で呼び戻されたように、すぐさま主人に向けて走り出した。そして兜を被った彼の真横を轟然と駆け抜けると、今度は別の目標を追い始めた。ファニュとクインは自分たちに迫る脅威に一瞬、目を走らせたが、壁際にいる観衆に紛れ込もうと、潜り込めそうな場所を、まだ探し回っている最中だった。二人はナナクサの指示通り、戦士たちを巨獣との闘いに巻き込むことで混戦状態を作り出し、そこに活路を見出そうとしたのだ。
 彼らの意図を察した第一指導者(ヘル・シング)が、「ハードル!」と叫んだ。再び歓声が上がり、戦士たちの前の円周上に幅五メートルにわたる様々な直径、様々な高さを持つ強化セラミックの円柱が無数に床からせり上がってきた。ファニュとクインの前に立ち塞がった灰色の石の林。二人にとって自由に動ける面積は格段に狭くなった。
「どうする、小娘?!」
「わかんないよ!」
 石畳の分厚い床から伝わる振動が徐々に大きくなってくる。結局、二人は本能に従った。障害物の中なら多少は時間が稼げる。ただ闇雲に戦士たちを巻き込んで混戦に持ち込むよりも、こちらの方がまだ人造強兵(ホムンクルス)から逃げ切れる可能性が少しは高い。二人が円柱の林に飛び込む瞬間、石の床に巨大な影が覆い被さった。思わず後ろを振り仰いだ二人の瞳に牙を剥いた巨体が映った。とっさにその場に伏せた彼らの真上を巨獣の身体が飛んだ。着地の衝撃音とともに数本の細い円柱が根元から折れ崩れた。薙ぎ倒された円柱の中で咆哮をあげてのたうつ巨獣の姿が見える。攻撃をなんとか逃げ延びた二人は飛び起きると、なるべく太くて長い強化セラミックが密集する所を探して素早く分け入った。
「運がよかった!」
「運だけじゃないよ」
 ヴァンパイアの仲間たちと修羅場を潜り抜けた経験を持つファニュは、自然と身についた鋭い観察眼で敵の小さな後頭部に槍が突き刺さっているのを確認した。それは人造強兵(ホムンクルス)の巨体からすると爪楊枝のように小さく細いものに見えたが、四つある目のうちの一つ、後頭部に位置するそれを確実に射抜いていた。先ほど巨獣の激突で絶命した戦士たちの武器を使ったナナクサのみごとな遠投がもたらした結果だった。彼女は巨獣がファニュとクインを目標にしたのを見るや否やフィールドに飛び降り、死んだ戦士の一人から回収した二本の槍と刀を左脇に抱えると、周りがそれと気づく前に駆け出していた。そして十メートルを超える跳躍の頂点で狙い澄ました一撃を放ったのだ。
 傷ついた人造強兵(ホムンクルス)第一指導者(ヘル・シング)の脳波コントロールを外れた。そうさせたのは戦闘のみに特化された生物独特の本能的な怒りだった。巨獣は二投目の槍を弾き落とすと、強化セラミックの林に逃げ込んだ獲物には目もくれず、ナナクサに咆哮した。ナナクサはナナクサで次の目標に斬撃を見舞っていた。巨獣に気を取られている第一指導者(ヘル・シング)だ。だが彼は戦士の中の戦士だった。自分に走り寄ったナナクサの攻撃を敏感に察知した彼はそれを難なく受け流し、素早く剣を抜くと膂力(りょりょく)に任せて横に薙ぎ払って襲撃者の左腕を深く斬り裂いたのだ。傷を負ったナナクサは第一指導者(ヘル・シング)をやり過ごすと再び東へ向けて駆け出した。それを追って巨獣の再突撃が始まった。東の大扉まで走ったナナクサは一番高い円柱に飛び乗ると、それを足ががりに跳躍すると頭上から巨獣を攻撃しようとした。だが彼女の攻撃は思わぬ敵に阻まれた。天井の明り取りから差し込んだ陽光が、その肢体を焼いたのだ。身体から吹き上がった炎と激痛はすぐに消えたが、バランスを崩したナナクサは、そのまま七メートルを落下して石造りの床に叩きつけられた。唯一、幸いだったのは彼女の身体から噴き出した炎に目を奪われた巨獣が、一瞬とはいえ戦意を喪失したことだった。
「こっちだ。こっちに来てみろ!」
 その時、ファニュの叫びがフィールドの遙か反対方向に響いた。彼女はセラミックの林から抜け出ると、届かないことは承知で拾い上げた強化セラミックの破片を投げつけ、人造強兵(ホムンクルス)を挑発した。我に返った巨獣はファニュに威嚇の咆哮を上げたが、すぐに外野を無視して倒れた獲物に止めを刺すべく下を向いた。だが、そこには何もなかった。巨獣が怒りの咆哮を上げた。それと同時に闘技場内にも罵声と歓声が戻った。ナナクサが墜落の衝撃に耐えながらファニュのいる石の林へ足を引きずりながらも移動していたからだ。しかしホムンクルスはすぐに追いつき、彼女を(なぶ)るようにその巨腕を縦横無尽に振るい始めた。二度三度と空を切っていた巨腕が遂に獲物を捉えた。鈍く重い音がした。すくい上げるように放たれた一撃がナナクサに炸裂して、その身体を二十メートルほど前方に弾き飛ばした。どっと歓声が沸きあがる中、ファニュの背中を冷たい汗が伝った。
()られちまったぞ」と、クインが(うめ)いた。
「ナナクサー!」
 倒れたナナクサの頭がわずかに動いた。人造強兵(ホムンクルス)は勝利の雄叫びをあげると悠々と獲物に近づいていった。
「くそッ、くそッ、くそッ!」
 クインは突如、強化セラミックの破片を拾い上げると石の林の外に走り出て、ファニュがしたのと同じように巨獣を挑発し始めた。
「こっちに来てみやがれ、デカぶつ野郎!」
 破片が無くなると、また駆け戻って破片を掴み、届かないながらも投げつけ続けた。
「おい。まだ生きてんなら闘えよ、このヴァンパイア女!」クインは遠くの砂時計を指差した。
「おい、小娘。お前も時間稼ぎぐらいしたらどうなんだ。でないと、次は俺たちが殺られちまうんだぞ!」
 クインの声にファニュも破片に飛びついた。
「この出来損ない。あんたの相手はこっちだよ!」
 人造強兵(ホムンクルス)はそんな二人には目もくれずにナナクサに迫ると虫を潰すように大きく振りかぶった巨大な掌を彼女に叩きつけた。衝撃で重い石畳が振動して小さな破片が幾つも跳ね飛んだ。しかし跳ね飛んだ中にはナナクサが一閃した刀で切り落した巨腕についている四本の指も混じっていた。ナナクサは斬撃で折れた刀を支えに立ち上がると、痛みに猛り立つ巨獣を尻目にファニュとクインの待つ林に向かって走りだした。敵の指と引き換えに左肘から先を失ったナナクサは、その痛みを無視して大声でファニュに指示を出したが鳴り止まない歓声にかき消された。それでもナナクサは伝わることを信じて右手に持った折れた刀でゼスチャーを交えて仲間に叫び続けた。
 セラミックの林の外ではナナクサの意図を察したファニュがクインを促して林の中に駆け戻った。そして仲間の意図した準備に取り掛かった。二人のの動きを確認したナナクサはゴールまでの最後の十数メートルを駆け終わって合流を果たすと、言葉を掛けることなく、決意を秘めた視線で二人に頷きかけた。ファニュも無くなったナナクサの左肘をちらりと見ただけで口を開かなかった。巨獣が痛みと怒りの咆哮を発した。
「私はここよ!」ナナクサは第一指導者(ヘル・シング)を睨み据えた。「さぁ、そいつに命令なさい。ヴァンパイアを倒せと!」
 ナナクサの宣言を耳にした観衆から罵声の輪が広がった。ナナクサは戦士たちを睨みつけると再び口を開いた。
「でも私が怖いのなら、すぐに解放なさい。そうすれば、これまでの蛮行も許してあげるわ!」
 第一指導者(ヘル・シング)の怒りの歯ぎしりがナナクサにも聞こえてきそうだった。もし何らかの意図が隠されていたとしても、ヴァンパイアからの挑戦を無視する姿を戦士たちに見せるわけにはいかいかない。
人造強兵(ホムンクルス)!」
 怒りの脳波を受けた巨獣が向かってくる遙か後方から、第一指導者(ヘル・シング)も剣を振りかざして突進してきた。
 ナナクサは刀を手放した。次いで、右肩にズシリとした重みを感じた。彼女は満身創痍の状態でその場に立ち尽くして敵を待ち受けた。ついさっき指を切り落された巨獣は巨腕を振るうことで同じ間違いを冒す危険を本能的に回避するはずだ。そうなると武器はスピードの乗った巨体の体当たりだろう。ナナクサは内面から沸きあがる研ぎ澄まされた狩人の感覚を信じた。
 咆哮を発した人造強兵(ホムンクルス)が目前にに迫ったとき、ナナクサは勝負に出た。彼女は片膝立ちに身を沈めると同時に、右肩に載せた折れた強化セラミックの柱を右手で一気に引き起こしたのだ。もちろんナナクサ自身も敵が衝突した衝撃で林の中に弾き飛ばされたが、彼女がさし上げた強化セラミック柱はホムンクルスの強靭な皮膚と筋肉を突き破り、胸から背中にかけて直径十センチの大穴を穿った。巨獣は赤く染まったセラミックの柱を身体に生やしたまま、横ざまにどっと倒れた。倒れた敵は獲物を追うことも忘れ、指が残った三本の腕で刺さった柱を掴んで引く抜こうと必死にもがいた。一番最初に動いたのはファニュだった。彼女はナナクサが手放した折れた刀を拾い上げると巨獣に向かった。クインも手頃な大きさの強化セラミックの破片を両手で掴むとファニュに倣った。巨獣は自分めがけて大きな破片を振り下ろそうとする敵を威嚇するように二本の巨腕を振り回した。しかし槍で潰された目の死角から迫ったファニュに首の付け根にあたる後頭部を深く刺し貫かれた。敵が悲鳴にも似た咆哮を発して巨腕を振り回して抗ったが、ファニュは刀の柄に渾身の力を入れて、その脳幹を二度三度と抉って巨獣を沈黙させた。
 大きく息をついたファニュが刀を引き抜いて顔を上げるとクインと目が合った。しかし彼の目は安心とは程遠いほど大きく見開かれて、彼女の後ろを凍りついたように凝視していた。ファニュが身構えるのと強化セラミックが人体にぶつかる鈍い音がしたのは、ほぼ同時だった。振り向くと、大きな剣を取り落として手首を抑える第一指導者(ヘル・シング)の姿が目に飛び込んだ。ファニュは人造強兵(ホムンクルス)の後から彼が迫っていたことをやっと思い出した。
 第一指導者(ヘル・シング)が取り落とした剣を慌てて拾い上げ、その喉元に素早く突き付けたクインの姿に巨大な円形闘技場は水を打ったように静まり返った。
「さぁ、あなたの負けよ」
 人造強兵(ホムンクルス)の死体の向こうに佇むナナクサの毅然とした声だった。彼女は第一指導者(ヘル・シング)の手の甲に投げつけたものと、さほど変わらない大きさの第二の破片を右手に握っていた。
「私たちを今すぐ解放なさい、さもないと」
 クインが持つ剣の切っ先が第一指導者(ヘル・シング)の喉の皮膚を破り、血が一筋流れた。
「さぁ、早くなさい」
               *
 形勢が三人に傾いたと、そこにいる誰もが感じた直後にそれは起こった。
 フィールドにある北と東の大扉が突然開き、それぞれから新たな人造強兵(ホムンクルス)が現れた。その光景に誰もが息をのんだ。第一指導者(ヘル・シング)はその隙を逃さず、喉元の剣を払い除けると第二の剣を腰のベルトから引き抜いた。しかし彼の獲物たちの反応も早かった。彼らは第一指導者(ヘル・シング)が自分たちの(くびき)から逃れた途端、逆撃を予想してすぐさま彼から飛び離れて間合いをとった。
人造強兵(ホムンクルス)どもよ。ヴァンパイアどもを滅ぼせ!」
 第一指導者(ヘル・シング)の叫びを大きな歓声が包み込んだ、だが、彼は怒りを隠そうともせず、その視線を張り出しの一つに向けた。思った通り、そこには冷ややかな眼差しをたたえたレン補佐長の姿があった。彼は自分が窮地を救われた事実より、部下の差し出がましさに強い怒りを覚える人物だった。しかし、当の補佐長は彼がそう思うであろうことは百も承知であった。そして出過ぎた真似の処遇は無残な死しかありえないことも十分に看破していた。それゆえに、すべての人造兵器を、この機会に敢えて解き放ったのだ。それを造った第一指導者(ヘル・シング)ごと処分するために。
 本来、人造強兵(ホムンクルス)第一指導者(ヘル・シング)でない者が使うのは何人といえど禁忌(タブー)であったし、今までも決してなかったことだ。しかし、レン補佐長にその禁忌(タブー)を破らせたのは、自分の仕える第一指導者(ヘル・シング)が話に聞く歴代の指導者たちと違って人類最大の英雄を夢見た矯正不能な誇大妄想狂だったからに他ならない。彼は一世代に一体しか許されない人造強兵(ホムンクルス)を四体も製造し、あまつさえ非常時になる遥か以前に人工子宮(ホーリー・カプセル)から出して飼育していたのだ。子宮から出された強兵は日増しにその力が強くなり、自我も形成されていくため、制御が難くなる。下手をするとヴァンパイア以上に厄介な存在であり、城塞都市(カム・アー)が大被害を受ける可能性もあったのだ。それに肥大化した己の承認欲求を満たすため、残ったすべての戦士を緊急解凍した件もある。だがヴァンパイアの侵攻を受けた今は、それも僥倖(ぎょうこう)というものだろう。
「どちらが残っても問題はあるまい。まぁ、共倒れてくれるのが一番だが……さて、念には念を入れておくとしようか」
 獲物に突進してゆく人造強兵(ホムンクルス)の姿を確認したレン補佐長は、最後までショーを見届けることなく退席すると、自分の計画を続行すべく、闘技場の外周を巡るように設置された屋内螺旋廊下を階上へと進んでいった。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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