第6話 仲間のために
文字数 9,121文字
「誰が悪いのでもない」
月並みなジョウシの言葉に、タンゴの横にひざまずいて彼の手を握るミソカが言葉もなく顔を上げた。ピンク色の涙に染まった視線はジョウシに注がれているはずなのに、なぜかジョウシの後ろに佇む自分が注視され、責められているかのように感じて、ナナクサは目を伏せて、彼女の視線から逃れた。
ミソカは仲間たちの顔に懇願の視線を投げ掛けた。だが誰も動かなかった。実際は何もできることがなく動けなかったのだ。助けを求めるようなミソカの視線を受けとめたジョウシは意を決して、うなだれているナナクサの肘をつかんで一緒にその場から離れた。皆に声が届かないところまで離れるとジョウシはナナクサの手の中に銀製のナイフをそっと滑り込ませた。その冷たい重みが意味するものに、ナナクサの手は小刻みに震えだした。
「このままではタンゴは苦しみ続けるぞよ」
その声には思いやりが滲んではいたが、ナナクサの心は反発していた。だが反発しながらも「私には出来ない」という言葉だけは何とか飲み込んだ。もし声に出してしまったら、本当にできなくなるとわかっていたからだ。だから、ただ一言、消え入るように「わかってるわ」とだけ応えた。しかし、決心したからといって簡単に行動に移せるわけはない。タンゴは同じ村で生まれ、子供の頃から百年近くも姉弟のように一緒に成長してきた幼馴染みなのだ。だが、薬師 の見習いとして、タンゴの状態を診て彼の命が一日どころか半日すらも保たないかもしれないという事実も痛いほど理解していた。幼馴染みの自分が楽にしてやるしかない。
目を上げると、目の前にチョウヨウが立っていた。ナナクサは何も言わず、再び幼馴染みの命を奪う道具に目を落とし、そして決然と顔を上げた。だが、次の瞬間、銀製のナイフはナナクサの手から消え、少し離れた氷の上に深々と突き立った。チョウヨウが叩き落としたのだ。
「諦めるな、ナナクサ」
搾り出すようなチョウヨウの声だった。
「でも……でもね……」
「事故現場に御力水 があるかもしれない。あたいが探してくる」
そう言うとチョウヨウはナナクサの両肩をつかみ、その漆黒の瞳を凝視した。
彼女が言う御力水 は飛行船 には必ず装備されているといわれている、村では絶対に手に入らない強力な万能治療薬だ。だが。
「あの事故だもの。あったとしても、もう……」
「そんなことはない」
ナナクサは自分を鼓舞するチョウヨウの両手をもぎ離すと吐き捨てるように言い放った。
「たとえあっても、収納容器からどうやって出すの。出し方だって船員じゃないからわからない。それに……それに、あっても助からないかもしれない」
「弱気になるな。頼むから弱気にならないでくれ、ナナクサ」
「でも……」
「お前は、瞳の中に星を飼う者だ。すべてを手にする者だ。なっ、そうだろ!」
チョウヨウが骨も砕けるほどの強さでナナクサの両肩を再び握った。ナナクサはチョウヨウの目が潤んでいることに初めて気がついた。しかし彼女の目は潤みながらもナナクサをきっと見据え、万が一の可能性を信じて疑わない力を投げかけていた。彼女は前を向き、自分は限りなく消極的に後ろを向いて進もうとしていたことに初めて気がついた。ナナクサの心に小さな火が灯った。決意の灯火だった。今やるべきことは、タンゴを楽にしてやることじゃない。どんなことをしてでも助けてやることだ、ほんの少しでも希望があるのなら、可能性に賭けてみることだ。
「わかった」
ナナクサが自分自身も驚くくらい大きな声でそう応じると、チョウヨウの両手が離れた。ナナクサは仲間に呼びかけた。いや呼びかけたというより自分の心を鞭打つために宣言したという方が、この際は正しいかもしれない。
「私、今から事故現場に行く。船に積まれた御力水 を探しに。破損したり、無くなってなければ、タンゴにもチャンスがあるかもしれない。いえ、きっとあるはず!」
みな何も言わなかった。ナナクサは続けた。
「だから私は行く」
吹きすさぶ風にナナクサの薄墨色の髪が逆巻いた。
「わかった」タナバタがようやく口を開いた。「じゃぁ、ぼくがタンゴに付いていよう」
「いえ。御力水を探す薬師 の目は多い方がいい」ナナクサは仲間の一人に視線を転じた。「チョウヨウ。あなたはタンゴに付いていてあげて、お願い」
行くと言い張るかと思ったが、チョウヨウはあっさりと頷いた。その代わりにミソカが一緒に行くと言い出した。決して足手まといにならないと言う彼女の幼馴染みを思う決心は揺るぎそうになかった。残ったジョウシも名乗りをあげた。ここにいても何も出来ないという理由だったが、ミソカに助けが必要だからというのが本音で申し出てくれたのだろう。ミソカも薄々それと気付いていたようだが、特段に気分を害する様子はなかった。もっとも気分を害そうがそうでなかろうが、今のミソカは決して後へは引かないように思えた。人選は終わった。
「じゃぁ、行ってくるぜ」
ジンジツを先頭に彼の合図で仲間は氷の上に溜まった粉雪を蹴立てながら、所々、氷が裂けて海水の浅い水溜りができた所を避けつつ、懸命に駆け続けた。彼らは事故現場までの道のりを、ひたすら駆け抜けた。
*
事故現場は地獄だった。
巨大な炎から噴き出される熱気と黒煙は五人の若者を寄せ付けまいと未だに居座り続けていた。そして見渡す限り散乱しているねじ曲がった大きな構造材や金属の破片は、手分けをして生存者を捜す彼らの捜索を阻みつづけた。
「おぉい。そっちはどうだ?!」
捜索から四十分余り、時々起こる小爆発にかき消されながらもジンジツの銅鑼 声は仲間に成果を尋ねる。その左側では火勢を避けながら進むナナクサが首を横に振り、ミソカとはぐれたジョウシは、それよりも遥かに離れた所で船の竜骨の下や瓦礫の隙間を覗き込んでいる。
「タナバタとミソカは?」
「わからない!」
ジンジツの呼びかけに苛立ちを隠そうともせずにナナクサは、そう応じた。ミソカのサポートに付くと言っていたのに、ジョウシはいったい何をしていたのだろうか。苛立つ心を押さえつけたナナクサは、更に歩を進め、船室と思われる比較的大きな残骸にたどり着いた。そしてその側面にできた大きな穴から恐る恐る身体を滑り込ませて中を見渡した。
船室の中は大暴風が吹き荒れたような有様で、散乱する道具や食器、衣類の燃え残りが、乗組員たちがいたという痕跡を辛うじて留めている。諦めて外に出たナナクサは、そこにいたジンジツにぶつかりそうになった。彼は焼け焦げた船員の制服を丸めて大事そうに抱えている。
小首を傾げたナナクサの無言の問いかけに、「遺体だ」と短く応えたジンジツは踵を返すとジョウシのいた辺りに、制服の残骸に包まれた遺体の一部を抱えて進みはじめた。ナナクサは黙って後に付き従った。
事故現場を時計回りに半分ほど進んだとき、大きな竜骨の残骸が、むせび泣きをはじめた。ナナクサもジンジツも初めて聞く、低く長々としたその悲しげな音に互いの顔を見合わせた。
「あぶない!」
叫び声の主が真後ろにいることを認めた二人は、ようやく我にかえった。
「何をしておるのじゃ。早う、そこを離れぬか!」
「何だって?!」
「聞こえぬのか。早う!」
疾風のようにジョウシが二人に駆け寄るのと同時に、竜骨のむせび泣きが、今度はもの凄い悲鳴に変わりはじめた。
「早う、離れるのじゃ!」
激しい振動が三人を襲った。氷に大きな裂け目ができ、足元が崩れはじめた。足を取られそうになりながらも彼らは必死に走った。火事場の遥か後方まで逃れた三人が振り返ると、竜骨が大きく傾き、周りの構造材を道連れに轟音とともに氷の下へ飲み込まれていく姿を目の当たりにした。事故の衝撃と火災の熱で海を覆った氷が溶け、脆くなっていたのだ。
凍った海にその場のすべてが呑みこまれる最後の衝撃で足元が大きく揺れ、ナナクサとジンジツはバランスを崩して尻餅をついた。ジョウシはジンジツの広い胸をクッション代わり、上体を預けるように倒れ込んだ。
「ありがとうよ」ジンジツは、さっきまで巨大な竜骨がそびえ立っていた場所を凝視したまま、胸の上のジョウシに礼を述べた。「お前がいなけりゃ、死んでたところだ」
「礼には及ばぬ」ジョウシは微かに表情を緩めると、何事もなかったかのようにジンジツから離れて視線を外した。「無事で何よりじゃ」
「しかし、あそこが崩れんのが、よくわかったな」
「二十歳にもならぬヨチヨチ歩きの頃、村外れの湖の氷が割れて溺れそうになっての。その時と同じ氷の悲鳴が聞こえたのでな」
「そうか。お前は凄ぇな」
「柄にもないことを言うでない」
「あぁ、わかった。それにしても死ななくて良かったな、俺たち」
「そうじゃな」
「でも、あんなことは、もうなしだ。一緒に死んじまったら意味がない」
「心得た」
「だから、もし」ジンジツは自分の胸の高さくらいしかないジョウシに微笑みかけた。「こんなことが、またあったら」
「あったら、何じゃ?」
目の前にいるジンジツの顔をジョウシは背伸びするように見詰め返した。
「声を掛けてもわからないだろうから、石でもぶつけて気づかせてくれ」
「手頃な石があらば、次はそうしよう」
「改めて礼を言うぜ、ジョウシ」
「男子 たるもの、何度も礼など言うものではない」
二人の間に心の化学反応が起こっているのをナナクサは敏感に感じ取った。しかし、それを楽しむ余裕など誰にも許されてはいない。
「ジョウシ」
「おぉ」虚を突かれたように、ジョウシがぎこちなく応じる「ナナクサ」
「探さなきゃ」
生存者をというより、ミソカたちをという言葉を飲み込んだナナクサは、不安そうに今なお残る瓦礫の山を透かして火災の向こうに目を眇 めた、さっきの崩落に巻き込まれてなければいいが。
「そうじゃな、探そうぞ」ジョウシはナナクサに応じると、ジンジツの手元を指差した「んっ、それは何じゃ?」
「遺体だ」ジンジツは大事に抱えているボロボロの制服に目をやった。「一部だけどな」
「そうか。ミソカとタナバタのところにも、船乗りどもの遺体があった」
「ミソカたちのところ?」
「そうじゃ」
「どこにいるの?」
「心配するでない」ナナクサの気持ちをなだめるようにジョウシは言葉をつづけた。「居 ったぞよ、あの燃ゆる瓦礫の山のずっと向こうにな」
聞くが早いか、ナナクサはジンジツとジョウシを後目にミソカの姿を求めて、今なお残る黒煙と炎の中を駆け抜けた。黒煙の網をかき分けるにしたがって、その向こう側のシルエットが見慣れた仲間の姿をかたどりはじめた。
ようやく見つけた幼馴染みの足元には人が横たわっていた。そして傍らには跪いて、その人の手を取るタナバタ。しかし何かがおかしい。その違和感が何からくるのか、はぐれた仲間と合流したナナクサは、ようやく理解した。横たわっている人には胸部から下と右腕が肩口からごっそりと無かったのだ。
「僕が着いたときには、まだ息があったんだが」タナバタはそう言うと、顔を上げてナナクサに視線を転じた。「御力水 は見つけたよ。この人が持っていた」
真っ青な上級船員の制服を襟元まで寸分の隙なく着こなしたその遺体は、下半身と右腕がないだけで、まるで壊れて捨てられた人形のように見えた。ただ人形と違うのは、爆発で千切り取られたであろう部分が凍りついた血で赤黒く染め上げられていることだった。
「苦しんだのか、この人?」
ナナクサの後から合流したジンジツがタナバタに声をかけた。
「いや」タナバタは首を振ると雪原に置かれた御力水 の黒い収納容器を指差した。容器は墜落の衝撃でひしゃげ、分厚い蓋がほとんど取れかけていた。「最後まで船員仲間の安否を口にしていたがな。残念だ。御力水 もこれほどの重傷には効かなかったようだ」
「効かなかった。二本も使ってるのにか?……」と、意外な結果にジンジツは驚いた。
「あぁ、効かなかった」
ナナクサは十センチほどの茶色いアンプルが二本とも空になって転がっているのを見て目の前が真っ暗になった。
「誠に彼が飲んでおれば効かぬのはおかしいのぅ」
予想もしないジョウシの言葉に、みな言葉を失い、互いの顔を見回した。彼女は膝をつき、ルルイエ文字で『御力水 。緊急時以外の使用を厳禁。罰則は極刑のみ』と書かれた容器の文字から目を離し、船員の遺体を検分した。
「どういうことかな?」と、堪らずにタナバタが口を開いた。
「いや、ふとそう思うただけじゃ」ジョウシはタナバタに視線を移した。「されど、見事じゃな。これほどの傷を受けながらも、さすがは船乗り。御力水 で口元を汚してもおらぬとは。我らもそのマナーだけでも見習わねば」
「何が言いたいの?」と、ここにきて初めてミソカが口を開いた。相変わらず静かな物言いながら、その中には彼女には似合わない微かな悪意の刺が含まれていた。
うっすらと白み始めた空に立ち上る黒煙が、皆の心に広がっていくような瞬間だった。そんな険悪な雰囲気を破ったのはジンジツだった。
「俺の曾々婆 さんが駆け出しの見習い下級船員だったころのことだ」彼は壊れた容器から残った一本のアンプルを取り出すと、中身を透かし見ようとするかのように遠くの炎の明かりにかざした。皆の視線が、それに注がれた。「荷役作業中の事故で半身を潰された仲間がいたそうだ」
「昔話か?」とタナバタ。
「まぁ、そんなところだ」
「今、こんな時に?」と、ミソカが彼女らしくない仕草で両腕を胸の前で組んだ。
「そうだ」
「で、その人はどうなったんだ?」
ウンザリしたように先を促すタナバタの傍らを抜けてジンジツは言葉を継いだ。
「船長が収納容器を開け、御力水 の一本が取り出され、その半分が怪我人の口に含ませられ、残りが一番ひどい傷口に直接すり込まれたんだと」
ジンジツとタナバタの視線が交錯した。
「助かったと言いたいわけか」
「当たりだ」
「単なる作り話だな。見習い薬師 の目から見てもナンセンス極まりない」と、嘲るようにタナバタが端正な顔を歪めた。
「そうかもしれん。だが、俺はこいつの力を信じるぜ。いや信じるしかなかろう」そう言うとジンジツは、皆の顔を見回すとナナクサに視線を留め、アンプルを差し出した。「だから、お前も揺らぐんじゃねぇ。タンゴが助かることだけを信じろ。空いちまった御力水がどうなっちまったかなんてどうだっていい。そうだろ?」
それぞれに頷く仲間の中にあって、それでも不安を隠しきれないナナクサにジンジツが何とも凄そうな笑顔を向けた。
「助かった船員は、やがて曾々婆 さんと婚儀を交わし、その後、二百七年間添い遂げた。曾々爺 さんの奇跡は我が家じゃ、今でも語り草だ。こいつはどうだい」
*
一行は事故現場で遂に危険な朝を迎えることになった。もちろんタンゴとチョウヨウが待つ崖下まで急いで戻らねばならないが、一族の掟として死者を葬らずに出発することも、またできなかったからだ。
彼らは手早く船員の葬儀を執り行うことにして、皆その準備に入った。夜明けに追いまくられなければ準備自体は簡単で質素なものだ。これはどの村、どの場所でも行われる一族共通のもので、遺体を太陽が昇ってくる所に安置して荼毘 に付す。ただそれだけなのだ。
夜明け前に準備を終えた五人は、体中を覆った遮光マントの中で、その時が来るのを待った。彼らから少し離れた雪上には、集められた船員たちの遺体や、その一部が整然と置かれている。
遺体は斜めから雪原に差し込みはじめた太陽光にさらされた途端に青白い炎を吹き上げて次々と塵に還っていった。その荼毘 の様子は遮光ゴーグルを通してさえ目を細めなければ、眩さに目を傷めそうなほどだった。
五人は頭を軽く垂れ、右手を軽く左胸に添える一族の挨拶 で敬意と弔意を死者たちに伝えた。一握りの塵となった船員たちは世界中を吹き渡り、そしてしかるべき土地で、しかるべき時期に、始祖さまの加護によって、また新たに一族としての生を受けることだろう。
短いながらも厳かに葬送の儀は終わった。いや、終わるはずだった。しかし荼毘 に付されながらも、終わりを告げなかった遺体が一体あったのだ。遮光マントで顔が覆われていなければ、一様に息をのむ音がそれぞれの耳に届いたことだろう。
ジンジツが船員服に包んで回収していた千切れた腕だけが少しの炎も上げず、燦々と照りつける太陽の下で甲に刻まれた十字模様とともにその身を未だ雪の上に横たえたままだったのだ。
「何の冗談なんだ、こりゃ?……」
ジンジツの言葉は異口同音に、その場の葬列者たち共通の意見だった。
一向に変化を見せないその腕に先ず近づいたのはジョウシだった。しかしさすがの彼女も、その腕を見下ろしはするが、気味が悪いのか、決して手に取って見ようとはしなかった。意を決して、直接それに触れて調べたのはタナバタだった。彼は、恐る恐る手に取ったそれの重さを確かめ、次に顔を近づけて薬師 の目で詳細に調べ始めた。
「どう見ても、僕らと同じ人の手だ」とタナバタ。「作り物じゃない。太陽の光をまともに浴びても塵に還らないなんて……」
ナナクサもその事実を認め、タナバタの傍らに跪くと不可解な腕を凝視した。
「と言うことは、どういうことだ?」とジンジツのイライラとした声。
「僕にはわからないよ」と、タナバタ。
「お前、薬師 だろ?」
「タナバタに当たっても仕方なかろう、ジンジツ」ジョウシがやっと口を開いた。「事実を事実として受け止めるのみじゃ。これは、もしや……」
「じゃぁ、あなたも、そう思うのね。これがアレだって」と、ミソカが離れた場所から誰もが口にしない、その単語を促すように語を継いだ。
「子供を怖がらせる他愛もない伝説と思っておったが……」と、不安を隠せない声でジョウシが言葉を濁す。
「古 からの敵 。怪物……」
ミソカがそうつぶやくと、五人は幼い時に大人たちから聞かされた昔話をそれぞれに思い出して身震いした。古代に行われたというガプラー・シンの大戦 。|古 からの敵 に壊滅寸前にまで追い詰められた一族は、始祖さまの加護でこの戦 に勝利を治め、辛うじて怪物どもを一掃したと伝えられている。その後、この大戦 の記憶は、風化してゆくのと反比例して数々の英雄譚や子供たちが眠る前の夜明け方に親から聞かされる怪物話に変容していった。曰く、遥か彼方の土地には、この怪物の生き残りがおり、奴らに狙われた者は決して助からないと。また、奴らは太陽が輝く昼に活動し、眠っている一族の人間を串刺しにしたり、太陽の下に引っ張り出して喰らうこともあると。そして事故死が確認されず、行方不明になったデイ・ウォーク参加者の中には、不幸にも奴らと出会い、その餌食になった者もいるらしいと。
「でも、これは紛れもなく、私たちと同じ人の手よね?」
「あぁ」と、タナバタがナナクサに頷く。「確かにそうだ。もしかしたら、この敵は……」
「我ら人の姿を借りるのやもしれん……」
後を引き取ったジョウシの不吉な推測に誰も言葉がなかった。もしそうなら、奴らは仲間のように一族の人間に溶け込むことだってできるかもしれない。
「もしそうなら、報告しなきゃいけないな」
「報告?」と、ジンジツが発言者のタナバタに顔を向けた。
「ここには僕たち人間のモノとは明らかに違う腕がある。そしてそれが政府 の船の残骸から発見された。政府 の中に怪物が紛れ込んでいるかもしれない」
「政府 と言うても、その在所すら知らぬぞ、我らは」ジョウシは、そう言うとジンジツに視線を向けた。「そなたは家の者から聞いてはおらぬか。そなたの家は代々、船乗りであったのじゃろ、ジンジツ?」
「政府 の場所は最高の秘め事だ。船員は家族であっても漏らすことは一切ない。もし漏らせば家族ともども太陽の下で火あぶりだ」
「でも」と沈着冷静なタナバタにしては珍しく食い下がった。「この事実は伝えないと。僕たちだけの問題じゃないよ」
「じゃが、政府 の在所がわからぬのだ。致し方あるまい」
終わりそうにない議論に業を煮やしたナナクサがついに立ち上がった。抑えてはいるものの声にはイライラとした気持ちが滲み出ている。
「ねぇ。いま話していることの重大性はわかってるわ。でもタンゴのことも思い出して」
「でも、ナナクサ……。いや、すまなかった。君の言うとおりだな。許してくれ」
「うむ。我も最も大切なことを失念しておった。許せ」と、タナバタに続いてジョウシも目を伏せた。「ここに怪物の腕があったとて、奴らが政府 の船を沈め得たとは限らぬしな。軽々 に答えを出すものでもなかろう」
皆、ジョウシの言葉の前半は真摯なものだと感じたが、後半は彼女がそうあってほしいとの願望が口を突いて出たものだということを暗黙のうちに了解した。
「そうだな。だが奴らは実際にいると思っていた方がいいだろうな」と、ジンジツはジョウシを見やり、そして皆の顔を見渡した。
「この先、奴らに出会うことがあるかもしれん。いや、必ず出会うと思っておこう」
「出会ったら如何する?」
「その時は……」
ジョウシにそう答えると、ジンジツは怪物の腕とされるモノをタナバタから取りあげ、未だにくすぶり続ける残骸まで持って行って炎の中に力一杯投げ入れた。
「そうね」と、ジンジツが言い終わる前にミソカが彼女らしくない予測を口にした。「闘うしかないかもね。少なくとも奴らも傷付くことだけは確かだわ」
月並みなジョウシの言葉に、タンゴの横にひざまずいて彼の手を握るミソカが言葉もなく顔を上げた。ピンク色の涙に染まった視線はジョウシに注がれているはずなのに、なぜかジョウシの後ろに佇む自分が注視され、責められているかのように感じて、ナナクサは目を伏せて、彼女の視線から逃れた。
ミソカは仲間たちの顔に懇願の視線を投げ掛けた。だが誰も動かなかった。実際は何もできることがなく動けなかったのだ。助けを求めるようなミソカの視線を受けとめたジョウシは意を決して、うなだれているナナクサの肘をつかんで一緒にその場から離れた。皆に声が届かないところまで離れるとジョウシはナナクサの手の中に銀製のナイフをそっと滑り込ませた。その冷たい重みが意味するものに、ナナクサの手は小刻みに震えだした。
「このままではタンゴは苦しみ続けるぞよ」
その声には思いやりが滲んではいたが、ナナクサの心は反発していた。だが反発しながらも「私には出来ない」という言葉だけは何とか飲み込んだ。もし声に出してしまったら、本当にできなくなるとわかっていたからだ。だから、ただ一言、消え入るように「わかってるわ」とだけ応えた。しかし、決心したからといって簡単に行動に移せるわけはない。タンゴは同じ村で生まれ、子供の頃から百年近くも姉弟のように一緒に成長してきた幼馴染みなのだ。だが、
目を上げると、目の前にチョウヨウが立っていた。ナナクサは何も言わず、再び幼馴染みの命を奪う道具に目を落とし、そして決然と顔を上げた。だが、次の瞬間、銀製のナイフはナナクサの手から消え、少し離れた氷の上に深々と突き立った。チョウヨウが叩き落としたのだ。
「諦めるな、ナナクサ」
搾り出すようなチョウヨウの声だった。
「でも……でもね……」
「事故現場に
そう言うとチョウヨウはナナクサの両肩をつかみ、その漆黒の瞳を凝視した。
彼女が言う
「あの事故だもの。あったとしても、もう……」
「そんなことはない」
ナナクサは自分を鼓舞するチョウヨウの両手をもぎ離すと吐き捨てるように言い放った。
「たとえあっても、収納容器からどうやって出すの。出し方だって船員じゃないからわからない。それに……それに、あっても助からないかもしれない」
「弱気になるな。頼むから弱気にならないでくれ、ナナクサ」
「でも……」
「お前は、瞳の中に星を飼う者だ。すべてを手にする者だ。なっ、そうだろ!」
チョウヨウが骨も砕けるほどの強さでナナクサの両肩を再び握った。ナナクサはチョウヨウの目が潤んでいることに初めて気がついた。しかし彼女の目は潤みながらもナナクサをきっと見据え、万が一の可能性を信じて疑わない力を投げかけていた。彼女は前を向き、自分は限りなく消極的に後ろを向いて進もうとしていたことに初めて気がついた。ナナクサの心に小さな火が灯った。決意の灯火だった。今やるべきことは、タンゴを楽にしてやることじゃない。どんなことをしてでも助けてやることだ、ほんの少しでも希望があるのなら、可能性に賭けてみることだ。
「わかった」
ナナクサが自分自身も驚くくらい大きな声でそう応じると、チョウヨウの両手が離れた。ナナクサは仲間に呼びかけた。いや呼びかけたというより自分の心を鞭打つために宣言したという方が、この際は正しいかもしれない。
「私、今から事故現場に行く。船に積まれた
みな何も言わなかった。ナナクサは続けた。
「だから私は行く」
吹きすさぶ風にナナクサの薄墨色の髪が逆巻いた。
「わかった」タナバタがようやく口を開いた。「じゃぁ、ぼくがタンゴに付いていよう」
「いえ。御力水を探す
行くと言い張るかと思ったが、チョウヨウはあっさりと頷いた。その代わりにミソカが一緒に行くと言い出した。決して足手まといにならないと言う彼女の幼馴染みを思う決心は揺るぎそうになかった。残ったジョウシも名乗りをあげた。ここにいても何も出来ないという理由だったが、ミソカに助けが必要だからというのが本音で申し出てくれたのだろう。ミソカも薄々それと気付いていたようだが、特段に気分を害する様子はなかった。もっとも気分を害そうがそうでなかろうが、今のミソカは決して後へは引かないように思えた。人選は終わった。
「じゃぁ、行ってくるぜ」
ジンジツを先頭に彼の合図で仲間は氷の上に溜まった粉雪を蹴立てながら、所々、氷が裂けて海水の浅い水溜りができた所を避けつつ、懸命に駆け続けた。彼らは事故現場までの道のりを、ひたすら駆け抜けた。
*
事故現場は地獄だった。
巨大な炎から噴き出される熱気と黒煙は五人の若者を寄せ付けまいと未だに居座り続けていた。そして見渡す限り散乱しているねじ曲がった大きな構造材や金属の破片は、手分けをして生存者を捜す彼らの捜索を阻みつづけた。
「おぉい。そっちはどうだ?!」
捜索から四十分余り、時々起こる小爆発にかき消されながらもジンジツの
「タナバタとミソカは?」
「わからない!」
ジンジツの呼びかけに苛立ちを隠そうともせずにナナクサは、そう応じた。ミソカのサポートに付くと言っていたのに、ジョウシはいったい何をしていたのだろうか。苛立つ心を押さえつけたナナクサは、更に歩を進め、船室と思われる比較的大きな残骸にたどり着いた。そしてその側面にできた大きな穴から恐る恐る身体を滑り込ませて中を見渡した。
船室の中は大暴風が吹き荒れたような有様で、散乱する道具や食器、衣類の燃え残りが、乗組員たちがいたという痕跡を辛うじて留めている。諦めて外に出たナナクサは、そこにいたジンジツにぶつかりそうになった。彼は焼け焦げた船員の制服を丸めて大事そうに抱えている。
小首を傾げたナナクサの無言の問いかけに、「遺体だ」と短く応えたジンジツは踵を返すとジョウシのいた辺りに、制服の残骸に包まれた遺体の一部を抱えて進みはじめた。ナナクサは黙って後に付き従った。
事故現場を時計回りに半分ほど進んだとき、大きな竜骨の残骸が、むせび泣きをはじめた。ナナクサもジンジツも初めて聞く、低く長々としたその悲しげな音に互いの顔を見合わせた。
「あぶない!」
叫び声の主が真後ろにいることを認めた二人は、ようやく我にかえった。
「何をしておるのじゃ。早う、そこを離れぬか!」
「何だって?!」
「聞こえぬのか。早う!」
疾風のようにジョウシが二人に駆け寄るのと同時に、竜骨のむせび泣きが、今度はもの凄い悲鳴に変わりはじめた。
「早う、離れるのじゃ!」
激しい振動が三人を襲った。氷に大きな裂け目ができ、足元が崩れはじめた。足を取られそうになりながらも彼らは必死に走った。火事場の遥か後方まで逃れた三人が振り返ると、竜骨が大きく傾き、周りの構造材を道連れに轟音とともに氷の下へ飲み込まれていく姿を目の当たりにした。事故の衝撃と火災の熱で海を覆った氷が溶け、脆くなっていたのだ。
凍った海にその場のすべてが呑みこまれる最後の衝撃で足元が大きく揺れ、ナナクサとジンジツはバランスを崩して尻餅をついた。ジョウシはジンジツの広い胸をクッション代わり、上体を預けるように倒れ込んだ。
「ありがとうよ」ジンジツは、さっきまで巨大な竜骨がそびえ立っていた場所を凝視したまま、胸の上のジョウシに礼を述べた。「お前がいなけりゃ、死んでたところだ」
「礼には及ばぬ」ジョウシは微かに表情を緩めると、何事もなかったかのようにジンジツから離れて視線を外した。「無事で何よりじゃ」
「しかし、あそこが崩れんのが、よくわかったな」
「二十歳にもならぬヨチヨチ歩きの頃、村外れの湖の氷が割れて溺れそうになっての。その時と同じ氷の悲鳴が聞こえたのでな」
「そうか。お前は凄ぇな」
「柄にもないことを言うでない」
「あぁ、わかった。それにしても死ななくて良かったな、俺たち」
「そうじゃな」
「でも、あんなことは、もうなしだ。一緒に死んじまったら意味がない」
「心得た」
「だから、もし」ジンジツは自分の胸の高さくらいしかないジョウシに微笑みかけた。「こんなことが、またあったら」
「あったら、何じゃ?」
目の前にいるジンジツの顔をジョウシは背伸びするように見詰め返した。
「声を掛けてもわからないだろうから、石でもぶつけて気づかせてくれ」
「手頃な石があらば、次はそうしよう」
「改めて礼を言うぜ、ジョウシ」
「
二人の間に心の化学反応が起こっているのをナナクサは敏感に感じ取った。しかし、それを楽しむ余裕など誰にも許されてはいない。
「ジョウシ」
「おぉ」虚を突かれたように、ジョウシがぎこちなく応じる「ナナクサ」
「探さなきゃ」
生存者をというより、ミソカたちをという言葉を飲み込んだナナクサは、不安そうに今なお残る瓦礫の山を透かして火災の向こうに目を
「そうじゃな、探そうぞ」ジョウシはナナクサに応じると、ジンジツの手元を指差した「んっ、それは何じゃ?」
「遺体だ」ジンジツは大事に抱えているボロボロの制服に目をやった。「一部だけどな」
「そうか。ミソカとタナバタのところにも、船乗りどもの遺体があった」
「ミソカたちのところ?」
「そうじゃ」
「どこにいるの?」
「心配するでない」ナナクサの気持ちをなだめるようにジョウシは言葉をつづけた。「
聞くが早いか、ナナクサはジンジツとジョウシを後目にミソカの姿を求めて、今なお残る黒煙と炎の中を駆け抜けた。黒煙の網をかき分けるにしたがって、その向こう側のシルエットが見慣れた仲間の姿をかたどりはじめた。
ようやく見つけた幼馴染みの足元には人が横たわっていた。そして傍らには跪いて、その人の手を取るタナバタ。しかし何かがおかしい。その違和感が何からくるのか、はぐれた仲間と合流したナナクサは、ようやく理解した。横たわっている人には胸部から下と右腕が肩口からごっそりと無かったのだ。
「僕が着いたときには、まだ息があったんだが」タナバタはそう言うと、顔を上げてナナクサに視線を転じた。「
真っ青な上級船員の制服を襟元まで寸分の隙なく着こなしたその遺体は、下半身と右腕がないだけで、まるで壊れて捨てられた人形のように見えた。ただ人形と違うのは、爆発で千切り取られたであろう部分が凍りついた血で赤黒く染め上げられていることだった。
「苦しんだのか、この人?」
ナナクサの後から合流したジンジツがタナバタに声をかけた。
「いや」タナバタは首を振ると雪原に置かれた
「効かなかった。二本も使ってるのにか?……」と、意外な結果にジンジツは驚いた。
「あぁ、効かなかった」
ナナクサは十センチほどの茶色いアンプルが二本とも空になって転がっているのを見て目の前が真っ暗になった。
「誠に彼が飲んでおれば効かぬのはおかしいのぅ」
予想もしないジョウシの言葉に、みな言葉を失い、互いの顔を見回した。彼女は膝をつき、ルルイエ文字で『
「どういうことかな?」と、堪らずにタナバタが口を開いた。
「いや、ふとそう思うただけじゃ」ジョウシはタナバタに視線を移した。「されど、見事じゃな。これほどの傷を受けながらも、さすがは船乗り。
「何が言いたいの?」と、ここにきて初めてミソカが口を開いた。相変わらず静かな物言いながら、その中には彼女には似合わない微かな悪意の刺が含まれていた。
うっすらと白み始めた空に立ち上る黒煙が、皆の心に広がっていくような瞬間だった。そんな険悪な雰囲気を破ったのはジンジツだった。
「俺の
「昔話か?」とタナバタ。
「まぁ、そんなところだ」
「今、こんな時に?」と、ミソカが彼女らしくない仕草で両腕を胸の前で組んだ。
「そうだ」
「で、その人はどうなったんだ?」
ウンザリしたように先を促すタナバタの傍らを抜けてジンジツは言葉を継いだ。
「船長が収納容器を開け、
ジンジツとタナバタの視線が交錯した。
「助かったと言いたいわけか」
「当たりだ」
「単なる作り話だな。見習い
「そうかもしれん。だが、俺はこいつの力を信じるぜ。いや信じるしかなかろう」そう言うとジンジツは、皆の顔を見回すとナナクサに視線を留め、アンプルを差し出した。「だから、お前も揺らぐんじゃねぇ。タンゴが助かることだけを信じろ。空いちまった御力水がどうなっちまったかなんてどうだっていい。そうだろ?」
それぞれに頷く仲間の中にあって、それでも不安を隠しきれないナナクサにジンジツが何とも凄そうな笑顔を向けた。
「助かった船員は、やがて
*
一行は事故現場で遂に危険な朝を迎えることになった。もちろんタンゴとチョウヨウが待つ崖下まで急いで戻らねばならないが、一族の掟として死者を葬らずに出発することも、またできなかったからだ。
彼らは手早く船員の葬儀を執り行うことにして、皆その準備に入った。夜明けに追いまくられなければ準備自体は簡単で質素なものだ。これはどの村、どの場所でも行われる一族共通のもので、遺体を太陽が昇ってくる所に安置して
夜明け前に準備を終えた五人は、体中を覆った遮光マントの中で、その時が来るのを待った。彼らから少し離れた雪上には、集められた船員たちの遺体や、その一部が整然と置かれている。
遺体は斜めから雪原に差し込みはじめた太陽光にさらされた途端に青白い炎を吹き上げて次々と塵に還っていった。その
五人は頭を軽く垂れ、右手を軽く左胸に添える一族の
短いながらも厳かに葬送の儀は終わった。いや、終わるはずだった。しかし
ジンジツが船員服に包んで回収していた千切れた腕だけが少しの炎も上げず、燦々と照りつける太陽の下で甲に刻まれた十字模様とともにその身を未だ雪の上に横たえたままだったのだ。
「何の冗談なんだ、こりゃ?……」
ジンジツの言葉は異口同音に、その場の葬列者たち共通の意見だった。
一向に変化を見せないその腕に先ず近づいたのはジョウシだった。しかしさすがの彼女も、その腕を見下ろしはするが、気味が悪いのか、決して手に取って見ようとはしなかった。意を決して、直接それに触れて調べたのはタナバタだった。彼は、恐る恐る手に取ったそれの重さを確かめ、次に顔を近づけて
「どう見ても、僕らと同じ人の手だ」とタナバタ。「作り物じゃない。太陽の光をまともに浴びても塵に還らないなんて……」
ナナクサもその事実を認め、タナバタの傍らに跪くと不可解な腕を凝視した。
「と言うことは、どういうことだ?」とジンジツのイライラとした声。
「僕にはわからないよ」と、タナバタ。
「お前、
「タナバタに当たっても仕方なかろう、ジンジツ」ジョウシがやっと口を開いた。「事実を事実として受け止めるのみじゃ。これは、もしや……」
「じゃぁ、あなたも、そう思うのね。これがアレだって」と、ミソカが離れた場所から誰もが口にしない、その単語を促すように語を継いだ。
「子供を怖がらせる他愛もない伝説と思っておったが……」と、不安を隠せない声でジョウシが言葉を濁す。
「
ミソカがそうつぶやくと、五人は幼い時に大人たちから聞かされた昔話をそれぞれに思い出して身震いした。古代に行われたというガプラー・シンの
「でも、これは紛れもなく、私たちと同じ人の手よね?」
「あぁ」と、タナバタがナナクサに頷く。「確かにそうだ。もしかしたら、この敵は……」
「我ら人の姿を借りるのやもしれん……」
後を引き取ったジョウシの不吉な推測に誰も言葉がなかった。もしそうなら、奴らは仲間のように一族の人間に溶け込むことだってできるかもしれない。
「もしそうなら、報告しなきゃいけないな」
「報告?」と、ジンジツが発言者のタナバタに顔を向けた。
「ここには僕たち人間のモノとは明らかに違う腕がある。そしてそれが
「
「
「でも」と沈着冷静なタナバタにしては珍しく食い下がった。「この事実は伝えないと。僕たちだけの問題じゃないよ」
「じゃが、
終わりそうにない議論に業を煮やしたナナクサがついに立ち上がった。抑えてはいるものの声にはイライラとした気持ちが滲み出ている。
「ねぇ。いま話していることの重大性はわかってるわ。でもタンゴのことも思い出して」
「でも、ナナクサ……。いや、すまなかった。君の言うとおりだな。許してくれ」
「うむ。我も最も大切なことを失念しておった。許せ」と、タナバタに続いてジョウシも目を伏せた。「ここに怪物の腕があったとて、奴らが
皆、ジョウシの言葉の前半は真摯なものだと感じたが、後半は彼女がそうあってほしいとの願望が口を突いて出たものだということを暗黙のうちに了解した。
「そうだな。だが奴らは実際にいると思っていた方がいいだろうな」と、ジンジツはジョウシを見やり、そして皆の顔を見渡した。
「この先、奴らに出会うことがあるかもしれん。いや、必ず出会うと思っておこう」
「出会ったら如何する?」
「その時は……」
ジョウシにそう答えると、ジンジツは怪物の腕とされるモノをタナバタから取りあげ、未だにくすぶり続ける残骸まで持って行って炎の中に力一杯投げ入れた。
「そうね」と、ジンジツが言い終わる前にミソカが彼女らしくない予測を口にした。「闘うしかないかもね。少なくとも奴らも傷付くことだけは確かだわ」