第44話 最後の砦

文字数 3,984文字

 疲労と諦めを身体に刻み込んだマリクが、工場棟の建設現場で技術者たちの陣頭指揮を執り続けているルーシーに黙って歩み寄った。
「その様子じゃ、金持ちどもは良い顔はしなかったようね」
 心の中を見透かされたマリクは熱意のない目で建設中の工場棟を見上げた。
「口をきくのも疲れたってわけね。で、工期が遅れてるから急げって?」ルーシーは“金持ち”という死語が彼に響かなかったので、少しおどけて見せた。「それとも量子脳が、また補助デバイスを欲しがったとでも?」
「補助デバイスじゃなくて、人間だろ」
「そうだったわね」
 ルーシーの目に自嘲の色が浮かんだ。
「まるで悪魔に捧げる生贄だな。あんなモノ、とっとと廃棄して、俺たちだけで何とかすべきだ。そのための執政委員会だろうに。出資者どもときたら……」
「私たちはあまりに少なくなったわ。でも、やらなければならないことは多い。あのクソ忌々しい量子脳なしじゃ、この都市はこの過酷な氷河期を生き残れない」
「だからって、あんなモノに繋がれて三年も経たないうちに最後は衰弱死なんて、まともじゃない。人工子宮の実験が成功したんだから、せめて脳だけ培養して繋げられれば、まだしも良心的ってものだって思うんだがな」
「そうね。でも……」
「わかってるさ」マリクはルーシーの言葉を遮った。「培養された脳には、元々アレが望むような共有できる記憶自体がない。だから生き残りの中から公平な抽選で生け贄を選ぶ。選ばれたところで、繋がれた本人には苦痛はないし、死ぬまで幸せな夢の中って言いたいんだろうけど、俺から言わせれば嘘の人生の中での安楽死さ。なんでアレは、そんなにも人間と繋がりたがるんだ?」
「寂しいのよ」
「機械のくせに」と、マリクは吐き捨てた。
「少なくとも、イーストは、ずっとそう言ってたでしょ。『お前ら凡人にはわからんだろ。人間のように心があるから寂しがる。寂しすぎると神等(カミラ)は死ぬんだぞ』って」
神等(カミラ)?」
「イーストが名付けたあの量子脳の名よ、なんでも神々という意味らしいわ。確か日本語ね。あの国は多神教で生け贄にされた犠牲者は神に昇格すると言われてるらしいから、イーストは当選者をそれになぞらえてるみたい。それに自分の母親の名前がカーミラっていうのも、ちょうど語呂が合うんでしょうね。彼のお気に入りの名前よ」
「機械に母親の名を付けたり、機械が寂しがると言ってみたり、まるで人形遊びの女の子だな、あの変態野郎は」
「女の子に失礼よ。それに変態でも彼は天才。それは、あなたも認めてるでしょ」ルーシーは手を振った。「さぁ、この話はもうこれくらいでいいでしょ。で、今回の抽選では何人必要なの?」
「執政委員どもの話は、生贄抽選の話じゃなかったよ」
「良かった」ルーシーはマリクの言葉に胸を撫で下ろしたが、途端に真顔になった。「まさか、彼らは、まだ私を委員に?!」
 マリクは首を横に振った。
「じゃぁ、なに。自動機械(オート・マトン)の増産? それには電力が足りないわ」
「違うよ。城壁をもっと高くするのに、ここから人手をもっと回してほしいそうだ。もちろん人工子宮群が入るこの工場棟の緊急性は、君と同じように執政委員どもも頭の中じゃわかってはいるんだろうが」マリクは声に侮蔑を滲ませた。「まぁ、そういうことさ」
「わかっちゃいないわ」ルーシーは首を振った。
「オオツカも君と同じことを言ってた」
「オオツカ主任にも。まさか、原子炉の方にも人員を割けっていうこと。ここには旧型の黒鉛型ガス冷却炉しか設置できなかったのよ。あの不安定さは皆わかってるはずよ」
「世界の破滅と競争だったからな」
「だったら、あの厄介な原子炉の面倒は誰が見るのよ。自動機械(オート・マトン)はまだ単純作業しかできないのよ。あんな鈍い陸ガメどもをあそこに使えるわけないわ!」
「熱くなるなよ、決定は決定だ」
「わかった。なんとか人員は工面してみるわ。でも彼らの我が儘も、これが最後にしてもらってよ」
「了解」マリクはボーイスカウトのような敬礼をして見せた。「でも出資者の年寄りどもみたいに恐れてばかりじゃ、なにも解決しないぞ」
「そうね、私は彼らとは違う。恐怖や憤りを原動力に変えてるから」
「わかってるよ」
 マリクはルーシーの肩にそっと手を置いた。防寒着の上からでも肩は岩のように固くなっている。マリクは彼女の後ろに回ると凝った肩を優しく揉んだ。
「怖いのは、私だってあの代議員たちと同じかもしれない。でもヴァンパイアより怖いのは、蝋燭の炎が消え入るように文明が、この地球上から消え去ることよ」
「こんなアイスボールの上で文明の心配か?」
「マリク」ルーシーはマリクに首を振り向けた。「なぜ、今更そんなことを言うの。人類は今まで馬鹿なことをたくさんしでかしてきたけど、これは唯一誇れることよ。どんな犠牲を払ってでも氷河期やヴァンパイアから種を守って次世代に受け継ぐの。知恵や歴史をね。そのためには量子脳や人工子宮に頼ってでも、今の私たちが未来のための土壌を整備しておかなきゃならない。あなたもその趣旨に賛同したでしょ」
「もちろん……」
「じゃぁ、今更なぜ?」
「攻撃は最大の防御って言うだろ」
 「まただ」とルーシーは思った。幾度となく議論して互いに納得したことを蒸し返された彼女は苛立ちを感じたが顔には出さなかった。
「奴らの力は知ってるでしょ。こっちから仕掛けたって全滅するだけ。さっきも言ったけど私たちの数は少ない。ここにはもう三万八百十七人しかいないの。しかも老人や子供も勘定に入れて。たぶん、これが地球上に生き残ったすべてよ。それが理解できないあなたじゃないでしょ」
「二度も撃退したろ」
「確かに撃退したわ。でも、それだけよ。積極的に攻勢をかけれたわけじゃない」
「そんな消極姿勢じゃ、いつか殺られる! だから、こっちから出かけて行って一匹残らず滅ぼさないと根本的な解決にはならない」
「撃退されたのが奴らの罠だったらどうするの」
「どういうことだ?」
 ルーシーは相手にわからないように軽く溜息をついた。
「一度目は本当に撃退できたのかもしれない。幸運にもね。でも二回目はあまりに呆気なさすぎたと思わない。奴らはきっと待ってるのよ、私たちが勝てると過信して自ら仕掛けてくるのを。そうでなきゃ、恐怖心に耐えかねて自暴自棄な攻撃に移るのを。私はそう思う。とにかく今は籠城が一番よ」
「死を待つだけだ!」
「マリク。あなたは復讐心に駆られてるだけ」ルーシーは反論しようとする男を遮ると、その目を真正面から見据えた。「そんなこと、タリサだって喜ばないわ」
 死んだ恋人の名前がマリクの理性を少なからず呼び戻した。ルーシーは間髪入れず、城砦建設責任者としての顔に戻った。
「人手は回すわ。でもここの設備ができて稼働を完全に確認できてからよ。過去二回のヴァンパイアの侵攻を防いだ城壁を信用できない馬鹿どもに、あなたから建設現場は何も心配はないって言っといて。それに、こっちからの攻撃もなしよ。これは特にあなたに言っておくわ」
「そんな馬鹿な……」
「何が『馬鹿』なの。まだ何かあるの?」
 マリクの絶句にルーシーはその視線を追った。
 少し離れた資材置き場の陰から不安そうに自分たちを見ているナナの姿がそこにあった。
               *
「人を呼ばなかったのは感謝してるわ」
「人を呼んで立場がマズくなるのは私たちの方だからね。別に感謝なんかしてくれなくて結構よ。ヴァンパイアを城砦に引き入れたなんて思われでもしたら大事(おおごと)だから」
「ルー、こいつは!」
「いいの」ルーシーは今にも怒りを爆発させそうなマリクを制すると、ナナに探るような視線を向けた「問題は、あなたが、どうやって城砦に入れたかよ」
「出入管理は人間と量子脳のダブルチェックだが、ここ二年間は城門が開いたことすらない。裏切り者がいるとしか考えられない!」マリクはナナを指差した。「そいつが、こいつを手引きしたとしか考えられない。誰だ。誰の手引きだ?!」
「やっと、まともに口をきいてくれたと思ったら、尋問なのマリク?」
「軽々しく俺の名前を呼ぶな、ヴァンパイアの分際で!」
「あなたこそ黙って!」再びマリクを制すると、ルーシーは射抜くようにナナの瞳を見た。「正直に言うわ。私たち人間はヴァンパイアを恐れてる。その気になれば、あなたは私たち二人を簡単に殺すこともできたはず。それをしなかったのは何らかの計画があるのか、それともあなたに人間の理性が、まだ少しは残っているのかのどちらかよ。でも考えてもわからない。だから自分の勘に賭けるしかない。私は後者に賭ける。だから教えてくれる。どうやって城砦の中に入れたの、ナナ?」
「『どうやって』って、ただ壁を乗り越えたわ」
「嘘よ」
「嘘じゃないわ」
「ナナ。ヴァンパイアは嘘偽りのない人間の心からの招待なしには、人間の領域に入ることはできないのよ。今まで私たちはそれで奴らの侵入を防いできた」
「でも乗り越えた。それしか方法がなかったから」ナナは頭を左右に振るマリクを無視して、意を決して自分も疑念を口にした。「ねぇ、私も聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「この城壁で囲まれた街は出来て暫く経つみたいだけど、あなたと最後に会話してから、まだ一週間くらいしか経ってないわ。なぜ、こんな大規模プロジェクトが進行してた事実を私には教えてくれなかったの?」
 やがて口を開いたルーシーは怪訝な表情を隠そうともしなかった。
「あなたこそ何を言ってるの。あなたとの最後の会話から、もう九年半も経ってるのよ」
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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