第37話 説得と打算と

文字数 5,436文字

 円形闘技場の外周に設置された広々とした屋内螺旋廊下は、閉鎖されたフィールドとは正反対に充分な採光を考えて片側に分厚い高硬度アクリルブロックがはめ込まれていた。その透明な外壁は外の寒波を遮るだけでなく、無機的な建物群の中にあって古代の優美さを保っていた。だが、それも今日までの話だ。廊下を行くレン補佐長は鳴りひびく野蛮な歓声を聞きながらそう思わずにいられなかった。
 今また都市の一角から大量の黒い煤が渦巻きながら吹き上がるのが見えた。螺旋廊下の上から、ぞろぞろ下りてきた保守機械(オート・マトン)の一群がレン補佐長一行とすれ違いざまにその光景に反応して一斉に外へセンサーを向けたが、すぐに興味をなくして、また移動を再開した。
 黒い煤は建物の屋上各所に設置したアルキメデスの熱線砲(ヒート・レイ)が大量発生したヴァンパイアを焼いた証しだろう。先程もたらされた物見(スカウト)からの第一報から察すると、奴らは順調にこちらへ移動していると判断できる。ただ一つ心配なのは、焼いても焼いても敵の数が一向に減らず、闘技場に近づくにつれて増えすぎてしまうことだ。だが、まぁいい。それすらも想定済みだ。レン補佐長の顔に自然と笑みが浮かんだ。
「清潔さを保つためには、汚れは一気に掃除をするのが一番なのだ」
 レン補佐長は、今の独り言を命令と勘違いして近づいた護衛に手を振って制すると、最後の仕上げを確認するため、長々と続く螺旋廊下の先を急いだ。その一行の後ろには徐々に距離を詰めつつある一つの人影があった。エイブだった。背中を深く負傷していた彼は闘技場の一ブロック手前に停めた橇でファニュたちがナナクサを救出してくるのを延々と待っていたが、彼らが帰ってくる気配がないどころか、宿舎から移動してくる新参者の戦士たちの非常呼集を見て、仕方なく単独行動に移ったのだ。エイブは闘技場へと進む戦士たちに何食わぬ顔で合流すると、彼らから仲間が捕まり、今まさに処刑されようとしている事実を聞きだした。エイブはすぐにレン補佐長の姿を捜し求めた。傷ついた自分が思い通りにできる権力者は彼を置いて他におらず、彼を捕虜にするのが現段階では仲間を助ける最上の方法だったからだ。レン補佐長は絶えず十名前後の護衛とともに行動していたので、彼を人ごみから見つけ出すのは容易かった。しかし彼は移動中、滅多に一人にはならなかったので、エイブは執念深い蛇のようにチャンスを伺い、螺旋廊下の終点で護衛を下がらせた補佐長と、やっと二人きりになるチャンスを得た。
 レン補佐長は螺旋廊下の終点までくると、そこから屋上へ出て、そこに造りつけられている数棟の楼閣の中でも特に大きい上部構造体に登る幅の広い螺旋階段へ向かった。エイブは廊下の陰に身を潜めて護衛をやり過ごすと、再びその後を追った。大きな上部構造体は太い六本の柱で支えられていた。エイブは広大な屋上に出ると、すぐにレン補佐長の後を追おうとしたが、違和感を感じて足を止めた。滑らかなはずの屋根の至る所にクレーターが穿(うが)たれ、あばた状になった一つ一つのそれに三、四体の保守機械(オート・マトン)が深く潜り込んでいたからだ。エイブが穴の一つに近づいてみると保守機械(オート・マトン)はどれも壊れたように動かなかった。彼は以前、壊れた保守機械(オート・マトン)を、通りや建物内で何度か見かける機会があったが、完全に動かなくなったそれは、どこからともなく現れた別の個体に担ぎ上げられて、すぐに姿を消していた。しかし、これはそのとき見た光景とは違って、今まで見たことのないものだった。エイブは触れたこともない機械の表面に恐るおそる触れてみた。すると微かな振動が手に伝わってきた。壊れてもいなければ、機能が完全に停止しているわけでもないようだ。しかも目の前のおびただしいクレーターはいったい何を意味しているのだろうか。エイブが首を捻っていると、上部構造体に続く螺旋階段に動きがあった。近くの柱の陰に身を潜めたエイブの耳に、さらに多くの保守機械(オート・マトン)が移動する金属がこすれ合う音が聞こえてきた。覗いてみると、レン補佐長を取り囲むようにして螺旋階段を下りてくる機械の一団が見えた。彼は片手に太い棒状のモノを持っていた。それを振るうと、保守機械(オート・マトン)は六本の柱それぞれに、カブト虫のように次々と取り付いた。そしてあろうことか、保守とは正反対に強化セラミックでできた柱を一心不乱に削り始めた。エイブの頭上からも、彼の両脇をすり抜けて取りついた数体の保守機械(オート・マトン)が削る細かなセラミック片が降りはじめた。レン補佐長が魔法使いでもなければ、あの棒状のモノで保守機械(オート・マトン)を自在に操っているに違いない。しかし、なぜだ。エイブは考えを巡らせてみたが、この非常時に屋上の破壊に勤しむレン補佐長の真意を測りかねた。たぶん、これ以上考えても答えは出ないだろう。それに答えが出たところで、現状がどうなるものでもないはずだ。彼は考えるのをやめて仲間の救助に意識を集中した。
「補佐長閣下」エイブは背中の激痛も忘れてナイフを抜いて宣言した。「ご一緒いただきます」
 レン補佐長の顔に衝撃が走った。しかし、それは見事なまでにすぐさま掻き消された。これは職業柄培われた彼の武器だった。常に冷静であれ。レン補佐長はこの武器で今まで降りかかった危難を幾度となく潜り抜けてきたのだ。彼は相手を素早く観察した。相手は若い準戦士。興奮と焦りが表情からも見てとれる。
「準戦士が私になんの用だ?」
「時間がないので単刀直入に申し上げる。闘技場で闘っている仲間を救ってほしい」
「闘っている仲間を救えだと?」レン補佐長は怪訝そうに片眉を上げた。「確かお前は女ヴァンパイアの捕獲に功績のあったという……そう。エイブ・Hだったな」
 エイブは小さく頷くとナイフの切っ先をレン補佐長につきつけた。
「見たところ、お前も私同様、無用な時間浪費を嫌うタイプのようだ。答えは(いな)だ。誇り高き戦士よ」
 切っ先が、さらに近づいた。レン補佐長はプライドに訴えた作戦の失敗を理解した。やはり目の前にいるのは人工子宮(ホーリー・カプセル)生まれの単純な戦士ではないのだ。彼はすぐさま相手の攻略法を変更した。
「下の歓声が聞こえるか?」
 エイブが黙ったままなので、レン補佐長は先を続けた。
「あれはヴァンパイアの処刑だ。お前が懇意にしていたクイン・Mは裏切り者だ。ヴァンパイアと行動をともにしたのだ。お前が、私や第一指導者(ヘル・シング)の立場なら、処刑以外にどんな裁可を下せるというのだ?」
「助けるね。危険じゃないから」
「ほぅ」レン補佐長は目を剥いた。「ならば、いま第九街区で起こっている大掛かりな破壊活動はどうなのだ。あれでも危険ではないと言い張れるのか?」
「彼らにも事情があるんでしょうよ」エイブはぶっきらぼうに答えた、自分もヴァンパイアたちと行動を共にしていたことなど、おくびにも出さずに。
「どんな事情だね?」
「わかりませんね。でも私が会った女ヴァンパイアは危険じゃなかった」
「しかしヴァンパイアが持つ力が危険であることに変わりはない。違うかね?」レン補佐長は自分に向けられた切っ先が少し下がるのを視野に捉えると、遠くの街区から立ちのぼる大量の煤に視線を向けた。「お前は徴用された準戦士だ。この城塞都市(カム・アー)には未練がないどころか、苦々しく思っていることだろう。それを知っているからこそ、城塞管理(カム・アー)の責任者である私を助けてくれとは頼まない。また、お前自身も、私に対して、そうするだけの意思も義理も感じてはいなかろう。だからといって、お前の頼みを聞くことはできない。理由はいま話した通り、危険だからだ。それに、もし私がお前の頼みを聞き入れたとして、あの第一指導者(ヘル・シング)がクイン・Mたちの放免を聞き入れると思うか?」
「あなたは口が上手いでしょう」
 レン補佐長は表情を変えず、口角だけを上げた。
「褒められたことは嬉しく思うが、私にも限界がある。それに、お前は私を人質にでもしたつもりだろうが、無駄なことだ。私がいなくなっても、代わりの補佐がすぐに跡を執る」
「でも、他の補佐はあなたほど優秀じゃない」
「なるほど」レン補佐長は溜め息をついてみせた。「あの第一指導者(ヘル・シング)でなければ、お前のように私の才能を惜しんでくれる指導者がいるかもしれんがね」
「捕まった中には人間の女の子もいたはず。あの娘だけでも」
「残念ながら、その娘も同罪だ」レン補佐長は首を振った。
「どうしても駄目だと?」
「駄目ではない。無理なのだ。お前は利口だ。だから理解できるだろう。それでも無謀を押し通すのか?」エイブのナイフが下がるのを見て、レン補佐長は、さらに言葉を投げ掛けた。「先が予測できるということは不幸なことだ。しかし裏を返せば、先を見通すことで、次に起こることを予測し、最終的には状況そのものを支配することが可能になってくる。お前は懇意の者たちを救うことができないが、自分自身の未来を救うことはできる」
「なにが言いたい?」
「言葉通りだ」
 レン補佐長の目を見ながら、エイブは頷いた。
「ナイフを突きつけ、彼らの助命をお願いしたことを知っているのは、あなただけだ。それを不問に付してくれるとでも?」
「もちろんだ。しかも、それだけではない。見るがいい」
 レン補佐長は柱と柱の間に設けられた六つの大きな明り取りの一つまでエイブを促すと、黒い棒を操作して、明かり取りにこびり付いた厚い氷を四台の保守機械(オート・マトン)に処理させた。すると、その下から直径四メートルを超える透明な高硬度アクリルが現れた。それを通して見える遙か下のフィールドでは今も死闘が繰り広げられているが、その時上がった大歓声を除いては、喧騒は遠く、もはや臨場感を持って聞こえてはこなかった。
「利口なお前だからこそ提案しよう。遙か下の旧態然とした野蛮な世界に縛られ続けるのがいいか、私とともに新たな秩序の中で生きながらえるのを選ぶのかを」
「なにを言ってるんですか?」
 エイブの言葉遣いの変化を瞬時に察知したレン補佐長は微笑んだ。
 「私は二人三脚で共に歩んでくれる賢い第一指導者(ヘル・シング)が欲しいのだ」
 エイブはレン補佐長の言葉に呆気にとられながらも、どこか心惹かれる自分を抑えることができなかった。しかし、その提案を飲むのは不可能というものだ。
「現実的な提案じゃありませんね。わたしには第一指導者(ヘル・シング)(たお)して後釜に座る技量も度胸もありません」
「それは心配ない。方法はある」
「でも運良くあなたの計画通りことが運んだとしても、残された戦士たちが黙ってはいませんよ」
「あ奴らが」レン補佐長はフィールドに陽光をもたらす高硬度アクリルブロックを通して下を見下ろした。「それまで生きていればな」
「どういうことですか?」
「説明がほしいのなら、私と共に歩むかどうかの返事が先ではないかな?」
 エイブは考えた。レン補佐長の夢が叶ったとしても自分は一生、彼の操り人形だろう。だが、それでも今の生活より数万倍もましであることに変わりはない。それに、これは補佐長からの最初で最後の提案だろう。
「わかりました」と、小さく頷いたエイブにレン補佐長は満足そうに頷き返すと、広大な屋根と柱に群がる保守機械(オート・マトン)に視線を転じた。
「この機械どもは大昔より完全自動で城塞都市(カム・アー)内のあらゆる保守点検を行っているが、ちょうど八代前の補佐長が、こ奴らを自在に操る秘密の操作機械を見つけだしたのだ。それからは代替わりごとに補佐長を務める者だけに、その宝が連綿と受け継がれてきたのだ」
 エイブは、先程レン補佐長が振っていた黒い棒状のモノが、それだと直感した。
「では、これはなんのために。機械どもになにをやらせているのですか?」
「屋根全体を削らせているのだ、崩落させるために」
 エイブは事もなげにそう言い放ったレン補佐長をまじまじと見つめずにはいられなかった。
「そんなことをすれば、下にいる者たちは皆……」
「お前が君臨するのに邪魔なだけだ。あの愚かな第一指導者(ヘル・シング)ともども一気に押し潰してやれば後腐れがない」レン補佐長はエイブの肩に手を置いた。「なあに、心配しなくても戦士など、また量産すればいい。足らなければ徴用してもいいではないか」
「補佐長閣下」
「なにかね?」
「邪魔者をすべて一気に排除するとおっしゃるのなら……もしそれが可能なら」
 レン補佐長は人差し指を立ててエイブを牽制した。
第一指導者(ヘル・シング)ごと邪魔者を一気に消すのであれば、懇意の者だけ、その前に助けてくれと言いたいのだろうが、それは駄目だ。多くの者を一所(ひとところ)に縛り付けておくだけの餌が要る。気取(けど)られたら元も子もない。それに一気に片付けるのは、いま闘技場にいる者たちだけではないのだ」
 レン補佐長はゆったりと背中で手を組むと、薄れはじめた第九街区の煤に目を向けた。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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