第41話 無力

文字数 3,194文字

 長い旅の道中。
 笑ったり、ふざけ合ったり、危険に遭遇してヒヤリとしたり、そして時には喧嘩したりと色々なことがあった。ジョウシは、いま置かれた状況で、そんな場違いな思いに駆られる自分がいることに驚きと不可思議さを感じていた。悲しみも、もちろんあった。ジンジツを失った悲しみを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる。でも、これから味わう悲しみはどうだ。まるで他人事のようではないか。お祭りの村芝居を見ているようで、まったく現実味がない。ジンジツを失った衝撃でいつの間にか悲しむ心が麻痺してしまっていたのだろうか。それとも本当の悲しみを感じることができないほど冷たい心の持ち主なのだろうか。いや、悲しみよりも大きな安らぎがそれを乗り越えた先にあると信じるから平然としていられるのか……。では、その安らぎは、これから味わう喪失感も十分に埋めてくれるものなのだろうか。晴れて大人の仲間入りを果たしたとき。生涯において心の均衡を保つ一助となってくれるものなのだろうか……。たぶん、そんなことはわからない。大人になり十分に歳を重ねたところで自分にはわかりそうにもない。だが、今やるべきことはわかる。今度は人任せにせず、自分がやらねばならないのだ。
 ジョウシの前には今にも息を引き取ろうとしているチョウヨウと彼女の傍らで悲嘆にくれるタンゴがいる。ただ一つ違うのは、その二人の傷を覆う黒い(もや)の存在だ。その(もや)は呼吸をするように濃くなったり薄くなったりを繰り返し、二人の仲間を著しく蝕んでいる気がする。事実、(もや)が濃くなると二人の表情は険しく、何かに耐えているように歪むが、薄くなると反対に顔の険が取れて気の置けない仲間であることを思い出させてくれる。間違いなく、二人はこの黒い(もや)に悪影響を受けているのだ。しかも、この邪悪な存在を自分はどうすることもできない。
 ジョウシは二人の傍らに片膝をつくと自分の見解を手短に述べた。(もや)が薄くなるとチョウヨウはひらひらと片手を振って了解を示したが、タンゴは口を真一文字に結んで首を左右に振るばかりだった。
「タンゴ」ジョウシは大男を見つめた。「どのような血を使うかは関係あるまい。問題なのはお前たち二人に憑りついたこの黒き(もや)じゃ。これがお前たちを汚染しておるのは間違いなかろう。じゃが、我れはこれをどうすることもできぬ」
「言うな……」
「チョウヨウもそれがわかっておるからこそ自ら命を絶とうとしたのじゃ。それにナナクサが闘技場の中で助けを求めておる」
「ナナクサが……ファニュは?」
 苦しい息の中で仲間を心配するチョウヨウにジョウシは「わからぬ」と正直に答えた。
「ファニュは、あの娘はあたいが、ここへ戻れって炊きつけたんだ……」
「自らを責むるでない」
「責めてなんかないよ」
「では、なんじゃ?」
「まだ責任があんだよ、あの娘に……」
「我れらは皆そうじゃ」力なく応えたジョウシは、意を決してチョウヨウの目を見据えた。「お前が造ったという怪物どもじゃが、ここにいる人間たちには目もくれずに闘技場に向かっていきおった。で、お前が自分の胸を貫いたときじゃが、あの怪物どもも胸を押さえて苦しみだしおった。おそらく、お前自身と深きところで繋がっておるのじゃろう」
「あんたもそう感じたかい」チョウヨウは同意を求めた。「だったら、あたいは仲間を助けることができると思わないかい?」
 タンゴはジョウシの肩を掴むと首を左右に振り、これ以上言うなと無言の懇願をした。彼にも、その方法がわかったのだ。しかし、ジョウシは「たぶん」とチョウヨウに肯定の相槌を打った。
「じゃぁ、頼めるかい?」
 ジョウシは頷くと家宝の銀のナイフを懐から取り出した。そして目の前のタンゴの目を見た。タンゴが崖から滑落して瀕死のとき、幼馴染みのナナクサに楽にしてやるように促したことがあった。いま思えば偉そうなことをナナクサに言いながら、実のところ自分にはそれを実行するだけの勇気がなかったのだ。だから、あんな残酷なことが平気でナナクサに言えたのだ。ジョウシは自分のズルさを恥じた。だが今度は自分が仲間に責任を果たしてやる番だ。
「タンゴ」ジョウシは大男の目を見つめた。「お前から想い人を奪う我を一生涯、憎み続けよ」
「言うな……」
「いいや。お前にこれをさせるわけにはゆかぬからじゃ」ジョウシは銀のナイフの柄を握り締めた。「もしさせることができたとしても、それでお前は自分自身を永遠に許せなくなるであろう。それゆえ、これだけはお前にさせるわけにはいかぬのだ」
「それは」タンゴはジョウシのナイフを握る手を押し止めて、ゆっくりと左右に首を振った。「それは、お前も同じだろ、ジョウシ」
「これは我れの務めじゃ……」
「わかってる。いや、君に言われるまでもなく僕にもわかってる。でも、それは君の務めじゃない……」
「タンゴ。お前は、なにを言うておる?」
「すまなかった、ジョウシ。この黒い(もや)は強くてしつこい。それにとてつもなく邪悪だ。こいつに魅入られてる限り、チョウヨウを助けることなんて絶対にできないと思う。僕にはそれを認めるだけの強さがなかったんだ。それに、こいつは僕も支配下に置いてる。そう感じるんだ。いつまた暴走するかって不安で仕方ないよ」タンゴはジョウシの頭越しに遠くの高層建築群に目をやった。「だから、チョウヨウと一緒に闘わなきゃいけないと思うんだ。黒い(もや)は、どちらか一方が残ってれば、また再生してしまうみたいだからね」
 ジョウシは目の前の大男の瞳の中に、遙か後方の建物群の屋上で自分の身体を焼いた反射鏡が無数に首をもたげつつあるのを見た。
「止めろ、タンゴ。ならぬ!」
 タンゴの意図を察したジョウシが空かさず止めたが、今度はタンゴがジョウシを言い含める番だった。
「もう決めたんだよ。これしか方法はない。だから君は手を出さないでくれ」タンゴは微笑んだ。「心配しなくても大丈夫。強い奴のやっつけ方なら、ずいぶん前に君から聞いて知ってるから」
 タンゴはジョウシが止める間もなく広い胸にチョウヨウの身体をもたれさせたまま、器用に自分の上半身の衣服を引き裂いて剥ぎ取った。そしてファニュに贈られた十字架のペンダントを外し、それをジョウシに手渡した。タンゴの姿にジンジツのそれが重なった。
「それ。ファニュに返してやってくれ」
「さぁ…もう行きなよ、ジョウシ……」
 ジョウシは二人の顔を見て、ただ頷くことしかできなかった。頷きながら二人の顔が視界の中でぼやけた。彼女は時間を無駄にせず、周りの人間たちに向き直ると誰もいない建物を探して、なにがあっても中で隠れているように伝えた。しかし、それでも動こうとしないので「早く行け!」と追い立てた。栗色の髪の少年は最後までその場を離れようとしなかったが、やがて人々の後を追った。
 ジョウシは空を見上げ、欠けがえのない二人の仲間との別れがもうすぐそこまで迫っていることを悟った。彼女はいま一度振り返ると二人の後ろ姿を脳裏に焼き付けた。もう声は掛けなかった。ジョウシが闘技場に入ってすぐの物陰に身を潜めたとき、雲の切れ目から放たれた陽光が二十枚を超える大きな鏡で即座に跳ね返され、その集光された輝きがタンゴとチョウヨウの身体を包み込んだ。
 ジョウシは吹き上がる炎の音に混じって二人の悲鳴が聞こえたように感じた。そして彼女は他人事のような悲しみや、それを乗り越えた先に得られるはずの安らぎなど、すべてまやかしだったと痛感した。
 人目は無かったが、ジョウシは幼子のように肩を震わせて泣いた。そして泣き終わると涙を拭い、形見の十字架を首から提げて残った仲間を助けに向かった。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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