第7話 第一指導者

文字数 3,992文字

 ずきずきと脈打つ苦痛に苛立ちながら、新たな第一指導者(ヘル・シング)に就任した、その大男は部下たちに促されて闘技場までの長い回廊を無言で歩いていた。太陽が燦々と降り注ぐ透明な強化アクリル張りの回廊は空調を使わなくても温室効果で心地よい暖かさに包まれていた。第一指導者(ヘル・シング)は、そんな光の中を歩きながら何度も自分に言い聞かせていた。「この傷は歴史だ。これから歴史になるのだ」と。
 前の指導者も、その前任者も、その前の者も、過去の第一指導者(ヘル・シング)たちは、皆、成るべくして第一指導者(ヘル・シング)に就任しただけだが、自分は違う。始めの第一指導者(ヘル・シング)化け物(クリーチャー)どもと闘って受けた傷と同じものを、今日のため 、聖痕として自らの顔に刻み付けたのだ。彼にとってこの聖痕は今まで、だらだら続いてきただけの歴史に対する挑戦だった。自分の存在を全人類の記憶に深く焼付け、永遠に忘れえぬ英雄として君臨してやろうという揺るぎない決意の表れだった。だから誰に対しても一切の弱味を見せてはならないのだ。並の人間どもが持つ痛みなどもっての外だ。しかし人工子宮(ホーリー・カプセル)生まれであっても彼も人である以上、苦痛を全く排することなどできはしない。ただ幸いなことに顔の大部分を分厚く覆う包帯が、ともすれば苦痛に歪む表情を隠してくれる。しかし、(せわ)しなく前を歩く補佐長のコツコツという靴音は彼の心を逆撫でし、その苛立たしさは意識の外に放り出そうとする苦痛を再び自分の下へと呼び戻す。歩くたびに漏れそうになる呻き声と、その苦痛に対する罵りを押し殺すのに、彼は少なからぬ忍耐を必要とした。
               *
 第一指導者(ヘル・シング)を先導するレン補佐長は、今にもこの巨人に踏み殺されるのではないかという不安を拭い去れないでいた。なぜなら、その大股で容赦のない足音が怒りに満ち満ちていたからだ。おそらく顔に深々と刻み込んだ傷の痛みのせいだろう。必ず、いやきっとそうに違いない。人の心を察知する敏感さに長けて補佐長にまで上り詰めた自分でなくとも、それくらいの想像はつく。それほど新たな第一指導者(ヘル・シング)の体中から噴き出す痛みと怒りの激しさは彼の分厚いローブの上からもピリピリと感じられた。もし自分がこんな傷を身体に刻み込まれたら。そんなことになるくらいなら、清殉隊(ピューリター)に任命される方が何倍もマシだ。少なくとも死に伴う痛みは一瞬で終わるはずだからだ。
 レン補佐長は第一指導者(ヘル・シング)を護衛する屈強な戦士たちにチラリと目をやった。みな無表情な双眸と岩のような体躯を持ち、それでいて命令を盲信する熱意を体中から発散させている。こいつらは目の前の指導者から清殉隊(ピューリター)に任命される日を指折り夢見ている、まさに狂戦士。まったく正気の沙汰ではない。彼は第一指導者(ヘル・シング)に気付かれないよう微かに身震いすると、彼らから逃れるように歩く速度を速めて距離をとった。
               *
 広大な城壁に守られた城塞都市『カム・アー』。その中でも、この円形闘技場を内包する巨大な建物は、石とローマ式コンクリートで幾重にも包まれ、未だに荘厳な美しさと堅牢さを誇示し続けていた。その迷路のように入り組んだ内部。ちょうど中心区画の入り口に分厚い門扉が三か所あり、その両側を大きな槍を持った門衛がそれぞれ控えていた。回廊を渡って闘技場の前に到着した先導役のレン補佐長は、門衛に第一の門を開けさせると第二の門の前で、第一指導者(ヘル・シング)に向き直り、(うやうや)しく頭を垂れた。
「皆、あなた様をお待ちしております」
 包帯から一つだけ覗く左目で、第一指導者(ヘル・シング)は目の前にいる補佐長をギロリと一瞥した。彼がびくりと首をすくめると、巨人は満足気な表情を包帯から覗く一つ目に一瞬宿らせた。そして門衛が動くより早く丸太のような両腕を突き出し、目の前のドアを勢いよく開くと大股で闘技場の中へ一歩足を踏み入れた。
 一瞬の静寂の後、闘技場に歓声が轟いた。
 円形闘技場の中央に天頂の明かり取りから一筋の太陽光が伸びている。第一指導者(ヘル・シング)は歓声の中を、レン補佐長を伴って太陽のスポットライトまで時間をかけて、ゆっくりと進んでいった。そして明かりの中に到着すると片手を上げて喧騒を制した。静まり返った闘技場を一通り満足気に見渡した彼は次に大理石のような両腕を掲げ、猛獣のような声を張り上げた。
「いよいよ時が来た!」
 再び起こった歓声が収まるのを待って、第一指導者(ヘル・シング)は再び口を開いた。その包帯の中の隻眼(せきがん)は、集会場の壁一面に嵌め込まれた無数の巨大モニター画面の中で固唾を飲んで待っている遠く離れた辺塞の一人一人にもゆっくりと向けられた。
「時は来たのだ。この世界を再び神の子の手に。再び人の手に。俺たちの時代に全ての決着をつけるのだ!」
 闘技場内に、彼の呼び掛けに応える者たちの歓声と唱和の波が充満した。
「武器もある!」
 第一指導者(ヘル・シング)の叫びに、モニター内の各所にも剣を振り上げる姿が踊った。
「究極の武器もだ!」
 その叫びが合図となって闘技場の床が大きく開き、大きな凹面鏡――アルキメデスの(ヒート・レイ)――が二台と巨像が三頭も入りそうな大きさの鳥籠状の檻。そして何かの品物が載ったテーブルがせり上げられた。歓声が一層大きくなると、檻の中のモノが興奮して暴れだし、丈夫な鉄格子を壊す勢いでガンガン叩いて揺すり始めた。一通りのお披露目を終えると、第一指導者(ヘル・シング)は片手を上げて歓声を一挙に沈めた。
「そして俺たちには勇気がある!」
 第一指導者(ヘル・シング)は激痛をものともせず、顔面の半分以上を覆い尽くした包帯を片手で引きちぎった。闘技場全体に無言のどよめきが、さざ波のように走った。その反応を見た第一指導者(ヘル・シング)がニヤリと笑うと赤黒い瘡蓋(かさぶた)が剥がれ、血が床にぼたぼた滴り落ちた。彼は小柄な補佐長に呼び掛けた。
「レン補佐長」
 愚か者にしては大した扇動だ。第一指導者(ヘル・シング)はこうでなければならないという良い見本だな。だが、やりすぎては早晩、身の破滅に繋がるのだがな。と、第一指導者(ヘル・シング)の脇に佇むレン補佐長は感情を押し殺してその光景を冷ややかに見つめ続けた。
「レン補佐長!」
 第一指導者(ヘル・シング)の怒声に我を取り戻した彼は自身の迂闊(うかつ)さを呪いながらも、即座に自分の役目を思い出して、行動に移った。彼はテーブルの上から一抱えもありそうな白い陶器の盆を持ち上げ、第一指導者の前まで小走りで持ってゆくと、顔を伏せたままそれを(うやうや)しく持ち上げた。第一指導者(ヘル・シング)は、陶器にかけられた布を勢いよくまくった。盆の上には、紛れもない化け物の腕があった。人間の腕とそっくりなそれは、だいぶ以前から暗所保存されていたためか、その色は狩られた時からますます青白くなっており、その表面に付いた霜がキラキラと輝いて大きな青い宝石(サファイヤ)のように見えた。
「奴らを滅ぼせ!」
 言うや否や、第一指導者は化け物の腕を掴んで天窓から差し込む陽の光に晒した。晒された腕は、その表面全体から魔法のように水蒸気を噴き出し、次いで青白い炎に包まれた。指導者はその熱に耐えられなくなる前に腕を光の外へ出すと、未だに燻り続けるそれを振り回して声高らかに宣言した。
「行動を開始するのだ!」
               *
 大歓声の中、モニター画面が次々と消えてゆき、滑らかな鏡面へと変わっていった。集められた数千の戦士たちも次々と闘技場を後にし、三十分もすると天窓から差し込む陽の光と静寂に包まれた。第一指導者(ヘル・シング)はレン補佐長や護衛たちに向き直った。レン補佐長は、この巨人がまた愚にもつかないことを考えているのだろうと心の中で舌打ちした。彼は化け物の腕の匂いを嗅ぐと、にやりと笑ってそれを差し出した。補佐長は吐き気に堪えた。聴衆もほとんどいないにもかかわらず、第一指導者(ヘル・シング)が何を望んでいるのか、すぐさま察しがついたからだ。補佐長は弱々しく首を横に振って拒絶の意志を伝えると深々と頭を垂れた。こんなことは蛮行であって、断じて勇気の発露ではない。ましてや何のパフォーマンスにもなりはしない。だが、それを伝えて彼の機嫌を損ねる愚行を犯す勇気もなかった。なぜなら、さきほど目の前の指導者の呼び掛けを失念した失態があったからだ。
 第一指導者(ヘル・シング)は未だ水蒸気を発する腕にかぶりつくと、その肉を勢いよく噛み千切った。角張った屈強そうな顎で、その肉を噛み砕いて呑み下す間、護衛たちは畏れと羨望の入り混じった視線を指導者に向け続けた。
「今度は我々が奴らを喰らう番だ。奴らの汚れた肉を我々の身体の中で浄化してやるのだ。そして古代の戦士のように、神に賞賛されるのだ」
 レン補佐長とすれ違いざま、第一指導者(ヘル・シング)は頭五つ分も低い位置にある彼の耳元まで身体を折り曲げると不快を催す声で囁いた。
「好き嫌いはいかんな」吐き気を催す生臭い匂いが、その口から漂ってくる。「ダイオウイカよりはイケるかもしれんぞ、こいつらの肉も」
 レン補佐長の後ろでは、巨大な鳥籠状の檻の中で第一指導者(ヘル・シング)に投げ与えられた腕を硬い骨ごと噛み砕く、最終兵器の胸の悪くなる晩餐が繰り広げられていた。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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