第12話 化物の巣

文字数 6,201文字

 もう少し遅ければ気付かなかっただろう。
 雪嵐(ブリザード)の中を進んでいたナナクサたち一行は雪に埋まりかけた一人の人間を助けた。ほかの村からの追放者かもしれないから無分別に手助けをしていいものかとの意見も上がったが、それにしてはその遭難者はあまりにも幼く見えた。それに旅程が遅れているとはいえ、仲間を失ったばかりの喪失感の幾ばくかは埋められるかもしれないとの思いも、彼らの心には確かに存在した。
 彼らは昼間に唯一行動できる雪嵐(ブリザード)の恩恵を見送ると、近くにあった氷の巨塊に十分な棺桶穴(シェルター)を掘り抜き、その中に意識のない遭難者の体を運び込んだ。そしてその遭難者をよく観察するために緊急用にと各村から持たされていた貴重な植物油を石の器に入れて、それに芯をひたして火を灯した。穴の中は眩しいほどの光で満たされた。
「まだ幼いな。七十歳くらいかな?」
 遭難者の顔を覆う分厚いマフラーとフードをまくったタンゴが皆に意見を求めた。
「直接、この娘に触らないほうがいい」薬師(くすし)見習いのタナバタが雪焼けの人間の顔には珍しくもない少女の顔のそばかすを慎重に指差した。「この斑点は見たことがないし、聞いたこともない。何らかの病にかかっている可能性がある」
「伝染病か?」と、仲間の中から微かに不安の声が上がった。
「いや、わからない。でも用心に越したことはないよ」
「そうだな」と、次にチョウヨウが遭難者の燃えるような赤毛に注意を促した。「それに、こんな髪の色も見たことがねぇよ」
「とにかく」心配そうなタンゴの視線が遭難者の幼い顔に注がれた。「こんな七十歳にもならないような少女が一人でこんなところに行き倒れてるなんて普通じゃないよ」
「そうだな。確かにそのとおりだ」
 幼い上に、顔に追放者の刻印が彫り込まれていない限り、行き倒れであると判断するしかない。遭難者や傷病者を遺棄する文化を持たないナナクサたちは、少女から行き倒れの経緯を聞き出すのが一番だと判断した。
「じゃぁ、いいね。起こすよ」
 タナバタの言葉が合図であったかのように少女の肩を揺すろうとするチョウヨウをタンゴが制した。
「今はそっとしといてやろうよ。気が付くまで、もう少し待ってやろう」
「タンゴよ」と、今度はジョウシが深刻さを声に滲ませた。「そうは、ゆかぬやもしれぬぞ」
 皆の視線がジョウシと彼女の手に注がれた。ジョウシの右手の指先は薄っすらとではあるが凍傷のように黒く変色していた。横にいたナナクサはそれを見て顔色を変えた。彼女は床から氷を一つかみ削り取るとジョウシの壊死しかけた指先をそれできつく包み込んだ。
「いったい、どうして?」
 ナナクサの問い掛けにジョウシは少女の鞄に顎をしゃくった。
「中には大海獣(ン・ダゴ)の触腕。他にも不可解な物が色々とあったが」
 ナナクサはジョウシ言葉の途中から少女の鞄の中を手袋越しに慎重に調べ始めた。そして小さな布袋を手に取ると、そこから微かに臭い立つ甘い猛毒の微粒子をすぐさま感知するや否や、すぐさまそれを鞄に戻した。それは薬師(くすし)なら見習いであっても間違いようのない猛毒の実である雪ニンニクから発する毒香であった。
「猛毒を所持しておるだけではない。取り分け、この書物。恐らくは絵地図の(たぐい)と思うのじゃが」ジョウシは負傷していない方の手で、既に取り出していた四つ折りの分厚い革を皆に見えるように差し上げた。
「読めぬのじゃ。これに書かれておるは、我らがルルイエ文字にあらず」ジョウシは自分の言葉が皆に理解されるのを待って再び口を開いた。「じゃが、亡き父上の古き書物を盗み見たとき、目にしたものに、よく似ておる。これは恐らく失われし古代文字じゃ」
               *
 意識を取り戻す時、シェ・ファニュは胸の奥に疼痛を覚えて咳き込んだ。薄っすらと開いた瞳の前に人の良さそうな男の丸顔が微かに見えた。エイブか……いえ、彼じゃない。暖かそうな薄明かりの中にぼおっと浮き上がった、まるで死人のように血の気がない顔。死人……。そうだ、私は死んだのだ。ファニュは思い出した。もう三、四日待てばよかったのだ。焦って隊商を探そうとしたのが運の尽き。だから雪嵐(ブリザード)の中で行き倒れて死ぬ羽目になったのだ。しかし、それもいいかもしれない。天国からちゃんと天使が迎えに来てくれたんだから。そう思った矢先、再び胸の奥が傷んで咳き込んだ。死んだら痛みや苦しみはないんじゃなかったかと思ったとき、首の後ろを力強い手に支えられて上体が起こされた。
「気が付いたんだな。さぁ、これを」
 抗うまでもなくファニュの口の中にとろみのある液体が流し込まれた。味がなく、生臭い油を飲んでいるような食感にむせたファニュは喉の奥からそれを吐き出した。
「やめて、天使さん……」
「ごめんよ、大丈夫かい?」
 丸顔の天使が慌ててそう言った。
「無理に飲ませない方がいいよ、タンゴ」と、桃色のショートヘアの大柄な女天使が端正な顔で丸顔の天使に注意した。
「なぁ、天使ってなに?」
「知り合いか何かの名前だろ」と、ファニュのつぶやきに反応したタンゴを見やったチョウヨウが即答した。「まだ混乱してんだよ、きっと」
 そう。まだ混乱していると、大柄な女天使の言う通りだとファニュは思った。だが混乱から解放されつつある頭の中では、目の前にいる人間たちは天使ではなく、自分もまだ死んではいないのだという思いも徐々に頭をもたげてきた。では、この人たちは何者なのか。どこの隊商なんだろう。行き倒れなど珍しくもない世界で、もし自分を助けてくれたのだとしたら、よほどの酔狂者か変わり者だ。だが事実、助けてくれたのなら決して悪い人たちではないはずだ。でも、私を囲むこの人たちの死人のような顔はどうだ。血の気のなさそうな顔。寒い中で喋っても口から水蒸気の煙がほとんど出ない。これでは天使どころか、まるで死人だ。死人でなければ……。そこまで考えた瞬間、ファニュは恐怖とパニックに襲われ、そこから抜け出そうと頭の中を必死に回転させた。アドレナリンが分泌され、体中の毛穴からどっと汗が吹き出したかと思うと胸が前後に揺れるほど心臓がドンドンと高鳴った。ぼぉっとした頭の中は、あっという間に覚醒した。そして絶対に取り乱しては駄目だという冷静な第三者の意識も心の片隅で叩き起こされた。もし自分の推測が正しければ、この人たち……いや、こいつらは……。
「混乱しているのね」と薄墨色の髪をしたほっそりとした若い女が話しかけてきた。「でも、少しだけ教えてくれない?」
 ファニュは一言も発せず、目の前の女を凝視した。優しそうな顔だ。しかも、どこかで聞いたことのある懐かしさを持った声だ。だが、物心がついてからというもの、絶え間なく教え込まれてきた『まず観察せよ』という言葉を思い出し、実行に移した。
「ねぇ、あなた名前は。どこの村から来たの?」
 それでも黙っているファニュを安心させるように女は優しげな笑顔を崩さず根気よく続けた。
「わたしはナナクサ。そしてこっちが、あなたを見つけたタンゴ。私と同じ村の出身よ」
 ファニュは女の横にいる丸顔の天使に視線を転じた。心配そうに自分を見ている。観察したところ、いま取りたてて危険はなさそうに見えた。おそらく名乗るくらい差し支えはないだろう。殺す気なら、自分はとっくに殺されて、餌食にされていたはずだ。
「ファニュ……」蚊の鳴くような声で彼女は応じた。
「えっ、なに?」
「ファニュ……。シェ・ファニュ」
「そう。あなたの名前は、ファニュね」
 ファニュはナナクサと名乗った優しく懐かしい響きを持つ声の主にこくりと頷いた。
「じゃぁ、君はどこから来たんだい?」
 タンゴからの質問にファニュは出かかった言葉を咄嗟に飲み込んだ。彼らがファニュの予想通りなら、情報は手に入れても、決してこちらの情報を与えてはならない。少女はまたもや口を真横に引き結んだ。しかし、そんなファニュの態度に業を煮やしたジョウシがナナクサとタンゴの間に割って入った。
「聞くがよい、小娘。我らはデイ・ウォークの途中じゃ。これがいかに危険で過酷なものかは、(なんじ)も存じておろう」
 ファニュは水色の髪に真っ赤な髪留めをした自分とさほど体の大きさが違わない女が言う、デイ・ウォークの意味は、さっぱりわからなかった。だが知っているかのように頷いた。
「我らはその旅程を割いてまで、行き倒れておる(なんじ)を助けたのじゃ。それもわかっておろうな?」
「おい、ジョウシ」
 思わず身を乗り出したタンゴの肩にチョウヨウの手が掛かった。
 口をつぐんだタンゴに一瞥をくれると、ジョウシは一つ一つ事実を確認するように、中断された言葉を継いだ。
「見返りを求めようとは思わぬ。じゃが、沈黙をもってその礼に()つるは、無礼ではあるまいか?」
 それでも口をつぐんだままのファニュにナナクサが再び声を掛けた。
「私たちが知りたいのはね、ファニュ。あなたがどこから来て、なぜあんな所に一人で行き倒れていたのかってことだけなのよ?」
 不安を抱えたミソカにするのと同じように、ナナクサはファニュの頬に優しく手を差し伸べた。しかし少女は怯えたようにその手からビクッと身を引いた。
 それを見たジョウシは諦めたように溜息をつくと、自分の傍らに置いたファニュのバッグを引き寄せると再度中身を検分しようとした。ファニュは自分のバッグがジョウシの手にあることに気付くと、弾かれたようにそれを引ったくった。バッグを胸に抱えた少女は目の前の男女の視線が一斉に自分に注がれるのを感じた。それとともに、これ以上の沈黙は自身の益にならないことを、その場の雰囲気から敏感に察知した。ファニュは恐る恐る口を開いた。
城塞都市(カム・アー)で、私は保証書付きで隊商に下げ渡された」
「『城塞都市(カム・アー)』……『保証書』?……」
 思わず口を開いたタンゴの膝にチョウヨウの手が置かれ、少女の話の腰を折るなと微かに揺すった。タンゴの口をつぐませたチョウヨウは先を促すように無言の視線を目の前の少女に向けた。ファニュはごくりとつばを飲み込むと、ゆっくりと確認するように言葉を続けた。
「でも隊商とはぐれてしまったの。はぐれた隊商を探していると、山のような残骸に出くわした。山のように大きくて、見たことがないくらい、たくさんの残骸。まだ燃えていた。そこで一休みして、また隊商を探しはじめた。でもまた雪嵐(ブリザード)に遭った。あとは覚えてない。それだけ」
「それだけ?」とナナクサが促した。
「そう。それだけ」
 意味不明な単語が所々に顔を覗かせはしたが、少女の遭難に至る過程に嘘はなさそうだとパーティの一行は理解した。
「わかったわ。たぶん、あなたが見た残骸の山は私たちも知ってる物だわ。ねぇ、一つ聞きたいんだけど、いい?」
 ナナクサに同意を求められたファニュはしぶしぶ頷いた。
「あなたの鞄の中にあった色々な物、特に書物……絵地図だと思うんだけど、あれはなに?」
「『なに』って?」
 ナナクサが何を質問しているかわからないファニュは怪訝そうに聞き返した。喉がカラカラに乾き、かすれ声しか出てこない。
「絵地図のようなものが入ってたわね、折り畳まれて。中には細かな模様と古代文字が書かれてた」
「『古代文字』?……」と、ファニュは小首を傾げた。
「そうよ。あれを、どこで手に入れたの?」
 ナナクサは考え込む娘に助け舟を出した。
村長(むらおさ)だって持ってないようなモノをあなたの年齢で持ち歩いているわけはないわ。それに猛毒の実まで。もしかして、どこかで拾ったの?」
 ナナクサは娘を傷つけないよう慎重に言葉を選んた。「まさかとは思うんだけど。その……もしかして、誰かのを黙って持ってきてちゃったとか?」
「『誰かのを黙って持ってきた』?……」ナナクサの質問をオウム返しにしたファニュは自分が盗みを疑われていることに反応して目を細めた。
 今まで生きるために仕方なく戦って奪うことはあっても、コソコソ盗みを働くなど決してなかったからだ。そんなことをすれば、奪われたことを知らない者の生死に関わる。戦って奪われたなら、また戦って奪い返せばいいだけだ。ファニュは思ってもいない侮辱に憤った。
「もしかして」とチョウヨウがタンゴの横でナナクサに加勢した。「死んだ仲間の形見を家族に返さず、そのまま持っているとか」
「あれは私の地図よ!」ファニュの若い自制心が吹き飛んだ。「私は薄汚い盗人なんかじゃない。他人の物を黙って盗ったことなんかない!」
「ごめんね」激烈な反応にナナクサは咄嗟にファニュをなだめた。「私もチョウヨウも悪気はなかったの。謝るわ。でも私たちが驚いたのは確かよ。史書師(かたりべ)でもない子供が古代文字が書かれた絵地図……そう、地図を持って、こんな所で行き倒れてるなんて、普通は考えられ……」
 まだ幼い心に収まりきらない怒りはファニュの口を、さらに軽くした
「あの字は古代のじゃない。そんなに大きいくせに知らないの?!」
「『古代のじゃない』?……」今度はナナクサがオウム返しをする番だった。
「それに私は子供なんかじゃないわ。身体だけ大きなあなたたちとは違って立派な大人だわ。今年で、もう十三歳になるんだから!」
「じゅ……十三……」
 ナナクサは、そう呟くと信じられないという顔をして、『少し待っててね』と言い残し、狭い棺桶穴の端に仲間を集めてひそひそと何かを相談し始めた。暫くしてファニュは何か不味いことでも言ってしまったのだろうかと少し不安になったが、後の祭りだった。もどってきたナナクサはファニュをいたわるように声を掛けた。
「まだ疲れているようね、ファニュ。きっと、まだ混乱してるのよ」
「うん、たぶん……」と少女は言葉を濁した。
「じゃぁ、最後に一つだけ。それが終わったら休みましょう。いい?」ナナクサはファニュを傷つけないように、さっきよりも慎重にゆっくりと言葉を継いだ。「あなたの言う、その地図というものだけど。あなたは、あの中に書かれてた文字が読めたりするの?」
 少女が正直に頷くと、目の前の若い男女が息を飲みこむ音が聞こえた。すると、その中からタンゴが進み出てファニュの目の前の雪の地面に指を突っ込んだ。
「じゃぁ、この記号はわかるかい。君の地図だったかにあった記号だったんだけど」
 喋りながらタンゴは雪の上に一つの記号を書きだした。中心の小さな円を囲むように配置され、互いに背を向けるように組み合わされた六つの三日月。
「僕らはこの古代文字……あぁ記号だったか。これだけは小さい頃からみんな習ってるんだ。僕らの『政府(チャーチ)』を示す文字さ」
 いや違う。それが城塞都市(カム・アー)だ。私の故郷。思い出したくもない出生地を示す記号だ。こいつらは、いったい何を言っているんだろう。雪の上に描かれた記号を見ながら、今度はファニュが小さく息をのんだ。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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