第42話 過去への旅
文字数 5,005文字
始祖は遂に戦士たちの精神的支柱ともいえる闘技フィールドに足を踏み入れた。しかし、その感慨に浸る間もなく、全ての吸血鬼軍団 が目の前で一斉に死に絶える場面に遭遇して苛立ちを禁じ得なかった。
体中にできた火ぶくれを掻きむしりながら死んでいく吸血鬼軍団 を見るまでもなく、始祖にはその創造主であるチョウヨウの死に様が手に取るようにわかった。なぜなら子孫の二人に残した自身の残滓 が、彼らの身体ごと忌々しい陽光に焼き払われたことを瞬時に感じ取ったからだ。それにしても始祖である自分の一部を巻き込むとは何と不埒で愚かな滅び方であろうか。少し前、あの小娘の身体に戻っていたところを不覚にも陽光に焼かれ、その激痛を共有してしまうという恥辱を味わったばかりなのに。だが、まぁいい。吸血鬼軍団 や子孫の身体に残した自身のほんの一部など失ったところで、そんなもの大昔に参加した舞踏会で生意気な貴婦人に横面をはり飛ばされた時の驚きほどのこともない。ただ自身の一部が滅びる前に上手く逃れ去れなかった事実にだけは無性に腹が立っただけだ。腹が立って苛立つと忌々 しくも人間と同じように腹が減ってくる。その事実が始祖には、またいたく気に障った。怒気が空腹を刺激し、始祖は手始めに近くにいた二十人ばかりの戦士たちを血祭りに上げることにした。
戦士たちの眼には、闖入者の始祖はフィールドを無防備に淡々と歩いているだけの優男にしか見えなかった。しかし、その身体の一部は目に見えないほどの薄い幕となって既に空気中に溶け広がっていた。不運な犠牲者たちは見えない手に掴まれたかと思うと、空中高く持ち上げられ一瞬で身体を握り潰された。悲鳴を上げる間さえなかった犠牲者たちの身体からは水の中に垂らしたインクのように、血液はおろか、身体中の全ての体液や水分が血煙となって一滴残らず空気中に絞り出された。しかし、それもすぐに見えなくなった。始祖の溶け広がった巨大な手に吸収されたのだ。犠牲者たちの死体は解放されて次々と石畳に落下したが、防具と武器が立てる乾いた音しかしなかった。あらゆる方向から瞬時に圧縮された身体は幼児ほどの大きさにミイラ化しており、乾いたタオルほどの重さしかなかったからだ。
怒気と空腹を幾分か収めた始祖は再び歩き出した。やがて前方に横たわる大きな死体に行き当たると煩わしそうに手首を動かして埃を払う仕草をした。その瞬間、象の二倍はある人造強兵 の巨体は周りの吸血鬼軍団 の死体のいくつかと一緒に弾かれたように宙を飛び、数枚の鏡面モニターに激突すると地響きを立てて、破片とともにフィールドに落下した。人造強兵 の死体も火ぶくれで覆われているところをみると、多くの吸血鬼 に襲われ、自らもその仲間となったが、創造主であるチョウヨウの死が引き金となって、これもまた必然的にその場で滅びたものと思われた。
突如現れ、人間離れした強大な力を示した人物に度肝を抜かれた戦士たちは、為す術もなくその動向を息を呑んで見守った。彼らは生き残った僅か千人ほどの戦力では、全く太刀打ちできないことを本能的に察知したからだ。
しかし静まりかえったフィールドで大声を上げて暴れまわっている者が、たった一人だけ存在した。ひときわ大きな身体を持つ第一指導者 だった。始祖はフィールドに入って初めて歩みを止めて、その無様な姿をしげしげと眺めた。そして先程までの怒気と苛立ちが嘘であったかのように相好を崩した。そのとき始祖は大昔に見た子供用アニメのいちシーンを思い出したのだ。それは自分が皆殺しにした若いヴァンパイア・ハンターたちが、たまたまアパートの居間で時間潰しに観ていた他愛のないものだった。間抜けな釣り人が釣り上げた魚に指を噛まれて必死に振り解こうと滑稽な努力をするただそれだけのシーンだったが、目の前で繰り広げられているのが、まさにそのシーンを再現したものにそっくりだったのだ。
第一指導者 は左腕に喰らいつくナナクサを振り解こうと懸命に彼女の身体を振り回したり、右手の剣で、その身体を刺し貫くのだが一向に埒があかないまま空しい一人ダンスを繰り広げていた。そして第一指導者の左腕にぶら下がるナナクサの身体はピラニア並みにしつこく食い下がっているだけでなく、剣で刺し貫かれた傷は元より、失われた左腕すらもう完全な再生を果たしていた。第一指導者 の比類なき悪の血が、ヴァンパイアの再生能力を凌ぐ強大な力を彼女の身体に急激に注ぎ込んだとしか考えられなかった。
「さて」始祖はこみ上げる笑いをかみ殺した。「お遊びはそれくらいにして、そろそろ我が求めに応えるがいい、ナナクサ……いや。ナナ・遠野・ジーランド。わが伴侶よ」
*
最後の力を振り絞ったひと噛みはナナクサが想像すらできないものを彼女の内にもたらした。
噛んだ瞬間、熱湯を注ぎ込まれたような喉の痛みとともに、むせ返るほど強烈な血の刺激臭が口中に広がった。ナナクサは反射的に腕から顔をもぎ離そうとしたが不可能だった。吸血による痛みと刺激臭はすぐに影を潜めたので、次に彼女は鼻腔と食道をきつく絞めることを即座に考えた。人間の血など、特に目の前の残虐非道な者の汚らわしい血など一滴たりとも身体に取り込みたくはなかったからだ。しかし、それも無駄だった。鼻腔と食道を絞めても相手の腕に深く差し込まれた彼女の牙自体が乾ききったスポンジが水を吸い取るかのように食道や胃を迂回して彼女の身体の隅々にまで急速に邪悪の血を撒き散らし始めたからだ。
細胞の一つ一つに宿った生き物の記憶。
普段は厳重に仕舞いこまれて決して姿を現すことのないその歴史の銘板は、強烈な衝撃が鍵となって掘り起こされることがある。衝撃が強ければ強いほど、揺れ幅が大きければ大きいほど、深く深く細胞内に埋め込まれたそれは次々と頭をもたげては、白日の下に晒されることになる。たとえ本人が望むと望まざるとに関わらず。
*
第一指導者 の血が鍵となってナナクサの細胞に深く眠っていた前世の記憶が鮮明になりはじめたとき、彼女は闘技場に開いた大穴から小さな物体が自分に向けて落下してくるのを見た。物体は落下してくるにつれて黒い棒状の物体であることがわかった。そして、その黒い棒を追いかけるように、それよりはるかに大きい二つのものが同じ軌道を通って落下してきた。ナナクサは、それらが人であることをすぐに理解した。しかし彼女の眼が脳に送ったのは、その情報が最後だった。ナナクサは眼の中で幾つもの星が眩しく瞬いたかと思う間もなく気が遠くなった。どれくらい失神していたかはわからなかったが、気が付くと、いつの間にか彼女の身体は、さっきまでいた闘技場ではなく、真っ青に晴れ渡る綺麗な空に浮かんでいた。身体がふわふわして自分のものでないような違和感に襲われた。地上に降りたくて下を向くと見たことのない光景が眼下に広がっていた。そこには城塞都市 はおろか、小さな頃から見慣れていた見渡す限りの氷原と所々に顔を覗かせる岩塊はどこにもなく、一面を覆い尽くす色とりどりの建物群。遠くに見える緑の山々や森林。そして地平線の彼方まで延々と続く水……いや。海があった。緑……森林……海……。昔話で聞いたことしかなかったものの単語が、なぜか目の前の景色それぞれと緊密に繋がった。どういうことか、さっぱりわからなかった。パニックに襲われたナナクサが再び目を上げると、真っ青に晴れ渡った夜空だと思っていたものが不意に夜空でないことに気付いた。そこには美しい光を放つ月や星々の姿さえなかったからだ。そこにあるのは強烈な光を放つただ一つの光源。太陽だった。咄嗟に両目を庇ったナナクサはその拍子に失速し、大空から地上へと真っ逆さまに墜落していった。止める方法など思いつかなかった。目の前にアスファルトの地面がぐんぐん迫ってきた。もの凄い衝撃。深い闇。静寂……。
目を開いたナナクサは荒い呼吸音が自分のものだと気付くまで暫くかかった。そして彼女は自分がまだ生きていることを知った。周りに頭を巡らせるとそこは道路ではなく、白い壁で囲まれた狭い室内であることがわかった。頭がガンガン痛む。それでも床からなんとか立ち上がると、今度は足がふらふらしてよろけたので、目の前のでっぱりに両手をついた。そして顔を上げると眼の前に大きな鏡があった。
「だれ?……」
ナナクサは鏡の向こうに見える、自分そっくりの女にそう尋ねた。
*
「早くしてよ、ナナ」
声の方を振り向くと、健康そうな褐色の肌をした女が戸口に立っていた。混乱が解けないナナクサは自分をナナと呼ぶ女に「えぇ」と、曖昧に頷いて鏡の前から一歩退いた。白を基調としたその小部屋は質素で清潔そのものだった。しかも奥の壁際には中身が空っぽの大きな水桶が付いており、驚いたことに見たこともない材質で壁と一体成型されているようだった。
「本当に大丈夫?」
「えぇ、問題ないわ……」
「問題ないようには見えないけど」
女はバスルームをしげしげと眺めるナナクサの横に並ぶとスエットの袖を捲 りあげて鏡の下の洗面台の栓をひねった。蛇口から冷たい水がほとばしり出た。ナナクサは小部屋の観察を止めて女に視線を戻した。
そう。女が身を包んでいる柔らかそうな灰色の上下の服は室内着のスエットだ。そして彼女の名前は……。
「ねぇ、正直に言いなさい」女は唐突に蛇口の栓を絞めるとナナクサの顔を覗き込んだ。「薬はきちっと飲んでるの。その調子じゃ、飲んでないでしょ。薬の影響で仕事に集中できなくなるのはわかるけど、それで記憶障害を起こしてたんじゃなんにもならないわよ」
「記憶障害だなんて大げさよ、ルー」
そうだ。彼女の名前はルー。ルーシー・ギャレット。自分と同じ海棲生物専門の遺伝子工学者で、同じラボの共同研究者。アメリカ人で、ルームメイトで、親友で、そして私は……ナナ……。ナナ・遠野・ジーランド。アイルランド人の祖父と日本人の祖母を持つ二十六歳の女。そして余命四カ月の死を待つ身。記憶を一つ一つ手探りで確認したナナクサは、もうナナ・ジーランドそのものだった。彼女は親友にぎこちない微笑みを向けた。
「わかった、降参よ。あなたの言うとおり、薬は暫く飲んでないの」
「ナナ。でも、それじゃぁ」
「薬を飲んでも脳腫瘍の進行は止められないわ。進行が遅くなったところで死ぬのが少し先に延びるだけ」再び反論しようとするルーシーをナナは優しく遮った。「何度も話し合ったでしょ。私には時間がない。だから、最後までやらせてほしいの。あと一歩よ。でも、あなたが共同研究者として不安だと言い張るなら薬を飲み続けるわ。いつも酔っぱらいみたいになってるのがお望みならね」
暫く黙っていたルーシーは根負けしたように肩をすくめると「記憶障害がひどくなったり、倒れたりする場合は薬を服用すること」と条件を出してルームメイトの希望を受け入れた。
それから二人は歯を磨き、身支度を手早く整えると急いで冷たいシリアルの朝食を摂 りはじめた。ナナは固形物を口に入れて咀嚼する違和感を感じながらも、なぜそんな感覚を覚えるのかわからず、口の中の物をごくりと呑みくだした。きっと新しい抗癌剤の影響かもしれない。そう思うことにした。
「無理を聞いてもらってごめんね、ルー」
「親友の頼み事は断れないでしょ」
「あら、頼み事ならサンタクロースが卒倒しそうなほど、まだたくさんあるわよ」ナナは親友の冗談におどけて見せた。
「例えば、なに。スキューバダイビング。それともサーフィン。日光浴で身体を焼くってのも捨てがたいわね。まったく、ご冗談でしょ。このご時世に?」
「確かにね」
ナナは乾いた笑い声を立てると窓ガラスに映るシンガポール南西端の街並みに目をやった。常夏の島国に、今朝もまた雪が降り始めていた。
体中にできた火ぶくれを掻きむしりながら死んでいく
戦士たちの眼には、闖入者の始祖はフィールドを無防備に淡々と歩いているだけの優男にしか見えなかった。しかし、その身体の一部は目に見えないほどの薄い幕となって既に空気中に溶け広がっていた。不運な犠牲者たちは見えない手に掴まれたかと思うと、空中高く持ち上げられ一瞬で身体を握り潰された。悲鳴を上げる間さえなかった犠牲者たちの身体からは水の中に垂らしたインクのように、血液はおろか、身体中の全ての体液や水分が血煙となって一滴残らず空気中に絞り出された。しかし、それもすぐに見えなくなった。始祖の溶け広がった巨大な手に吸収されたのだ。犠牲者たちの死体は解放されて次々と石畳に落下したが、防具と武器が立てる乾いた音しかしなかった。あらゆる方向から瞬時に圧縮された身体は幼児ほどの大きさにミイラ化しており、乾いたタオルほどの重さしかなかったからだ。
怒気と空腹を幾分か収めた始祖は再び歩き出した。やがて前方に横たわる大きな死体に行き当たると煩わしそうに手首を動かして埃を払う仕草をした。その瞬間、象の二倍はある
突如現れ、人間離れした強大な力を示した人物に度肝を抜かれた戦士たちは、為す術もなくその動向を息を呑んで見守った。彼らは生き残った僅か千人ほどの戦力では、全く太刀打ちできないことを本能的に察知したからだ。
しかし静まりかえったフィールドで大声を上げて暴れまわっている者が、たった一人だけ存在した。ひときわ大きな身体を持つ
「さて」始祖はこみ上げる笑いをかみ殺した。「お遊びはそれくらいにして、そろそろ我が求めに応えるがいい、ナナクサ……いや。ナナ・遠野・ジーランド。わが伴侶よ」
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最後の力を振り絞ったひと噛みはナナクサが想像すらできないものを彼女の内にもたらした。
噛んだ瞬間、熱湯を注ぎ込まれたような喉の痛みとともに、むせ返るほど強烈な血の刺激臭が口中に広がった。ナナクサは反射的に腕から顔をもぎ離そうとしたが不可能だった。吸血による痛みと刺激臭はすぐに影を潜めたので、次に彼女は鼻腔と食道をきつく絞めることを即座に考えた。人間の血など、特に目の前の残虐非道な者の汚らわしい血など一滴たりとも身体に取り込みたくはなかったからだ。しかし、それも無駄だった。鼻腔と食道を絞めても相手の腕に深く差し込まれた彼女の牙自体が乾ききったスポンジが水を吸い取るかのように食道や胃を迂回して彼女の身体の隅々にまで急速に邪悪の血を撒き散らし始めたからだ。
細胞の一つ一つに宿った生き物の記憶。
普段は厳重に仕舞いこまれて決して姿を現すことのないその歴史の銘板は、強烈な衝撃が鍵となって掘り起こされることがある。衝撃が強ければ強いほど、揺れ幅が大きければ大きいほど、深く深く細胞内に埋め込まれたそれは次々と頭をもたげては、白日の下に晒されることになる。たとえ本人が望むと望まざるとに関わらず。
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目を開いたナナクサは荒い呼吸音が自分のものだと気付くまで暫くかかった。そして彼女は自分がまだ生きていることを知った。周りに頭を巡らせるとそこは道路ではなく、白い壁で囲まれた狭い室内であることがわかった。頭がガンガン痛む。それでも床からなんとか立ち上がると、今度は足がふらふらしてよろけたので、目の前のでっぱりに両手をついた。そして顔を上げると眼の前に大きな鏡があった。
「だれ?……」
ナナクサは鏡の向こうに見える、自分そっくりの女にそう尋ねた。
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「早くしてよ、ナナ」
声の方を振り向くと、健康そうな褐色の肌をした女が戸口に立っていた。混乱が解けないナナクサは自分をナナと呼ぶ女に「えぇ」と、曖昧に頷いて鏡の前から一歩退いた。白を基調としたその小部屋は質素で清潔そのものだった。しかも奥の壁際には中身が空っぽの大きな水桶が付いており、驚いたことに見たこともない材質で壁と一体成型されているようだった。
「本当に大丈夫?」
「えぇ、問題ないわ……」
「問題ないようには見えないけど」
女はバスルームをしげしげと眺めるナナクサの横に並ぶとスエットの袖を
そう。女が身を包んでいる柔らかそうな灰色の上下の服は室内着のスエットだ。そして彼女の名前は……。
「ねぇ、正直に言いなさい」女は唐突に蛇口の栓を絞めるとナナクサの顔を覗き込んだ。「薬はきちっと飲んでるの。その調子じゃ、飲んでないでしょ。薬の影響で仕事に集中できなくなるのはわかるけど、それで記憶障害を起こしてたんじゃなんにもならないわよ」
「記憶障害だなんて大げさよ、ルー」
そうだ。彼女の名前はルー。ルーシー・ギャレット。自分と同じ海棲生物専門の遺伝子工学者で、同じラボの共同研究者。アメリカ人で、ルームメイトで、親友で、そして私は……ナナ……。ナナ・遠野・ジーランド。アイルランド人の祖父と日本人の祖母を持つ二十六歳の女。そして余命四カ月の死を待つ身。記憶を一つ一つ手探りで確認したナナクサは、もうナナ・ジーランドそのものだった。彼女は親友にぎこちない微笑みを向けた。
「わかった、降参よ。あなたの言うとおり、薬は暫く飲んでないの」
「ナナ。でも、それじゃぁ」
「薬を飲んでも脳腫瘍の進行は止められないわ。進行が遅くなったところで死ぬのが少し先に延びるだけ」再び反論しようとするルーシーをナナは優しく遮った。「何度も話し合ったでしょ。私には時間がない。だから、最後までやらせてほしいの。あと一歩よ。でも、あなたが共同研究者として不安だと言い張るなら薬を飲み続けるわ。いつも酔っぱらいみたいになってるのがお望みならね」
暫く黙っていたルーシーは根負けしたように肩をすくめると「記憶障害がひどくなったり、倒れたりする場合は薬を服用すること」と条件を出してルームメイトの希望を受け入れた。
それから二人は歯を磨き、身支度を手早く整えると急いで冷たいシリアルの朝食を
「無理を聞いてもらってごめんね、ルー」
「親友の頼み事は断れないでしょ」
「あら、頼み事ならサンタクロースが卒倒しそうなほど、まだたくさんあるわよ」ナナは親友の冗談におどけて見せた。
「例えば、なに。スキューバダイビング。それともサーフィン。日光浴で身体を焼くってのも捨てがたいわね。まったく、ご冗談でしょ。このご時世に?」
「確かにね」
ナナは乾いた笑い声を立てると窓ガラスに映るシンガポール南西端の街並みに目をやった。常夏の島国に、今朝もまた雪が降り始めていた。