第15話 葬送と決意と
文字数 6,711文字
肌を刺し貫く陽の光が中天に差し掛かろうとする頃、遮光マントが取り払われたタナバタの骸 は荼毘 の青白い炎に包まれた。ジョウシが、暁の戦いの終盤で幼馴染みの動かぬ身体を、取り戻した自身の遮光マントで自分もろとも、くるみ込んでいたのだ。
「自分がどうなるか悟ったタナバタは死ぬ間際に毒を幾つも噛み砕いてた。彼の中に息づいた始祖の力を封じるために。その血をミソカは残らず飲んだのよ」
それは単なる報告でもなく、また下手な弔辞ですらもなかった。ナナクサは自分に言い聞かせるようにそう言い終えると、右手を左胸に添え、炎に包まれる骸 に深い謝意を表し、彼に抱いたほのかな想いにも別れを告げようと懸命に下唇を噛み締めた。
彼女の周りには四人の若いヴァンパイアと一人の人間の少女がいた。一番小柄なヴァンパイアが思い出したように口を開いた。
「綺麗な手をしておったな、こ奴は。幼き時より、そうであった……」
「石工 見習いのあたいとは違って、頭脳派だったからね」
ジョウシの言葉を受けてチョウヨウが、短い付き合いの中で感じた亡き仲間への感想を口にして小さく頷いた。
「君から」と、次にタンゴが口を開いた。「色々と教わった。ためになったよ。僕は何一つ教えてあげられなかったけど……」
肩を落とすタンゴの大きな手をチョウヨウがそっと握った。分厚い手袋越しでも思いやりが伝わる優しい握り方だった。
「そんなことはねぇさ」
「そうじゃな。チョウヨウの申す通りじゃ」悲しみを振り払うようにジョウシが顔を上げた。「こ奴も、このデイ・ウォークで色々と学んだに相違ない。同じ薬師 の仲間からもな……」
ジョウシを除く全員がナナクサにちらっと視線を投げかけた。ナナクサは何を言えばいいかわからず目を伏せた。しばしの黙祷のあとジョウシが荼毘 の炎に一歩近づいた。
「我れも学ばせてもろうたぞ、タナバタ」ジョウシは小さくなりつつある炎に決然と語り掛けた。「幼き頃より、よう世話になったな。じゃが、最期は、このジョウシがそなたの面倒を見たのじゃ。いつの日か黄泉 の国で出会うたとき、忘れず、我れに礼を述べるがよいぞ」
幼馴染みの弔辞の締めに、炎は苦笑するかのように一瞬大きく揺らめき、そしてふっとかき消えた。残された一握りの塵は風にすぐさま吹き散らされ、タナバタはこの世から去った。
デイ・ウォークが始まって半分の旅程も消化しないうちに、三人の若者がパーティから消えた。
*
葬儀の後。夕闇が迫る頃になって誰もが話題にしない、むしろ避けてでもいたことをナナクサは口にした。それはミソカが語った自分たち一族の出自 や失われた仲間たちのことではなく、このデイ・ウオークをどうするのかということだった。続けるのか、放棄するのか。旅程からして、誰もがいま答えを出さねばならないことだった。しかし誰も口を開こうとはしなかった。
半ばそれを予期していたナナクサは、言い出した手前もあり、車座に座った皆に向けて最初に口を開いた。
「私は皆の決定に従うわ」
雲が流れる満天の星空に沈黙が続いた。
「卑怯な言い方だな」
チョウヨウが苦々しさを声に滲ませた。
「そうじゃな」
溜息混じりの賛同がジョウシからも上がった。
「そうね」と、ナナクサは大きく息を吸い込んだ。「確かに卑怯な言い方よね。謝るわ。でも皆の考えは、もう決まってるんでしょ」
ナナクサが一同の顔を眺めわたし、再び語を繋ごうとしたとき、突如、タンゴが割っては入った。
「ボクは政府 を探すよ」
誰かが最初に口にするとはいえ、陽気な大男の直線的な決意は皆に小さく息をのませた。ナナクサはチョウヨウに視線を向けた。彼女のデイ・ウォークに懸ける思いとタンゴに対する好意を知っているだけに心が傷んだ。
「我れの気持ちも決しておる」と、ジョウシがタンゴに続いた。「仇 討ちじゃ」
「どういうこと?」
ナナクサはジョウシの言葉の意味するところがわからず、思わず聞き返した。
「すべての元凶は、あの御力水 ではないか。あんな危険極まりないモノを。あれはタナバタを狂わせ、ジンジツまで殺 めたのじゃ」
「それにミソカもな」
ジョウシはタンゴの一言に少し顔を歪めただけだった。
「それゆえ、あんなモノを用いる政府 など、到底、許し置くわけにはいかぬ」
ジョウシはファニュを指さした。
「政府 の御力水 が、こ奴ら人間」そう言ってから、ジョウシは、しまったという顔をして少し言葉を詰まらせた。「人間の血を使っておるかどうか、真 のことはわからぬ。じゃが、あれは我らを狂わす魔薬 ぞ。それを作りし責は誰であろうと絶対に問われねばならぬ」
「ジョウシ、あんた」公然とした政府批判を黙って聞いていたチョウヨウもさすがに口を挟んだ。「政府 は絶対だ。その悪口は……」
「そうだ!」と、タンゴがその反論を断ち切って一気にまくし立てた。「その通りだ。絶対にこのままにしてちゃいけないんだよ。古 からの敵 だと教えられてたファニュたち人間と僕たちの関係だって気になる。ミソカは彼女らが……その……」
「食糧ね」
言い淀んだタンゴの代わりにファニュがぼそりと呟いた。
「ごめんよ。そんなつもりじゃ」
「いいよ。気にしてない。あたしたちも、あなたたちヴァンパイアは血も涙もない恐ろしい化け物だって教わってきたから」
「ヴァンパイアか」
今まで人間という呼称を使ってきた自分たちを、古くからあったといわれる新たな呼称で呼ばれることに、チョウヨウは戸惑いを隠せず、思わずそう口にした。
「えぇ。ヴァンパイア」と、再びファニュ。
「そうだよ。ヴァンパイアについてだって、僕らは今まで何も知らなかったんだ。自分たちのことなんだったら、知るべきだよ」
「さっきも言ったけど」と、チョウヨウがタンゴに顔を向けた。「相手は政府 だ。神聖不可侵の政府 なんだぞ。運良く押しかけれたとして、その後、どんな目に遭わされるか。それに場所だって、船乗りでなきゃ……」
そこまで言ってから、はっと気づいたようにチョウヨウは傍らのファニュに視線を転じた。
「そうだよ」と、タンゴもチョウヨウの考えを直感的に理解した。「ファニュが持ってた地図にあった印。きっと、そこだよ。目指してみよう。船乗りでなくても行き着けるはずさ。ファニュ、君もいろいろ知りたいだろ?」
答えに窮する人間の少女を尻目にジョウシが立ち上がった。
「我れも思案した上での結論じゃ。秘め事を暴こうぞ。それを月光の下に晒すことが、亡き友への供養 になる。我れは、そう思うのじゃ。そなたはどうじゃ、チョウヨウ?」
水を向けられたチョウヨウは坐禅を組むように微動だにせず、半ば視線を目の前の雪に落とすような格好でその場に座り込んでいた。彼女が深く迷っていることは誰の目にも明らかだった。
「私の意見を言うわ」仲間のやり取りを聞いていたナナクサが、おもむろに口を開いた。「このデイ・ウォークをやり遂げることが亡くなった仲間たちへの供養になることも確かよ。だから私は」ナナクサは決然と言い放った。「そっちを選ぶ。私は、このままデイ・ウォークを続けるわ」
目を上げたチョウヨウは自分を見やるナナクサの視線を捉えた。ナナクサはタンゴとジョウシの問いかけるような視線を無視して続けた。
「あなたの姉さん。ボウシュもデイ・ウォークの成功を望んでいるはずよ」
「姉さんが……」
「えぇ」
それだけ言うと、ジンジツやタナバタ。ミソカだって。と、ナナクサは心の中で呟いた。
「わかった。ありがとう、ナナクサ」
ナナクサの意見に同調を示したチョウヨウに、タンゴは小さな落胆のため息を漏らした。
「二対二か。これじゃ決まらないな」
「いえ、同数じゃないわ」と、ナナクサ。
「確かに、そうじゃな」
気乗りしない口調を隠そうともせずにジョウシが応じた。
「ねぇ、ファニュ」と、ナナクサは、今度は人間の少女に問いかけた。「あなたはどうなの?」
その言葉に思わず反論しかけたタンゴをジョウシが制した。
「あ、あたし?……」
「そうよ。あなたもパーティの一員よ、これだけ深く関わったんだもの。だから、あなたの意見も聞きたいの」
ナナクサは敢えて「一緒に行くのか」とは聞かなかった。人間の少女には同じ人間の仲間を一人きりで探して合流するという選択肢も僅かながらも残されていたからだ。彼女が、それを選ぶのなら、それはそれで仕方ない。
暫くしてファニュは重い口を開いた。
「わたしは行きたくない。でも一人ぼっちもイヤ」
その回答は、二つの落胆と二つの安堵に迎えられた。
「わかったわ、ファニュ。ありがとう。じゃぁ、あなたは政府 探しへは同行せず、当面は私たちと……」
「あなたたちは何もわかってない!」叩きつけるようにナナクサの言葉を遮ったファニュは堰を切ったように喋り出した。「あの地図の印は、あなたたちの政府 とかじゃない。あたしたち人間の指導者がいるところよ!」
唖然とするヴァンパイアの若者たちの数瞬が過ぎ去った。だが、少女の言葉がどうしても理解できなかったジョウシがオウム返しに尋ねた。
「『人間の指導者が居 るところ』じゃと?」
「そうよ。第一指導者 がいるところ」
「第一指導者 ……はて、それは村長 のようなものか?」
考えを巡らせるジョウシにファニュは苦々しく首を振った。
「違うわ。城塞都市 の中で人々の上に立ってる。暴力で人間を支配してる。辺塞を通じて、すべての村々も」
城塞都市 という言葉を初めて聞いたヴァンパイアたちは、その言葉から何か得体の知れない巨大な魔物のような禍々しさを感じると同時に、その統治者に対する畏怖にも囚われた。
「そして指導者は、とても横暴で残虐」
「それほど多くの民を束ねねばならぬ立場なら」ジョウシがおもむろに口を開いた。「掟も多かろう。時に横暴と見えることもせねばならぬのではあるまいか?」
「あなたの村では、長 が自分の楽しみのために人々を死ぬまで戦わせたり、役に立たないからって売り払ったりするの?」
ジョウシは息をのんだ。
「左様なことは論外じゃ」
「だから、わたしは行きたくないの。たとえ、生まれ故郷であっても。あんな指導者のいるところへ戻るくらいなら、死んだ方がましよ」
「故郷?」
意外なその言葉にタンゴは思わず声を上げ、ファニュは小さく頷いた。
「なぜだい。親や兄弟だっているんだろ。その城塞都市 とやらに?」
首を横に振る少女に若いヴァンパイアたちの同情が集まった。肉親を失うということは、この過酷な世界で生き抜くことを、よりいっそう困難にする。それはヴァンパイアにも理解できることだからだ。しかもファニュの説明が真実なら、家族はその指導者の手に掛かって死んだとも考えられる。だが少女は彼らの考えを否定した。
「たぶん、あなたたちはあたしの親や兄弟が死んだか、殺されでもしたかと思ってるんでしょ。違うわ。親から生まれて兄弟がいる人間もいる。でも、あたしは違う。規格に合わなかったから、まだ幼い頃に隊商に下げ渡された。わたしには初めから親も兄弟もいない。あったのは人口子宮 っていう機械。あたしはそこから生まれたけど、規格外品 。規格に合わない子供たちは、役たたずの烙印を押されて、動けなくなるまで辛い使役労働が待ってる。でも、あたしは、まだマシな方。たまたま貢ぎ物を持ってきた隊商に下げ渡されたから」
「すまないけど、君の言ってることが、僕にはさっぱりわからないんだけど」と、タンゴがおずおずと尋ねた。
「言った通りよ」
「僕らの政府 が、人間の……その……横暴で残虐な指導者がいるところで……君は人間なのに、機械 から生まれた?……」
「機械 から人が生まるるなど、聞いたことがないが」
ジョウシも腕を組んで考え込む傍らで、チョウヨウがファニュに声を掛けた。
「つまりは、もの凄く辛い生活を意に反して味あわされたってことだな。それは間違いないな?」
黙って頷くファニュは今にも泣き出しそうだった。
「だから行きたくないんだな?」
更なる問いかけに、ファニュの頬を透明な涙が伝った。そして抱え込んだ膝に顔を埋めた。
「だったら行こう」
チョウヨウの凛とした声が響いた。その決断に三人の若いヴァンパイアから次々と疑問の声が上がった。そんな旅仲間を無視して、チョウヨウは少女を力づけるように、その肩に両手を置いた。
「辛い思いをさせられたんなら、やり返してやりな。でないと、この先、自分のつま先ばかり眺めて歩き続けなきゃならない一生だぞ。お前はそれでもいいのか?」
「でも……」と、顔を上げたファニュの声は掠れていた。
「いいのか、それで?」チョウヨウは、なおも語を継いだ。「あたいも姉ちゃんが変わり者だったお陰で村の中じゃ随分と虐められたよ。でも姉ちゃんを嫌いになったり、自分が可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。悪いのは、あたいや姉ちゃんじゃない。あたいらの前に不当に立ち塞がった奴らなんだ。だから、お前も自分の前に立ち塞がる奴なんぞぶっ飛ばしてやれ。過去と対決しろ。皆、そうして生きてくんだ。ヴァンパイアだろうが、人間だろうが関係ない。そうしないと本当に後悔するぞ。その第一指導者 とかいうフザけた奴の顔を思いっ切り踏んづけてやれ。そうすりゃ、もっと上を向いて生きられる。あたいらも手を貸してやる。そうだろ、みんな」
「チョウヨウ……」
呆気にとられる仲間たちの中で、ファニュが大柄な女ヴァンパイアの名前を初めて口にした瞬間だった。
「これで決したのぅ」と、ジョウシがフッと息を吐きだした。
ナナクサはチョウヨウの心変わりを彼女らしいと感じて苦笑した。そしてその決断を潔く受け止め、小さく頷いてみせた。それが合図でもあったかのようにタンゴは「さすがチョウヨウ。そうこなくっちゃ」と大声を上げると、彼女の背を大きな手でどんと叩いた。
「ただし!」と、背中を叩かれたヴァンパイアが皆の注目を集めた。
「今度は何じゃ?」
場の盛り上がりを制したチョウヨウに小柄なヴァンパイアが応じた。
「デイ・ウォークの記念品を、先ず手にしてからだ」
「何だって。正気かい?!」と、タンゴが声を上げた。
「あぁ、正気だよ。それから皆で政府 と喧嘩だ。たとえ、それでどんな結果になってもな。これがあたいの条件だ」
その提案に、最初ぽかんと口を開けていたジョウシはパーティの代表であるかのように重々しく頷いた。
「亡き友に代わり、改めて礼を言うぞ、チョウヨウ」
「勘違いすんじゃないよ、チビ助」と、いつものようにチョウヨウが応じた。「あたいは自分自身のために行くんだ。自分が納得するために。皆もそうだろ。それに、こう謎が多いと夜の寝覚めも悪いしな」
「確かに」と、ナナクサも同意した。「それに記念品を手にした大人として政府 と話をする方が軽く見られないだろうしね」
「デイ・ウォークをやり遂げてから政府 との喧嘩か。それにしても欲張りすぎやしないかい?」と、タンゴ。
「あたいは欲張りなんだよ」
チョウヨウは亡き姉の口癖でタンゴに応じるとナナクサに片目をつぶってみせた。そんなチョウヨウに理解を示すように、ナナクサも微笑み返した。
「でも、そうは言っても二つのことを同時にこなすとなると、肝心なのは旅の期限だなぁ……」
考え込むタンゴの一言に皆が黙り込んだとき、人間の少女が恐る恐る口を開いた。
「それには力を貸せるかもしれない」
ファニュは、その場に立ち上がると皆を後ろに向かせた。
そこには主たちを失った隊商の橇の横で雪走り烏賊 たちが、のんびりと体を丸めていた。
「自分がどうなるか悟ったタナバタは死ぬ間際に毒を幾つも噛み砕いてた。彼の中に息づいた始祖の力を封じるために。その血をミソカは残らず飲んだのよ」
それは単なる報告でもなく、また下手な弔辞ですらもなかった。ナナクサは自分に言い聞かせるようにそう言い終えると、右手を左胸に添え、炎に包まれる
彼女の周りには四人の若いヴァンパイアと一人の人間の少女がいた。一番小柄なヴァンパイアが思い出したように口を開いた。
「綺麗な手をしておったな、こ奴は。幼き時より、そうであった……」
「
ジョウシの言葉を受けてチョウヨウが、短い付き合いの中で感じた亡き仲間への感想を口にして小さく頷いた。
「君から」と、次にタンゴが口を開いた。「色々と教わった。ためになったよ。僕は何一つ教えてあげられなかったけど……」
肩を落とすタンゴの大きな手をチョウヨウがそっと握った。分厚い手袋越しでも思いやりが伝わる優しい握り方だった。
「そんなことはねぇさ」
「そうじゃな。チョウヨウの申す通りじゃ」悲しみを振り払うようにジョウシが顔を上げた。「こ奴も、このデイ・ウォークで色々と学んだに相違ない。同じ
ジョウシを除く全員がナナクサにちらっと視線を投げかけた。ナナクサは何を言えばいいかわからず目を伏せた。しばしの黙祷のあとジョウシが
「我れも学ばせてもろうたぞ、タナバタ」ジョウシは小さくなりつつある炎に決然と語り掛けた。「幼き頃より、よう世話になったな。じゃが、最期は、このジョウシがそなたの面倒を見たのじゃ。いつの日か
幼馴染みの弔辞の締めに、炎は苦笑するかのように一瞬大きく揺らめき、そしてふっとかき消えた。残された一握りの塵は風にすぐさま吹き散らされ、タナバタはこの世から去った。
デイ・ウォークが始まって半分の旅程も消化しないうちに、三人の若者がパーティから消えた。
*
葬儀の後。夕闇が迫る頃になって誰もが話題にしない、むしろ避けてでもいたことをナナクサは口にした。それはミソカが語った自分たち一族の
半ばそれを予期していたナナクサは、言い出した手前もあり、車座に座った皆に向けて最初に口を開いた。
「私は皆の決定に従うわ」
雲が流れる満天の星空に沈黙が続いた。
「卑怯な言い方だな」
チョウヨウが苦々しさを声に滲ませた。
「そうじゃな」
溜息混じりの賛同がジョウシからも上がった。
「そうね」と、ナナクサは大きく息を吸い込んだ。「確かに卑怯な言い方よね。謝るわ。でも皆の考えは、もう決まってるんでしょ」
ナナクサが一同の顔を眺めわたし、再び語を繋ごうとしたとき、突如、タンゴが割っては入った。
「ボクは
誰かが最初に口にするとはいえ、陽気な大男の直線的な決意は皆に小さく息をのませた。ナナクサはチョウヨウに視線を向けた。彼女のデイ・ウォークに懸ける思いとタンゴに対する好意を知っているだけに心が傷んだ。
「我れの気持ちも決しておる」と、ジョウシがタンゴに続いた。「
「どういうこと?」
ナナクサはジョウシの言葉の意味するところがわからず、思わず聞き返した。
「すべての元凶は、あの
「それにミソカもな」
ジョウシはタンゴの一言に少し顔を歪めただけだった。
「それゆえ、あんなモノを用いる
ジョウシはファニュを指さした。
「
「ジョウシ、あんた」公然とした政府批判を黙って聞いていたチョウヨウもさすがに口を挟んだ。「
「そうだ!」と、タンゴがその反論を断ち切って一気にまくし立てた。「その通りだ。絶対にこのままにしてちゃいけないんだよ。
「食糧ね」
言い淀んだタンゴの代わりにファニュがぼそりと呟いた。
「ごめんよ。そんなつもりじゃ」
「いいよ。気にしてない。あたしたちも、あなたたちヴァンパイアは血も涙もない恐ろしい化け物だって教わってきたから」
「ヴァンパイアか」
今まで人間という呼称を使ってきた自分たちを、古くからあったといわれる新たな呼称で呼ばれることに、チョウヨウは戸惑いを隠せず、思わずそう口にした。
「えぇ。ヴァンパイア」と、再びファニュ。
「そうだよ。ヴァンパイアについてだって、僕らは今まで何も知らなかったんだ。自分たちのことなんだったら、知るべきだよ」
「さっきも言ったけど」と、チョウヨウがタンゴに顔を向けた。「相手は
そこまで言ってから、はっと気づいたようにチョウヨウは傍らのファニュに視線を転じた。
「そうだよ」と、タンゴもチョウヨウの考えを直感的に理解した。「ファニュが持ってた地図にあった印。きっと、そこだよ。目指してみよう。船乗りでなくても行き着けるはずさ。ファニュ、君もいろいろ知りたいだろ?」
答えに窮する人間の少女を尻目にジョウシが立ち上がった。
「我れも思案した上での結論じゃ。秘め事を暴こうぞ。それを月光の下に晒すことが、亡き友への
水を向けられたチョウヨウは坐禅を組むように微動だにせず、半ば視線を目の前の雪に落とすような格好でその場に座り込んでいた。彼女が深く迷っていることは誰の目にも明らかだった。
「私の意見を言うわ」仲間のやり取りを聞いていたナナクサが、おもむろに口を開いた。「このデイ・ウォークをやり遂げることが亡くなった仲間たちへの供養になることも確かよ。だから私は」ナナクサは決然と言い放った。「そっちを選ぶ。私は、このままデイ・ウォークを続けるわ」
目を上げたチョウヨウは自分を見やるナナクサの視線を捉えた。ナナクサはタンゴとジョウシの問いかけるような視線を無視して続けた。
「あなたの姉さん。ボウシュもデイ・ウォークの成功を望んでいるはずよ」
「姉さんが……」
「えぇ」
それだけ言うと、ジンジツやタナバタ。ミソカだって。と、ナナクサは心の中で呟いた。
「わかった。ありがとう、ナナクサ」
ナナクサの意見に同調を示したチョウヨウに、タンゴは小さな落胆のため息を漏らした。
「二対二か。これじゃ決まらないな」
「いえ、同数じゃないわ」と、ナナクサ。
「確かに、そうじゃな」
気乗りしない口調を隠そうともせずにジョウシが応じた。
「ねぇ、ファニュ」と、ナナクサは、今度は人間の少女に問いかけた。「あなたはどうなの?」
その言葉に思わず反論しかけたタンゴをジョウシが制した。
「あ、あたし?……」
「そうよ。あなたもパーティの一員よ、これだけ深く関わったんだもの。だから、あなたの意見も聞きたいの」
ナナクサは敢えて「一緒に行くのか」とは聞かなかった。人間の少女には同じ人間の仲間を一人きりで探して合流するという選択肢も僅かながらも残されていたからだ。彼女が、それを選ぶのなら、それはそれで仕方ない。
暫くしてファニュは重い口を開いた。
「わたしは行きたくない。でも一人ぼっちもイヤ」
その回答は、二つの落胆と二つの安堵に迎えられた。
「わかったわ、ファニュ。ありがとう。じゃぁ、あなたは
「あなたたちは何もわかってない!」叩きつけるようにナナクサの言葉を遮ったファニュは堰を切ったように喋り出した。「あの地図の印は、あなたたちの
唖然とするヴァンパイアの若者たちの数瞬が過ぎ去った。だが、少女の言葉がどうしても理解できなかったジョウシがオウム返しに尋ねた。
「『人間の指導者が
「そうよ。
「
考えを巡らせるジョウシにファニュは苦々しく首を振った。
「違うわ。
「そして指導者は、とても横暴で残虐」
「それほど多くの民を束ねねばならぬ立場なら」ジョウシがおもむろに口を開いた。「掟も多かろう。時に横暴と見えることもせねばならぬのではあるまいか?」
「あなたの村では、
ジョウシは息をのんだ。
「左様なことは論外じゃ」
「だから、わたしは行きたくないの。たとえ、生まれ故郷であっても。あんな指導者のいるところへ戻るくらいなら、死んだ方がましよ」
「故郷?」
意外なその言葉にタンゴは思わず声を上げ、ファニュは小さく頷いた。
「なぜだい。親や兄弟だっているんだろ。その
首を横に振る少女に若いヴァンパイアたちの同情が集まった。肉親を失うということは、この過酷な世界で生き抜くことを、よりいっそう困難にする。それはヴァンパイアにも理解できることだからだ。しかもファニュの説明が真実なら、家族はその指導者の手に掛かって死んだとも考えられる。だが少女は彼らの考えを否定した。
「たぶん、あなたたちはあたしの親や兄弟が死んだか、殺されでもしたかと思ってるんでしょ。違うわ。親から生まれて兄弟がいる人間もいる。でも、あたしは違う。規格に合わなかったから、まだ幼い頃に隊商に下げ渡された。わたしには初めから親も兄弟もいない。あったのは
「すまないけど、君の言ってることが、僕にはさっぱりわからないんだけど」と、タンゴがおずおずと尋ねた。
「言った通りよ」
「僕らの
「
ジョウシも腕を組んで考え込む傍らで、チョウヨウがファニュに声を掛けた。
「つまりは、もの凄く辛い生活を意に反して味あわされたってことだな。それは間違いないな?」
黙って頷くファニュは今にも泣き出しそうだった。
「だから行きたくないんだな?」
更なる問いかけに、ファニュの頬を透明な涙が伝った。そして抱え込んだ膝に顔を埋めた。
「だったら行こう」
チョウヨウの凛とした声が響いた。その決断に三人の若いヴァンパイアから次々と疑問の声が上がった。そんな旅仲間を無視して、チョウヨウは少女を力づけるように、その肩に両手を置いた。
「辛い思いをさせられたんなら、やり返してやりな。でないと、この先、自分のつま先ばかり眺めて歩き続けなきゃならない一生だぞ。お前はそれでもいいのか?」
「でも……」と、顔を上げたファニュの声は掠れていた。
「いいのか、それで?」チョウヨウは、なおも語を継いだ。「あたいも姉ちゃんが変わり者だったお陰で村の中じゃ随分と虐められたよ。でも姉ちゃんを嫌いになったり、自分が可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。悪いのは、あたいや姉ちゃんじゃない。あたいらの前に不当に立ち塞がった奴らなんだ。だから、お前も自分の前に立ち塞がる奴なんぞぶっ飛ばしてやれ。過去と対決しろ。皆、そうして生きてくんだ。ヴァンパイアだろうが、人間だろうが関係ない。そうしないと本当に後悔するぞ。その
「チョウヨウ……」
呆気にとられる仲間たちの中で、ファニュが大柄な女ヴァンパイアの名前を初めて口にした瞬間だった。
「これで決したのぅ」と、ジョウシがフッと息を吐きだした。
ナナクサはチョウヨウの心変わりを彼女らしいと感じて苦笑した。そしてその決断を潔く受け止め、小さく頷いてみせた。それが合図でもあったかのようにタンゴは「さすがチョウヨウ。そうこなくっちゃ」と大声を上げると、彼女の背を大きな手でどんと叩いた。
「ただし!」と、背中を叩かれたヴァンパイアが皆の注目を集めた。
「今度は何じゃ?」
場の盛り上がりを制したチョウヨウに小柄なヴァンパイアが応じた。
「デイ・ウォークの記念品を、先ず手にしてからだ」
「何だって。正気かい?!」と、タンゴが声を上げた。
「あぁ、正気だよ。それから皆で
その提案に、最初ぽかんと口を開けていたジョウシはパーティの代表であるかのように重々しく頷いた。
「亡き友に代わり、改めて礼を言うぞ、チョウヨウ」
「勘違いすんじゃないよ、チビ助」と、いつものようにチョウヨウが応じた。「あたいは自分自身のために行くんだ。自分が納得するために。皆もそうだろ。それに、こう謎が多いと夜の寝覚めも悪いしな」
「確かに」と、ナナクサも同意した。「それに記念品を手にした大人として
「デイ・ウォークをやり遂げてから
「あたいは欲張りなんだよ」
チョウヨウは亡き姉の口癖でタンゴに応じるとナナクサに片目をつぶってみせた。そんなチョウヨウに理解を示すように、ナナクサも微笑み返した。
「でも、そうは言っても二つのことを同時にこなすとなると、肝心なのは旅の期限だなぁ……」
考え込むタンゴの一言に皆が黙り込んだとき、人間の少女が恐る恐る口を開いた。
「それには力を貸せるかもしれない」
ファニュは、その場に立ち上がると皆を後ろに向かせた。
そこには主たちを失った隊商の橇の横で