第25話 城門の中へ

文字数 6,073文字

 久しぶりの再会は二人の年若い人間の男女を大いに戸惑わせた。二人とも外見が劇的に変化したわけでは決してなかった。しかしエイブは幼さがすっかり抜け落ちたファニュから老練さの萌芽を嗅ぎ取り、彼女もまたエイブからは以前にも増して研ぎ澄まされた抜け目のなさと、昔には見られなかった精悍さの発露を感じ取った。半年という歳月は、過酷な世界ではそれだけの変化を二人にもたらせ、互いの変化を感じ取るまでに成長させていた。それはまた、二人が違った境遇で並々ならぬ苦労を強いられた証しでもあった。だからこそ二人は抱き合って再会を無邪気に喜び合うような子供じみたことはしなかった。
「エイブ、お久しぶり。ここに居ることは知ってたけど、まさか、こんなすぐに再会できるなんて」
「こっちこそ」エイブは懐かしさを抑え、警戒の色をあらわにした。「お前は元気そうだな、ファニュ」
「うん」
「ファニュ」と、再びエイブ。「今までどこにいた。というより何をしてたんだ?」
「旅をしてたの。色んなことを勉強したわ」ファニュは正直に答えた。
「なぁ、ファニュ」エイブは呼吸を整えた。「俺たちがいた隊商のことだけど……」
「全滅したわ」
 事もなげにそう応えたファニュの言葉にエイブだけでなく、連れの準戦士も少なからぬ緊張を走らせた。
「知ってたのか」
「うん」ファニュはエイブの精悍な目を見つめて言葉を継いだ。「彼らはヴァンパイアに遭遇したのよ」
「で、君は助かったのか。君だけが運良く?」
「そう。あたしは全滅する前に隊商とはぐれたの。だから死なずにすんだ」
「そうだったのか。でも、はぐれてたのに隊商が全滅したことが、よくわかったな」
「この世界で生き抜くには情報が命よ」
「確かにな」
 エイブは緊張をほんの少しだけ解いた。だが準戦士としての半年間の鍛錬は彼から完全に警戒心を解くことを容易に許さなかった。彼は遮光マントとマフラー、それにゴーグルで顔と全身を覆ったナナクサに視線を転じた。
「そっちは何者だ?」
「ナナクサよ」
 マフラー越しに声をくぐもらせたナナクサは礼儀正しく胸に右手を添えて頭を垂れた。
「ナナクサ?」エイブは訝しげに顔の見えない相手に質問を続けた。「お前はどこから来たんだ。ファニュとはどんな関係だ?」
「出身はキサラ村」
「聞いたこともない名だな」
「おそらく、そうでしょうね」
 これ以上、隠しおおせるわけにもいかないし、目の前には信頼に足る隊商仲間だった青年の顔がある。真摯(しんし)に説明をすれば、絶対にわかってくれるはずだ。ファニュはナナクサが口を開く前に思い切って事実を打ち明けた。
「あたしが隊商とはぐれて死にかけてたとき、彼女と仲間が助けてくれたの。エイブ、よく聞いて。彼女はヴァンパイアよ」
 その単語を耳にしたエイブと連れは反射的に剣を引き抜くと油断なく身構えた。殺気立ったその様子は緊迫感を呼び、緊迫感はすぐさま戦いに巻き込まれる恐怖へと直結する。それは離れた所にいる追放者たちの間を瞬く間に駆け抜けた。我先に逃げ出そうとする追放者たちは互いにぶつかりあってパニックを起こしはじめた。
「待って。待ってったら、みんな。あたしの話を聞いて。お願いだから、聞いて!」
 ファニュはパニックに陥った人々に振り向くと声を限りに叫んだ。
「静まれ。静まるんだ。騒いでたら懲罰隊が出てくるぞ!」
 追放者たちがエイブの警告にやっと従いはじめたころには、既にその数は五十人ばかりに減っていた。
(くそ)だ、エイブ。お前の知り合いは、まったく(くそ)だな。選りにもよって、ヴァンパイアだと。冗談にもほどがあるぜ!」
 連れの準戦士は、どさくさに紛れて城塞内に戻ろうとする追放者を牽制しながら、そう怒鳴り続け、エイブも連れの言葉に首肯しながら、ファニュを睨みつけた。
「たちの悪い冗談を言うなよ、ファニュ!」
「違うわ。冗談なんかじゃない!」
「まだ言うのか!」エイブは語気を強めた。
「だって本当のことよ。でもみんな誤解してる。ヴァンパイアは人を襲わない。人間の喉に喰らいついて血を飲んだり、殺したりなんかしない。彼らは戦士みたいに争いを好まないし、他人に親切でやさしいわ!」
「俺たちの隊商は、そのヴァンパイアにやられて全滅したんだぞ」
「一月前に進発した戦士の大部隊が、みんな()られちまったことも忘れてるぞ……」
「おい、やめろ!」
 エイブは口を挟んだ連れを思わず制した。五百名からの屈強な戦士たちがヴァンパイアたちに全滅させられたことは城塞内の戦士なら誰でも知っている。だが、ここには追放した労働階級がいる。それに戦士階級にある者が軽々しく口にすべきことでもない。ましてヴァンパイアに関する不要な噂を流布する言動にエイブは敏感にならざるを得なかった。
「あれは…あれはね……」
 ファニュは言葉を濁した。
「『あれは、あれは』って、いったい何が言いたいんだ?!」エイブが声を荒らげた。
「事故よ」ナナクサが応じた。「不幸な事故よ。二度とあってはならないわ」
「事故だと……事故なもんか。ヴァンパイア危機(クライシス)なんだよ!」
 ナナクサの声が応え終わらないうちに、エイブは彼女に走り寄って剣の切先をその喉元に突き付けた。しかしナナクサは臆さずに話し続けた。
「隊商で不幸な事故が起こったことすら、私たちは知らなかった。もし間に合っていれば、もちろん全力で止めたわ。でも残念なことにそうではなかった。その結果、あなたの言うように多くの人が死んだ。この事実は変えられない」
 話しながらナナクサは、必ずしも戦士たちとの戦いはそうじゃなかったけど、という事実は口にしなかった。彼女とて、それを話すことで事を複雑にして良いか悪いかの判断はついたからだ、たとえそれが正当防衛であったとしてもだ。
「でも、わたしは薬師(くすし)よ。病と戦う者を手助けするのが仕事。いい。人間と争うのが仕事じゃない。ファニュが言ったように誤解が解ければ、これからは死ななくていい者が命を落とすこともなくなるわ」
「死ななくていい者だと。それは人間だけだ」
「違うわ。生きている者は、すべていつかは死ぬ。でも、それはヴァンパイアであっても人間であっても、他の者がどうこうしていい問題じゃない。誤解から互いに命を奪い合うなんて愚かよ。私とファニュを見て。ねぇ、しっかり見て。私たちは、ここまで上手くやってきたわ、ヴァンパイアと人間なのに」
「何がヴァンパイアと人間だ。馬鹿か、この女」と、エイブの連れが鼻を鳴らした。ナナクサは構わず言葉を続けた。
「相手のことが分かってさえいれば共存ができなくても、併存はできるわ。それぞれの領域で異なる風習を守って生きてゆく。二つの種族は平和に過ごしてゆけるのよ」
「朝に訪問することを決めたのはナナクサよ、皆に安心してもらうために」
 ファニュの言葉に、ナナクサの喉に突き付けたエイブの切先が少し下がった。
「理解してくれたようね」
「お前……いや、あんたの主義主張だけはな」
「ありがとう。じゃぁ、あなたも手伝ってくれるかしら。私は、ここへは謎を解きに来たの」
「何の謎だ?」
「私たちの政府(チャーチ)がここにあるはずなの、ヴァンパイアの政府(チャーチ)が。それと接触して理解したいの、ヴァンパイアのことを。そして人間のことを、もっと。そうすれば……」
「『ヴァンパイアの政府(チャーチ)』ねぇ」連れの準戦士が再び口を挟んだ。「それがここにあるってか。ここは人間の砦だぞ。この馬鹿女、何を言いだすかと思えば……」
「よかろう。手伝うのは無理だが、あんたの好きにしろ。その政府(チャーチ)とやらを探すがいい。但し、絶対に“招待”はしないぞ」
 エイブはそう宣言すると剣を収め、すたすたと城門内に引き返しはじめた。彼の態度に納得しきれない連れが、そのあとを追った。
「おい」連れはエイブに追いつくと、その袖を捉えて振り向かせた。「いったい、どういうこった?」
「言った通りだ。あの頭のイカれた女の好きにさせるさ」
「でも、あの馬鹿女の言うことが本当だったらどうする。もしヴァンパイアだったら?」
「信じるのか?」
「いや。でも、本当だったら……」
「それはない」
「なぜだ?」
「あの女の話は理路整然としてるが、どこかおかしい。自分の作り話に酔ってるんだ。そして心底それを信じ込んでる。さっきも言ったが、きっと頭がどうかしてるんだ。ヴァンパイアの政府(チャーチ)とやらが、ここにあったとして、そんなもの見たことがあるか。それともお前は今の話を信じるのか、あんな荒唐無稽なホラ話を?」
「いいや、信じない」と、首を横に振る連れに、エイブはナナクサの方に顎をしゃくった。
「ほら、やっぱりだ」
 首を横に振る連れにエイブは自信あり気にニヤリと笑いかけた。
「だから大丈夫だ」
 城門をくぐろうとするナナクサにファニュは遅れまいと付き従った。
「お前は大事なことを忘れてるぞ。『ヴァンパイアは招かれない限り、その地に足を踏み入れることはできない』俺は『招待しない』と、はっきり、あの女に言ったんだぜ」
「なるほど。ということは……」
「そういうことさ」
 エイブとその連れが見守る中、城門内に足を踏み入れたナナクサは城塞内にそびえ立つ建物群の威容に圧倒された。それは雪と氷に閉ざされた村落しか知らない彼女の目には、人智を超えた力で打ち立てられた禍々しい山々のように感じられた。さて、ここのどこに政府(チャーチ)が存在するのだろう。ここの全てが政府(チャーチ)であるようにも思えるし、こんなものが政府(チャーチ)であるわけがないとも思える。そして彼らは人間とどんな関係を持っているのだろうか。途方に暮れるナナクサが考えを巡らせていると、右の二の腕が突如、がっしりと掴まれた。そして回れ右をさせられると城門の外に彼女の身体は引っ張って行かれた。厄介な人物を連れてきたと他の戦士たちから、これ以上、目を付けられたくないと考えたエイブだった。
「さぁ、そろそろお引き取り願おうか、痛い目をみないうちに」
「何をするの。あなたは、わかってくれたはずじゃぁ……」
「黙れ!」
「待って、エイブ!」
 ファニュはナナクサを引き立てるエイブに気づくと彼に詰め寄った。
「何度も言うけど、あたしたち間違ったことは言ってないわ。あたしたちの言ってることは本当よ!」
「ファニュ!」エイブはファニュに噛みついた。「いい加減に目を覚ませ。この女に何を吹き込まれたかしれないが、イカれた考えは捨てろ。でないと、お前でも懲罰隊に引き渡さなきゃならなくなる。俺にそんなことをさせるな!」
 エイブは城門の外に出るとナナクサを乱暴に突き放した。そしてナナクサに駆け寄るファニュを無視すると自分だけ踵を返して城門内に戻りはじめた。城門の内側では両手を腰に当てた連れの準戦士が、にやけながら彼を待っている。その時エイブの目の端を何かがちらっと掠めた。途端に彼は一陣の風に身体を撫でられて雪の上に大きく尻餅をついた。見ると城門の内側にいる連れも彼と同じ目に遭っていた。彼らは狐につままれたように声も出せずに離れた場所から互の顔を見つめるばかりだった。やがてエイブの前に2本の剣が投げ落とされた。それはエイブと連れの剣だった。「わけがわからない」というエイブの耳を「これで信じてくれたかしら」というナナクサの声が撫でた。そして魔法のように連れの準戦士の横に姿を現した。
「面白い奇術だな」ややあって口を開いたエイブの声は怒りを含んでいたが微かに震えていた。「どこで憶えたんだか、俺にはわからないが……さぁ、もう引き取ってくれないか。俺たちには、まだ仕事がある」
 エイブは喋りながらズボンに付いた雪を、心を落ち着けようと必要以上に丹念に払い落とした。そして作業を終えると自分の剣を鞘に収め、何事もなかったかのように再び連れとナナクサのいる城門内に戻りはじめた、速足と言っても過言ではない速度で。
「待って」
 大きな溜息をついたナナクサはおもむろにフードをめくり、ゴーグルと顔に巻かれたマスクを取りはじめた。それを見たファニュが驚きの声を上げた。
「大丈夫よ、ファニュ。今朝は分厚い雲があるから」
 フードの中から薄墨色の髪を持った細っそりとした若い女の顔が現れた。優しげな顔の中にある憂いを含んだ漆黒の瞳が実に印象的だった。エイブと連れの準戦士は魅入られたようにナナクサの顔を凝視した。
「何度も言うけど、間違いなく、わたしはヴァンパイアよ」
 ナナクサはそう言うと、目にも留まらぬ速さで残った剣を拾い上げると、準戦士の眼前に現れ、それを彼に手渡した。そして彼に二本の犬歯を伸ばしてみせた。
               *
 今まで誰も聞いたことがない大きな警報が城塞都市(カム・アー)の隅々にまで轟き渡り、谺となったそれは壁面にこびり付いた氷と雪を削り落とした。巨大なギアが回り、大きな城門が徐々に閉じ始めた。ナナクサをヴァンパイアと認めたエイブの連れが、今まで誰も押したことがない詰所の警報スイッチを入れたからだ。警報に被って女の声が「警報赤(レッド・アラート)警報赤(レッド・アラート)。各員、防備を固めよ。防備を固めよ」と繰り返し注意を促し続けた。警報に心を奪われたナナクサの頭が、その出どころを探してゆっくりと左右を見回すのがファニュの目に入った。だがファニュは動けなかった。ナナクサに合流するどころか、叫びかけることすら叶わずに城門のすぐ外で城門内から流れ出る女の声に混乱し続けていた。
               *
 閉ざされた城門の前に膝を屈したファニュは混乱から脱すると、ようやくヴァンパイアの若者たちと初めて出会った時のことを思い出していた。あの時、ナナクサの声を、どこかで聞いたことのある懐かしい声だと感じたが、それが今わかったのだ。ナナクサの声は城塞都市(カム・アー)で生活をしていた時によく耳にした情報伝達音声(インフォ・ボイス)そのもの。隊商に下げ渡される、その日まで身近に慣れ親しんだ声そのものだったのだ。それがナナクサに対して警報を発し、戦士階級がひしめく城塞内に彼女を飲み込んだのだ。我に返ったファニュは立ち上がると城門に近づき、その表面に両の手のひらをついた。防寒手袋越しにでも氷のような冷たさとと何物をも寄せ付けない強固さが感じられた。彼女は力一杯城門を叩きはじめた。手が腫れて叩けなくなるまでナナクサの名を叫びながら叩き続けた。暫くして、背後から力強い手が伸びて彼女の腕を掴むと、その行為を止めさせた。ファニュと共に城門の外に取り残されたエイブも、やっと事実を飲み込み始めていた。
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登場人物紹介

ナナクサ

キサラ村出身の薬師見習い。まじめで思慮深い。全てを手にするといわれる“瞳の中に星を飼う”娘。デイ・ウォークを通して、運命に翻弄されながらも大きく成長してゆく。

ジンジツ

ミナヅ村出身の方違へ師見習い。直情径行な性格でリーダーを自称している青年だが、性格には裏表がない。デイ・ウォーク後は、政府の飛行船乗組員になりたいという夢を持っている。

チョウヨウ

ミナヅ村出身の石工見習い。デイ・ウォークの途中で命を落とした姉のボウシュが成し遂げられなかった過酷な成人の儀式を必ず成功させようと意気込む努力家の娘。大柄で口は悪いが他意はない。

タンゴ

キサラ村出身の史書師見習い。大食いで気のいい大柄な青年。旅の初めは頼りなげな彼も、デイ・ウォークの中で大きな選択に迫られてゆく。

ミソカ

キサラ村出身の方違へ師見習い。小柄で身体が弱く、物静かな性格の娘。仲間に後れを取らないように懸命にデイ・ウォークに挑戦してゆく。

タナバタ

ヤヨ村出身の薬師見習い。理知的で柔らかい物腰の青年。スマートで仲間の中では頭脳派。

ジョウシ

ヤヨ村出身。村長の娘。生意気だが洞察力があり、決断力にも富んでいる。

シェ・ファニュ

人工子宮生まれの14歳。ナナクサたちと知り合ったことで前向きに生きていこうとする聡明な人間の少女。規格外品扱いで城砦都市から追放同然で隊商に下げ渡された過去を持つ。

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