-16-夢囚
文字数 1,484文字
「僕、やっぱりマホロが好きだよ」
煙草に火をつけようとしたまま動きを止めた十影は、結局火をつけないまま銜えていた煙草を外して盛大な溜息を吐いた。
それでもその表情は想像していたよりも随分と柔らかい。
予想―――というより覚悟、か。それが出来ていたんだろうと思う。
無知が故にどこまでも頑固な僕の性格は、僕以上に十影が分かっている。
「いいんだな?」
「うん」
「なにがあっても、それはお前が選択したことだ。それも、ちゃんと分かってるな?」
「うん、分かってる」
「これからお前に待ってることは、きっと辛いことのほうが多い。それでも―――なんだな?」
「うん、それでも」
僕はマホロが好きだよ、と僕はまた繰り返した。
一度、念を押すように僕の瞳をじっと見据えた十影は、諦めたようにそっと息を吐いた。
「後悔―――は、しねぇな。お前は」
「うん、しない」
「じゃあいいよ」
溜息交じりにそう言って、十影はやっと煙草に火をつけた。
「お前ももう子どもじゃないってことだな」
「どうだろ。知らないこと……分からないことのほうがまだ多いよ」
「分からないってちゃんと分かってんだろ。子どもとは違う」
そう言って十影は紫煙を斜め上に吐き出した。
淡い色をした空に薄い煙の膜が張って、すぐに消える。
「僕、ちゃんと大人になれたかな」
「あぁ」
「僕、ちゃんと普通になれた?」
「あ?」
怪訝そうに顰められた十影の瞳が、うんざりしたように僕から逸らされた。
薄く開いた唇の間から零れる煙草の煙が途絶えるよりも先に、十影は煙草を吸った。
「そんなこったろうと思ってたよ」
「え?」
「縛られないわけないよなぁ……だって―――」
お前は何も知らないんだから―――と。
まるで独り言のように吐き出されたその言葉は、やけに耳の近くで聞こえた気がした。
灰皿に押し付けられた煙草から、最後の煙がぶわりと立ち昇った。
「いいか。縁日」
仄甘い煙草の香りがついた十影の手が、僕の頭を撫でた。
僕とも、マホロとも違う。男の手だと思った。
あの人と同じ―――
「あの人は、お前を愛してたわけじゃないよ」
諭すように、十影が言う。
惚けたような僕に念を押すようにもう一度、
「あの人は、お前を愛したんじゃない」
と、そう言い切った。
「…………え?」
時間が、止まった気がした。
僕だけを今に取り残して、十影が動く。
「自分だけの天使が欲しかった―――あの人は捕まってからずっと戯言のようにそう言ってたよ。神のもとへ戻れないようにその羽根をもいで、自分だけの堕天使にしたかったんだと、そう言ってた。それがたまたまお前だっただけだ、縁日」
背中の傷が。とっくに治っているはずのその傷が、鈍く痛んだ。
逃げたいと咄嗟に思った。それを拒むように十影が僕の目を見る。
「あの人はお前を愛したわけじゃない。お前に、自分に忠実な天使でいて欲しかっただけだ。だけどお前は“天使じゃない”。羽根がなくったってその足で、自分の好きなところへ行ける。行っていいんだよ」
泣いてもいない僕の目尻を、十影の親指が拭っていった。
「あの人はずっと、あの人の夢の中で生きてた。その夢の中に、お前が捉われ続ける必要はない」
瞳の中に僕を映したその目が、小さく笑った。
そして、今までずっと僕が自問自答し続けていたことの答えを。
さも当たり前のことのように。
十影は教えてくれた。
「お前は普通だよ。最初から、今でもずっと」
煙草に火をつけようとしたまま動きを止めた十影は、結局火をつけないまま銜えていた煙草を外して盛大な溜息を吐いた。
それでもその表情は想像していたよりも随分と柔らかい。
予想―――というより覚悟、か。それが出来ていたんだろうと思う。
無知が故にどこまでも頑固な僕の性格は、僕以上に十影が分かっている。
「いいんだな?」
「うん」
「なにがあっても、それはお前が選択したことだ。それも、ちゃんと分かってるな?」
「うん、分かってる」
「これからお前に待ってることは、きっと辛いことのほうが多い。それでも―――なんだな?」
「うん、それでも」
僕はマホロが好きだよ、と僕はまた繰り返した。
一度、念を押すように僕の瞳をじっと見据えた十影は、諦めたようにそっと息を吐いた。
「後悔―――は、しねぇな。お前は」
「うん、しない」
「じゃあいいよ」
溜息交じりにそう言って、十影はやっと煙草に火をつけた。
「お前ももう子どもじゃないってことだな」
「どうだろ。知らないこと……分からないことのほうがまだ多いよ」
「分からないってちゃんと分かってんだろ。子どもとは違う」
そう言って十影は紫煙を斜め上に吐き出した。
淡い色をした空に薄い煙の膜が張って、すぐに消える。
「僕、ちゃんと大人になれたかな」
「あぁ」
「僕、ちゃんと普通になれた?」
「あ?」
怪訝そうに顰められた十影の瞳が、うんざりしたように僕から逸らされた。
薄く開いた唇の間から零れる煙草の煙が途絶えるよりも先に、十影は煙草を吸った。
「そんなこったろうと思ってたよ」
「え?」
「縛られないわけないよなぁ……だって―――」
お前は何も知らないんだから―――と。
まるで独り言のように吐き出されたその言葉は、やけに耳の近くで聞こえた気がした。
灰皿に押し付けられた煙草から、最後の煙がぶわりと立ち昇った。
「いいか。縁日」
仄甘い煙草の香りがついた十影の手が、僕の頭を撫でた。
僕とも、マホロとも違う。男の手だと思った。
あの人と同じ―――
「あの人は、お前を愛してたわけじゃないよ」
諭すように、十影が言う。
惚けたような僕に念を押すようにもう一度、
「あの人は、お前を愛したんじゃない」
と、そう言い切った。
「…………え?」
時間が、止まった気がした。
僕だけを今に取り残して、十影が動く。
「自分だけの天使が欲しかった―――あの人は捕まってからずっと戯言のようにそう言ってたよ。神のもとへ戻れないようにその羽根をもいで、自分だけの堕天使にしたかったんだと、そう言ってた。それがたまたまお前だっただけだ、縁日」
背中の傷が。とっくに治っているはずのその傷が、鈍く痛んだ。
逃げたいと咄嗟に思った。それを拒むように十影が僕の目を見る。
「あの人はお前を愛したわけじゃない。お前に、自分に忠実な天使でいて欲しかっただけだ。だけどお前は“天使じゃない”。羽根がなくったってその足で、自分の好きなところへ行ける。行っていいんだよ」
泣いてもいない僕の目尻を、十影の親指が拭っていった。
「あの人はずっと、あの人の夢の中で生きてた。その夢の中に、お前が捉われ続ける必要はない」
瞳の中に僕を映したその目が、小さく笑った。
そして、今までずっと僕が自問自答し続けていたことの答えを。
さも当たり前のことのように。
十影は教えてくれた。
「お前は普通だよ。最初から、今でもずっと」