-3-体液 (1)

文字数 1,794文字

陽の光の下で見るよりも少しだけ輝きを抑えたその肌は、室内で見ると余計に透き通るような質感をしていた。
レースカーテンを通す陽の光の白さをそのまま吸い込んだような、そんな美しさだった。


「別に夜行性ってわけじゃないよ。確かに日光は苦手だけどね」


グラスに注がれた紅茶の表面に浮かぶミントの葉に、ふぅと息を吹き当てて遊んでいたマホロは、
その視線をちらりと僕に向けてから質問にそう答えてくれた。
自分のカップに熱い紅茶を注ぎながら、十影が小さく笑う。


「それでもたまに日干ししてやらないとカビ生えるからな」
「そうそう。俺にだってビタミンは必要だからね」


会話が噛み合っていないことを自覚しているのかいないのか、それとも2人の間ではそれで成立しているのか
2人は可笑しそうに笑いながら紅茶を飲んだ。
つられるようにして僕も自分のカップに口をつける。
温かな紅茶の香りが広がる。息をついた鼻に抜けるのは、微かなミントの爽やかさだった。


「植物しか食べられないっていうのは………?」
「大まかにいうと正解。細かくいうと不正解」


悪戯に言って、マホロはグラスをテーブルに置いた。


「俺が食べられるのは花やハーブだけだよ。例えば、桜は食べられるけど、さくらんぼは食べられないとか、紅茶は飲めるけど、珈琲は飲めないとか。そういう感じかな」
「“植物性”が大丈夫なわけじゃない……?」
「そう。あくまでも花とハーブだけ」


そう言ってからマホロはソファの背凭れに身体を沈ませて小さく息を吐いた。


「って言っても、それ以外食べたことないから分かんないんだけどね。本当に食べられないのか試したことがあるわけじゃないし」
「死んでも試すな」
「って十影に言われてるからね。食べないよ」


顔をあげてべ、と出した舌の上に、紅茶から摘まみ上げたミントの葉を乗せてマホロは言った。
その白い肌とは対照的な真っ赤な舌がゆっくりと咥内へ戻っていく。
咀嚼されたミントが咽喉を通った後、唇についた紅茶の雫をぺろりと舌が舐めとった。

僕の心臓が、引き攣るように脈動した。

陶磁器の触れあう音に我に返る。
ソーサーに戻された十影のカップが空になっていた。


「けどまぁ、あんまり細かいこと気にしなくて大丈夫だぞ。お前は普通に生活してればいい」
「え、でも………」
「こいつだってもう大人だ。自分のことくらいは自分で出来る。というかやらせろ」
「そうそう。自己管理くらいちゃんとできるよ」


自信満々にそう言ったマホロの隣で、2杯目の紅茶を注いでいた十影がぼそりと


「砂糖舐めて死にかけた奴がよく言う……」


と呟いた。


「それは!小さいときの話でしょ」
「砂糖……?」
「たまたまこいつが舐めた砂糖に不純物が混ざってたんだよ。ぶっ倒れてそのまま2週間昏睡状態」
「化学物質って俺たちには猛毒だからさ。あはは、死ぬかと思ったよ」
「いや………」


「笑えないから」とは言えず、僕はただ苦笑いを返すに留まった。
紅茶を飲むふりをしながら、そっと窺うようにしてマホロを見る。

その美しい容姿に似合った耳触りの良い繊細な声とは反対に、至極フラットで明瞭なマホロの話し方は、
自然とその距離を近くさせる。
―――それが原因かもしれない。
“花酔い”という存在が目の前にいるにもかかわらず、どこか実感が湧かないのは。
非の打ちどころがないほどに完璧に洗礼されたマホロの唯一のその人間らしさが、僕をまだ現実に押しとどめようとしている。


「くぁ………ふ……」


まるで猫のような欠伸をして、マホロは大きく伸びをした。
真っ白な腕が、ゆったりとしたシャツからにゅっと伸びる。


「休むか?」
「うん、そうする」


よっこいしょ、とまた似合わない言葉を使ってマホロは立ち上がった。
音もなく、ただ緩やかな風だけがマホロの動きの痕跡のように浮かび上がる。


「おやすみ」
「おやすみなさい。―――あ、縁日」


開け放たれたドアの前で立ち止まると、マホロはこちらを振り向いて僕の名前を呼んだ。
眠たそうな2つの宝石が、にこりと笑う。


「これからよろしくね」
「あ……はい。おねがい、します」


おやすみなさい、僕のその言葉を待たないままに、マホロは廊下に消えていった。
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登場人物紹介

斎藤 縁日(サイトウ エンニチ)

生後間もなく親に捨てられ、修道院で育てられる。

自分が孤児だという意識があまりなく、戒律厳しい修道院で育ったわりに信仰心もあまり高くない。

一人称は「僕」


山谷 眞秀(ヤマヤ マホロ)

花酔いである母親からの胎盤感染によって、生まれながらにして花酔いに感染している。

自分の出生の特殊性もあってか全てを受け入れて生きてきたため、あまり「自分が花酔いだから」という意識はしていない。

月白色の髪と瞳をもつ。

一人称は「俺」

夕凪 十影(ユウナギ トカゲ)

親同士で交流があり、幼い頃から眞秀の面倒を見て育つ。
書生として山谷の屋敷に下宿していたが、大学教授として就職を機に屋敷を離れる。
愛煙家。

一人称は「俺」

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