ビアガーデン

文字数 2,853文字

 「カンパーイ。」
 金曜の夜、ビルの屋上のビアガーデンで、四人はジョッキを傾けた。
 ケンジ、木崎、友子、里美。
 ケンジにとって木崎以外、ほとんど知らないメンバーだが、楽しげに話す顔を見ているとケンジの心も和んだ。
 木崎が相変わらずの大声で話している。どうやら木崎は営業で、友子・里美は別の部署にいるらしい。それくらいは分かったが、他の事はケンジには分からなかった。
ケンジはお通しをつつきながら、昨夜の理沙との会話を思い出していた。
 飲み会に着ていく服をあれこれ迷っている時、いきなり部屋に理沙が入ってきたのだ。
「何、服なんか選んでんのよ。デート?」
「んな訳ねーだろ!」
「そうよね。で、どこか行くの?」
「飲み会だよ。」
「誰と?」
「え?あの・・・。」
 その後、理沙の巧みな誘導尋問に見事にひっかかり、三人の名前を言わされる羽目になった。
「フムフム、木崎さんと、村川さん、秋山さんか・・・、フムー。」
理沙は薄笑いを浮かべた。
「何だよ。」
「木崎さんと秋山さんて、飲んだらすぐ寝ちゃうタイプなの。お兄ちゃん、村川さんとデート気分、味わえちゃうかも。」
「で、デート?」
ケンジはドギマギした。
「ね、村川さん、私の大好きな先輩なんだから、絶対変なこと言っちゃ駄目よ!と言うか、絶対兄妹だって、バレないようにしてね!あなたは森田、森田なのよ!」
 理沙は人差し指をケンジの顔に突き出した。
「バカ!木崎さんは俺の名前、知ってるだろ!」
「あ、そうか。でも、もしバレるような事があったら・・・。」
 理沙は突き出した指をクイっと曲げたかと思うと、したたかにケンジにおでこにバチンとデコピンを食らわせた。

「おいケンジ、何ラ、ずっと黙って!」
木崎の声に、ケンジは我に返った。
「あ・・・、いや、別に。すんません。」
「しっかし、オメ、ぜんぜっ、変わってねーなー!」
「ちょっと!こ、後輩君に失礼っしょ!」
見ると、木崎と里美はもう真っ赤で、目もうつろだった。
「早っ!」
ケンジは焦った。
そのうち、二人は無言になり、何度か上体を大きく前後に揺らしたかと思うと、テーブルに突っ伏して動かなくなった。
「ねえ、里美さん。起きてくださいよー。ねえ、里美さん!木崎さんも寝ちゃダメですよー。」
友子の努力も空しく、二人は寝てしまった。思わずケンジと友子の目が合う。友子は苦笑いをしたが、ケンジは下を向いてしまった。気まずい沈黙の中、二人の寝息だけが聞こえてくる。友子は終始視線を落としながら料理を口にしたり、木崎や里美を見たりしていた。そんな友子の顔をチラチラ見ながら、ケンジの鼓動は否応なく高まった。何か話さないと、何か・・・
「すみません、林田さん。」
友子は困った顔で微笑みながら、ケンジに話しかけた。ケンジはさらにドギマギした。
「あ・・・、いや・・・、いいっす。」
「あの、木崎さんって、高校時代どんなだったんですか?」
「え・・・、あ・・・、あの・・・、キャ・・・、キャプテンでした。サッカー部の・・・。」
「へー。で、林田さんは木崎さんの一つ下ですか。」
「いや・・・、二つ下っす。」
「サッカーは、今でも続けてらっしゃるんですか?」
「いや、い・・・、今は、全然・・・。」
友子は視線を落とし、ジョッキを両手で持って少しビールを飲んだ。再び、沈黙。
 何か話さなきゃ、何か・・・。
「あ・・・、あの、む・・・、村川さんは、歳は、い・・・、いくつですか?」
「え?」
「あ!いや、あの・・・、す・・・、すんません・・・。」
 ケンジの体から汗がドッと出てきた。友子は下を向いて笑った。それを見て、ケンジも顔が真っ赤になった。しかし、少し緊張は解けた。
「あの、ケンジさんって、今何をなさっているんですか。」
「あ・・・、あの、清掃っす。バイト・・・。」
「あ、そうか、そうでしたよね。フフフ。アルバイトなんですか。」
「そうっす。」
「もう長いんですか?」
「いや、まだ始めたばかり・・・す。」
 友子が少しビールを飲んだ。ケンジもジョッキを傾けた。また、沈黙となった。再び、ケンジは何か話さなければと焦りだした。
 何を話せばいい?趣味は、なんて聞けば、また笑われる。しかし、初対面で何も知らない友子と何を話せばいいんだ。とにかく沈黙は怖い。何か話さなければ。何か・・・。
「あの、ずっとアルバイトなんですか?卒業してからずっと・・・。」
 やっと友子が沈黙を破ってくれたが、内容はケンジにとってヘビーだった。
「え?・・・。あー、ま、・・・、そう・・・す。」
「一度も就職しなかったんですか?」
「え・・・、あ・・・、あの・・・、そのー。」
 ケンジは懸命に就活したのだが、結局どこにも採用されなかったのだ。
 ケンジは答えに窮した。また変な汗が流れてくる。どうしよう・・・。迷いに迷っているうちに、思いもよらない言葉がポロリと出てきた。
「ゆ、夢が・・・、あ・・・、あって。それで・・・。」
「夢?」
「はい。」
 もちろん、そんなものはない。ケンジはしまったと思いつつも、あたかもそれが本当であるかのような表情をしている自分が怖かった。
「どんな夢ですか?」
「え!・・・、いや・・・、そ・・・それは・・・、その・・・」
 もう体は汗びっしょりだ。
「ごめんなさい。そんなこと、初対面の私に簡単に言えませんよね。」
「そ・・・、そうっスね・・・。」
 助かった。そう思った。友子はもう一度ビールを口に運び、しばらく隣の席で気持ち良さそうに寝ている里美の顔を見ていた。
「けど・・・。」
 里美を見たまま、友子は口を開いた。
「どうなんでしょうね。確かに夢を持っていることは素晴らしいことですけれど・・・。」
 友子はケンジのほうに向きなおし、じっと目を見て話し出した。
「とりあえず自立することが先じゃないですか?今は新卒でも就職が難しい時代だし。就職して、仕事をしながら夢を追求することだって、可能かもしれないし。」
「は・・・。」
 キリッとした友子の表情に、ケンジは硬直した。
「あ・・・、ごめんなさい!あの・・・、言いすぎちゃって・・・、あの・・・、ごめんなさい!」
「いや・・・、いい・・・ス。」
 ケンジは下を向いた。気まずい沈黙が流れた。
「もう!里美さん、起きてください!いつまで寝てるんですか、里美さん!木崎さんも!ホントにすみません、林田さん・・・。」
「いや・・・、あの・・・。」
「え?」
「いや、べ・・・、別に。」
 ケンジは再びうつむいた。
「もう!里美さぁん!起きてくださぁい!木崎さんも、いつまで寝てるんですかぁ!起きてくださぁい!」
 ケンジはうつむいたままだった。それから結局、友子とはほとんど話さないまま終わった。ずっと流れているハワイアンバンドの軽やかな演奏も、ケンジの心と今の現実を和ませることはできなかった。
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