賛美

文字数 2,177文字

「・・・という訳で、五年前、ケンジ君と出会った頃はどん底だったんですが、気持ちも吹っ切れて、晴れて青森に行くことになりました。すぐに教会を探して、家族で通い始めました。それから半年位してから、家族みんなで洗礼を受けました。
 いや、嬉しかったですね。東京にいるときは家族がバラバラな感じでしたが、向こうに行ってから、何かこう、一つになったというか、家族で礼拝に出席して、賛美歌を歌って、幸せでした。向こうは田舎ですからね、豊かな自然があって、人も暖かいし、食べ物もおいしいし、東京に帰ることなんか全く、考えてもなかったですね。
 ところが不思議なことに、1年位して、突然、社長が辞任して、なにか訳が分からないうちに、お偉方がみんないなくなっちゃったんですね。会社というのは、本当に摩訶不思議なところです。
 そして、青森の田舎に引っ込んでいた私にも連絡がありましてね、東京に戻って来いというんですよ。最初は悩んだんですが、家族は東京に戻りたがった。学校のこともあるし、母もいますしね。で、結局、青森赴任から1年半で東京に帰ってくることになりました。向こうに行って帰ってきたのは、私が初めてでしたね。これも神様の恵みでしょう。感謝してます。
 私は戻ってすぐにケンジ君に会いに行きました。聞けば、今は介護の施設で働いているという。私はホントびっくりしました。私が東京に戻って担当を命じられたのが、新規事業として介護関係の事業を立ち上げることだったからです。いや、本当に驚きました。それから一年ぐらいして、事業がほぼ固まった段階で、私は人事に掛け合ってケンジ君をうちの会社に採用しました。それから、私とケンジ君は上司と部下という関係になりましたが、今こうやって振り返ってみると、何か、不思議な感じですね。神様の導きというか、もう本当に、感謝しかありません。いずれにせよこれらのことはすべて、ケンジ君が私にトラクトを渡してくれたおかげです。あれがなければ、今頃どうなっていたか・・・。ケンジ君、本当にありがとう。そして、おめでとう。幸せな家庭を築いてください。私のスピーチはこれで終わりです。ありがとうございました。」
 大きな拍手が沸き起こった。
「えー、新郎の会社の上司の加地正彦さんからのスピーチでした。実は加地さんは、ホテルでの披露宴でもスピーチされて、それから、この、青年会のお祝いパーティでもスピーチしてくださいました。ありがとうございます。お疲れではないですか?」
「いやー、彼のためなら、十回でも二十回でも話をさせてもらいますよ。」
「部長。すみません。」
 普段着に着替えたケンジが頭を下げた。
「その代わり、俺、明日会社休むから、お前、新婚旅行やめて出てこい。」
「えっ?」
 みんな大笑いした。
「えー、それでは続きまして、新婦の友人の秋山里美さんから、お祝いの歌を披露していただきます。秋山さん、よろしくお願いします。」
 拍手の中、里美が立ち上がり、定番の披露宴ソングを、一生懸命歌った。大きな拍手が起こった。友子は涙ぐんでいた。
 友子の母親も末席で涙ぐんでいた。あの後、体調を崩し、半年ほど入退院を繰り返したが、それがきっかけで酒を断つことができ、また友子に連れられて教会にも来るようになった。それから間もなくクリスチャンとなり、洗礼もうけ、今はボランティアで教会の事務を手伝っている。
「えー、それではここでお待ちかね、お二人への質問コーナー!」
 ヤンヤの歓声が沸き起こった。さっそく一人の女性が手を上げた。
「新婦の友子さんは、新郎のどこが気に入ってご結婚されたんですか?」
「はい。あの、最初は全然タイプじゃなかったんですが・・・。」
 どっと沸いた。
「でも、やっぱり、私をキリストに導いてくれた人だから・・・。」
 友子は顔を赤らめた。ヒューヒュー!かっこいい!あちこちで声が上がり、ケンジは真っ赤になった。
「じゃあ、新郎は?どこが好きになったんですか?」
「え?あの、あ・・・、挨拶です。」
「あいさつ?」
「バイト先で、誰も挨拶しないで通り過ぎていく中で、一人だけ、挨拶してくれたから・・・。」
「ほ~。」
 一瞬、場が静まった。
「おい!俺も挨拶してたぞ!」
「あ、すみません、部長!」
 またどっと沸いた。
「あ、皆さん、すみません。もう時間が来てしまいました。もっと聞きたいことがある方は、直接お二人に聞いてください。それでは最後にお二人から、皆さんにお礼のごあいさつをお願いします。」
 ケンジと友子は立ち上がった。
「あ・・・、あの、その、今日は、ありがとう、ございました。あの・・・、あいさつは苦手なんで、今から一曲、神様を賛美をしたいと思います。皆さんも、ご一緒に、歌っていただければ、感謝です。」
 友子がオルガンの前に座った。みんな立ち上がり、手をつなぎ、肩を組んだ。メロディーが流れだす。みんな力いっぱい歌った。青年たちの若々しい賛美の歌声が、部屋一杯に、部屋を通りこして教会中に響きわたった。

 主をほめたたえよ 高らかに
 主イエスを
 主をほめたたえよ とこしえに
 主イエスの名を
 主の愛 いつまでも変わらず
 全地を 喜びで満たす
 主をほめたたえよ 高らかに

      完
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