背中

文字数 770文字

 次の日の夜も、ケンジはトラクト配りのため、教会に集まっていた。メンバーはとうとう、ケンジを入れて三人になっていた。しかもその二人も、今日を最後にトラクト配りをやめると言う。
「ケンちゃん。もし一人でやるなら、トラクト、入口の前に置いておくよう頼んでみるけど。」
「でも、ケンジくん一人でっていうのは・・・。」
「そうよね~。じゃあ、まあ、今日でトラクト配り、終わりにしようか。」
 突然のことにケンジは戸惑ったが、まあ仕方ないかと思った。
 トラクト配りも今日で最後か、少し残念だな、そんな思いを持ちつつ、ケンジはトラクトを配っていた。
 その時、加地が向こうから歩いてきた。
 ケンジは一目で課長さんであることが分かった。気付かれないよう下を向いた。
「どうしよう・・・、渡そうか・・・。けど、朝いつも声を掛けてくれた課長さんだ。渡さないのは良くないよな。」
 加地が近づいてきた。ケンジは思い切って顔を上げ、笑顔で加地を見た。
 その瞬間、ケンジは凍りついた。
 加地の顔、その異様な表情。何百人という疲れたサラリーマンを見てきたケンジだが、こんな顔は見たことがない。それほど加地の顔は、絶望と疲労、怒りと悲しみに満ち溢れていた。
 固まったケンジの手から、それでも加地はトラクトを受け取った。
 ケンジは加地の背中をずっと見ていた。その背中から目が離せなかった。
 トラクト配りを終え、三人は教会に戻った。ケンジの顔はこわばったままだ。感謝の祈りをささげてから、一人が声を掛けた。
「ケンちゃん。お疲れ様。ありがとね。」
「あの・・・」
「何?」
「あの・・・、明日も、トラクト、入口に出しておいてもらえませんか・・・。」
「え?ケンちゃん、一人でやるの!」
「え~、マジ?」
 二人の顔を交互に見てから、ケンジは静かにうなずいた。
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