約束

文字数 1,267文字

 その夜、ケンジはベッドに寝そべりながら、携帯電話を見つめていた。自分が今、勇気を出すとしたらこれしかない。これから逃げたら、もう一歩も前に進めない、そう思っていた。ケンジの鼓動が否応なく高まる。考え出したら怖くなって逃げ出したくなるが、逃げちゃダメだ、そう言い聞かせながら、携帯電話を一心に見つめていた。

 翌日から、友子の新しい仕事が始まった。仕事は、木崎から教わることとなった。木崎は明るく、色々と親切に教えてくれた。しかし、職場の雰囲気は固く、暗く、友子は先行きが不安だった。
 その日の夜、友子が仕事帰りに駅のホームに立っていると、携帯電話が鳴った。見ると、見知らぬ番号だった。そのまま切ろうかとも思ったが、友子は一応つないだ。
「もしもし。」
「あ!あ・・・、あの・・・、あの~」
「あ、ひょっとして、ケンジさん?」
「あ・・・、そ・・・、そうです。すみません。」
「こんばんは。」
「あ・・・、はい。あの・・・、はい。」
「どうしたんですか?」
「え?いや、あの~、いきなり電話したのは・・・、あの~、」
「私の番号は誰から聞いたんですか?」
「え!いや、あの!あ・・・、その・・・、それは・・・、その~」
「木崎さんから聞いたんですね。」
「あ・・・、いや~、あの・・・、まあ・・・、そうです。すみません。」
「別に構いませんけど。」
「あ、すみません。それで、あの、その、実は、あの・・・。」
「何ですか?」
「実は、その・・・、何と言うか・・・、あの~、その、はい。いや、その・・・。」
 友子は黙って聞くことにした。何か凄く混乱している様子だった。
「あの~、その・・・、こ・・・、今度・・・、え・・・、えい・・・、あ、あの・・・、う・・・、ウオ~!」
 友子はびっくりして、思わず携帯を耳から離した。
「あ・・・、すみません!あの、え・・・、映画でも観に行きませんか!」
「え?」
「・・・はい。」
「映画ですか?」
「あ・・・、は、はい。」
「何の映画ですか?」
「え?いや・・・、あの~、そうですね・・・、それは・・・、その・・・。」
「いつですか?」
「あの・・・、例えば・・・、次の・・・木曜日か・・・、金曜日でも・・・。」
 消え入りそうな声だった。
「分かりました。いいですよ。」
「え?」
「でも、もしまだ観る映画を決めてないんだったら、私が決めてもいいですか?観たいイタリアの映画があるんですけど。一緒に観に行きませんか?」
「はい!それでいいっス!行きます!それで構わないっス!」
「じゃあ、また時間をチェックして、連絡しますね。この番号にかければいいですか?」
「あ、はい。いいっス。」
「それでは、また電話しますね。」
「はい!ありがとうございます!」
「それでは。」
「はい。」
 友子は電話を切った。ちょうど電車が来たので、友子は携帯をカバンに入れて電車に乗り込んだ。電話の向こうでケンジが狂喜乱舞し、そのあと理沙からうるさいと強烈なケリを入れられていることなど、知る由もなかった。
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