人事課

文字数 1,134文字

 加地は人事課に赴いていた。会議室に入ると、座っていたのは、若い人事係長だけだった。
「課長は?」
「課長は急な出張で不在です。加地課長の件は、すべて聞いておりますので。」
「課長でないと話にならん!」
 加地はそのまま退出しようとした。
「加地課長。出て行かれないほうがいいと思いますよ。この話し合いの内容は必ず課長に伝えますから。お座りください。」
 加地は振り返った。恐れを知らない、若い、鋭い視線が、眼鏡の奥から加地を見上げていた。加地は席に着いた。
「加地課長。お疲れなんじゃないですか?顔色が悪いですよ。」
「当たり前だろう!白々しいことを言うな。なぜ俺が青森の子会社へ出向なんだ!」
「向こうがぜひにと言ってきてるからですよ。」
「白々しいことを言うな!」
 加地は机を叩いた。
「何が原因なんだ!」
「別に何か問題があって、処分として出向するわけではなくて、あくまで向こうがぜひ来て欲しいと言っているからなんです。」
 加地は下を向いたまま、顔を上げられなくなった。しばらくの沈黙の後、搾り出すように言った。
「・・・。帰ってこれるのか。」
「特に期限は設けていませんが、もちろん可能でしょう。」
 若い係長はサラリと言った。しかし、青森の子会社に行って戻ってきた者は誰もいない。
 加地はいきなり、机に両手をついて、頭を机にこすりつけた。
「頼む!三年・・・、いや、五年でもいい!必ず戻してくれ!」
「課長、顔を上げてください。どうしたんですか。」
「母が・・・、年老いた母の面倒を見ているんだ。とても青森まで連れて行くことはできない。戻ってこられるなら何とか単身で頑張ってみるが、そうでなければ・・・。頼む!必ず戻すと約束してくれ!」
 加地は頭を下げたまま動かなかった。何が何でも動かないつもりだった。しかし予想に反して、係長は何も言ってこない。しばらくして、ゴソゴソ音がしたかと思うと、おもむろにA4の用紙が一枚差し出された。見ると、出向先の勤務地と職務内容、条件等が書かれていた。期間は書かれていない。
「今日のことは、必ず課長に伝えておきますから。」
 若い係長は、サラリと言った。

 友子の職場でも、加地の話題がひそかにささやかれていた。色々な噂が飛び交ったが、誰も、なぜこうなったか理解できなかった。あの優秀な加地が・・・。
「コワいな。」
 それしかなかった。  
 友子は、加地に何か声を掛けてあげようと思い、営業部に行くと、何とも重苦しい空気の中、加地はディスプレイに顔をつけるようにしてパソコンの画面を凝視していた。他からの視線をシャットアウトするかのような必死の形相が痛々しかった。結局、友子は声を掛けることができなかった。
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