第1話 まずは洗顔

文字数 2,038文字

まず、手を洗う
 自宅の洗面所にて、高校2年生の妹は母親みたいな台詞を吐いた。
……

 それは洗顔をしてみせろと言われ、水を手ですくった際の一言だった。

 まったくといっていいほど、兄を敬っていない。

次にクレンジング
 ハンドソープを使って手を洗い終えると、更なる命令。
クレンジング?
 大学1年生の兄が訊き返すと、
脂まみれの顔に冷水なんて浴びせたら、どうなるかくらいわかるよね?
 妹は馬鹿にするように答えた。
だから、先にその脂を落としてあげるの
朝、だぞ? そこまでするか?

だって、兄ちゃんって皮脂過剰でしょ?

……
 指摘され、晴朗太は自分の顔に触れる。
 と、確かに脂ぎっていた。

あと、お母さんも毎日お布団のシーツや枕カバー洗ってないから。

兄ちゃんが思っている以上に汚いと思うよ

 そう言われると納得しそうになるが、
洗顔料じゃダメなのか?
 兄の沽券として晴朗太は言い返す

脂まみれだと泡立ちが悪くなる。なんで先に手を洗わせたと思ってんの? 

手が酷く汚れた時だって、二度洗いするでしょ?

 正論ではあるが、その意見は素直に受け入れられない。
(俺の顔はそこまで汚くないぞ)

洗顔料とお湯だけでその汚れを落とそうとすると、ごしごしこすりがちになっちゃうから。

それで洗い残しもあったら最悪じゃない。肌にいらぬ刺激を与えるだけ

ちなみにクレンジングにはオイル、ジェル、クリーム、ミルクって幾つか種類があってね


これはオイルだよな?
 ポンプ式。
 掌に出した液体は透明で明らかにオイルの触感。

そう。洗浄力はあるんだけど、肌への刺激も強いから注意して

おぃ、それをなんで朝っぱらから?

だって、今の兄ちゃんの顔面には洗浄力が必要だもん。

まずは、その詰まりきった毛穴汚れを落とさないと

(……こいつは!)

 妹の発言に苛立ちながらも、晴朗太は手に取ったクレンジングオイルを顔面に滑らせる。

力は入れない。

あくまで、表面の脂を落とすイメージ。

あとくるくるするのもいいけど、横への動きも意識してね

……横?

うん。

横洗顔って流行ってるらしいから

流行っているって、効果はあんのかよ?

一応、毛穴の向きとか根拠はあるよ。

それに表情筋って基本的に真横には動かないから、普段使わない筋肉を使うことでたるみやしわの防止に繋がるんじゃない?

 恋々子はディベート部に所属しているからか、質問をすると論破する勢いで答えが返って来る。
 そんな妹の言葉を聞きながらクレンジングをしていると、
うわぁ、なんか物凄い勢いで何かが落ちていく感触がする
 段々と指先が軽くなっていく。
 そのまま調子に乗って力を入れると、

もっと優しく。

女のコに触れるみたいに――って、兄ちゃんにはわからないか

(こいつ、人が下手にでているからって調子こきやがって)

 しかし、ここで言い返したら元の木阿弥。
 いつまでも妹のレベルに付き合っていられないと、スルーしておいてやる。


この……落ちていくのが、角栓とか皮脂ってやつか

そう。

で、冷水でその脂が落ちるわけないのはわかるよね?

あ、あぁ……
 この脂に水をかけたら、固まるに決まってる。

つまり、兄ちゃんは朝から顔面に脂の膜をはって毎日を過ごしてたってわけ。

そんなんで、奇麗な肌になれるわけないじゃない

 兄に返す言葉はなかった。

 むしろ、助走をつけて殴りたいくらいに、かつての自分を責めていた。

けど、やり過ぎは駄目だかんね。

自分のお肌の調子と相談して、種類と回数は考えること。

今日は溜まりに溜まった汚れを落とす名目だから

はい

それと時間。

毛穴の黒ずみを捻りだしたい気持ちはわかるけど、クレンジングは1分以内で留めるべし

……了解
 ちょうど小鼻に力を入れていたので、晴朗太はワンテンポ遅れて返事をした。

じゃぁ、水を少し加えて乳化させて――って、乳化ってわかる?」

水と脂を混ぜろってことか

へー、やっぱ兄ちゃんって頭いいんだね

 どこか馬鹿にした響きにも聞こえたので、晴朗太は無視して作業に映る。
 顔面に水を加えて混ぜてやると、徐々に白く濁ってきた。

流す時の温度はぬるま湯ね。

それとシャワーを直接当てない。

必ず手ですくうか勢いを殺してから流すこと!

了解

ここから、よく聞く洗顔。

ネットを使って泡立てて、きめ細かい泡でもって毛穴の中から汚れを落とす

あいよ
そして、黒ずみ毛穴には酵素系
 それはよくわからなかったが、
……
 顔面が泡だらけだったので晴朗太は流しておく。

で、こすらない。泡を載せておくだけ。

もしくは、滑らせる感じで30秒程度置いとく


 気になる眉間や鼻をこすると、鋭い叱責。

 口も性格も性根も悪いが、妹は良く見ていた。

(約束通り――本当に、俺をオシャレにしてくれる気ではいるのか) 

 となれば、こちらも余計なプライドなど捨てるべきだった。

 というか、もはや兄としての矜持などないに等しい。
 とにかく、格好良くなりたい一心で、晴朗太は妹の指示に従う。

(せめて、大学に入学する前に頭を下げていれば……)
  ――そう、プライドを大事にして後悔するのはもう充分だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

晴朗太《せいろうた》、染谷家長男で大学1年生。

ブライダルのバイトに勤しむ、真面目で優しい性格。

ただその一方で甘くもあり、妹の我儘を助長させる要因を作っている。

苦肉の策で妹に頭を下げ、現在はオシャレを勉強中。

恋々子(こここ)、染谷家長女で高校2年生。

私立高校を一芸入試で突破し、部活動はディベート部。

我儘で自由気ままであるものの、弟のことは溺愛している。

それでも、一番大好きなのは自分自身の模様。

純朗《すみあき》、染谷家次男で中学2年生。

思春期の少年の割には素直で大人しい。

姉の教えのおかげで、年齢にそぐわないオシャレを身に付けている。


空条 日菜子(くうじょうひなこ)、20歳

晴朗太の想い人で同じバイト先の先輩

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色