第5話 お願い恋々子ちゃん

文字数 3,115文字

 翌日、晴朗太はケーキを買って妹の帰りを待っていた。
ただいまー
おかえり
 リビングに顔を見せた恋々子に声をかけると、
なに?
 妹はいきなり警戒心を露わにした。
ケーキ買って来たんだ。食べないか?

あー、もしかして昨日の続き? 

それでケーキまで用意するなんて、兄ちゃんは安直だね。

そのくせ、わたしを馬鹿にしてる。そんなんで釣られると思ってんの?

 ぺらぺらと口を動かしながらも、恋々子の視線は釘付けだった。
食べないのか?
食べる

 案の定、妹は即答した。

 こういった単純な性質は相変わらずのようだ。

 昔から、恋々子は目先の快楽に弱い。

 典型的な注意力散漫型なので、目に見える餌を用意してやれば簡単に釣れた。

だってそれ、いま流行ってるとこでしょ。

先輩はあんま美味しくないって言ってたけど、興味はあったんだよねー

 コーヒーを淹れてやると、恋々子は嫌な台詞を口にした。
あまり美味しくないのか?

いや、美味しいには美味しいらしいよ。

ただ、何時間も並んでまで買う価値はなしって言ってた

 数時間並んだ身からすればやってられないが、ここで苛立つわけにはいかない。
ほらよ

 妹が好きなシュークリームと一番人気のケーキをお皿に乗せて、晴朗太は差し出す。


わーい、いただきます

 こういった点は素直で可愛らしい。

 恋々子は律儀に手を合わせてから、口をつけた。

うん。美味しい。

でも確かに、並ぶほどじゃないかも

……そうか
 コーヒーを置くなり、晴朗太も食べてみる
うん、確かに

 すると、同意しかなかった。

 間違いなく美味しいのだが、値段と並んだ時間を考慮すると、割に合わなかった。


で、兄ちゃんは格好良くなりたいんだっけ?
 ケーキを食べ終わるなり、恋々子が切り出した。
誰もそんなこと言ってない。俺はただオシャレを……
え? 格好良くなりたくないの?
……
 正面から浴びせられ、晴朗太は口ごもる。

というか、男のオシャレって異性にモテる為の手段でしょ? 

ナルシストでもない限り、自分が楽しむオシャレはしないって先輩が言ってたんだけど

 ナルシストが嫌なら格好よくなりたいと言うしかなくなり、晴朗太は悩む。

 覚悟を決めたつもりだったが、所詮は口先だけで気持ちが追いついていなかった。

まぁ、わたしとしては兄ちゃんには格好良くなって欲しいけどさ
そう、か?
 嬉しくてつい声が上ずるも、
だって、今のままだと自慢できるとこないもん
 すぐさま撃沈。

むしろ、恥ずかしくて兄ちゃんがいるって言えないかな。

ってか、実際に隠してる

……マジか?

うん。

あっ、純くんは可愛いから弟がいるって自慢しまくってるけど

いや、待て。

なにもないって、俺は成績は良かったぞ?

はっ
 恋々子は鼻で笑いやがった。

あのね、兄ちゃんの頭が良くたって自慢できるわけないでしょ? 

むしろ藪蛇

はぃ?

わたしが馬鹿にされるのが目に見えてる。

兄ちゃんは賢いのに、どうして妹は馬鹿なんだろうかってね

おぃ。それはおまえの怠慢の所為じゃないのか?
ごちそうさまでしたー
 誤魔化すように合唱して、恋々子は立ち去ろうとする。
待て
やーん。お母さーん、兄ちゃんが虐めるよー

 腕を掴んだけで、妹は人聞きの悪いことを言う。

 しかし、助けを求められた母親は振りむきすらせず、料理を続けていた。


頼むから、俺にオシャレを教えてくれ

えー、なんで?

ネットでも観て、自分で頑張れば?

情報があり過ぎてわかんないんだよ。

あとモデルがイケメン過ぎて参考にならん

 しかも使っていたグッズは周辺店舗には売っていない始末。

 かといって、家族に見られる可能性を考えると、通販も危なかった。

 当たり前と言えば当たり前だが、恋々子にデリカシーがないように母親にもないからだ。

なにそれ? 

いつも情弱情弱って、ニュースに映っている人たちを馬鹿にしといて恥ずかしいの?

うっさい! それとこれとは話が別だ。

つか、それは俺じゃなくておまえだろ!

だから!

なんで格好良くなりたいの?

 どういう神経をしているのか、恋々子は兄の指摘をスルーして話を戻した。
……純朗はなんて言ったんだ?
 ふと、疑問に思ったことを訊いた。
純くんはね、超エモい台詞を言ってくれたよー

 が、藪蛇だった。

 妹の反応から察するに恋愛関係。

(あいつ凄いな)

 それを姉――しかも、こんな仕上がりの恋々子に相談したのか。
 そんな弟の胆力を尊敬して、晴朗太も本音を吐き出す。


……格好良くなりたいからだよ
 少なくとも、卑屈にならないでいられる程度でいたい。
バイト先にその、気になる人がいるから
 せめて、自分から誘えるくらいにはなりたかった。
俺のバイト先はブライダルが主力だから、夏は暇らしくて……

 このままでは灰色の夏休み。

 それだけは嫌だと、晴朗太は腹の底から本音を持ち上げた。

あー、そう。

なんかつまんないけど、まぁいいよ

 しかし、妹には響かなかった様子。
……おまえなぁっ!

だってー。純くんはもっと可愛くて、格好良かったもん。

兄ちゃんはなんて言うか、可哀そうっていう憐みしか感じない

おまえ、ほんと純朗には優しいよな
 揶揄するように言ってやるも、
それは仕方ないじゃん
 恋々子は可憐にかわした。
だって、兄ちゃんがわたしに優しかったんだから――わたしが弟を可愛がるのは当然でしょ?
……お、おぅ
 不意打ち過ぎて、晴朗太は上手く返せなかった。
じゃぁ、とりあえず……
 妹はそう言って兄の顔を注視して、
なんか気分がのんないなぁ……
 何故か諦めた。
純くーん
 そして、リビングから大声で2階にいるであろう弟を呼ぶ。
すーみーくーん
 が、返事はない。
純朗! さっさと降りてこないとあんたの好きな人の名前バラすわよ!
(……ひでぇ)
 その一言は絶大な効果をもたらし、足音が響いてくる。
――んだよっ! つか、好きな人なんていねーし

 その割には早い登場である。

 これで誤魔化せると思っているところは、年相応に幼かった。

あー、そうだったね。まぁ、いいけど。

純くん、兄ちゃんに顔の洗い方から教えてあげて

はぁ? なんでおれが兄ちゃんに
だって、兄ちゃんの顔はなんか触りたくないんだもん
おぃ
人の顔はさんざん弄んだじゃんか
だってー。純くんは可愛かったんだもん
うっせー! 可愛い言うなこの……コケコッコー!
(なんだ、やっぱ思春期じゃんか)
 晴朗太は落ち付いて姉弟の言い合いを見ていた
はー? あんた、それ誰から訊いたの!
 と思いきや、年甲斐もなく姉のほうが先に沸点に達してあきれ果てる。
(優しい姉はどうした?)

姉ちゃんの先輩たち。

姉ちゃんが煩かったら『コケコッコー、朝以外に騒ぐのは迷惑だぞ』って言ってやれって

……ねぇちゃん? おをつけなさいおを!
(その言葉、そっくりそのまま返してやりたい)
それと、あんたにコケコッコー言われる筋合いはないわよ!
(可愛がられているのかウザがられているのか、微妙な蔑称だな)

 コケコッコー。

 妹に似合い過ぎていて、晴朗太は判断に迷う。

とにかくっ! 今日は一緒にお風呂に入って、きちんと兄ちゃんに教える! 

じゃないと、もうあんたのオシャレも手伝ってあげないかんね!

 恋々子は一方的に言い放って、自分の部屋へと逃げていった。

 残された兄弟は気まずい雰囲気。

 ただ、感情的になっていた弟は傍目にも可愛いかったので、晴朗太もからかってみる。

なぁ、純朗。

おまえもしかして、ココと一緒にお風呂入ったのか?

っ! 入るわけないだろ馬鹿っ
 久しぶりの暴言だったが、腹は立たなかった。
やっぱ中学生だな

 同じく自室に逃げ出した弟の背中を見ながら、兄は呑気な感想を口にした。

 もっとも、夜になっても純朗は機嫌を直してくれなかった。


 結果、晴朗太のオシャレは翌朝に持ち越し、冒頭の状況に相成るのだった。

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登場人物紹介

晴朗太《せいろうた》、染谷家長男で大学1年生。

ブライダルのバイトに勤しむ、真面目で優しい性格。

ただその一方で甘くもあり、妹の我儘を助長させる要因を作っている。

苦肉の策で妹に頭を下げ、現在はオシャレを勉強中。

恋々子(こここ)、染谷家長女で高校2年生。

私立高校を一芸入試で突破し、部活動はディベート部。

我儘で自由気ままであるものの、弟のことは溺愛している。

それでも、一番大好きなのは自分自身の模様。

純朗《すみあき》、染谷家次男で中学2年生。

思春期の少年の割には素直で大人しい。

姉の教えのおかげで、年齢にそぐわないオシャレを身に付けている。


空条 日菜子(くうじょうひなこ)、20歳

晴朗太の想い人で同じバイト先の先輩

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