12.温もり
文字数 2,375文字
誰かのそばで、温もりを感じながら眠りについたのはいつ以来だろう。母親に添い寝された記憶はないけれど、叔父には幼い頃何度か眠るまでそばにいてもらった記憶があった。忙しかった両親よりも、私には叔父の方がずっと家族だった。
そうして、成長した私のそばにいてくれたのは、あなただった。
眠れないと零す私の頭を撫でて、幼子へするように背中をトントンと優しいリズムで叩いてくれていた。
大丈夫だよ。涼音なら大丈夫。僕がいつだって見守っているから。
そう言ってくれていた。
あの穏やかな表情や温もりに、どれほど安心していたか。
天井、ベッド、壁紙。いつもの景色。違うのは、床に座り込んだままベッドに眠る私の手を握っている温かな手の存在。この手の温もりであなたを思い出したのだとしたら、今の私はどうかしているのかもしれない。
手を握ったまま布団に顔をつけ、静かな寝息を立てている成瀬を見ながら昨日のことを思い出した。
指を切り落とそうとした包丁を取り上げ叱ったあと、一人にできないと言った上で、今日は一晩中見張るからなっ。と居座る宣言をした成瀬は、私が落ち着いたあと、食材を買ってくるとスーパーへ行ってしまった。
その間に私がまた変な気を起こさないようにと、刃物という刃物全てを出せと言い。包丁だけじゃなく鋏やカッターなどを空箱に詰め、ガムテープでグルグル巻きにしてから出ていった。
そんなことをしたって、切ろうと思えばどうにでもできるのはわかっていただろうけれど、それでも敢えてそうしたのは、少しは私のことを信用していたからなのかもしれない。
スーパーから戻った成瀬は、料理をしようとして自らグルグル巻きにした包丁たちの収まる箱に「う~」と低くく唸り声をあげ、しばし放心したあと必死になってガムテープを解いていたっけ。抜けている行動に、私の気も抜けて笑みがもれた。
ガムテープでグルグル巻きにされた箱と葛藤して、ようやく包丁を取り出した成瀬の料理は、俊ちゃんのようにとびきり美味しいっと絶賛するほどではないけれど、男料理という言葉で表せるような豪快なカレーだった。
中に入っている具は切るのが面倒だったのかと思うほどに大きく、肉もゴロゴロと入っていた。味は辛くて、懐かしいような優しさがあった。
出来上がったカレーを二人で静かに食べ、アルコールをたくさん飲んだ。まるで今日の出来事なんか忘れてしまえばいいとうように、成瀬は私のグラスにどんどんワインを注ぎ足していった。
カレーを食べ終わったあとも、浴びるように散々飲んで、私たちはソファのあるリビングでそのまま眠り込んだはずだった。
なのに、今ベッドの中にいる。
「運んでくれたんだ……」
いつもヘラヘラと調子のいい笑い顔ばかり見せていた成瀬は、あの路上からそのヘラヘラ顔を封印し、終始、真面目な顔をしている。どちらが本当の成瀬なのか、その表情の違いに別人かもしれないなんて、またつまらない冗談を考え付いてしまう。
あんな場面を見てしまっては、誰だってヘラヘラとなんてしていられないか……。
成瀬に握られている手は温かくて、放すことが名残惜しく感じた。
ずっとこんな温かさに触れていないせいかな。
自嘲気味に笑みをこぼし、小さく息を吸いながらそっとその手から逃れた。
離れてすぐに逃げていく温もりは、やっぱり名残惜しい。そんな風に感じてしまうなんて、心が弱っている証拠だ。
ベッドから抜け出して、リビングでコーヒーを淹れて飲んでいたら、ようやく成瀬が寝室から顔を出した。
「はよう」
寝起きのくぐもった声で挨拶をし、硬い床で眠ってしまった体の痛みのせいなのか、顔を顰めてこちらへやって来る。
成瀬に向かってカップにコーヒーを注いで差し出すと、小さな声でサンキュと言って受け取りソファに向かった。
テーブルにカップを置くと、ドサリと座り込んで唸り声を上げる。辛そうに吐く呼吸を聞いて。
「もしかして、二日酔い?」
キッチンから声をかけたら、うん。のような、ううん。というような、唸り声が聞こえてきた。
置きっ放しになっている空のボトルは二本。成瀬が飲んだのは、そのうちの半分ほどだったと思うのだけれど……。
コーヒーを持ってソファへ行き、成瀬の目の前に腰掛けると、頭をもたげたまま上目遣いで向かい側に座る私を見ている。
「君は平気なの?」
ボソボソっと訊くから、肩をすくめて笑ってしまった。申し訳ないが、アルコールに飲まれた事は一度もない。
「シャワー、使ってもいいけど」
カップに一度口をつけたきりソファに埋もれてしまった成瀬は、言葉に反応してモゾモゾと動きゾンビのように立ち上がる。
「そうさせてもらう」
フラフラとリビングを出ていく背中に、場所が分かるかと訊ねれば、またゾンビのような仕草で振り返り、教えてくれと辛そうにこぼしていた。
シャワーから戻ってきた成瀬の顔は、さっきよりも幾分かましになっていた。ドリンク剤を手渡すといっき飲みしてから、さっき残したコーヒーに口をつける。
「あったかいのがまだあるけど」
冷めたコーヒーなど美味しくないだろう。
そう思って成瀬からカップを貰い、温かなコーヒーに入れ替えた。さっきとは違って、ゆったりとソファの背もたれに寄りかかった成瀬が、目の前の私をにこやかに見る。
「よかった」
無駄に笑顔を振りまく成瀬に訝しい顔を向ける。
「何が?」
「俺に、一生優しくしてくれないんじゃないかって思ってたから」
言われて瞬時に顔が熱を持つ。
「冷めたコーヒーなんて、不味いじゃないっ」
取り繕っているのが丸わかりの言い返しに、成瀬の微笑みは崩れない。
なんだか、上に立たれた気がして悔しい。
そうして、成長した私のそばにいてくれたのは、あなただった。
眠れないと零す私の頭を撫でて、幼子へするように背中をトントンと優しいリズムで叩いてくれていた。
大丈夫だよ。涼音なら大丈夫。僕がいつだって見守っているから。
そう言ってくれていた。
あの穏やかな表情や温もりに、どれほど安心していたか。
天井、ベッド、壁紙。いつもの景色。違うのは、床に座り込んだままベッドに眠る私の手を握っている温かな手の存在。この手の温もりであなたを思い出したのだとしたら、今の私はどうかしているのかもしれない。
手を握ったまま布団に顔をつけ、静かな寝息を立てている成瀬を見ながら昨日のことを思い出した。
指を切り落とそうとした包丁を取り上げ叱ったあと、一人にできないと言った上で、今日は一晩中見張るからなっ。と居座る宣言をした成瀬は、私が落ち着いたあと、食材を買ってくるとスーパーへ行ってしまった。
その間に私がまた変な気を起こさないようにと、刃物という刃物全てを出せと言い。包丁だけじゃなく鋏やカッターなどを空箱に詰め、ガムテープでグルグル巻きにしてから出ていった。
そんなことをしたって、切ろうと思えばどうにでもできるのはわかっていただろうけれど、それでも敢えてそうしたのは、少しは私のことを信用していたからなのかもしれない。
スーパーから戻った成瀬は、料理をしようとして自らグルグル巻きにした包丁たちの収まる箱に「う~」と低くく唸り声をあげ、しばし放心したあと必死になってガムテープを解いていたっけ。抜けている行動に、私の気も抜けて笑みがもれた。
ガムテープでグルグル巻きにされた箱と葛藤して、ようやく包丁を取り出した成瀬の料理は、俊ちゃんのようにとびきり美味しいっと絶賛するほどではないけれど、男料理という言葉で表せるような豪快なカレーだった。
中に入っている具は切るのが面倒だったのかと思うほどに大きく、肉もゴロゴロと入っていた。味は辛くて、懐かしいような優しさがあった。
出来上がったカレーを二人で静かに食べ、アルコールをたくさん飲んだ。まるで今日の出来事なんか忘れてしまえばいいとうように、成瀬は私のグラスにどんどんワインを注ぎ足していった。
カレーを食べ終わったあとも、浴びるように散々飲んで、私たちはソファのあるリビングでそのまま眠り込んだはずだった。
なのに、今ベッドの中にいる。
「運んでくれたんだ……」
いつもヘラヘラと調子のいい笑い顔ばかり見せていた成瀬は、あの路上からそのヘラヘラ顔を封印し、終始、真面目な顔をしている。どちらが本当の成瀬なのか、その表情の違いに別人かもしれないなんて、またつまらない冗談を考え付いてしまう。
あんな場面を見てしまっては、誰だってヘラヘラとなんてしていられないか……。
成瀬に握られている手は温かくて、放すことが名残惜しく感じた。
ずっとこんな温かさに触れていないせいかな。
自嘲気味に笑みをこぼし、小さく息を吸いながらそっとその手から逃れた。
離れてすぐに逃げていく温もりは、やっぱり名残惜しい。そんな風に感じてしまうなんて、心が弱っている証拠だ。
ベッドから抜け出して、リビングでコーヒーを淹れて飲んでいたら、ようやく成瀬が寝室から顔を出した。
「はよう」
寝起きのくぐもった声で挨拶をし、硬い床で眠ってしまった体の痛みのせいなのか、顔を顰めてこちらへやって来る。
成瀬に向かってカップにコーヒーを注いで差し出すと、小さな声でサンキュと言って受け取りソファに向かった。
テーブルにカップを置くと、ドサリと座り込んで唸り声を上げる。辛そうに吐く呼吸を聞いて。
「もしかして、二日酔い?」
キッチンから声をかけたら、うん。のような、ううん。というような、唸り声が聞こえてきた。
置きっ放しになっている空のボトルは二本。成瀬が飲んだのは、そのうちの半分ほどだったと思うのだけれど……。
コーヒーを持ってソファへ行き、成瀬の目の前に腰掛けると、頭をもたげたまま上目遣いで向かい側に座る私を見ている。
「君は平気なの?」
ボソボソっと訊くから、肩をすくめて笑ってしまった。申し訳ないが、アルコールに飲まれた事は一度もない。
「シャワー、使ってもいいけど」
カップに一度口をつけたきりソファに埋もれてしまった成瀬は、言葉に反応してモゾモゾと動きゾンビのように立ち上がる。
「そうさせてもらう」
フラフラとリビングを出ていく背中に、場所が分かるかと訊ねれば、またゾンビのような仕草で振り返り、教えてくれと辛そうにこぼしていた。
シャワーから戻ってきた成瀬の顔は、さっきよりも幾分かましになっていた。ドリンク剤を手渡すといっき飲みしてから、さっき残したコーヒーに口をつける。
「あったかいのがまだあるけど」
冷めたコーヒーなど美味しくないだろう。
そう思って成瀬からカップを貰い、温かなコーヒーに入れ替えた。さっきとは違って、ゆったりとソファの背もたれに寄りかかった成瀬が、目の前の私をにこやかに見る。
「よかった」
無駄に笑顔を振りまく成瀬に訝しい顔を向ける。
「何が?」
「俺に、一生優しくしてくれないんじゃないかって思ってたから」
言われて瞬時に顔が熱を持つ。
「冷めたコーヒーなんて、不味いじゃないっ」
取り繕っているのが丸わかりの言い返しに、成瀬の微笑みは崩れない。
なんだか、上に立たれた気がして悔しい。