26.彼のいる場所
文字数 2,120文字
行き詰っていた私たちが、青年から得た情報は想像以上に多かった。
まず、征爾は、まだこの町に残っている。ビルの取り壊しが決まったあと、駅の反対側の出口に教室を移動させていたらしい。
元々、食べてさえいければいい。というのが、青年が征爾からよく聞いていたセリフだったらしく。
生徒を呼び込むために特別な宣伝をするわけでもなく、移転先さえ残さなかったのは、多分それが理由だと青年は教えてくれた。
「征爾さんは、なんて言うか。ひっそりとギターを弾いていたいというか。有名になりたくないって感じでした。俺は征爾さんのギター聴いた瞬間に惚れたので、これは絶対に教えてもらいたいと思って教室に通ってたんです」
過去形になったのは、最近は就活に忙しくて、落ち着くまで休むことにしているかららしい。それでも移転先は知っていて、駅の反対側にある教室の場所を丁寧に教えてくれた。
「水曜と木曜が休みだから、今日はやっていると思います」
青年は小さく会釈をして、“いつもの”のり弁を片手に、アパートへと帰っていった。
青年と別れてから、直ぐに駅へと向かった。高架下を潜り、駅の反対側に出る。
気持ちが焦っているのか、足早になるのを止められない。成瀬も急ぎ足で、あとをついてきてくれる。
駅の反対側は、改札を出るとすぐに有名どころの大きなスーパーがあって、とても活気があった。ファーストフード店も多く、夜には賑わいそうな居酒屋がいくつもあり、小腹を満たすためのたこ焼き屋やクレープショップもあった。
その代わりみたいに、コンビニはしばらく歩かないと出会うことがなかった。
「あった」
やっと現れたコンビニに、一瞬胸が詰まる。青年の教えてくれた教室の目印は、コンビニだったから。
ビルの一階にコンビニがあり、脇の通路へ向かうと案内板にギター教室の名前があった。二階だ。
階段の前で一旦立ち止まり、呼吸を整える。
「この上に、いるってことだよね」
横にいる成瀬に問いかけると、首を縦に振る。
逢わなくなってから何年なんて、数えることも罪になる気がして目をつぶってきた。時間の経過で、罪が薄れるはずがないからだ。
たとえ征爾が今現在ギター教室を開き、以前のようにギターを弾いていようと、彼のいた世界を奪ったことには変わりがない。
あの日の事故の記憶は、映像の鮮明さとは真逆に私の中で無音だった。急ブレーキの音がしたあとから、全ての音が私の中には残っていない。
征爾が何か叫んだ言葉も。私が何かを叫んだかもしれないことも。滑り込んでくるバイクが、アスファルトを擦る音も。周囲の雑音も。
映像だけが鮮明で、次に音が聞こえたのは、しばらくしてたどり着いた救急車のサイレン音だった。
そこからの慌ただしいやりとりや、たくさんの人からのたくさんの質問や心配してくれる声が混ざりあい、不安だけが増殖して、考えられるのは征爾に逢わせて欲しいという願いだけだったけれど、それは叶わずに終わっていた。
「涼音」
成瀬が私の手を握ったことで、気がついた。
知らなかった。手が、震えている。
カタカタと怯えるような震えを緩和させようと、成瀬が手を包み込む。成瀬のしっかりと大きな手に安心感を覚え、頷きを返して一歩を踏み出した。
それほど新しいビルではないけれど、管理は行き届いているらしい。太陽の光が射さない、通路にある蛍光灯の明かりが眩しい。
通路にはゴミひとつ落ちておらず、掲示板に貼られている案内や通知も期限切れのものなどない。
「今度は、二階でよかったな」
こんな時にヘラっと笑って冗談を言うなんて、成瀬らしい。おかげでさっきより肩の力が抜けていく。
二階へ行くと、廊下を入ってすぐのところに前面ガラスのドアがあった。前のビルとは違って、中の様子がよく見える。
ただパーテーションで中を簡易的に区切っていて、奥の方がどうなっているのかは判らない。聴こてくるギターの音はまだ少したどたどしいから、生徒が弾いているものなのだろう。
ドアの前に立ったまま、一度深く息を吸い吐き出した。ゆっくりと銀色の取っ手を握ると、自分の手が汗ばんでいるのがわかる。
取っ手を握り、pushと書かれたプレートを見たまま開けることができずにいると、生徒らしき高校生くらいの男の子が帰るところなのか、こちらへ向かってくるのがうかがえた。
備え付けの棚から靴を出すと、ドアの外にいる私たちに気がついた。
内側からドアを開けられて、握っていた取っ手から自然と手が離れる。
「入会希望?」
年上など全く頓着なしに、フランクに訊かれて思わず頷いてしまった。
「どうぞ」
まるで自分の教室みたいに中へと促す。
「せいじさーん、入会だってー」
語尾を伸ばして奥へ声をかけると、パタパタと中履きのような靴音を立てて人が近づいてきた。
瞬間的に息を飲み、身構える。しかし、現れたのは征爾ではなく、あの時の女性だった。
お互いの存在に気がつき、目を見開いた。
「たどり着いたんだ」
片方の口角を上げて嫌味いっぱいな顔をする彼女に、私は何も言えなかった。
まず、征爾は、まだこの町に残っている。ビルの取り壊しが決まったあと、駅の反対側の出口に教室を移動させていたらしい。
元々、食べてさえいければいい。というのが、青年が征爾からよく聞いていたセリフだったらしく。
生徒を呼び込むために特別な宣伝をするわけでもなく、移転先さえ残さなかったのは、多分それが理由だと青年は教えてくれた。
「征爾さんは、なんて言うか。ひっそりとギターを弾いていたいというか。有名になりたくないって感じでした。俺は征爾さんのギター聴いた瞬間に惚れたので、これは絶対に教えてもらいたいと思って教室に通ってたんです」
過去形になったのは、最近は就活に忙しくて、落ち着くまで休むことにしているかららしい。それでも移転先は知っていて、駅の反対側にある教室の場所を丁寧に教えてくれた。
「水曜と木曜が休みだから、今日はやっていると思います」
青年は小さく会釈をして、“いつもの”のり弁を片手に、アパートへと帰っていった。
青年と別れてから、直ぐに駅へと向かった。高架下を潜り、駅の反対側に出る。
気持ちが焦っているのか、足早になるのを止められない。成瀬も急ぎ足で、あとをついてきてくれる。
駅の反対側は、改札を出るとすぐに有名どころの大きなスーパーがあって、とても活気があった。ファーストフード店も多く、夜には賑わいそうな居酒屋がいくつもあり、小腹を満たすためのたこ焼き屋やクレープショップもあった。
その代わりみたいに、コンビニはしばらく歩かないと出会うことがなかった。
「あった」
やっと現れたコンビニに、一瞬胸が詰まる。青年の教えてくれた教室の目印は、コンビニだったから。
ビルの一階にコンビニがあり、脇の通路へ向かうと案内板にギター教室の名前があった。二階だ。
階段の前で一旦立ち止まり、呼吸を整える。
「この上に、いるってことだよね」
横にいる成瀬に問いかけると、首を縦に振る。
逢わなくなってから何年なんて、数えることも罪になる気がして目をつぶってきた。時間の経過で、罪が薄れるはずがないからだ。
たとえ征爾が今現在ギター教室を開き、以前のようにギターを弾いていようと、彼のいた世界を奪ったことには変わりがない。
あの日の事故の記憶は、映像の鮮明さとは真逆に私の中で無音だった。急ブレーキの音がしたあとから、全ての音が私の中には残っていない。
征爾が何か叫んだ言葉も。私が何かを叫んだかもしれないことも。滑り込んでくるバイクが、アスファルトを擦る音も。周囲の雑音も。
映像だけが鮮明で、次に音が聞こえたのは、しばらくしてたどり着いた救急車のサイレン音だった。
そこからの慌ただしいやりとりや、たくさんの人からのたくさんの質問や心配してくれる声が混ざりあい、不安だけが増殖して、考えられるのは征爾に逢わせて欲しいという願いだけだったけれど、それは叶わずに終わっていた。
「涼音」
成瀬が私の手を握ったことで、気がついた。
知らなかった。手が、震えている。
カタカタと怯えるような震えを緩和させようと、成瀬が手を包み込む。成瀬のしっかりと大きな手に安心感を覚え、頷きを返して一歩を踏み出した。
それほど新しいビルではないけれど、管理は行き届いているらしい。太陽の光が射さない、通路にある蛍光灯の明かりが眩しい。
通路にはゴミひとつ落ちておらず、掲示板に貼られている案内や通知も期限切れのものなどない。
「今度は、二階でよかったな」
こんな時にヘラっと笑って冗談を言うなんて、成瀬らしい。おかげでさっきより肩の力が抜けていく。
二階へ行くと、廊下を入ってすぐのところに前面ガラスのドアがあった。前のビルとは違って、中の様子がよく見える。
ただパーテーションで中を簡易的に区切っていて、奥の方がどうなっているのかは判らない。聴こてくるギターの音はまだ少したどたどしいから、生徒が弾いているものなのだろう。
ドアの前に立ったまま、一度深く息を吸い吐き出した。ゆっくりと銀色の取っ手を握ると、自分の手が汗ばんでいるのがわかる。
取っ手を握り、pushと書かれたプレートを見たまま開けることができずにいると、生徒らしき高校生くらいの男の子が帰るところなのか、こちらへ向かってくるのがうかがえた。
備え付けの棚から靴を出すと、ドアの外にいる私たちに気がついた。
内側からドアを開けられて、握っていた取っ手から自然と手が離れる。
「入会希望?」
年上など全く頓着なしに、フランクに訊かれて思わず頷いてしまった。
「どうぞ」
まるで自分の教室みたいに中へと促す。
「せいじさーん、入会だってー」
語尾を伸ばして奥へ声をかけると、パタパタと中履きのような靴音を立てて人が近づいてきた。
瞬間的に息を飲み、身構える。しかし、現れたのは征爾ではなく、あの時の女性だった。
お互いの存在に気がつき、目を見開いた。
「たどり着いたんだ」
片方の口角を上げて嫌味いっぱいな顔をする彼女に、私は何も言えなかった。