24.告白

文字数 3,499文字

 ゆっくりと頭をあげる成瀬の視線は、テーブルの何もないところへ注がれていて、目の前に座る私の目となかなか合うことはなかった。
 思い悩むような成瀬を前に、たくさんの不安や疑念が頭をもたげる。
 初めから全てを知っていたのかもしれない。成瀬はやはりライターで、私はただの取材対象なのかもしれない。過去に躓いた女の成れの果てを、面白おかしく書きたてようとしているのかもしれない。
 それとも、あの女とグル?
 死んでもらうのはさすがに困るけれど、彼の恨みを晴らすために二度と立ち上がれないよう止めを刺しにきた。
 それとも、征爾の知り合い? 自分にあんなことをした女が、今どんな生活をしているのかを探りにきたの?
 考えれば考えるほど、思考は黒く陰湿なものになっていく。
 憶測でしかない暗い思考に知らずため息が出たところで、何も話し出さない成瀬から視線を外して外を眺めた。
 どうしてだろう。
 さっきまで征爾を探し出すと意気込んでいた気持ちは小さく窄まり、今では握りつぶせてしまいそうな大きさだ。
 成瀬の態度のせい? 人のせいにするなんて卑怯か……。
 けど、成瀬が一緒だからここまで進んでこられたのだし、ごめんなんて謝られてまったら気持ちは揺らぐ。
 もう征爾を探し出すことを諦めてしまおうと思い始めた頃、駅へ向かう道を母親と幼い女の子が手を繋ぎ歩いていくのが見えた。
 やる気のそがれてしまった気持ちでぼんやりと母子の姿を眺めていると、女の子の背中に背負われていたリュックに、夢の国のプリンセスが描かれているのが見えた。
 夢の国か、楽しかったな。
 殺してと叫ぶ私を連れ出し、包丁を持ち出し叱って止てくれた成瀬。ぐるぐる巻きにしてしまった包丁に、カレーが作れない、とうな垂れながらもう一度テープを解く姿が可笑しかったっけ。
 夢の国では小さな子供たちしか乗らないような列車に一緒に乗って、ショップでは抱えきれないほどのグッズも買ってくれた。
 パレードに目を輝かせる私を、優しい瞳で見ていた。
 ヘラヘラ笑ってばかりのくせに、コーヒーのタイミングは完璧で、猫ふんじゃったはまだ弾けないけど、もう一度ピアノに触れさせてくれた。
 ほんの短い時間に成瀬がしてくれたことは、あんなに長い時間暗かった世界を明るいものに変えてくれたことだった。
 それが成瀬だ。
 目の前で頭を下げるのは、誠実だからだよね。知っているはずだよ。そんな成瀬のことを。
 視線を目の前に戻す。
「ねぇ、成瀬」
 かけた声に、やっと互いの視線があった。
 成瀬の瞳、は未だ不安そうに揺れている。
 こんな風に不安な顔を見せる人だから、私は今成瀬と一緒にいるんだ。
「私は、大丈夫。だから、話して」
 夢の国でもう一度生き返らせてくれたのだから、もしもまた落ちるようなことになったとしても恨む理由などない。楽しい時間をくれた成瀬に、感謝するだけだ。
 促す私を見つめて躊躇った後、息を吐き背筋を伸ばす。
「実は、ここから涼音を見ていたのは……俺なんだ」
 成瀬の告白に、少しだけ息を飲む。
「えっと、何から話せばいいんだ……」
 本当にどうしたらいいのかと悩んでいるようで、落ち着くためにスッカリ冷めたコーヒーを一度口にする。残りはわずかだったようで、横にあったグラスの水を更に口にした。
「あの日、ここに来る理由が俺にはあった。同じこの席で、知り合いに会ってたんだ。その知り合いが帰ったすぐ後、古着屋にいる涼音を見つけた。帽子を手にしながら楽しそうにしている顔を見て、なんだ、笑えるんじゃんて思ってた。けど、その後に現れたあの女性に、なんだか雲行きが怪しくなってきて」
「私をつけてきたんじゃないんだ」
 なるべく軽めに言って、冗談交じりにふっと笑ってみせると、「違うっ、違うっ」と必死に否定している。
「涼音が、道路に自分の手を叩きつけているのを見て慌てたよ。考えるよりも先に飛び出してた。路上じゃ人だかりもできてるし、見せものみたいに面白がってるやつだっていた」
 そうだよね。いいネタになるか。
「あの女性は、少し離れた場所で動揺しているみたいだったけど。それでも……」
 成瀬が言葉を止める。
 きっと、彼なりの気遣いなのだろう。彼女が私を見て嘲笑っていたとしても、なんら不思議じゃない。寧ろ、もっともっと落ちて、這い上がれなくなるほど傷ついてしまえばいいと思ったかもしれない。
「あのまま、本当にダメになってしまうんじゃないかって。あのまま、涼音の笑い顔が見られなくなるんじゃないかって、考えただけでどうしようもなくなって。だから俺、やっぱり止められなくて」
「止められない……?」
 問いかけにコクリと頷く表情を見れば、ここからが彼の本当の告白なのだろうと理解した。
「あのバーに行ったのは、本当にたまたまだった。君を見かけたのも偶然で、君のことを知っていたのは俺じゃなくて。最初にバーへ訪れた時、一緒にいた会社の同僚だったんだ。その同僚だって、知っていたのは涼音が何かの音楽雑誌に載っていた音楽家で、突然その世界を去ってしまったって事だけだった。それを聞いてから、時間があればバーに通って、君を見つけてはどんな音楽家だったんだろうって考えてばかりいた。どうして音楽を突然やめてしまったのかが気になって、自分なりに調べ始めたんだ。初めは、名前。カウンターで話してるのをこそこそ聞いて、涼音っていうのだけわかった。後は、ネット情報」
「今は、本当に便利よね」
 空になったカップを下げてもらい、二人とも二杯目のコーヒーを頼む。
 緊張しながら話しているせいか、成瀬は二杯目をアイスコーヒーにして、届くと一気に半分まで飲み干した。
「ネットは確かに便利だけど、真実だけじゃなくて、嘘もたくさん潜んでる。だから、自分の力で探す事にした」
 探す……。
「ギタリストの彼を」
 成瀬の告白に、ハッとする。
 ここに成瀬がいたのは、彼女が私に教えてくれた理由と一緒。成瀬は、征爾を探していたんだ。川端征爾のことを。
「川端さんが、この辺りで教室を開いているってわかったんだ」
「教室?」
 鸚鵡返しの質問に成瀬が頷く。
「ギター教室」
 成瀬の言葉に驚いて、カップに手を引っ掛けてしまう。
ソーサーの上にこぼれてしまった少しのコーヒーが、直ぐに染みになっていく。
「あの日ここに来て、川端さんに関する情報をもらった俺は、その日のうちに彼を探し回るつもりでいた。けど、それよりも大変な事態が直ぐそばで起きてしまって……。それに、涼音を連れて帰ってから聞かせて貰った二人の過去は、とても簡単な事じゃなくて。知りたいという興味本位な感情から、本当に川端さんを探し出すのが涼音にとっていい事なのか、そっちに比重が傾いてわからなくなってしまったんだ」
 やっぱり成瀬は、気遣いの出来る男だね。
「私の事、色々考えてくれてたんだね。ありがとう」
「俺は今でも迷ってる。涼音と川端さんが会う事。やっと笑うようになって、ピアノにも前向きになっているのに、川端さんに会う事で、また涼音が元に戻ってしまったらと思うと……」
「優しいね、成瀬」
 ソーサーにできた染みを見てから、晴れた青空に目をやる。
 空が青い事に気づけたのは、成瀬のおかげ。
 征爾に会う事でどんな結果を迎えたとしても成瀬がいてくれるなら、私はきっとまたこの青を見上げる事ができる。
「話してくれてありがとう。私、彼を探すよ」
 言い切り、目の前の成瀬を見た。
「涼音……」
 心配そうな顔しちゃって。そうやって私のことをちゃんと考えてくれるから、嬉しすぎて昼間っから泣きそうじゃないのよ。
「一緒に、いってくれる?」
 ここで見捨てられたら、なんて少しの不安が過ぎった。成瀬はそんなこと絶対にしないと思っても、まだまだ弱い心が疑問を口にさせてしまった。
「当たり前だよ。何があったって、俺がいる」
 ああ、ほら。恥ずかしげもなくこんな事言ってくれちゃうから、我慢してたのに視界が揺れるじゃない。
「なんなら、猫ふんじゃった覚えるしっ!」
 泣きそうな私をわざと笑わせようと力んでくれたけど、笑ったら涙がこぼれちゃったよ。
「ありがと……。嬉しいけど、猫ふんじゃったは、いいや」
 笑いながら涙をこぼすと、成瀬も笑って喫茶店の紙ナプキンを差し出すから、今度は吹き出してしまった。
「せめてティッシュにしてよ」
 クスクスと笑って、成瀬がそばにいてくれる事に感謝をした。
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