「…何か御用ですか? あまり騒がしくされると子供たちが起きてしまうのですが。」
ステラは扉を半開きにして
宵闇に浮かぶ男たちの表情を
窺おうとしたが、そのうちの1人が更に扉を広げようとその淵を無造作に
掴みながら、
喰って掛かるように答えた。
「それなら単刀直入に言わせてもらうぜ。今日の昼間にあんたらが大陸軍から無償で
貰った食糧、
幾らか分けてもらいてぇんだよ。」
それはステラにとってあまりに予期しない、信じられない要請だった。反射的に両腕を広げて裏口に立ち
塞がるような格好になった。
「何ですか、それ…!? 大体
幾らかって、どれくらいのつもりで…!?」
「そんなもん実際に見てからじゃないと決められねぇんだよ。騒がれたくなけりゃ黙って調べさせろや。」
だが反論を
遮るように別の男が身を乗り出し、強引にステラを
退かそうとその手を伸ばしてきた。
「ちょっ…!? やめてください! 子供たちのための食糧なんですよ!?」
「うるせぇ、俺にだって子供はいるんだよ! なんで身元も
解らんどこぞの
餓鬼どもに食い
扶持が優先されてんだよ!!」
「…なんですって…!?」
ステラは何年も親代わりとなってきた身寄りのない子らに対する非情な言い掛かりに、
愈々顔を紅潮させ声を張り上げたい衝動に
駆られた。
「…おい、手荒な
真似に走るなと言っただろうが。」
だが不意にその奥から現れたまた別の大柄な男が、低く抑圧するような声音で
咎めながら、ステラに
喰って掛かる男を強引に引き
剥がした。
突如迫り来る威圧感にステラは一瞬たじろいだが、その熊のような見た目の男とは顔
馴染みであった。
グリセーオ製鉄所の所長を務めているランタンという男は、外見とは裏腹に物静かな性格で、決して横柄でなく理屈の通った話ができる人物であった。最初に裏口を取り囲んでいた男たちは
皆、ランタンの部下であるように見えた。
彼らが強引に押し付けようとした要求には
辟易していたが、
一先ずランタンがこの場を制してくれたことで、ステラは
僅かに安堵を覚えた。
「ステラ嬢、こんな時間にうちの奴らが迷惑をかけた。こいつら言っても
餓鬼みたいに我慢できねぇみたいでなぁ。」
「……。」
ステラは昔からランタンが真面目な顔で繰り出してくるその呼称が、
未だにむず
痒く感じられていた。
立場上は確かに領主貴族の娘であるが、今は家なき子供たちの命を預かる孤児院の管理人として務めを果たそうとしているからである。
「だが単なるやっかみでぞろぞろと集まってるわけじゃねぇことぐらいおまえさんなら
解るだろう。この際相場以上での買い上げでも構わない、食糧を少しばかり回してほしいというのは俺自身の正直な意見でもあるんだ。」
冷静な判断が期待できるはずのランタンがこの騒動を
鎮めるどころか、
寧ろ擁護したうえで交渉の席に着くよう促してきたことは、ステラにとっては予想外であった。
——まさか、本当に孤児院側と交渉するつもりだったなんて。…確かに最近の切迫した食糧品事情を考えれば、市場を介さない孤児院への無償配給は一部の住民から
妬まれて当然だったのかもしれない。
——でも、これはあくまで子供たちに配給された食糧なのよ。それを大の大人が
挙って横取りしようとするなんてあんまりだわ。
——そもそも配給も含めて孤児院は大陸軍の所管なのに、夜になって受託者である私に直接押し寄せて来るなんて…甘く見られたものね。
何十という家なき子供の命を支える者として、安易に譲歩しようとは思えなかった。
ステラは一度深呼吸を挟んでから改めてランタンの巨体を見上げると、険しい表情で応戦の姿勢を返した。
「グリセーオの街が直面している問題は私も大変
憂慮しています。ですが、孤児院への配給は特別扱いでも何でもない、大陸軍と取り交わされた定期的なものであって、これがなければ子供たちの生活を維持することが元より
出来かねます。ご不快かもしれませんが、ご理解のうえお引き取りいただきたく存じます。」
ステラがはっきりと意見を述べると、ランタンの背後で部下が舌打ちするような声が聞こえた。
ランタンは
睨むように
一瞥しその男を
牽制すると、ステラに向き直って落ち着き払った声音で交渉を継続させようとした。
「おまえさんが孤児たちを想う気持ちはよく知っているつもりだ。だがおまえさんも領主の娘なら、グリセーオの街全体のことも少しは
気遣ってはくれねぇか。いまはこの食糧難を
皆で乗り越えられるよう、お互い助け合っていくべきじゃねぇか。」
その
諭すような
台詞が、日中にイリアから向けられた励ましの言葉と重なって、ステラは思わず口を
噤んでしまった。
しかしその直前に領主の娘という露骨に責任感を
煽るような堅苦しい肩書を聞いて、かえって反発し湧き上がる
矜持があった。
領主の娘でありながら
この
齢にして孤児院の管理人を担っている理由が、ステラを止まることなく突き動かした。
「ランタンさんの
仰る通り、いまは街の
皆が助け合っていく必要があります。そしてそれは孤児院の子供たちも同じことです。ただ施されているだけでなく、微力ながら働き貢献することはできます。」
「ですから、そのために必要な力を大人の事情で奪わないであげてください…私たちも日頃から十分な食糧を備蓄しているわけではなく、必要に応じて市場から仕入れているのです。」
ジェルメナ孤児院に収容されている
齢8以上の孤児には、就労時間というものが設けられていた。
午前中に読み書きなどの勉強に
充てる時間を過ごし昼食を
摂った後、大陸軍の仲介により資材採掘の現場や畑、畜産農家などで簡易な仕事に夕方まで従事する規則となっていた。
当初は急速に成長するグリセーオの街で保護される孤児が、
穀潰しと
揶揄されないための措置であったが、孤児院には原則として
齢12になるまでしか所属できないため、どちらかといえばその後の自立に目線を向けた社会経験という意義に事実上の重きが置かれていた。
とはいえ就労時間には当然
駄賃程度の日給が発生し、その一部が孤児院の運営費に
充てられる仕組みにもなっていた。
齢10前後の子供に携われる労働などたかが知れていたが、それでも住民と社会的な
繋がりを持つことで、孤児院の子供たちは無下に扱われずそれなりの立場が保証されていた。
「配給があるのに食糧が十分じゃないってのは、孤児を拾いすぎだからなんじゃねぇのか?」
「それは言えてるだろうな。大陸軍が一度に持って来れる量にも限度があるわけだし。」
だがステラが必死に組み立てる説得を横から小突くように、ランタンの背後で部下たちが小声で批判を交わし始めていた。
それはステラにもはっきりと聞こえており、受け入れ
難い物言いに耐えられず身を乗り出してその男たちを
睨み付けようとした。それよりも早く、ランタンが振り返って再び静かな叱責を放っていた。
「てめぇら、黙ってろって言ってるだろうが。」
「いいや所長! 俺やっぱり納得いかねぇ!!」
それでも部下のうちの1人が少し声音を震わせながらその叱責を
跳ね
除け、一歩前に出ていた。最初に孤児院の裏口に無理矢理入ろうと迫ってきた子持ちだという男だった。
「いまは食糧を街全体で分け合わないといけねぇから結局充分には買えねぇ。金はあっても子供にちゃんと食わせてやれねぇ。…それなのに何で身寄りのない
餓鬼どもは今まで通り我慢せず腹を満たせられているんだよ!?
俺ぁ理不尽に思えてやるせねぇんだよ!!」
夜分にも
拘らず声を荒げるその無神経さにも我慢の限界を迎えたステラは、男の前に勢いよく進み出ると、遂に
丁寧な言葉
遣いも忘れて
捲し立てた。
「親のいる、いないで子供の命の優先度を決めないでくれる!? 孤児院の子供たちは
皆が望んで孤児になったわけじゃないの! 充分に稼ぐこともできないし、あなたみたいに食べさせてくれる人もいないの! そういう子供たちが生きていくための食糧を確保してもらっているだけなのよ!!」
予想だにしない剣幕で詰め寄ってくるステラに対し、男は激情を反論に変えることも
儘ならず鼻息を荒くしていた。
だがそこへ別の部下と見られる男が、冷ややかな口調で横槍を入れてきた。
「その食糧に余裕がないのは施設の許容量を超えた孤児の引き取りをしてるからだろって話だよ。あんたの度を超えた裁量を問題視してんだ。」
先程ランタンの背後から聞こえた批判の1つが改めて投げ付けられていた。ステラは表情を変えることなく、
透かさずその男に反撃を試みた。
「じゃあこの街で他に親なき子供の手を取ってくれる人がいるっていうわけ!?」
「そういう感情論じゃなくてよぉ、行き当たりばったりで取り
纏めようとしてきた
皺寄せが来てんだよ…この孤児院も、このグリセーオの街も。そもそも孤児が増えすぎないようにすることが領主側の役割なんじゃねぇのか。」
「ああ、それは一理あるな。
大抵店先の金や食い物を盗もうとするのはそういうどうしようもねぇ
餓鬼どもだ。一体どこから湧いてくるんだろうな。」
「スラムじゃねぇの。結局アヴァリー家側の責任問題ってことになってくるんだよなぁ。」
1人、また1人とランタンの部下たちが口を開いて非難を強めており、反抗の矛先を定められなくなったステラは、徐々に立ち込める
焦燥に
苛まれていた。
そこらじゅうで泣き
喚く赤子をあやして回ることよりも、遥かに収拾が困難であるように思えた。
——どうしてそんなこと言うの? 私が間違ってるの?
貴方たちは自分の子供以外に養う義理も必要性も感じないから、そういうことが言えるだけなんじゃないの?
近年グリセーオ郊外ではスラムと呼ばれる極貧層の居住地が広がりつつあり、そこで身を寄せ合っている孤児らの噂もステラは耳にしていた。
そしてスラムの問題に対しては、領地管理の不十分さが追及される声が上がることも致し方無いように思えた。
元々アヴァリー家は大陸の内戦時代に領地争いに敗れて大陸北東部に追い
遣られた没落貴族であり、何百何千という住民も大規模な産業も抱えた経験がなかった。
だがそんな歴史は、今や大多数を占める移住者にとっては
些末なものであった。
ステラは施政に日々忙殺される両親を案じながらも
自らに課せられた使命を
全うすることに必死だったが、
恰も孤児院までが身内と
一括りに敵視されてしまっているように聞こえ始め、気付けば冷や水を浴びせられてしまっていた。
「いやいや
解らんぞ。孤児院の奴らだって盗みを働いている可能性もあるじゃねぇか。」
「おいおい、そりゃ
質の悪い冗談にしとけや。」
「!? …ちょっと!?」
男たちの非難が
濡れ
衣を着せるような談議に昇華し始め、ステラは
堪らず声を荒げた。
だが
嘗てそういう孤児がいなかったわけではないことを思い出すと、自然と踏み込もうとする足が重く、
掌は
微かに震え出していた。