第1話 寂然たる館

文字数 4,113文字

 女使用人ロキシーの朝は早い。

 ここ数日で身体に気怠(けだる)さが(つの)りつつあったが、(よわい)17にして領主貴族に仕える彼女は当然ながら従者のなかで最年少であり、些細(ささい)な疲労を理由に仕事を休むわけにはいかなかった。

 ()っすらと明るみを増す部屋に反応して目覚めると、ゆっくり身を起こして窓を開けた。
 ()み込みで働く邸宅から見渡す農業盆地セントラムは、今朝も霧に(おお)われていて、(ふた)をされているかのような圧迫感を覚えた。
 

 胸元の露出した黒地のエプロンドレスに着替えて長い藍色の髪を手早く整えると、部屋を出て廊下の窓を開けて回った。
 そしていつものように玄関口を掃除し、広々とした庭園の管理に従事した。ここ数日は来客がないが、庭園は領主の威厳や品格を表象するものであるからして、手を掛ける優先度が高いと考えていた。
 
 それが一段落つくと、邸宅裏手にある風蜂鳥(かぜはちどり)の小屋に立ち寄り到着している伝書の有無を確認した。
 帰巣(きそう)本能が強いこの大陸特有の品種は、訓練させることで各地の貴族や大口の商人、大陸議会に至るまで迅速な文通を可能にしていた。

 ロキシーは新たに届いていた数件の伝書を回収すると、厨房に立ち寄って簡単な朝食をとりながらその中身を閲覧(えつらん)した。朝食は決まって固くなったパンとこの地方特産の果実、()れ直した紅茶であった。

 そうしてまた次の仕事に取り掛かる…のだが、今朝は珍しく大陸平和維持軍から使用人長に()てた伝書が届いていた。
 
 ロキシーはその文面を流し読みしていたが、末尾に記されていた差出人の名に思わず目が留まった。


『フォンス邸別邸(べってい)
 使用人長 レピア・アルクリス殿

 拝啓 先日セントラム一帯で発生したという不可解な伝染病において、領主を務められていたクレオ―メ・フォンス伯爵(はくしゃく)訃報(ふほう)につき、大変(いた)ましい想いであります。

 現在もセントラムでは感染の拡大が続いていると聞き及んでおり…(中略)…新たに出動する救援部隊と(あわ)せて、伝染病の原因を調査する者を派遣いたします。

 このような状況下で大変不躾(ぶしつけ)ではございますが、ご協力いただきたくお願い申し上げます。この伝書が届く日中には、その者がフォンス邸別邸(べってい)に到着するかと存じます。

 伝染病の早期収束のため、当方としても引き続き尽力させていただきます。 敬具

ラ・クリマス大陸平和維持軍
国土開発支援部隊 第1部隊長
   ルーシー・ドランジア』



 その肩書と名前を名乗る女性は5日前に部隊を引き連れてフォンス邸別邸(べってい)を訪れており、その際ロキシーは意図せず面識を持っていた。
 彼女は(みずか)らの業務を建前として、その裏で何かを詮索(せんさく)しているようであったことを思い出した。

 伝染病がセントラムで発生したのはその翌日からであり、領主であるクレオ―メ・フォンス伯爵(はくしゃく)は朝の時点で(すで)に亡くなっていた。
 その事実は駐屯している大陸軍が放った風蜂鳥(かぜはちどり)によって、大陸議会側に(ただ)ちに知られ渡ったものと思われた。


 だが知られ渡ったのは

であり、伝染病について調査する者に

態々(わざわざ)許諾を取り付けるような字面に、ロキシーは違和感を(いだ)かざるを得なかった。
 領主が病死した緊急事態ならば、部隊長の権限でも行使して使用人長には調査を承知させるだけで充分なはずだからである。

 ロキシーにはこの書面が、まるで伝染病の調査に(かこつ)けてフォンス邸別邸(べってい)へ家宅捜索に踏み込もうとするような通告に読めてしまい、伝書を()まむ指先が徐々に冷たくなっていった。
 当時差出人の建前の姿しか見ていなかったであろう使用人長に、その魂胆(こんたん)が読み取れるとも思えなかった。


——どうしよう。きっと大陸軍は私達の秘密に近付くつもりなんだ。それを暴かれたら……きっと生きた心地なんてしないわ。


 だがその一方で、ロキシーはこの邸宅に留まり続ける動機が軽薄(けいはく)なものであることを改めて思い知らされた。
 物心付いた頃からこのフォンス邸別邸(べってい)の使用人だったが(ゆえ)に、他所(よそ)に行く宛も頼る宛もないという消極的な理由だけで、今もこうして領主を失った邸宅に従事し続けていた。

 自分はずっとこのままなのだろうかという虚無感を(ともな)う不安が、また少し気怠(けだる)い気分を増長させているようにも感じた。


——それでも、いま私のやるべきことは変わらない。


 ロキシーは冷めてしまった紅茶を飲み干すと、伝書に記された調査員が訪れるまでに片付けるべき業務に取り掛かることにした。




 ラ・クリマス大陸中央部のプディシティア州は、北部山脈から南方へ突き出るような丘陵(きゅうりょう)地帯が大部分を占めており、その中心に位置するセントラム盆地は大陸有数の農作物生産量を誇っていた。
 特に壊月彗星(かいげつすいせい)が接近する時期は決まって作物の実りも品質も良くなることで知られ、諸外国からも注目を集めていた。

 その原因は気候条件に()るものなのか、この地に湧き大きな湖として(たた)えられる水の品質に()るものなのか、土壌成分に特殊な性質があるのか、(いま)だにはっきりとは解明されていなかった。

 それでも若くして領主の座を継いだクレオ―メ・フォンス伯爵(はくしゃく)は、その勤勉さと野心を(もっ)てセントラムの生産を20年以上取り仕切り、農業盆地として発展させていったことで知られていた。

 地元の果樹園の娘と婚約し一子(いっし)を授かるも、領主としての業務に専念するため別邸(べってい)を設けたほどであった。
 小高い丘に建つフォンス邸別邸(べってい)はセントラム一帯を見下ろせるその裏で、地場産の果実を熟成させた醸造所(じょうぞうじょ)も構えており、建物としては本邸よりも大規模な(やかた)となっていた。


 そのセントラムを、突如(とつじょ)として不可解な伝染病が襲った。一夜にして感染が拡大し、多くの住民が同時多発的に罹患(りかん)したと駐屯(ちゅうとん)する大陸軍は報じていた。

 その病状は全身の(しび)れや痙攣(けいれん)、頭痛や呼吸器の痛みなどであったが、奇妙なことに性別や(よわい)で症状の重さがはっきりと分かれていた。

 成人男性がとりわけ重症となる傾向にあり、伯爵(はくしゃく)をはじめ命を落とす住民が相次いでいた。
 一方で女性や子供は比較的軽症であったものの、満足に身体を動かせる者が多いわけではなく、大陸軍を(もっ)てしても救護活動は困難を()いられていた。
 
 そんな不気味な状況が続くセントラムは、上空を分厚い霧で(おお)われた3回目の朝を迎えていた。



 午後になると沈黙する街中で、フォンス邸別邸(べってい)の建つ丘へ向かって()ける1台の馬車が姿を現した。
 成人男性を中心に病に(おか)されている事態とあって、経済活動が停滞したセントラムの街は(さなが)らジオラマのようで、その中を突っ切る馬車は滑稽(こっけい)なほどに目立っていた。

 ロキシーは廊下の窓辺からその様子を視認すると、来客を迎えるために玄関口へと移動した。
 何気なく邸宅内での仕事に従事しながらも、セントラムで広がる不可解な伝染病について聞き及んでおり、その惨状(さんじょう)憂慮(ゆうりょ)していた。

 だからこそ、馬車を伴って別邸(べってい)を訪れた(くだん)の調査員が、自分と同じ(よわい)くらいの青年だったことに驚きを隠せなかった。


「こんにちは。大陸議会より命を受けて()せ参じました。調査員のカリムと申します。」


 朱色を基調としたシャツの上に、議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキ(まと)うその青年は、鞄を引っ()げて丁寧(ていねい)な一礼をしてみせた。
 口元はせめてもの感染予防のつもりか、バンダナのような布地を巻いて(おお)っていたほか、左目も前髪で隠されていた。

 その外見は、事前に一報を受けていなければ怪しげな行商と見紛(みまが)(おそれ)があった。
 
 とはいえロキシーも長い髪を結わえたり()めたりしなければ、陰鬱(いんうつ)な少女と評されかねない容姿であった。
 その通りの性格も(あい)まってか、こうして改まって見知らぬ男性と相対(あいたい)すること自体、身構えるような緊張感を(いだ)かずにはいられなかった。

 その感情をどうにか押し殺しつつ、ロキシーは小さく礼を返して挨拶(あいさつ)(こた)えた。


「…使用人のロキシー・アルクリスです。本日は遠路遥々(はるばる)お越しいただき恐縮でございます。…どうぞ、お上がりください。」


 そして静かな面持(おもも)ちを(たた)えたままカリムを迎え入れると、馬車の御者台(ぎょしゃだい)で何やら作業をしている黒尽くめの御者(ぎょしゃ)にも一礼した。
 ゆっくりと玄関の扉を閉めると、邸宅内の沈黙を破ることのないよう足を進め、カリムを客間へと案内した。

 派手さのない比較的落ち着いた内装に、柔らかそうな生地のソファがローテーブルを挟むように2台置かれており、開け放たれた窓の奥では造形の美しい裏庭が広がっていた。

 ロキシーはカリムをソファに座らせると、丁度(ちょうど)よく準備していた紅茶をその前に差し出した。


「ああ、ありがとうございます。」


 カリムはそう(こた)えながらも、()ぐに口にすることはなく何やら鞄の中身を(しばら)(あさ)り続けていた。
 (かたわ)らに立つロキシーはその様子を(いぶか)しむように、少し身体を傾けて青年の表情を(のぞ)き込んで尋ねた。


「…あの…もしかして、紅茶は苦手でしたか?」

「いえいえ、とんでもない。多少猫舌なだけですよ。」


 苦笑いを浮かべて答えたカリムは、若き女使用人から()っすらと(かも)し出される警戒心を察したのか、表情を変えずに(しゃべ)り続けた。


「まぁ、奇妙に思われて当然ですよね。いまセントラムに広がる不可解な伝染病は男性の方が重症率は高いというのに、それを知っていながら派遣される調査員もまた男だっていうんですから。僕は元々大陸議会の事務官なんですが、実態としては雑用みたいなもので…正直気が重いんですが、やることはやらなきゃなんで…どうかご協力お願いします。」


 座ったままもう一度深々と(こうべ)を垂れるカリムに釣られるように、ロキシーも小さく返事を(こぼ)して会釈(えしゃく)を返した。


「ところで…使用人長のレピア・アルクリス様はどちらに?」


 カリムは気を取り直して仕事を始めようと言わんばかりに、準備をしながらロキシーに問いかけた。だがロキシーは少し言いにくそうに、首を小さく横に振ったのち回答した。


「…使用人長は、例の感染症に罹患(りかん)()せっておられます。」


 ()ぐさまカリムは、肩透かしを()らったような驚きの声を上げた。


「えっ!? それじゃあ、他の使用人の皆様(みなさま)は…?」

「…女性の使用人は(みな)身体を起こすことができず、来客用の寝室にて安静にしております。男性は…(みな)亡くなりました。いまこの邸宅で動けているのは、私だけです。」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ドール】齢19の修道女。

▶ラ・クリマス大陸北西部にあるディレクト州の歴史ある街ディレクタティオで暮らしており、グレーダン教の総本山であるディレクタティオ大聖堂に連なる修道院に属している。

▶生まれつきの白髪が忌み嫌われ、赤子の頃に大聖堂に託された孤児だった。

▶対人関係が希薄なため幼い頃から本の虫であり、好奇心が旺盛。

▶その性格が災いしてか、あることをきっかけに異端者、廻者として糾弾されることになり、その理不尽な仕打ちを機にラ・クリマスの悪魔を顕現させてしまう。

【死神】ドールの命を狙い対峙する謎めいた人物。

▶グレーダン教徒に似た紫紺のローブを纏い、真っ白で無機質な仮面を着けている。

▶グレーダン教に代々継承されてきた司教杖に似た、武器と言い難い杖を構える。

▶その先端に着装された黒い鉱石からは、悪魔を脅かす不思議な力が醸し出されている。

▶「死神」という名称は、ドールが便宜上付与したものにすぎない。

【ネリネ・エクレット】齢16の貴族令嬢。

▶大陸南東部ヒュミリア州、2大交易都市の1つであるメンシスを治める領主ホリー・エクレットの1人娘。

▶穏やかで物腰柔らかな性格だが、箱入り故に世間知らずである。艶のある金髪の持ち主。

▶だが突如メンシスを襲った猛烈な竜巻で被災し、親も家も失う。

▶街の再建を大陸軍に任せて親戚の元へ身を寄せることになるが、その言動はまるで別人になったようであった。

【カリム】大陸議会の事務官を名乗る青年。

▶年齢はネリネと同じくらいと思われ、左目を前髪で隠しており陰気そうな印象である。

▶身に付けている赤を基調としたシャツと議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキは所定の制服のようなもの。

▶馬車に乗りメンシスを去るネリネに随行し、竜巻被害について聴取しようとする。

▶大陸北東部の孤児院の出身で、過去に何か苦い経験をしているようである。

【リリアン・ヴァニタス】ヴァニタス海賊団の若き首領。

▶巻き毛の金髪が特徴で、体術では随一の戦闘力を持つ。

▶急逝した父の遺言により、齢16にして首領の座を継承しているが、経験が乏しく未熟であるため、父の右腕であった幹部ローレンの助力を得ながら海賊団を存続させている。

▶海賊団はアルケン商会という善良な団体を騙る裏で、密輸品などの取引を働いていた。

【ロキシー・アルクリス】齢17の女使用人。

▶大陸中央部プディシティア州にあるセントラム農業盆地の領主クレオーメ・フォンス伯爵の別邸に仕える。

▶物心ついた頃から母レピアと共に別邸に棲み込みで従事しており、あまり外界との接触がない。

▶長い藍色の髪をしており、やや陰鬱な印象とは裏腹に齢離れした恵体の持ち主。

▶使用人長でもあるレピアとともに好からぬ秘密を抱えており、大陸軍側からの詮索を敬遠している。

【ルーシー・ドランジア】大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長。

▶すらりとした上背に長い黒髪を湛え、銀縁の眼鏡の奥に黄金色の瞳を覗かせる齢28の女性。

▶メンシス港の機能停止を受け、セントラムの生産品の出荷計画などを見直すべく部隊を牽引しフォンス邸別邸を訪れるが、密かに別の目的も念頭にあるらしくロキシーに探りを入れる。

▶飄々として掴みどころのない性格。身内も大陸議会の関係者であるらしい。

【ステラ・アヴァリー】齢24の孤児院管理人。

▶大陸北東部カリタス州の新興都市グリセーオで大陸軍が設立し運営を委託するジェルメナ孤児院に従事している。

▶領主キーウィ―・アヴァリーの1人娘であり、2年前に母から管理人の立場を継承している。

▶赤みがかった茶髪を三つ編みで束ねている。世話焼きで責任感や正義感が強い。

▶過去に厄災を経験して以来、1人でも多くの親なき子の命を護りたいと身を粉にして働いているが、結果としてこれ以上収容できないほどの孤児を拾ってしまい、食糧などの遣り繰りに頭を悩ませている。

【リオ】かつてジェルメナ孤児院で暮らしていた少女。

▶物語開始時点から7年前、グリセーオ西端を流れる川に独り漂着していたところを救助されたが、虚弱体質に陥っていたためジェルメナ孤児院に引き取られ静養することになる。

▶救助以前の記憶をほとんど引き出すことが叶わず、当時は齢7,8程度と推測されていた。

▶2年後に『強欲の悪魔』を顕現させてしまい、命を落としている。栗毛と鈍色の瞳が特徴。

【ピナス・ベル】伝説の瑠璃銀狼の血を引くラピス・ルプスの民の少女。

▶外見は齢12,3ほどだが、人間と比べて齢を重ねる間隔が緩やかで、既に30年生きている。

▶大陸北部アヴスティナ連峰の中腹にあるクラウザという集落で同胞と共に密かに暮らしている。

▶とある目的を果たすため『貪食の悪魔』を宿して鳥の姿となり、大陸西部へ向かっている。

▶7年前のとある出来事で人間側との軋轢を経験し、その際に『貪食の悪魔』を宿した母を失っているほか、サキナとも面識をもっている。

【オドラ―・ベル】ピナスの祖父であり、クラウザの集落を束ねる長老。

▶齢200を超え、ラピス・ルプスの民の特徴である銀色の毛並みは灰色にくすみ、全身毛むくじゃらである。

▶大陸の人間が内戦時代を経て現代に至るまでの歴史だけでなく、千年前から続く厄災についても口伝により知識を蓄えている。

▶人間と対立する気はないが、緩やかに数を減らしてく一族の行く末を憂い、『貪食の悪魔』を同胞から生み出さぬためにも、人間の手を借りてでも種を存続させるべきか思案している。

【クランメ・リヴィア】齢28の博物館職員兼調査研究員

▶大陸西部グラティア州、首都ヴィルトス近郊のアーレア国立自然科学博物館に従事している。

▶やや小柄で、分厚い眼鏡と象牙色の髪が特徴。大陸南西部ミーティス州の農村出身で、独特な訛りで喋る。

▶ルーシーとはグラティア学術院で同期生の関係だが、当時はあまり好ましい印象を抱いていなかった。

▶ラ・クリマスの悪魔の『封印』に関わるとある仕事を引き受けている。

【イリア・ピオニー】齢26にして大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長を務める軍人。

▶桃色がかった金髪と強い正義感の持ち主。国の平和のため心身を尽くそうとする厳格な性格。

▶現代に至る国内軍事を統括し続けた由緒あるピオニー家の娘。父ジオラスは元帥の地位にあり、2人の兄も同じく軍人である。

▶十代のころに出会ったルーシーの理想に感銘を受け、励まされたことでその背中を追い続けている。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み