第1話 負の連鎖

文字数 4,222文字

——親を事故や病気で失ったり、(ある)いは親に捨てられたりした子供が(ひと)りで生きていくことは当然に難しい。かといって、(ひと)りに(おちい)る境遇を未然に防ぐことも叶わない。

——代わりにその幼い手を誰かが(つな)いで、(はかな)い命を少しでも育ててあげることは出来(でき)るけれど、実際に手を差し伸べられる人は()して多くはない。大抵は(みな)自分の命を抱え込むことで精一杯だから。

——だからこそ、願わくは1本でも多く腕を生やしてでも、1人でも多くの孤児に手を差し伸べたい。(こぼ)れそうな命を(すく)ってあげたい。…そう思ってきた。



「ステラさん、定期配給物資の積み下ろしが完了致しました。」


 ステラと呼ばれた緑地のワンピースを身に(まと)った女性は、赤味がかった三つ編みの茶髪を揺らして、(りん)とした声音の報告に振り向いた。


「お疲れ様です、イリア隊長。大変なご時世なのにいつも通りの物資をご用意くださり感謝致します。」

「いえ、定期配給ですので。(むし)ろ5日も到着が遅れてしまい申し訳ない限りです。子供たちに(さぞ)かしひもじい思いをさせてしまったことかと…。」

「お気遣(きづか)いくださりありがとうございます。でも今生活が苦しいのは、孤児院の子供たちに限った話ではないので…。」

「そう、ですね…いまこの国で一体何が起きているんだか…。」



 ラ・クリマス大陸北東部カリタス州は、北側を(けわ)しい山々に囲まれたグリセーオ高原が大部分を占めており、乾燥していて土地の多くは()せ細っていた。
 何より大陸の2大交易都市であるソリス・メンシスいずれからも遠く、昔から物資が行き届き(づら)い貧しい地域として知られていた。

 それにも(かかわ)らず人が集まり街として発展したのは、30年ほど前に大陸議会で掲げられた「ラ・クリマス一周路線化計画」に()るものである。

 大陸中央部に広がる丘陵(きゅうりょう)地帯を丸ごと取り囲むように線路を通すことで大陸全体に流通網を(めぐ)らせ、()いては民の往来も便利にするべく、千年祭を迎える前に完成を目指した一大国家事業であった。
 
 その開発拠点の1つに指定されたのが、大規模な鉄鉱石の鉱床が発見されたグリセーオ高原西部であった。採掘・採石ならびに製鉄まで機能を集約させたその地域は急速に街として発展し、(やが)てグリセーオとはその街の名を指すようになった。


 だが大陸東部を中心とした出稼ぎ労働者が立て続けに舞い込み人口が急増した結果、治安や住居・衛生面の改善が後手になり、路頭に迷う孤児の増加も問題の1つとして挙げられるようになった。

 大陸議会はこれを解決するため、国土開発支援部隊管轄(かんかつ)のジェルメナ孤児院を街外(まちはず)れに設立し、領主であるキーウィー・アヴァリーにその運営管理を委託した。現在から15年ほど前のことであった。

 当時(よわい)9だったステラ・アヴァリーは領主キーウィーの一人娘であり、母が管理人となったジェルメナ孤児院で拾われた孤児らと生活を共にしていた。

 その後も歳下の孤児の面倒を見ていくに連れ、ステラはなし崩し的に孤児院で働くようになり、(よわい)22となった2年前に母から管理人の地位を継承していた。

 だが最初は十数人だった孤児が今では2倍以上に増加しており、大陸軍管轄(かんかつ)の施設とはいえ子供1人1人を満足に食べさせるための運営に苦心する日々が続いていた。


 そんななか、メンシス港の機能停止とセントラムの伝染病被害が立て続けに発生した。

 グリセーオの街は5年ほど前から国土開発支援部隊によるセントラム産の農産物を主とした物資提供を定期的に受けていた。
 ()えて大陸軍が流通の一端を担う政策の意図は、治安の不安定な大陸東部で大量の物資を安全かつ広範に行き渡らせるためだと言われていた。

 だが昨今(さっこん)の連続した大規模な事件に(ともな)って、到着の予定が5日ほど遅滞していた。
 
 そもそもメンシス発となる南方からの物流が(いちじる)しく途絶(とだ)えたことで大陸東部全般に食糧品などが行き渡り(づら)くなっていたが、更にセントラムが一時的に封鎖されたことで西部からの物流量がより一層制限されてしまっていた。

 大陸の僻地(へきち)とも言える貧しき高原を国家事業の拠点の一つとして設けたことがここに来て(あだ)となり、増えすぎた人口を(まかな)いきるだけの食糧を確保できない状態に(おちい)っていたのであった。



 そしてこの日(ようや)く国土開発支援部隊からの物資提供が再開され、管轄(かんかつ)施設であるジェルメナ孤児院にも別口で定期配給が到着した。

 その配給を指揮していたのがイリア・ピオニー部隊長であった。

 桃色がかった金髪を顎の高さで切り(そろ)えた銘家の令嬢だが、(よわい)26にして部隊長に昇進する優秀な軍人でもあった。
 若くして威厳を放つ淑女(しゅくじょ)であったが、ステラとは5年来の付き合いでもあり、(さなが)ら友人のように慰労を交わし合う仲でもあった。


「メンシスに、セントラムに…まるでこの大陸が何かに攻撃されているみたいに感じますね…。」


 ステラが両手を組み締めながら不安そうな声を上げると、イリアは神妙な面持ちで情報を付け加えた。


発端(ほったん)はディレクタティオです。グレーダン教の総本山が不可解な(あお)い炎により焼け落ち、多数の死者が出ました。大陸議会はここ1カ月で起きた一連の事件や災害を、すべて伝承される悪魔に()る厄災だと見做(みな)しているようです。」

「厄災、ですか…。」


 イリアが用いたその言葉が脳裏に引っ掛かり、ステラはまた一段と表情を曇らせた。その理由に察しがついたイリアは、ステラの肩に手を置いて励ますように優しく声を掛けた。


「いまは壊月彗星(かいげつすいせい)がかなり接近している時期だそうです。この大陸に(いま)()み付くと言われる悪魔が(かつ)てなく猛威を(ふる)うようになったのかもしれない…それでも、私たちはお互い助け合っていくしかありません。(みな)で乗り越えられるよう、力を尽くしていきましょう。」


 ステラはイリアの激励(げきれい)(こた)えるように、少し鼻を(すす)って笑顔を作って見せた。


「…そうですね。私たちは今できることを精一杯努めましょう。国のことはルーシーさんがなんとかしてくれると思いますし。」

「ええ。

気苦労も察するに余りあるところですが、

いまこの国で最も有能な人物であると信じています。その手腕に期待しましょう。」


 イリアは尊敬する元上司の名前が出るや(いな)や力強く同意を示したが、ステラは不図(ふと)彼女の言い回しに違和感を覚えていた。


「…隊長? ルーシーさんが隊長だったのは何年か前の話じゃないんですか?」

「いまは第1部隊の隊長を臨時で兼任しているんですよ。昨今(さっこん)の非常事態で大陸軍を再編成した際、慣れ親しんだ第1部隊に戻って来たそうなんです。代わりに私が臨時部隊の部隊長として異動させられまして…。」

「ああ、そうだったんですね…。」


 ステラには苦笑いを浮かべるイリアが、昔のようにルーシーと共に仕事ができなかったことの寂しさを物語っているように見えた。
 だがそんな軍人の珍しい表情は即座に消え失せて(かしこ)まった目付きに戻り、ステラに敬礼して引き揚げる準備に移っていた。


「それではステラさん、我々は日没までに出発しなければならないので、これで失礼します。」

「夜間も移動しないといけないなんて、大変ですね…どうぞお気をつけて。」


 ステラは心配そうな面持(おもも)ちでイリア率いる部隊を見送った後、届けられた物資を整理するため休む暇なく孤児院の裏口へと回った。



 定期配給物資の整理は、孤児院の子供たちが消灯する21時を回って間もなく一段落しようというところであった。

 ステラ以外にも孤児院に従事する者はいるが、普段から孤児らの面倒を見るための最低限の人員しか採用できておらず、彼らも夕食の片づけが終わる20時頃には帰宅してしまうので、元々整理の一部始終をステラ1人で済ませていることが(ほとん)どであった。

 子供を一通り寝かしつけてからも、後回しにしていた事務作業などを片付けるため日付が変わる時間帯まで管理人室での業務が続くのは最早(もはや)当たり前の日常であった。


——配給された食糧はいつも通り、不足なし…このご時世でも有難(ありがた)いことね。でもやっぱり、もう少し増やしてもらえないと不安かしら…これ以上はもう孤児を受け入れたくても受け入れられなくなってしまうし…。


 草臥(くたび)れた用紙に記載されている項目を確認しながら、ステラは差し出がましい希望を思い浮かべた。

 孤児院の収容人数自体がほぼ限界に迫ってきていたのだが、ステラの懸案はそこにはなかった。1人でも多くの命を(つな)ぎ止めたいという揺らぐことの無い信念(ゆえ)に、これからどうすべきかを腐心していたのであった。



 (ようや)く一通りの物資を箱から引き上げようという頃、不図(ふと)ステラは配給物資が詰まっていた空箱の中に1個のリンゴが転がっていることに気付き、怪訝(けげん)な表情を浮かべた。
 
 リンゴは配給の項目には含まれていなかった。そもそも配給に含めること自体をステラが断っていた。
 5年前にこの孤児院でリンゴを食べたリオという女の子が、ラ・クリマスの悪魔を顕現させて一時的に厄災を(もたら)した過去があったためである。


 ステラも巻き込まれたその厄災は短時間で収束したものの、そこでリオのみが命を落としてしまっていた。厳密に言えば、跡形もなく消滅してしまったと表象するべきであった。

 ()(すべ)もなく護れなかった幼き命を、その凄惨(せいさん)な記憶をステラは今なお心の中で引き()っていた。


 リンゴ自体は今ではグリセーオでも流通している庶民的な果実であるが、当時のリオにとっては初めて口にした甘美な味だったと思われた。
 そうした刺激を他の孤児に与えれば同じようなことが起こるのではないかと、根拠は希薄(きはく)だがステラは確かな抵抗感を(いだ)いていた。

 とはいえ、自分がリンゴを食べることに拒絶反応を覚えるようになったわけではなかった。


——イリアさんがセントラムで物資を詰めるときにおまけで入れてくれたのかしら。もう5年前の口約束だったし、忘れてしまったのかもしれないわね。今度お見えになったときに伝えておかなくちゃ。



 そのとき、管理人室から外へ出る孤児院の裏戸を叩く音が静かな部屋の中で響いた。

 思わぬ来客にステラは驚きを隠せず、恐る恐る裏戸を振り返った。
 

——こんな夜分に、一体誰が訪ねてくるのかしら。

 
 だが部屋の(あかり)が外に漏れていたこともあってか無視ができず、ステラはリンゴをポケットに突っ込みながら渋々(しぶしぶ)扉を開けた。


 外にはグリセーオの住民と思しき男が数人、裏口を取り囲むようにして待ち構えていた。
 
 彼らは明らかに不穏な雰囲気に満ちていたので、ステラは反射的に顔を(しか)めた。
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登場人物紹介

【ドール】齢19の修道女。

▶ラ・クリマス大陸北西部にあるディレクト州の歴史ある街ディレクタティオで暮らしており、グレーダン教の総本山であるディレクタティオ大聖堂に連なる修道院に属している。

▶生まれつきの白髪が忌み嫌われ、赤子の頃に大聖堂に託された孤児だった。

▶対人関係が希薄なため幼い頃から本の虫であり、好奇心が旺盛。

▶その性格が災いしてか、あることをきっかけに異端者、廻者として糾弾されることになり、その理不尽な仕打ちを機にラ・クリマスの悪魔を顕現させてしまう。

【死神】ドールの命を狙い対峙する謎めいた人物。

▶グレーダン教徒に似た紫紺のローブを纏い、真っ白で無機質な仮面を着けている。

▶グレーダン教に代々継承されてきた司教杖に似た、武器と言い難い杖を構える。

▶その先端に着装された黒い鉱石からは、悪魔を脅かす不思議な力が醸し出されている。

▶「死神」という名称は、ドールが便宜上付与したものにすぎない。

【ネリネ・エクレット】齢16の貴族令嬢。

▶大陸南東部ヒュミリア州、2大交易都市の1つであるメンシスを治める領主ホリー・エクレットの1人娘。

▶穏やかで物腰柔らかな性格だが、箱入り故に世間知らずである。艶のある金髪の持ち主。

▶だが突如メンシスを襲った猛烈な竜巻で被災し、親も家も失う。

▶街の再建を大陸軍に任せて親戚の元へ身を寄せることになるが、その言動はまるで別人になったようであった。

【カリム】大陸議会の事務官を名乗る青年。

▶年齢はネリネと同じくらいと思われ、左目を前髪で隠しており陰気そうな印象である。

▶身に付けている赤を基調としたシャツと議会所属を表すバッジを留めた黒地のチョッキは所定の制服のようなもの。

▶馬車に乗りメンシスを去るネリネに随行し、竜巻被害について聴取しようとする。

▶大陸北東部の孤児院の出身で、過去に何か苦い経験をしているようである。

【リリアン・ヴァニタス】ヴァニタス海賊団の若き首領。

▶巻き毛の金髪が特徴で、体術では随一の戦闘力を持つ。

▶急逝した父の遺言により、齢16にして首領の座を継承しているが、経験が乏しく未熟であるため、父の右腕であった幹部ローレンの助力を得ながら海賊団を存続させている。

▶海賊団はアルケン商会という善良な団体を騙る裏で、密輸品などの取引を働いていた。

【ロキシー・アルクリス】齢17の女使用人。

▶大陸中央部プディシティア州にあるセントラム農業盆地の領主クレオーメ・フォンス伯爵の別邸に仕える。

▶物心ついた頃から母レピアと共に別邸に棲み込みで従事しており、あまり外界との接触がない。

▶長い藍色の髪をしており、やや陰鬱な印象とは裏腹に齢離れした恵体の持ち主。

▶使用人長でもあるレピアとともに好からぬ秘密を抱えており、大陸軍側からの詮索を敬遠している。

【ルーシー・ドランジア】大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長。

▶すらりとした上背に長い黒髪を湛え、銀縁の眼鏡の奥に黄金色の瞳を覗かせる齢28の女性。

▶メンシス港の機能停止を受け、セントラムの生産品の出荷計画などを見直すべく部隊を牽引しフォンス邸別邸を訪れるが、密かに別の目的も念頭にあるらしくロキシーに探りを入れる。

▶飄々として掴みどころのない性格。身内も大陸議会の関係者であるらしい。

【ステラ・アヴァリー】齢24の孤児院管理人。

▶大陸北東部カリタス州の新興都市グリセーオで大陸軍が設立し運営を委託するジェルメナ孤児院に従事している。

▶領主キーウィ―・アヴァリーの1人娘であり、2年前に母から管理人の立場を継承している。

▶赤みがかった茶髪を三つ編みで束ねている。世話焼きで責任感や正義感が強い。

▶過去に厄災を経験して以来、1人でも多くの親なき子の命を護りたいと身を粉にして働いているが、結果としてこれ以上収容できないほどの孤児を拾ってしまい、食糧などの遣り繰りに頭を悩ませている。

【リオ】かつてジェルメナ孤児院で暮らしていた少女。

▶物語開始時点から7年前、グリセーオ西端を流れる川に独り漂着していたところを救助されたが、虚弱体質に陥っていたためジェルメナ孤児院に引き取られ静養することになる。

▶救助以前の記憶をほとんど引き出すことが叶わず、当時は齢7,8程度と推測されていた。

▶2年後に『強欲の悪魔』を顕現させてしまい、命を落としている。栗毛と鈍色の瞳が特徴。

【ピナス・ベル】伝説の瑠璃銀狼の血を引くラピス・ルプスの民の少女。

▶外見は齢12,3ほどだが、人間と比べて齢を重ねる間隔が緩やかで、既に30年生きている。

▶大陸北部アヴスティナ連峰の中腹にあるクラウザという集落で同胞と共に密かに暮らしている。

▶とある目的を果たすため『貪食の悪魔』を宿して鳥の姿となり、大陸西部へ向かっている。

▶7年前のとある出来事で人間側との軋轢を経験し、その際に『貪食の悪魔』を宿した母を失っているほか、サキナとも面識をもっている。

【オドラ―・ベル】ピナスの祖父であり、クラウザの集落を束ねる長老。

▶齢200を超え、ラピス・ルプスの民の特徴である銀色の毛並みは灰色にくすみ、全身毛むくじゃらである。

▶大陸の人間が内戦時代を経て現代に至るまでの歴史だけでなく、千年前から続く厄災についても口伝により知識を蓄えている。

▶人間と対立する気はないが、緩やかに数を減らしてく一族の行く末を憂い、『貪食の悪魔』を同胞から生み出さぬためにも、人間の手を借りてでも種を存続させるべきか思案している。

【クランメ・リヴィア】齢28の博物館職員兼調査研究員

▶大陸西部グラティア州、首都ヴィルトス近郊のアーレア国立自然科学博物館に従事している。

▶やや小柄で、分厚い眼鏡と象牙色の髪が特徴。大陸南西部ミーティス州の農村出身で、独特な訛りで喋る。

▶ルーシーとはグラティア学術院で同期生の関係だが、当時はあまり好ましい印象を抱いていなかった。

▶ラ・クリマスの悪魔の『封印』に関わるとある仕事を引き受けている。

【イリア・ピオニー】齢26にして大陸平和維持軍 国土開発支援部隊の隊長を務める軍人。

▶桃色がかった金髪と強い正義感の持ち主。国の平和のため心身を尽くそうとする厳格な性格。

▶現代に至る国内軍事を統括し続けた由緒あるピオニー家の娘。父ジオラスは元帥の地位にあり、2人の兄も同じく軍人である。

▶十代のころに出会ったルーシーの理想に感銘を受け、励まされたことでその背中を追い続けている。

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