「クランメさん、大陸議会の事務官から面会の要請が届いています。明日午後に『定期連絡』という件で、ドランジア議長の代理人として訪問されたいとのことです。
如何なさいますか。」
クランメ・リヴィアは自室の電話機に届いた内線連絡を左耳に
宛がった受話器で聞きながら、
珈琲を
啜りつつグラティア州で発行されている新聞を
眺めていた。
大見出しは昨日旧城郭都市トレラントが
蒼獣の襲撃を受けて壊滅的な被害を
被った事件が掲載されており、クランメは分厚い眼鏡の奥で眉を
顰めながらその報道記事を読み流していた。
——昨日の今日で来るんかいな。
愈々腹
括るしかないってことなんか。
「明日は休館日やろ。かえってやること
仰山あんねん。明後日の14時ぐらいにしてもろて。」
「承知しました。そのように返信致します。」
そうして
風蜂鳥小屋からの内線は切れ、空になったカップを机に置いたクランメは深い溜息をついた。
書架に詰め込まれた大量の参考書や資料、作業台に散乱する書類の山、そして透明な液体で満たされた何本もの筒状の瓶を
茫然と
眺めながら、
暫しだらけるように椅子に
凭れていた。
軈てすっかり重くなった腰を上げると、一つ背伸びをしてやるべきことの優先順位を整理し始めた。
——
おまえが
思っとる以上にうちも引継ぎとか色々あんねん。そんくらいの
猶予は
貰わな
敵わんで。
ラ・クリマス大陸西部グラティア州、首都ヴィルトス近郊に建つアーレア国立自然科学博物館に、クランメは職員兼研究調査員として研究用の小部屋を与えられ従事していた。
その自室に内線連絡を受けてから翌日の夕方まで
籠りきりとなったクランメは、最後に
風蜂鳥小屋から一通の封書を発送させたのち、後頭部で結わえた
象牙色の髪を揺らしながら、
黄昏の街並みを歩き始めた。
大陸随一と言われるグラティア学術院に入学するため
齢18でこの首都を訪れてから10年が経ったが、その間にもガソリン自動車が道路を行き交い始めるなど、街は
目紛るしい
変遷と発展を遂げていた。
その中でも店構えが変わらない行きつけの酒場にクランメは立ち寄り、カウンター席でお気に入りの果実酒を
嗜んだ。
小柄な体型
故に最初は未成年と間違われて
一悶着あった店主とも、今では仕事の愚痴や冗談を交わせる程度の関係を築いていた。
その店主に向かって
露骨に思い詰めたような口調で、クランメは
突拍子な問いかけを繰り出した。
「…なぁ、もし明日でこの世界が終わるとしたら、あんたなら
最期に何して過ごすん? …例えば、巨大な隕石が墜ちてきて世界が丸ごと吹っ飛ぶみたいな状況になったとしてな。」
一方の店主はその
仰々しい質問と例えに何ら疑問を挟むことなく、グラスを
磨きながら少し考えたのちに淡々と回答した。
「そうですね…私は酒場の店主ですから、
貴女みたいな
萎れた顔をしているお客様に最後まで
晩酌の機会を提供し続けたいですね。」
「おい、
乙女に向かって
萎れた顔とか失礼にも程があるやろ。」
「ああ、でも本当の
最期は愛する妻子と過ごしたいですね。この人生で良かった、生きてて良かったと
顧みながら世界の終わりを迎えたいものです。」
「あっそ。
訊く相手間違えたわ。寝つきが
悪うなる。」
最早手馴れているかのように店主に
遇われ、クランメは苦虫を
嚙み潰したような表情を
和らげようと、残っていた果実酒を一気に飲み干した。
「
貴女はどうなのですか?」
クランメは
藪蛇が引き寄せた
嫉妬の感情から逃げ
果せるべく早々に会計を済ませようとしていたが、店主は引き留めようと意味深な質問を同様に返していた。
だがクランメは
訊かれるのを
予め待っていたかのように、眼鏡の奥から
昏い
眼差しを向けた。
「うちは研究員やからな、世界が吹っ飛んでも
遺せるもんがあるなら
遺す。そのために
最期まで
足掻く。人生は何かを
遺せて初めて意味があるもんやと思っとるからな。」
「…まぁ、
本真はそないな理不尽な
最期から逃れるために
足掻くべきなんやろうけどな。」
その翌日、予定していた14時にアーレア国立自然科学博物館の受付に現れた、カリムと名乗る大陸議会事務官の
身形をした青年をクランメは出迎えた。
クランメは大して寒くもない館内で深緑色のストールを巻き、白衣の下にセーターと黒地のタイツを着用していたが、カリムは
眉一つ動かすことはなかった。
一方で青年は
精悍な顔つきだが左目を前髪で隠していたためか、クランメはどことなく
陰鬱な第一印象を受けていた。
だが彼が布に
包まれた棒状の荷物を手提げ
鞄の持ち手に挟むように抱えている姿を
見遣ると、そんな
素性はどうでもよくなり、
早速面会の場所へと案内することにした。
その道中、展示されている珍しい草花や鉱石を見て回る来館客を尻目に、クランメは
独り
言のようにカリムに話し掛けていた。
「アーレアに来るんは初めてか? ここは内戦時代に盛況だった闘技場を国が買収して改装してな、単なる展示場としてだけやなく自然科学関係の研究施設も色々と詰め込まれて充実しとる。うちも
博士じゃないんやけど、学術院できっちり勉学修めて、博物館の職員やりながら調査研究の手伝いをしとるんよ。まぁ後者の方が専門で、前者は
序でみたいな気持ちでやっとるんやけどな。」
「…そうなんですね。」
「ああ、ところで聞き慣れない
訛りしとるやろ? うちはミーティス州の
田舎の出身やから、あの辺は
皆こういう
喋り方なんよ。でもヴィルトスに来てからも意地でも口調では迎合せえへんて決めとんねん。
堪忍してや。」
クランメは
素っ
気ない
相槌を返すカリムを
他所に、館内の隅にあるいかにも古き闘技場らしい重厚な扉の前に辿り着くと、
掌ほどの大きさがある錠前を
解いてカリムを招き入れた。
そして階段を下っていくと、円形の舞台を何段もの長椅子で囲むような広々とした地下空間が現れた。
無数の照明器具によって照らされている舞台には、
不似合いな丸机と2対の椅子が置いてあり、丸机にはポットとカップが並べられていた。
面会にしては
大袈裟すぎる会場設営にカリムは思わず足が止まったが、
尚も舞台へ
降る階段から振り返ったクランメが皮肉っぽく言い聞かせた。
「
生憎自室が散らかっとって大陸議会の事務官様をお持て成しできひんのや。それにここなら
誰にも邪魔される心配はあらへん
。ちと寒いけどな。」
そうしてクランメは
颯爽と階段を
降りきり、舞台に上がって着席しカリムの到着を待ち構えた。
カリムは地下空間の肌寒さと妙な不気味さにやや警戒を強めながらも、薄暗い足元に気を付ける振りをしながらゆっくりともう一方の椅子を目指した。そして慎重に着席すると、クランメはまた他愛のない話を続けた。
「上が正々堂々たる決闘の場なら、ここは法外な賭け金が動く闇の闘技場だったなんて言われとる。国はそないな
血生臭い歴史に
蓋がしたかったんか知らんけど、この空間を特別展示場にでもしようとか当初は考えたんやろな。でも結局
搬入出の手間とか色んな課題があったんか文字通り
蓋されてそれきりになっとんねん。」
「ところでこういうんは
寧ろ若い子の視点が思わんとこで参考になったりするもんなんやけど、君はここに何飾ったらええと思う?」
「えっと…すみません、『定期報告』の件でお邪魔したんですが。」
カリムはクランメの雑談に
全く迎合することなく、
辿々しく本題に入ろうとした。
——
何や随分と空っぽな子やな…茶化して
誤魔化すんは無理があるか。
クランメは面白くないと言わんばかりに
露骨な溜息をつき、仕方なくその流れに従った。
「…で、
何なん?『定期報告』て。」
「いえ、その…『定期報告』とだけ言えばそれで伝わると
承ってきたのですが…。」
細身な体型が更に恐縮するような気まずさを
醸すカリムを前に、クランメは内心でもう一度溜息をついた。
——ドランジアの奴、どういうつもりやねん。トレラントの一件の後早々に部下を送り付けようとしたわりには、この子は
うちのこと
何も知らんみたいやないか。
——いや、
態と
何も知らん振りして隙を突こうとしとるのかもしれへんな……まずは鎌を掛けてくべきなんちゃうか。
「『定期報告』と称してうちを訪ねる連中は
皆漏れなく『
陰の部隊』の一員やったんけど、君もそうなん?」
「…はい。」
「まだ若いのに、なんで『
陰の部隊』なんかやっとるん?」
「…ラ・クリマスの悪魔をすべて封印して厄災のない世界を実現したいからです。」
「それ、
皆して同じこと言うねんけど、
本真に君の本音なん?」
「…僕自身、悪魔に因縁があったので、議長を通して志願した次第です。」
質問を重ねる
度に、カリムは更に委縮していくように見えた。クランメもまたそれが過度な警戒や不信感に
因るものでないと見ていたが、ディヴィルガムを託されているであろう立場としては逆に心配になるような反応でもあった。
それを踏まえて、クランメは更に質問を続けた。
「いまは君がディヴィルガムの使用者ってことでええんやな?」
「…はい。」
「ほなら君が昨日まで起こった5つの厄災
全てにディヴィルガムを
使うて
対峙して、5体の悪魔を『封印』をしてきたってことなん?」
「…厳密には3体です。もう1体は僕と同行していた者が仕留めました。あともう1体…『
貪食の悪魔』は、確保することができませんでした。」
詰問に苦しむようなカリムの答え方は、かえってクランメの不信感を強めることとなった。
——どういうことやねん。
5体の悪魔を全部『封印』したから
うちのところに来たんとちゃうんか。…とはいえそんな嘘を並べる理由も判然とせえへん。ほんなら、次に探りを入れるべきは……。
そこでクランメは、カリムが持参していた棒状の荷物に目を付けた。
「君が持ってきたディヴィルガム、少し見せてもろてもええか?」
徐に手を差し出すクランメに、カリムは反射的に身構えるような抵抗感を示した。だがそれはほんの一瞬であり、断る理由も浮かばなかったのか、布に
包まれた状態のまま恐る恐るディヴィルガムを手渡した。
クランメはこれを
解くと、両手で抱えるようにして古びた杖を観察した。
今となっては見慣れた遺物であったが、それ
故に先端に着装された鉱石の明らかな違和感に即座に気付いた。
だがその反応にやや
訝しむような視線を送るカリムは、杖の違和感を認知していないように見えた。
——これは…巧妙な
紛い
物や。うちを
欺くつもりだったんか? いや、そないな
解り
易い手口をドランジアが使うわけあらへん。そもそもこの子は
本真に
紛い
物を持たされてることに気付いてへんのやろか。
——しゃあない、もう一歩仕掛けなあかんな。…向こうが陰湿な手口に出るんなら、うちはこの子をとことん利用するまでや。
クランメは
贋作のディヴィルガムを握り締めたまま、
瞼を閉じて
自らを落ち着かせるように一つ大きく息を吐いた。
次にカリムへ視線を向けたときには、分厚い眼鏡の奥に浮かぶ瞳が、深海を思わせる
紺青色に揺らめいていた。
「ほんならうちがラ・クリマスの悪魔を宿しとる身やったとしたら、君はどうするん?」