リリアンが恐れていた予測を、クランメが
解り
易く裏付けていた。
ロキシーが倒れた原因は、この世界で目覚めてから
自らの悪徳に
係る欲求を一切満たす余地がなかったにも
拘らず、貴重な魔力を
唆される
儘に攻撃へと充当していたことであると結論付けられた。
一方のクランメはリリアンの
愕然とした反応を
窺いつつも、補足するように語り続けた。
「悪徳が弱まればうちらに顕現しとる悪魔も衰退する。悪魔が弱まれば
魔素を魔力に変換
出来ひんようになり、魔力と同化している
己が身は滅びの
一途を
辿る。その摂理は、元々生きとった世界でも同じこと。」
「裏を返せば、この
虚しい世界でうちらも
己の
渇望を満たせなくなれば、いつ消滅しても
可笑しないっちゅうことなんや。まぁとはいえもう一度死んだ身なんやし、この夢みたいな光景がいつ終わろうとも誰にも文句は言われへんけどな。」
そうしてクランメは無情な締め
括り方をすると、白衣を
翻して湖の
淵の
氷穴に向き直ろうとしたので、リリアンは
透かさず言い放った。
「なんで
貴女はそんなにあっさり割り切れるのよ。未練とか後悔とか、何も残ってないわけ?」
「せやな…うちは長いこと悪魔を宿しすぎたし、死ぬまでに色んな清算を済ませてしもたからな。あわよくば生き延びたいと
足掻いたのは確かやけど、悪魔を引き
剥がせへん以上はどの道満足には生きられへん。そうして無意識に納得してしまったんやろな。」
「…納得した? 諦めたの間違いでしょ。」
リリアンは冷たく吐き捨てると、ロキシーを抱えたまま
踵を返した。
クランメがラ・クリマスの悪魔について知識があったことは確かだったが、消極的な態度からそれ以上の協力を得られるとは思えず、ごねるのも時間の無駄であるように思えていた。そして再び風を起こし、
宙へ舞い上がろうとした。
——この眼鏡女の指摘の通りなら、あたしもネリネという貴族令嬢の姿を
騙りたいと思わなければ…つまり
騙りたい相手がいなければ、自分の存在意義を
見出せず消滅することになる。
——そんなのは嫌だ。この人とは違ってあたしは、何も諦めきれず
道半ばで死んだ。なんとかして悪徳に頼らず魔力を供給する方法を探さないといけない。この人にその気がないのなら、あたしが
出来る限りを振り
絞って……!
「早まったらあかんよお嬢さん。…いや、
お嬢さんの振りした誰かさん
と言うべきやろなぁ。」
不意にクランメが投げかけてきた
呟きに、リリアンの背筋は氷結に
掴まれたように引き
攣った。
イリアだけでなくクランメまでもが
己の
素性を
訝しむ発言をしたので、静かに着地して振り返り、空色の視線で
睨みを
利かせた。
だがクランメは平然とした様子で地面に座り込み、
宥めるように言葉を付け足した。
「そう怖い顔せんでも、君の本性まで探る気ぃはない。風を巻き起こすんは『
虚栄の悪魔』…その宿主は魔力を身に
纏って
羨望や美化の対象に成り済まし、邪魔者を魔力で引き起こした風で拒絶する。その伝承に
則って
鎌かけただけや。まぁロキシーの
身体が消えても君が着せた服が消えないんは、少なくともそういう原理ってことやんな。」
一方のリリアンは不覚にも
揶揄われながら呼び止められたことを察すると、
愈々苛立ちが
募って来ていた。
「…何それ?
出来の良い送り言葉を作ったつもり?」
「送り言葉って…君、その
娘抱えたままどこ行くつもりやねん。」
「決まってるでしょ。魔力を補う方法を探しに行くの。」
「うちが
喋ったこと何も聞いてへんかったんか。宛もなく探し回って君まで魔力枯らしたら本末転倒やろ。」
「…じゃあどうしろって言うのよ!? このままじっとしていたって何も変わらないでしょ!?」
「魔力を補う方法なら、1つだけある。」
そこでクランメがはっきりと主張したので、
捲し立てていたリリアンは
吃るように押し黙った。
「まぁ、あくまで可能性の話やし、それこそ代償が
伴うかもしれへんけどな。」
「何よ、そこまで匂わすなら
勿体ぶらないで言って
頂戴。」
「…ラ・クリマスの悪魔のなかには、魔力を
伴って生命活力を分配
出来る奴がおるはずや。『強欲の悪魔』…それを宿した奴の協力を得られれば、魔力をロキシーに分け与えて
貰えるかもしれへん。その『青白い
蔓を生み出す厄災』は、確かグリセーオで起きてたはずやから…。」
「……それって…!?」
クランメが
皆まで言い終わる前に、リリアンは『青白い
蔓』に見覚えがあったことを思い返して息を呑んでいた。
そして提示された唯一の手札が意図せず破棄してしまったものであることを察し、応報する因果に思わず背筋が震えた。
——『その青白い
蔓』って、イリア・ピオニーと一緒にいたステラって女が
纏っていたものなんじゃないの? でもその人はこの
娘の手に掛かって…恐らくその
娘の毒に
冒されて、卒倒したように見えた。
——仮にその人が無事だったとしても、危害を加えたこの
娘に力を貸してくれるとは思えない。
況してや攻撃を
唆したあたしの要請など、聞き入れて
貰えるはずがない。
——いや、その答えを聞くまでもなく、あの人を保護しているであろうイリア・ピオニーの
顰蹙を買って追い返される展開が目に見えている。今更顔向けなんて
出来ない。もう取り返しがつかない……。
「どないしたん? 人が
折角親切に教えてあげたっちゅうに、何がそんな不満なん?」
リリアンはクランメの指摘で
漸く
悄然としていたことに気付いたが、それに対して取り繕う言葉も思い浮かばなければ、これまでの事実関係を釈明する勇気も湧かなかった。
だがクランメはその沈黙に露骨に
呆れた様子で溜息を
零した。
「…しょうもな。
内輪揉めして何の意味があんねん。」
「…!? なんで、そのことを…!?」
「君はうちがステラ・アヴァリーの名を出すよりも早く表情を曇らせとったやろ。青白い
蔓を実際に見たっちゅうのはつまり、ステラが
態々力を使わなあかん局面があったということや。そこに後ろめたい理由があるから、君がそないな
萎れた顔になってるんとちゃうの。」
取り繕う余裕もなく、リリアンはその一瞬の反応のみを
以てクランメに
凡その背景を看破されてしまっていた。
そして実際に言葉にされなくとも、ロキシーを
遣わせてステラに毒を盛ったことで
相打ちのような状況に
陥っているという事実を見透かされ、非難されているような気がした。
結果としてクランメからの今後一切の助力を断絶され、
虚しく
色褪せていくロキシーと共に真の孤立が完成するのだろうと思い知らされた。
——本当にこの
娘を助ける
術がないのなら…あたしは自業自得を噛み締めながら
惨めに消滅を待つだけになってしまう。唯一
縋れる宛であるステラ・アヴァリーの容態が、その後どうなったのかは
解るはずもない。
——でも、この
娘の魔力が弱まっているのなら…あの人を
冒す毒も弱まっているということに成り得ないのだろうか。
——とはいえ確かめようにも、あたし
独りで出向けばきっとイリア・ピオニーと衝突してしまう。
緩衝役、いや仲介役が
要る。…そのためには、やはりこの眼鏡女に協力してもらうしかない…!
腹を決めたリリアンは、それまでずっと両腕に抱えていたロキシーを黒ずんだ地面の上にそっと
下した。
そして改めて立ち上がってクランメに向き直ると、深々と
首を垂れて静かに
懇願した。
「…お願いがあります、リヴィアさん。私とステラ・アヴァリーの
間柄を取り成してもらえないでしょうか。…それだけではなく、ピオニー隊長へ一連の諸事情を説明するためにも、お手数ですがご同行をお願いしたいのです。」
少女のそれまでの
横柄な態度から一転した
丁重な物言いに、クランメはどこか感心したように目を丸くした。
だが
素直に応じようとはせず、
直ぐに
眉を
顰めて
煙たく
遇おうとした。
「具体的に何があったんかは知らんけど、そんだけ腰を低く下げられんやったらうちが出向くまでもないやろ。ピオニー隊長も、あくまでうちが
喋った
体で伝えればそれで納得してくれるはずや。…うちはそんなして油売ってる暇ないねん。」
「ほんの少しだけご同行いただくだけで構いません。その後、私に
出来ることであれば何でもお手伝いさせていただきます。」
「何でもって…
何も知らん
癖に適当なことを…。」
だがそれでもリリアンは頭を上げることなく、クランメに食い下がろうとしていた。
視線は
目下に横たわるロキシーを生々しく捉えており、彼女を救うため、そして
自分が
最期まで自分らしくいられるようにするため
、意を決して
虚しく抱えていた自尊心を切り崩していた。
それは
自らを構成する『
虚栄』を
蔑ろにする行為でもあり、
首を垂れていることも
相まってか徐々に立ち
眩みを
催し始めていた。その変化に
抗うように、内心では
愚痴を
零し続けていた。
——大体、独断先行したのは眼鏡女の方じゃない。何で動機の
曖昧なあたしの行動は
咎められて、目的を明かさないあんたの行動は許されてるのか理解
出来ないわ。
——あたしが言えた口じゃないけど、あんたも
疚しいことがないなら
皆と目的を共有するべきなんじゃないの?
そうして
僅かな間があったのち、クランメは再び肩を
竦めて観念した様子を見せた。
そして黒い湖面に
逆巻く金色の渦を
眺めながら、淡々と言い聞かせ始めた。
「うちはあの広場で聞いた情報から、ドランジアの持つ魔力の正体に大方の仮説を立てた。そして『厄災の無い世界を実現させる』っちゅう
本懐を
遂げるために、奴自身の魔力がどう機能するのかを考えてこの場所へ…ラ・クリム
湧水湖へ転移した。」
「ドランジアが持つ悪魔や魔力に関する知識は底知れへんもんがあったけど、地理的・地質的な見識ならうちかて同じぐらい積み上げてんねん。奴の居場所は
直ぐに
解った。…この湖の中心の最深部、奴はそこで
魔素を吸収し続けとる。」
その
俄かに信じ
難い事実を聞いて、リリアンは思わず頭を上げて湖上を振り向いた。
金色の
塵が何か意思を持つように
渦巻き吸い込まれる先——黒い水中に
尚糸を引くような柱の先に、何か球体の粒のようなものが見えたような気がした。
「…どうしてあそこにドランジアがいるって
解るの?」
懇願を忘れて
唖然とした口振りでリリアンは問いかけていたが、クランメは構うことなく語り続けた。
「魔力の
素である
魔素は、
壊月彗星から絶えず降り注がれとる。せやけど魔力が具現化した厄災は、歴史上このラ・クリマスの地でしか起きてへん。その理由を生前長らく考えとったんやけど、自分が悪魔を宿して
漸く気付いたんや。…千年前に
墜ちた巨大な隕石が、このセントラム盆地の地中深くに埋まっとることにな。」
「そして降り注いだ
魔素はその巨大隕石に吸い寄せられ、結果としてこの大陸だけが
魔素に
覆われた構造になっとるんや。その構造は、奇跡的な超常現象でも起きひん限りは未来
永劫変わらん。その間厄災の無い世界がこの地で実現することはない。ドランジアもかなり前からそれに気付いてたはずやと思う。」
「せやから奴は
本懐を遂げるため、『魔力の
匣』になったんや。…
魔素が最も集約される地点で
魔素を
須らく独占し続けることで、この地に宿る悪魔に一切の力を与えんようにな。」