ドールが
回顧に
苛まれている間にも、円形の空間では顔を
顰めたネリネがクランメに対し問答を続けていた。
「なんでそんなことを
貴女は知ってて止められなかったのよ?」
「うちはドランジアとは
十年来の腐れ縁でな、5年前に悪徳に付け込まれて魔力入りのリンゴを食わされて悪魔を宿すに至ったんや。うちが宿す力がラ・クリマスの悪魔を『封印』する…要は一時的に捕らえるために必要言うて、散々命
弄ばれて利用されとったんやで。」
「…そもそもそんなリンゴを大陸各地に行き渡らせるなんて、到底現実味があるとは思えないんだけど?」
他人事のように淡々と打ち明けるクランメに対し、ネリネは
戯言を
詰るが
如く少しずつ詰め寄っていた。
だがその動きを制するように、イリアがゆっくりと歩み寄って代弁した。
「それについては、私にも責任がある。大陸軍の国土開発支援部隊に、議長らが密かに指揮していた『
陰の部隊』という
諜報組織が紛れていて、議長の指示のもと魔力入りのリンゴを
標的
の
下へ運ばせていたのだ。『
陰の部隊』は本質的にはラ・クリマスの悪魔を『封印』することを目的とし、13年程前に立ち上げられたらしい。恐らくそのときから大陸全土に潜伏し、悪徳が高まる見込みのある標的を選定していたと思われるのだ。」
「…隊長としてその実態を見抜くことが
出来ず、
忸怩たる思いだ。謝罪が
罷り通るとは思っていないが…本当に申し訳ない。」
だがネリネは
尚もイリアを見上げながら、謝罪などどうでもいいと言わんばかりに顔を膨らませた。
「だから
それが
現実味がないって言ってるの。一国の首相が手を加えたリンゴっていうのは、当然一度市場に流通した品物になるでしょう。それがまた何日もかけて運ばれるのなら、多少なりとも品質は落ちるはずよ。でも私が悪魔を宿す前に口にしたリンゴは、少なくともメンシスで売られていたものと同等くらいの新鮮さはあったわ。それでも本当にドランジアが諸悪の根源だと断定できるわけ?」
その具体的な批判に、イリアとクランメは思わず互いに顔を見合わせた。だが一呼吸おいて向き直ると、クランメがネリネの顔を
覗き込むようにして問い返した。
「ドランジアが何を
仕出かしたかっちゅう話題に切り替えたんはお嬢さんの方やろ。
何でその前提を掘り返すようなこと
訊いとんねん。」
「…別に。ただ私には関係のないことだって思いたかっただけよ。ここが
何処かすら
解らないのに
素性も知らない人間を
捜し出すなんて、付き合ってられないから。」
ネリネは一歩
退きながらばつが悪そうに踏ん
反り返ったが、そこで会話に踏み込む機会を
窺っていたステラが
漸く回り込み、
宥めるように声を掛けた。
「落ち着かない気持ちは
解るわ。私は
寧ろルーシーさんがとてもお世話になった人だったから、急に殺せだなんて促されても戸惑いしか生まれていないの。でも、だからこそあの人が何を成したのか、それが本当に正しかったことなのか知る必要があると思う。そしてそれはきっと、この場にいる全員が関わるべきことなのよ。…ここで悪魔を宿してしまった全員が目覚めたのは、きっと偶然じゃないはずだと思うわ。」
柔らかく包み込もうとするような説得に、ネリネは毛嫌いするような視線で
睨み返した。だがステラを
庇うようにして、イリアが再び前に出ていた。
「私も同じように考えている。議長はラ・クリマスの悪魔と共に
自ら
無間に
囚われ続けることで、
暫定的に我が国から厄災の脅威を取り除こうと考えておられた。その算段通りここが
無間という世界なのかは定かでないが、私にも聞こえる例の不可解な
囁きのように、何か別の意志が働いていることは確かだ。今は安易に単独行動に走るべきではない。」
一方でその説得に対して、ピナスが黒い花畑に
佇んだまま
焦れったい様子でイリアに問いかけた。
「とはいえ、いつまでもこの場に
屯していることもなかろう。ドランジアを見つけ出さん限りは何も話が進まん。そもそも
彼奴は何者なのか。
儂らと同じ悪魔を宿した者でないのなら、
何故魔力とやらを操ることが
出来るのだ。
儂は
彼奴と
対峙したとき、万全でなかったとはいえ
成す
術なく返り討ちにされたのだぞ。」
「…議長は大陸議会に
係る以前は大陸軍の所属だった。元より体術には優れていたと聞くが…いつから魔力を
培っていたのかは
解りかねるな。」
イリアは回答に苦しみながら、クランメに補足を依頼する視線を送っていた。それを受けたクランメは、仕方なく肩を
竦めながら語り出した。
「うちも詳しくは知らん。地道に
鍛錬したとか生意気なこと言うとったけどな。奴は
魔素…この世界に満ちとる魔力の
素を操り、掌握し、
塊にすることが
出来る。せやけどラ・クリマスの悪魔のような膨大な魔力の
塊までは保存
出来ひんっちゅう話やった…でもまぁ、今思えばあれはうちを利用するための
体のええ言い回しだったのかもしれへんけどな。」
「
出来ひんも何も、そないなこと試せる機会なんて
然う
然うあらへん。初めから7体分の悪魔の力を
纏めて使うことに意味があって、そのための技量は
弁えとったはずや。…それよりもピオニー隊長、あんたが悪魔を宿したにも
拘らずドランジアに
容易くやられとんのが意外やったけどな。
嘗ての上官を前に
日和っとったんか?」
クランメが皮肉を挟みつつイリアに問い返すと、イリアは重苦しい表情で
俯きながらルーシーと
対峙した時のことを振り返った。
「…議長の
為す
業はまるで実態が
掴めなかった。私の前で氷結を解き、雷撃を不可視の壁のような何かで
遮断した…あれほどの雷撃が
轟く
最中でも
鼓膜が破れている様子もなかった。最後には
本懐を打ち明ける議長を前に
頭痛と
眩暈に襲われて息苦しくなり、抵抗する余力もなかった…それすら議長の魔力が
齎した現象だったのかもしれない。」
イリアが明かす
最期を聞いて、ステラは両手で口元を
覆いながら
狼狽を隠し、ピナスもやや首を
捻ってルーシーの能力の真相を探ろうとしていた。
円形の空間は
暫しの間沈黙に満たされ、ネリネは話が進むのを待ち
惚けて退屈そうに
佇んでいた。
ロキシーは依然として黒い花畑に
蹲ったまま
傍観しており、ドールもまた自分の存在など
疾うに忘れられてしまったのだろうと
悄気ながら、仕方なく物騒な話題の推移を
眺めていた。
だが一連の情報を踏まえて、
不図クランメは何か思い立ったかのように
紺青色の瞳を
強張らせた。
そして白衣を
翻して広場の外へと歩き出そうとしたので、気付いたイリアが慌てて呼び止めた。
「リヴィア
女史、
何処へ行くつもりだ? 単独行動に走るべきではないと…。」
「ちと確かめたいことが
出来たわ。何でか
解らんけど、今
その場所へ行ける気がしてな
…
暫しここで待っとってくれ。」
「…何を言っているんだ? 詳しく話を……!?」
イリアが更に一歩を踏み出した瞬間、クランメを除く6人の足元から腰の辺りにかけて一斉に
氷塊が
迫り出し、
各々の身動きを封じ込めた。
ドールは
突如生じた不自然な現象に息を呑むと同時に、これがラ・クリマスの悪魔の力の1つであることを察した。こちら側を
殆ど振り返ることのないクランメの
繊細な魔力行使に驚かされたが、もう1つ奇妙な違和感も
抱いた。
——あれ、全然冷たくない。…私はこれを氷だと認識しているのに。
白と黒を基調とした空間で青白い色味を
伴う
塊は紛れもなく氷に見えたが、一度死んだ身だからか何ら温度を感知していなかった。
改めて広場を見渡すと、姿勢の低かったロキシーは肩の辺りまで素肌が
氷塊に包まれていたにも
拘らず、震え上がることなくただ困惑した表情を浮かべていた。
他の者も寒がることなく騒然としており、ネリネは不意打ちのように危害を加えたクランメに非難を飛ばしていた。
「ちょっと!? 一体どういうつもりなのよ!?」
「あんまし暴れん方がええで。下手したら身体が傷付くかもしれへん…まぁ今更痛覚を感じるんかは知らんけどな。」
「だからっていきなりこんなことする必要があるわけ!?」
声を荒げるネリネに
追随するように、イリアは
遣る
瀬無い口調で再度制止を試みた。
「リヴィア
女史…確かに私は
不甲斐なかった。
貴女が事前に
便箋で忠告し
喚起してくれたにも
拘らず、私は議長の
目論見通り悪魔を宿してしまった…
貴女を失望させてしまったのかもしれない。だが
未だ
全てが終わったわけではないと
解った以上、
貴女の助力は必要不可欠で……!」
「
何の話や? うちはあんたに手紙なんて送った覚えあらへんよ。」
だが無感情に返事を寄越すクランメを前に、イリアは絶句して思わず
口籠った。
「…何だと…? しかし、確かに
貴女の署名が……!」
「確かに大陸議会宛に会合の無期限延期を伝える書面は送ったけどな。そもそもうちの筆跡なんて、あんたは知らんやろ。それもきっとあんたを
誘き出すため、ドランジアが仕掛けた手の込んだ罠だったんやろな。」
「まぁ別に
咎めたりはせえへん。…
本真はこれは
うちが
落とし前つけなあかん話やねん。」
クランメはそうして言い残す形で、後ろ姿が
靄に
覆われるようにして
掻き消えてしまった。
目の前で新たに生じた不可解な現象に、残された6人は一様に目を疑った。
纏わりつく氷結は依然として強固なままであり、
苛立ちを隠せないネリネが
出来る限り首を回して
喚き散らした。
「ねぇ、誰かどうにかしなさいよこれ! ここにいる全員悪魔の力が
未だ使えるんでしょ!? 1人くらい氷を壊せるんじゃないの!?」
その後方でドールは
俯きながら、自分の
蒼炎なら氷結に対して有効なのではないかと考えていた。
だが氷を
炙って溶かすという行為に対する加減の想像が難しく、下手をしたら死の
間際のように自分の身体ごと焼き尽くしてしまうのではないかと
危惧した。
況してやその
蒼炎を
他人に向けるなど、
殺戮の手段として
濫りに振り撒いていた過去を振り返ると、
猶更躊躇いを
払拭することが
出来なかった。
——悪魔の力は厄災を
齎す力でしょう。誰かを助けるためになんて、使えるわけが…。
だがそのとき、広場の奥の方から
氷塊が乱雑に砕け散る音が飛んできた。
ドールが
見遣ると、氷結から解放されたピナスの周囲に2体の
蒼獣が生じており、散乱した氷の
欠片を
貪っていた。
悪魔を宿したラピス・ルプスの民が従えると言い伝えられてきた狼のような青白い生命体は、ドールが思っていた以上に
獰猛で
悍ましく見えた。
だがそれよりも、ピナスが背中から生やした
鷲のような青白い翼を
羽搏かせ、
宙に浮かび上がったことに
驚愕していた。
「
儂もここからは離脱させてもらうぞ。ドランジアの手掛かりなら…
儂が上空からこの世界を
俯瞰して
捜し出してやる。」