クランメがその試すような
台詞を
皆まで言い終わらぬうちに、カリムは突然崖から突き落とされたかのような
蒼白な表情で立ち上がり、クランメに拳銃を向けた。
その反応速度はクランメも目を
瞠るものがあったが、カリムの指は引き金に掛かったまま
強張っているようだった。
だがクランメにとってその
僅かな隙を突くことは
造作もなく、
微塵も
身動ぎせずに向けられていた銃口を一瞬で凍結させた。
金属が鋭く凍てつく音と手元に迫る冷気にカリムは
驚愕を隠せず、重みの増した銃口を力無く下ろして
茫然と立ち尽くす他なかった。
一方のクランメは混乱と
焦燥が
鬩ぎ合うようなカリムの表情を澄ました顔で
眺めながらも、内心では青年に対してやや幻滅していた。
——
本真に拍子抜けやわ。このディヴィルガムが
紛い物と知らずに、この子は悪魔を宿したうちに大事な武器を奪われたと本気で思って意気消沈しとる。…それだけやない。優柔不断というか、臆病というか…何かの失敗から立ち直れず引き
摺ってるような感じやな。
——『
貪食の悪魔』を獲り逃した言うんも引っ掛かるけど…まぁそれならそれで、うちはとことん弱みに付け込ませてもらうけどな。
「驚いたやろ? これは金属を直接凍らしたわけやなくて、銃口の周囲の気体を固体に変えて詰めさせた結果なんやけど…まぁそないな理屈はどうでもええねん。」
「正直寿命が縮むから無駄に魔力は使いたないんよ。例えば君を氷柱に閉じ込めてこの舞台に飾ろうなんて趣味の悪いことも考えてない。せやから君も一旦肩の力抜いて、うちの話聞いてほしいねん。」
クランメが改めてカリムに言い聞かせているうちに、2人の間に置かれていたポットの中身が
独りでに湧き立ち、湯気を噴出した。
カリムの
驚愕の
眼差しがポットに向くと同時に、クランメは杖を机に立て掛けながら席を立った。
「とはいえ、
偶にはこうして魔力を発散させなあかん。これはこれで便利やけどな。」
そして
徐に白衣のポケットから
珈琲の粉末が詰められた瓶を取り出すと、自分とカリムのカップにお湯と共に注いで即席の
珈琲を作り上げた。
その
序でにカリムに再度着席するよう促すと、クランメもまた椅子に座り直し、片手で
贋作のディヴィルガムを
弄びながら
珈琲を
啜った。
仕方なくクランメと向かい合うことにしたカリムだったが、差し出された見慣れない黒い液体と漂うほろ苦い香りは、一段と表情を引き
攣らせているようだった。
「
珈琲、飲んだことないんか? それとも毒とか薬とか盛られとるとでも思っとる? うちが魔力で沸かしたお湯で
溶いたから敬遠しとる?」
「…まぁ、飲みたくなったら飲んだらええよ。ここでじっとしとると
寒うなるし、君1人始末したり人質に獲ったりしても無益なことくらい
解っとるしな。」
クランメは
素っ
気なく話しながら、
贋作のディヴィルガムを逆さまに持ち直して
柄の末端をカリムに向けた。そうして気を取られた青年と視線を合わせた。
「せやからこの機会を有益なもんにするために、うちは君に取引を持ち掛けることにした。ディヴィルガムを返してほしくば、うちの『封印』は諦めるんや。」
「厳密に言えば、うちが
今宵無事にヴィルトスを離れられるよう
幇助をしろ。もし変な
真似しようもんなら…
本真に君の氷像
拵えたるから、覚悟しいや。」
悪戯っぽい微笑を浮かべるクランメだったが、一方のカリムは反射的に視線を伏せてしどろもどろな返答を
零した。
「…いや、そんなこと言われましても…。」
「
勿論、それだけやと君に何の得もない。せやから、代わりにうちが知っとることを
出来る限り全部教えたる。ラ・クリマスの悪魔のこととか…
ドランジアが悪魔の力を集めて何を企んどるのか
、とかな。」
「!? ……どういうことですか?」
だがクランメの
台詞の末端は
流石に聞き捨てならなかったのか、カリムは
睨み返すように再び視線を合わせた。
一方で期待通りの反応が得られたクランメは、
贋作の杖を膝に寝かせると、両肘を机に付いて少し前のめりな姿勢で応戦してみせた。
「君は
何も疑問に思わなかったんか? 現代では伝承と称されるくらい
稀有な現象に成り下がった厄災が、ここ1カ月ほどの間に集中して起きよることを。それとも悪魔を『封印』して回るのに都合の良い偶然とでも思っとったんか?」
「……。」
カリムは何も答えなかったが、クランメはそれを返事として受け取っていた。それを踏まえて、更に問いかけ続けた。
「これは
全くの偶然やない。ドランジアが何年も前から密かに計画し、
壊月彗星が接近する時期に合わせて入念に張り
巡らせた罠や。そんなかで厄災が厄災を呼ぶような気に
喰わん連鎖が起きとるんや。」
「でもな、大陸軍だけならいざ知らず、大勢の一般市民までも犠牲にするやり口はあんまりやと思わんか? 短期間のうちに大陸中で厄災が起きよるから色んな産業も流通も混乱して、うちらのような首都で暮らす住民にも
愈々皺寄せが来てるんや。」
「せやけど
幾ら被害が
甚大になっても、全部悪魔に責任転嫁できてまうから余計に
質が悪いねん。一国の首相としてあまりにも横暴でお粗末な展開やと思わんか?」
だがカリムは依然として
怪訝な
面持ちのまま無言を貫いていた。
勿論クランメにとってもこれが単なる邪推にしかならないことは
解っており、想定通りの反応であった。
——この程度で同情や反感を買えるくらいなら楽なもんや。腐っても根っこは『
陰の部隊』ってところか。…ほんなら、
直ぐに切り口を変えてやらんとな。
「ところで君はディヴィルガムで悪魔を『封印』しよる際に透明な液体が詰まった封瓶を
使うてるはずやけど、あれは『封印』としては
完全なものとは言えない
んやで。そもそも
一時凌ぎになるんかどうかも
解らん。」
今度こそ不意打ちを
喰らったカリムの眉が
解り
易く動き、その顔をより一層
顰めさせた。
「…
何故そう言えるんです?」
「あの封瓶は全部うちが仕込んどるからや。」
そしてそのクランメの真っ
直ぐな返答に、カリムは
愈々思考が追い付かなくなったようであった。
何か言い掛かりをつけようと口を開いたが、その根拠を組み立てる素材がなく持て余しているようであった。だがクランメが不敵な笑みを浮かべながらそれを察し、
尤もな疑問を
汲み取りながら語り掛け続けた。
「べつにうちが悪意で欠陥品を納めてたんとちゃうよ。ドランジアが未完成の試作品と承知の上で大量発注してきただけやで。」
「そもそも君、どういう原理で『封印』ができとるんか知らんやろ。せっかくうちが5年近い年月をかけて仕組みを考えたのに、
何も不思議に思わんと
使うてるなんて悲しいわぁ。」
クランメは
大袈裟な溜息をつきながら嫌味を込めてカリムを
詰ったが、当の本人は
未だに何も返す言葉を
捻り出せないままであった。
「あれは簡単に言えば過冷却の応用なんや。封瓶に入れとるのはただの真水。そこへ『魔力』の
塊…『
魔魂』て言うてるけど、それが浸水する瞬間を引き金に急速に凍結するよう『
魔素』の配列を調整しとるんやで。」
「うちが宿しとる悪魔の能力、
即ち『魔力』は、一言で言うなら水の三態の操作。魔素を
媒介に水分子に働きかけることで、熱量と圧力の
理を
捻じ曲げて物質を変化させてしまうんや。まぁ当然不純物が多いほど難儀になるから想像するほど万能やないけどな。湯を沸かす程度が疲れなくて
丁度ええんや。」
大盤振る舞いとでも言わんばかりに、クランメは
自らの手の内を
晒していった。
実質的にラ・クリマスの悪魔を『封印』する最前線に立たされているカリムの足元が
如何に空虚なものかを知らしめ、揺るがすために容赦をしないつもりだった。
そして狙い通りに、カリムは揺れる足元にしがみつくように精一杯の質問を挟んできた。
「…あの、『
魔素』って…何ですか?」
クランメは青年の食い付きに手応えを感じつつ、
勿体ぶることなく回答を作り上げていった。
「ああ、『
魔素』は
便宜上の呼称なんや。
何せ悪魔を宿した
者にしか認識できひん、未確認の元素みたいなもんやからな。せやけど確かにこの世界の大気や水中に当たり前のように
馴染んどるし、人も呼吸によって体内に取り込んどる。」
「そして悪魔を宿した
者は取り込んだ魔素を源に魔力を生み出し、体外の魔素を操作して自然の
理に介入する動力にしたり、体内から具象化させて脅威を引き起こしたりするんや。前者がうちみたいな例、後者が俗に言う
蒼獣が
解り
易い例やな。魔力の仕様は悪魔によって違うんやろうけど、ラ・クリマスに伝承される厄災は全部魔素を
媒介とする現象として説明できるんやで。」
カリムは
突如明かされた未知の物質の存在を信じ
難いと突き放したい衝動に
駆られたが、これまで経験してきたラ・クリマスの悪魔との
対峙を思い返しつつ、その事実を呑み込んで必死にクランメの会話に追いつこうとしていた。
「…それなら魔素はどうやって生じているんですか? 魔力として消費されるのなら、いくら
馴染んでいたとしても有限なんじゃ…?」
「魔素は
壊月彗星からこの大陸に降り
注がれとんねん。
壊月彗星が
廻る5年おきにこの世界に魔素が補充されてるようなもんや。その自然の摂理が続く限りは有限とは言えんやろな。」
だがクランメは
容易くカリムを絶句へと追い
遣ると、自虐的に皮肉を付け足した。
「恐らく今が一番接近しとる時期やからな…
壊月彗星の光に反射しとるんか知らんけど、
煌めく粉を絶えずばら
撒かれてるようで毎晩
眩しゅうて
敵わんのや。まぁうちに宿ってる悪魔がどうしても魔素を必要としたがるからしゃあないねんけどな。」
「…どうして、
壊月彗星から魔素が…?」
「さぁな。いつか人類が宇宙へ進出できればあの
壊月彗星を調べることができるのかも
解らんけど、常人に認識できひん物質を科学的に解き明かせるとは思わん。ただ1つ言えるんは、千年前に悪魔を
載せた隕石が当時衛星だった月を破壊したんは必然やったってことやろな。」
「
壊月彗星が接近すればするほど降り
注がれる魔素は濃くなり、それに比例するように悪魔は膨大な魔力を生み、結果として厄災の規模も
甚大になる。グレーダン教信者やないけど、
本真に創世の神様がそないな人を
戒める仕組みを
創り出したんやないかと思えてしまうからな。」
そのうえでクランメは再び
贋作の杖の末端を
翳し、明かされる壮大な事実に呑まれかけているカリムの視線を再び引き付けた。
「でも本題はここからや。魔素の濃度が上がれば厄災の規模は拡大する傾向にあるが、
厄災自体が起こりやすくなるとは限らん
。
勿論被害が
甚大になることで歴史に
遺りやすくなるって見方はできるかもしれんけど、直接的な原因は『7つの悪徳』次第なことに変わりないんや。」
「せやから意図的に厄災を引き起こそう思ったら、大陸中歩き回って悪徳を
募らせた標的を見定めたうえで、更に悪徳が深刻化するよう
細工せなあかん。そないな
人海戦術、普通に考えたら非現実的や。せやけど実際はそうでもない…そのために『
陰の部隊』が存在してるんやろ?」